2話 聖女は早く帰りたい
夢を見た。
ルヴェルトが店の常連になって少し経った頃の夢を。
「なあお嬢ちゃん、お酒奢ってあげるからここ座って!ね!」
「ごめんなさーい、そういうサービスはしてないんですよ〜」
その日のミリヤは厄介な客に絡まれていた。おそらくダンジョンかギャンブルで大勝ちして気が大きくなってるのであろう、片手でジャラジャラと金貨袋を掲げながら絡んでくる男。
「じゃあお持ち帰りね!いくらならいける?お嬢ちゃんならこの袋の中身全部出してもいいよぉ」
「テイクアウトメニューはこちらになっております」
「そろそろ冗談は無しにしてさあ、で?いくら?」
ミリヤがいくら躱そうと他の客のオーダーを取ってようと構わずに絡んできては金貨の入った袋を開けて見せつけてくる始末。こんな日に限って同僚が急病で人手が足りずミリヤが常にホールに出ざるを得ない。
ほらほら〜と自慢げに金貨袋で頬を叩いてきた男にミリヤの堪忍袋の緒が切れそうになったその時。
「……そんな端金で女を買うとか、笑える」
そこまで大きくなかったのに、店の隅で呟かれたその声は不思議とよく響いた。
「なんだと!?これのどこが端金だってんだ!」
「っ、お待ちください、お客さん!」
酒で元々赤かった顔を怒りで更に赤くし、その声の主に向かって叫ぶ金貨男。
ミリヤが慌てて止めようとするも遅く、肩をいからせて大股で男が歩いて行ったところで。
「端金だろう。銅貨のたった一袋は」
バサリとルヴェルトがフードを脱いだ。今まで食事中でも決して脱ごうとしなかったそれを。
壁にかかったオレンジの照明の下、珍しい紫の髪と錆色の目が露わになる。
「おぐぅっ!?」
そして次の瞬間何もないところで金貨男がすっ転んだ。その拍子に片手に持っていた金貨袋がふっ飛び、床に叩きつけられて中身が飛び散る。
「えっ?」
口の開いた袋とそこから溢れ出た金貨を見て、ミリヤは思わず目を瞬かせた。
飛び散った金貨を拾おうと腰を上げた他の客達も固まる。
床に転がっているのは金貨じゃなかった。袋の近くに落ちているものは金色をしていたが、袋から遠ざかるごとにグラデーションのように色が落ち、ただの茶色になっていく。すなわちただの銅貨。
「袋を起点にした幻術だ。賭け相手に騙されたな、ばーか」
「な、な、な……っ」
賭けや商売で金貨の偽造を疑うのは珍しくない。しかし金貨自体を慎重に見ることはあっても、袋まで疑うのはなかなかないのではないか。相手から袋ごと渡されて存分に確認するようにとでも言われたら、片手に袋を持って片手で金貨を取り出して一枚一枚確かめてそれで満足しそうだ。
きっとこの金貨改め銅貨男もそのようにして騙されたのだろう。
「馬鹿にしやがってぇえええぐぅおあっ!」
呆然とひっくり返っていた銅貨男が再び立ち上がるも、一歩進んだ瞬間にまたひっくり返った。酔いと怒りで平衡感覚を失ったのかもしれない。よろよろと立ち上がっては転び、また立ち上がっては転び、ルヴェルトに辿り着く前に最早満身創痍に。
「……お、覚えてろよっ!!」
そしてそんなありふれた捨て台詞を残し、銅貨男は店を飛び出して行った。
「あっ!すみませんお客さん、お怪我は!?」
ついその光景を棒立ちで見てしまっていたミリヤも我に返る。酔っ払い客が他の客に絡んでいるところをただ眺めてただけなどウェイトレス失格である。
「……会計」
「っ!すみません、今すぐ……」
まだルヴェルトのテーブルにはエール一杯とサラダしか載っていない。いつもそれを食べてから追加の注文をするのに、もう会計をするということは他の店で飲み直す気だろう。
「……いや、あの男の会計、アレで足りるか」
「え?」
いつのまにかフードを被り直したルヴェルトがふいと壁を向き、床に転がった袋を指差す。銅貨男が回収しないまま置いていったその袋を。
