4話 追われる聖女
「店員さん!今時間大丈夫?」
「あ、はい。どうされましたか?」
閉店間際のもうあまり人のいない時間帯。あの日以来、たまに仲間達と来店するようになった(というよりイアン達がついてくるようになった)ルヴェルトが、二人と共にいつもより少し遅い時間に来て、珍しく呑みすぎてテーブルに突っ伏していた。
「ラストオーダーは先程終わってしまったのですが……」
「いや、注文じゃなくてちょっとね」
そんなルヴェルトを横目で見ながら、剣士の少年、イアンがミリヤを呼ぶ。
「俺達、明後日から遠征でさ。ベテランの冒険者パーティに混ぜてもらって、ちょっと遠くのダンジョンまで行くんだよね」
「うんうん。それで、帰ってくるのは一カ月後なんですよ」
「え、そ、そうなんですね……それは寂しいです……あ、いえ、が、頑張ってください!」
イアンから話を聞き、ということはルヴェルトもしばらく来れなくなってしまうのかと思ったミリヤは少し落ち込んだ。忙しい時、ルヴェルトの書く注文用紙の綺麗な字がささやかな癒しだった。たまに厄介な酔っ払い客に絡まれた時もスッとフードを外した彼が助けてくれたりして、内心とても頼りにしていた。
「それでね店員さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「私にですか?」
フードを深く被ったままモソモソとサラダを咀嚼するあの新種の生き物のような姿を、これから一カ月も見れなくなるのはとても寂しい。
「俺ら、こういう大仕事の前は願掛けするんだ。無事帰ってこれたら◯◯するみたいな願掛け。今回だと俺はここのステーキを食べまくる、ユイは前から欲しかったアクセサリーを買う」
「そうそう、それでルヴェルトに今回の願掛けどうするって聞いたんですよ、そしたら」
そう言ってイアンとユイが突っ伏したままのルヴェルトを揺り起こす。早く起きろ、説明はしといてあげたわよ、と口々に言いながら。
「う……店、員、さん」
「は、はい!」
起き上がったルヴェルトに声をかけられ、ミリヤはカッと頬が熱くなるのを感じた。
落ち着かねば、まだ何も言われてない。しかし今の話の流れからするにつまりそういう。つまりそういうことでは。
「……その、俺が、一カ月後に無事に帰ってこれたら」
「はい、ええ、はい」
完全に片想いだと思っていた。まさかあの人嫌いそうなルヴェルトが、大仕事後のご褒美にただの行きつけの酒場の店員でしかない自分を選んでくれるなど思いもよらず。
「君の名前を教えてくれ」
「はい!……はい?」
無意識に銀のトレイを胸に抱き、ルヴェルトの言葉の続きを待っていたミリヤは、その予想を大幅に下回るお願いにポカンと口を開けた。
「えええええ!?おまっ、そこから!?そこからだったのかよ!スタート地点にすら立ててねーじゃん!」
「信じられない!一年も何してたのよ!モシャモシャサラダ食べてただけ!?この意気地無し!弱虫!イモ虫!ウジ虫!」
次の瞬間幼馴染二人による容赦ない罵倒がルヴェルトを襲う。
「あ、あのー」
「この鈍行!燃料切れの魔鉄道!老ロバの引く荷車!」
「レタスの裏にいる青虫!岩をひっくり返したらいるダンゴ虫!草藪を通ると身体中につくひっつき虫!」
罵倒のバリエーションが独特。これが文化の違いか。悪口なのは辛うじてわかる。
「み、ミリヤです!私の名前、ミリヤ・ノーレンです!」
「えっ……」
そんな二人に何も言い返せず縮こまってしまったルヴェルトに、ミリヤは声を上げて己の名を告げた。
「大仕事前の願掛けなんでしょう?名前だけなんて言わないで、もっと欲張ってください。たとえば、無事に帰ってきたら私とデートする、なんてどうですか?」
「あ……えっと……」
「どうですか?」
「は、はい」
両手でフードの端を押さえ、ルヴェルトがコクンと頷く。
それを見たイアンとユイもやれやれと肩を竦めた。
「絶対に無事に帰ってきてくださいね、ルヴェルトさん」
「……ああ」
ちょっと強引すぎたかもしれないが、先に望んでくれたのはルヴェルトである。ミリヤは更に勇気を出して、フードから行き場をなくし泳いでいたルヴェルトの手を取った。