「足りる……んじゃないですかね……?まだエール三杯しか呑んでなかったので……」
銅貨とはいえ、袋一杯に入っていたのだ。男一人分の飲み代にはなる。
「……ならいい」
そう言うや否やフードの両端を引っ張って更に顔を隠し、注文用紙を差し出すルヴェルト。
「あ……う、承りました!」
その紙に書かれた相変わらずの綺麗な字を見ながら、ミリヤの胸はどうしようもない程に高鳴っていた。
◆◆◆
そんな少し昔の夢を見た、次の日。
「遠路はるばるご苦労であった、聖女ミリヤよ」
「勿体ないお言葉です。第一王子殿下。不肖の身ながらこのミリヤ・ノーレン、聖女として選ばれたこの最大の名誉に報いるため、誠心誠意神に尽くす所存です。ではさっそくですがこのまま教会へ向かわせていただきたく」
路面魔鉄道の始発から一直線に都心に向かい、丁度昼を過ぎたあたりでミリヤは王宮に到着した。
「ほう。騎士達から連絡鳥で聞いていた通り、随分と熱心な聖女のようだ」
本当はその少し前の教会の最寄りの停留所で鉄道を降りようとしたのだが、騎士達にまずは王宮に顔を出すのだと慌てて止められた次第である。なんでも選ばれし聖女には王太子から直々に激励の言葉があるとか。
いやそんなんいいから早く教会行かせろやという文句はなんとか胸に押し込んだ。国の防衛に関わることだ、教会だけでなく王家も関わってるとアピールする必要があるのだろう。ここで行く行かないと揉めて時間を食ってしまうのは得策ではない。
「しかし連日の移動、疲れたであろう。王宮内に聖女のための部屋も用意している。今日はそこでゆっくりと休むが良い。私も歓迎しよう」
御年25歳。国中の女の子が憧れてやまないらしい金髪青目のいかにもな王子様、アルフォンス・エウレア。そんな王子様に労りの言葉をかけられれば大抵の若い女はのぼせ上がるだろう。時間に余裕のないミリヤは頭に血が上りそうだが。
「お気遣いありがとうございます。私の体調ならば大丈夫です。それより一刻も早く教会へ向かいたく」
一日ロスじゃねえかふざけんなというオブラートを突き破った言葉は吐く前に飲み込んだ。成る程聖女が王宮に滞在したという事実、王族が歓待するというアピールも必要らしい。いやそういうのいいから。
「何、焦るでない。明日私がそなたの部屋まで迎えに行く。教会までエスコートしよう」
「お言葉を返すことをお許しいただけるのでしたら殿下、聖女の力は一時的なものです。一日、いえ一時間でも無駄にするわけにはいきません。この力がこの身に宿るうちに大水晶へ祈りを捧げなくては」
大水晶に力を注ぐ作業はどれくらい時間がかかるかはよく知らないが、これまでの聖女は短くても数週間、長くて三年いっぱい王宮に滞在していると聞く。つまりあと三週間で約束のデートの日が来てしまうミリヤは、帰りの一週間のことも考えて、今日を入れて二週間、聖女の祈り作業歴代最速タイムを決めなくてはならないのである。
「ふむ。私のエスコートはいらないと申すか」
「重ね重ねお心遣いありがとうございます。ですが教会への道順ならば地図にて承知しております。案内がなくとも……」
「くっ、ははっ!そういう意味ではなかったのだがな」
あの人嫌いなルヴェルトが誘ってくれたデートである。すっぽかすなどもってのほか。そのためなら歴代記録更新くらい成し遂げてみせようではないか。障害物競争だってなんのその。とりあえず目下の障害物は今この目の前でグダグダと喋って引き留めてくる王太子アルフォンス。
「では殿下、おいとま致しますことお許しいただけますでしょうか」
「まあ待て、私も一緒に行こう。聖女を一人で行かせたとなれば王族として顔が立たんからな」
障害物も併走してくることになった。まあ仕方がない。対外的アピールというものである。立ち塞がるなら越えねばならないが、併走なら特に問題もない。ミリヤはこの辺で手を打つことにした。