そうと決まればあと一カ月、確実に休みを取れるように仕事を全力で頑張ろう。あと他の細かい用事も全て片付けなくては。
そういえばそろそろ聖女測定の時期だったから、明日にでもさっさと済ませてしまおうと予定を立てながら。
◆◆◆
そんな経緯で約束したデートの日が、今から一週間後なのである。
「というわけで、私は今から帰りますね」
「そっ、そんな!?どういうことですかミリヤ様!?」
王子が令嬢達との茶会へ戻るのを見送り、ミリヤはすぐさま帰り支度をするため王宮内に用意された部屋に戻った。
「ですから先程殿下から帰還の許可が下りたので……」
「〜〜っ!そんなの、絶対本心じゃないはずですって!」
部屋の前にいた護衛の騎士に手短に事情を説明し、さっさと荷物をまとめる。騎士は反論してきたが、王子がそう言ったのは確かである。
「ま、待ってくださいミリヤ様!ミリヤ様こそ我々が探し求めていた真の聖女です!王太子妃に相応しいのは貴女しかいません!王子もそう思っていらっしゃいます、どうか早まらず!」
「まあそんな、有り得ないですよ」
上から下への情報伝達がきちんとなされていなかったようだ。騎士達はまだ聖女のミリヤを王太子妃候補として歓待せねばならないと思ってるのだろう。いやほんとそういうのいいから。
「ですが殿下がそう仰ったのは事実です。帰れと言われて図々しく居座ることなどできません。先日頂いたネックレスは返しそびれてしまってましたが、聖女の仕事の報酬の代わりに受け取らせていただくことにします。どうぞ殿下によろしくお伝えください」
以前は帰ろうにも旅費がなかったが、今は幸いなことに今日のお茶会に合わせて王子に下賜されたネックレスがある。これを質屋で換金すれば充分な旅費になるはず。
「待っててください!俺が殿下に確かめてきますから!」
「いいえその必要はありません。一度言われたことをもう一度確認するなど殿下の時間をいたずらに奪うことになってしまいますし」
今にも走り出さんとする騎士を止め、ミリヤが首を振る。
こちとら前言撤回された方が困るのである。
「いいえ!絶対に何かの間違いです。確認してきます!」
「あ、待ってください!」
しかしミリヤの制止もむなしく、護衛騎士は走り出して行ってしまった。由々しき事態である。万が一前言撤回されてはミリヤはまた帰れなくなることに。
「……冗談じゃないわ!」
悩んでいる暇はない。これ以上引き止められては本当にデートに間に合わなくなる。かくなる上はまだ帰還許可が取り消されていない今この隙に帰るしかない。
お茶会用のドレスから行きで着てきた動きやすい服に着替え、僅かな荷物とネックレスだけを掴み、ミリヤは大急ぎで部屋を飛び出した。
さすがにあの護衛の騎士も、王子と妃候補達との茶会でその令嬢達にも聞こえるようにミリヤとのことを問いただすことはできまい。
王子が席を外したところを狙うか、こっそり耳打ちしようとするはず。
しかしあの別れ際の王子はかなり怒った様子であった。おそらく政策としてフリで妃候補扱いしてやってただけの、ミリヤのような平民の小娘に正論を言われたのがよほど堪えたのだろう。あの様子なら意地でも茶会を全うしようとして席を外さず、騎士に『聖女ミリヤ様のことですが……』などと耳打ちされても『後にしろ』と切り捨てそうだ。というかそうであってほしい。そうでないと困る。
「郊外行き特急ー、郊外行き特急発車しまーす」
王子がミリヤが部屋にいないことを知り、王宮内を捜索し、王宮外にまで捜索の手を広げるまでの時間。それまでが勝負である。
「すみません!乗ります!」
事前に調べていた使用人の通り道により王宮を脱出したミリヤは、これまでにない全速力で城下町の魔鉄道停留所まで走った。
行きは気づかず鈍行に乗ってしまったせいで王都の端から中央まで半日かかったが、今乗ったものは特急。かなりの時間短縮になるだろう。
「お嬢ちゃん随分急いでるな。駆け込み乗車は危ないぞ」
「ご、ごめんなさい、本当に急いでて……」
扉が閉まる寸前転がり込むように乗り込んだミリヤに、目の前に座っていた乗客の一人が注意をしてきた。
「よっぽど遅れられない大事な用事でもあるのか?」
「……はい……」
注意をされたものの、その乗客に嫌味な感じはしなかった。ただ純粋にちょっと危ないことをしたミリヤを心配してくれているようで。
「好きな人とのデートに、間に合わなくなるかもしれなくて……」
膝に手を当て、息を切らしながらミリヤが正直に答える。
「なるほど。そりゃあ一大事だな!」
乗客は一瞬ポカンと目を瞬かせた後、納得したようにくしゃりと笑った。
◆◆◆
「ルヴェルトさんはどうして冒険者になったんですか?」
「……イアンとユイがなるから」
三週間と少し前、ミリヤがルヴェルトとデートの約束をした日のこと。閉店後の帰り道、友人とルームシェアをしているアパートまでルヴェルトに送ってもらうことになった。
「こらー!この期に及んで素っ気ない返事してんじゃないわよ!」
「一歩進むのにどれだけかかってんだ!ヘンじーちゃんちの牛車より遅いぞ!」
正確にはイアンとユイの援護射撃を受けながらルヴェルトに送ってもらうことになった。
「あいつら、俺がいないと正面突破と力押ししかしない。単細胞だから」
現在ルヴェルトとミリヤ、イアンとユイで二人一組となり三メートル程距離を開けて歩いている。
「ルヴェルトこそ私達がいないとまともに人とコミュニケーション取れないくせにー!」
「交渉はできても交流はできないくせにー!」
ルヴェルトが何か言うたびに後ろの二人からコールがつく。最初は応援だったはずなのだがだんだん駄目出しになってきた。
「能力使う時しかまともに人の目見ないのどうにかしなさーい!」
「だのにアンデッド系の魔物は直視できなくてまともに闘えないのもどうにかしろー!」
「うるせぇスライムの巣に真正面から斬り込んで無限増殖させたばーーーか!」
もはやただの喧嘩である。
「でも次行くところ墓場系ダンジョンだからアンデッド系メインだけど本当にどうするー?」
「まあ正直に言うと俺もちょっと怖い……アイツら目とか空洞だし見えてないはずなのになんでこっちがどこにいるかわかるんだろうな……」
「いや見えてないことはないだろ。アレは見えてる奴の動きだ」
今度は作戦会議になった。さっきまでの喧嘩は早々になかったことになったようである。
「仲がいいんですねぇ」
「あっ……わ、悪かった、今する話じゃなかったな」
後ろの二人を振り返りながら歩いていたルヴェルトがびくりと肩を震わせた。しどろもどろにフードに手をかけ、被ろうとして寸前で思いとどまったように手を離す。店を出る前、こんな時くらい顔は出せとイアン達に言われたことをルヴェルトは律儀に守っている。
「つまらなかっただろ、その」
「いいえ。ルヴェルトさんの普段の様子を見れるのは嬉しいです。ルヴェルトさんのこともっと知りたいから」
「……!」
背後でイアン達が口を押さえて目を輝かせているのが見える。小声で『ルヴェルトが人に気を遣った……!』『レッドビーンズライス炊かなきゃ!』と言い合っているのが聞こえた。郷土料理だろうか。
「……俺も」
もう何度もフードに伸びそうになっている手を下げて、所在無さげに浮かせながらルヴェルトが答える。
「君のことがもっと知りたい」
しかしその目は真っ直ぐで、しっかりとミリヤを見据えた。
「笑顔が可愛い。伝票に書く字が意外と角ばっていて豪快。デザート類を運ぶ時はいつも自分も食べたいって顔してる。厄介な酔っ払い客に手を焼きはしても、怖がる態度は取らない。こんなことくらいしか今はまだ知らないが、もっと知っていけたらいいと思う……」
その告白を聞き、ルヴェルトも同じように今までミリヤを見てきてくれていたことを知る。
「……私も。滅多に笑わなくて、注文票に書く字がいつも綺麗で丁寧で、サラダが好きで、厄介な酔っ払い客を魔法みたいに追い払ってくれる人のことを、それ以外のことももっと知っていけたら嬉しいです」
一年間、交わらなかっただけでずっとお互いを見てきたのだ。ようやく向き合えた今、これまでよりずっとよくこの人を見ることができるのが、ミリヤはただ嬉しかった。