前言撤回。問題大有りだった。
「見よ、聖女ミリヤよ。ここが我が王宮自慢の薔薇園だ」
「まあ、なんて素晴らしい。このような美しい景色を守るのも聖女としての務め。さあ早く教会へ向かいましょう」
こいつ歩くのが遅い。寄り道が多い。もう一時間も経つのにまだ王宮の敷地を出れていない。馬車を用意すると言うから徒歩より早いと思って着いて行ったというのに、なかなか馬車のあるところに向かわない。何故か馬車乗り場でなく薔薇の園に着いた。方向音痴なのだろうか。
「特殊な魔術をかけていてな。季節に合わせた色の薔薇が咲くのだ。今は春の終わりで桃色の薔薇がメインだが、もう間も無く夏を迎えれば赤になる。秋はオレンジ、冬は白」
「素晴らしいです。私の力も巡り巡ってこの花達の役に立つのですね教会へ向かいましょう」
護衛の騎士達も王子が道を間違ってるのはわかってるだろうにニコニコとして何も言わない。これが身分社会の悪しきところか。
「一つの贅沢もせずにここまで来たそなたに少しは報わなくてはな」
「素晴らしい教会へ向かいましょう」
教会を褒め称えてるみたいになった。いや別に教会自体はどうでもいい。早く帰してくれればお祈りだろうと何だろうとする。
「では、そろそろ教会へ向かうとするか」
「はい喜んで」
今まで向かってなかったのかよいい加減にしろ。
まだ対面して一時間しか経っていないというのに、ミリヤの中で自国の王太子への好感度は地を貫いた。
「では聖女ミリヤよ、水晶に手を」
「はい」
馬車に乗り込むこと一時間。王都の観光名所をぐるっと案内しようと言い出した王子に突然の馬車酔いで嘔吐しそうになるフリで対抗、教会で休みたいと頑なに主張しやっとのことでたどり着いた当初の目的地。
「終わりです。あなたに神の祝福があらんことを」
「はい?」
大神官に促され、水晶に力を注ぐイメージの説明を受け、さあ二週間以内に終わらせるぞと意気込んだのも束の間。大水晶に手をかざして二秒で注力作業が終わった。
「え……?これで終わりですか?二秒しか経ってませんけど??」
今はちょうどミリヤ以外の聖女はいないが、少し前までは三、四人の聖女がおり、どの者も最初に来てから数週間、数ヶ月は王宮に留まり教会へ通ったと聞いた。つまり通常それくらい時間のかかるものだと思ったのだが。
「今日の分はこれで終わりとかではなく?全日程終了ですか?何十時間もかかるものなら泊まり込みの徹夜で祈り続ける所存だったんですけども」
「ええ、終わりです。大水晶に溜まった神力は今満杯の状態なので、しばらくして減ってからまた注いでいただければ」
「ああ、なるほど……」
満杯の水晶にいくら神力を注いでも意味がない。毎日の結界構築・維持のためまた少しずつ減っていくので、頃合いを見て注ぎ直せば良い。ミリヤの神力の量なら大体半年後に頃合になると。
そう説明を受け、ミリヤはようやく納得した。
「では私は一旦帰らせていただきますね」
三日置きとか一週間置きとかでなくて良かった。半年後でいいなら今回はもう帰ってまた時期になったら来ればいい。他の聖女が長期間王宮に留まっていたのは、ミリヤと違ってもっとコンスタントに力を注ぐ必要があったから帰るに帰れなかったということか。
「ええ。王宮にてごゆっくりおすごしください」
「いえ、地元に帰ります。ええと、帰りの旅費とできれば馬をいただければ……水晶に注いだ力に応じて報奨金が出るというお話でしたので、それを馬に充てていただければ助かります」
デートの日まであと三週間と少し。行きよりゆっくり帰ったとして余裕で間に合う。ミリヤはすっかり安心し、はるか遠くの空の下にいる愛しい人へと想いを馳せたのだった。
感想もらえたらとても嬉しいです(´∀`)