「……ああ……ええと……ルヴェルト・ロッド、歳は十六、トール地方のラディス村出身、両親は商人でしょっちゅう家を空けてたから、兄が親代わりだった。イアンとユイは家が両隣で赤ん坊の頃からの幼馴染。特技……と言っていいのかわからないが、目が合った者の平衡感覚を狂わせることができる」
「ミリヤ・ノーレン、同じく十六歳、この街の孤児院出身で、親はいません。ルームメイトは孤児院時代からの親友、酒場のオーナーもその時から何かと親切にしてくれた人で、年上の女性なんですけど本当の姉みたいに思ってます。特技はパフェの器で大きなタワーを作れることです」
それからアパートに着くまで思いつく限りの自己紹介をし、同じくらいルヴェルトの自己紹介を聞いた。
小さい頃の思い出や、将来の夢、苦手な食べ物、最近読んで面白かった本、知りたいと思ったことを次々と、とりとめもなく。
◆◆◆
「……ッ!」
ガタンと大きく席が揺れ、荷物を抱いて思い出に浸っていたミリヤが我に返る。出発してから体感で三時間と少し。終点に着いたのかと思いかけるも、一向に開く気配の無い扉に嫌な予感がした。
「えー、緊急停止です。申し訳ございませんがご協力ください。緊急停止です」
ざわざわと他の乗客も不審がる中。降車口ではなく、車両と車両を繋ぐ通路の扉が開いた。咄嗟に長旅用のコートに付いているフードを深く被り、入ってきた車掌と目を合わせないように俯く。
「先程王宮より緊急連絡鳥が飛んで来まして、乗客の確認をすることになりました。ご協力ください」
思わずミリヤの息が止まる。緊急連絡鳥とはその名の通り緊急事態に用いられる最速の伝書鳥だ。
それが王宮から発せられ、魔鉄道に届き、車掌が列車を止めてまで一人一人乗客の確認をするということは。
「お客さん。申し訳ございません、フードを取っていただけますか?」
「あ……」
聖女が逃げたと一報が入ったのだ。この路面魔鉄道に乗っているようだったら、王宮まで送り返すようにと。おそらくミリヤの容貌の特徴も知らされているはず。
「お客さん、フードを」
他人の空似で通そうにも、ミリヤの水色がかった銀髪はかなり珍しい部類に入る。しかもフードで限界まで顔を隠すなど、たった今いかにも怪しい行動を取ってしまった。
「失礼しますよ」
「待っ……!」
動けないミリヤに痺れを切らしたらしい車掌がフードに手をかけた、その時。
「すいません車掌さん、妹は人見知りなんだ。勘弁してやってください」
「!」
フードにかけられた手を誰かの手が掴んだ。
「席が並んで空いてなくて離れて座ってたんですよ、この子の兄です」
突然現れた兄を名乗る人物にミリヤも戸惑う。当然ながらミリヤに兄はいない。
「い、妹さんでしたか。失礼ですが妹さんのお名前は?」
「ルルです。田舎から王都に出稼ぎに来てた俺に会いに来たんですよ。今日故郷に帰る予定で、途中まで送ってくところでして。いやぁ、ほんとに人見知りな子で、身内以外と話すのが苦手でしてね。なぁルル?」
「なるほどそうでしたか。それは失礼しました。それでは良い旅を」
しかしミリヤの頭上でするすると語られるその嘘を車掌はあっさりと信じ、席から離れた。下を向いたミリヤからはその後ろ姿を見ることはできなかったが、遠去かっていく足音で次の車両へ移ったことがわかる。
「ありがとうござ……」
助けてくれた兄なる人にお礼を言おうと顔を上げ、言いかけたところで小声で『敬語はおかしい』と耳打ちされ飲み込んだ。
車掌はいなくなっても他の乗客はいる。たった今兄妹だと言った二人が敬語で話し出したらおかしいと思う人もいるだろう。
「あ、ありがとう、お兄ちゃん」
「おう」
しかしどうして見ず知らずのこの人がこんなに親身になって助けてくれたのかとミリヤが不思議に思っていると。
「デートに遅れるわけにはいかないもんなぁ、ルル」
「え?あっ、う、うん!」
その兄なる人は三時間前、ミリヤが駆け込み乗車をした時に。デートに間に合わないかもしれないのだと言ったミリヤに、『そりゃあ一大事だ』と笑って同意してくれた人だった。