11話 真実の愛
鈍かったミリヤもこれでようやくわかった。
聖女集めのためのフリではなく、騎士達が本気でミリヤを王太子妃に祭り上げようとしていたこと。そしておそらく王太子アルフォンスもそのつもりであったということ。
騎士達にアルフォンスがいる酒場の場所を教えた後、彼らの姿が完全に見えなくなってからミリヤがぽつりと呟く。
「じゃあ私はあのまま王宮にいたら、本当に殿下の婚約者にされてしまってたのね」
一人の騎士が嬉しげに言った『正式な婚約発表の準備も着々と進んでいる』との台詞に今更ながら背筋が凍る。そんなことになったら最早ミリヤに逃げ場はなかった。
「でも、今は初代聖女と同じ力があると判明したからって理由があるけど、他の聖女と同じだと思われてた最初の半月で殿下に気に入られた理由がわからないわ。私、二言目には帰りたいとしか言ってなかったのに」
「今までの聖女や貴族のご令嬢達は帰りたいなんて口にしなかったんだろう。多勢が同じ行動をする中、一人だけ違う行動をした君を面白いと思ったんだな」
「あの『クッ』とか『ははっ』って嘲笑だと思ってた……」
てっきり平民のミリヤが不作法をするのを嘲笑っていたのだと思っていたが、本気で面白いと思われていたとは。
「騎士達は目が覚めたようだが。問題はアルフォンス殿下だ。あの様子じゃまだ諦めていない可能性もある」
「そんな……っ」
ミリヤの脳裏に酒場でのアルフォンスの言動が蘇る。もう逃がさないだの愛だの教え込むだのお仕置きだの、随分なことを言っていた。アレが全部フリではなく本気だったとしたら。
「まるで君を王宮に監禁するようなことも言っていたし」
「ううっ!」
「ミリヤ!」
危うく吐くところだった。ルヴェルトの前だったからなんとか耐えた。
今更だが、王宮ではすっかりアルフォンスとミリヤが身分差を乗り越えて相思相愛であるという前提で話が進んでいたらしい。道理でいくら帰りたいと申し出ても王子にはニッコリ笑って却下され、騎士達はニコニコと謎に頷いてきたわけだ。愛する人のために身を引こうとする健気な娘だと思われていたなら納得である。
本当に吐き気がする。
「悪かった、配慮が足りなかった。怖かっただろう。あんな人の話をまるで聞かない奴に狙われているなんて」
恐怖というより吐き気だったのだがまあ敢えて訂正することは無いだろう。怖かったのも確かである。
「……同じ言語なのに、こんなに通じないことがあるのね」
王宮では誰もミリヤの言葉を聞いてくれなかった。誰も彼もミリヤが王子を好いていると信じ、ミリヤの言葉は全て『本心の裏返し』と捉えられていたせいだと今ならわかる。
見目麗しい王子様を、十代の少女が好きにならないはずがないと皆信じて疑ってなかったのだ。
「でもルヴェルトは信じてくれるのね。私がアルフォンス殿下を好きでもなんでもないって」
「そりゃあ……」
それでも。実際にあの王子に会っても、あの主張を聞いても、王子を盲信する騎士達に取り囲まれても、ルヴェルトは一度もミリヤの心が王子にあると思う様子はなかった。
「俺との約束のために王宮を抜け出して来てくれたんだろ。……自惚れくらい、する……」
「!」
言い終わらないうちに目を逸らしたルヴェルトが片手でサッとフードを被る。もう片方の手はミリヤが握っていて動きが取れないからだろう。
その片手でしか押さえられてないフードを、ミリヤも片手を伸ばしてサッと取った。
「うぇっ!?」
「その癖は可愛いと思ってるけど」
びっくりしたように目を見開いてこちらを見たルヴェルトに、ミリヤはその顔を覗き込むようにして言った。
「今はルヴェルトの顔が見たいの。駄目?」
「え、あ、わっ、わかった」
街灯の光でもはっきりわかる程、ルヴェルトの顔は赤い。ついさっき騎士達の前に凛として立ちはだかっていた時とは打って変わって可愛らしい。
「そ、そうだ、イアン達はどうしてるだろうか。とりあえずあの王子から君を引き離した方がいいと思ってあの場を飛び出してきたけど、今頃正気に戻った王子にアイツらが難癖つけられてたりしなければいいが」
「正気に戻る……ことはあるのかな……?今までのことが演技でなくて全部本気だったとして果たしてその状態を正気と呼んでいいのかどうか」
「まあ正気の定義にもよる」
デュラハンに襲われ、王子に捕まりそうになり、騎士達に取り囲まれ、人生のピンチというピンチが一気に来たかのような夜だった。この夜のことはもう一生忘れられそうにない。
「……少し遠回りして戻ろう。イアンとユイも待ってる」
「うん!」
迫り来るピンチを目の前の彼が次々と打ち返してくれた、こんな特別な夜は。
「どれくらい遠回りするかな……王子達に鉢合わせないためには」
「え?」
月明かりとオレンジの街灯で照らされた夜の街。整備された石畳みの道を手を繋いでゆっくりと歩く。
しかし水路の上の橋に差し掛かったところで呟かれたルヴェルトの言葉に、ミリヤの足がピタリと止まる。
「?あ、わ、悪い、もう必要無かったな!」
その拍子にルヴェルトの手を後ろに引っ張るような形になり、振り返ったルヴェルトがハッとした顔で繋いだ手を離した。
「待って!」
その離れた手を追いかけて、ミリヤがルヴェルトのローブの袖を掴む。
「違うの、今足が止まったのはちょっと思い違いがあったからってだけで!」
特別な夜だと思った。邪魔する者も居なくなって、少し遠回りして帰ろうと言われた。
「あの、てっきり『遠回り』ってお散歩デートしようってことかと思って……ただ単にあの王子に鉢合わせないための本当の遠回りだったって聞いてちょっと勘違いで恥ずかしくなっちゃっただけで」
「えっ」
もう完全にデートの気分だった。ルヴェルトはまだミリヤのために警戒を解いてなかったというのに、当の自分はすっかりデートだと思って浮かれてしまっていた。
「ごめんなさい、早とちりしちゃって」
「い、いや、勿論デートもする!そうだ何も街に帰ってからじゃなくたって遠征が無事に終わったのは確かなんだからもう条件は満たしてるじゃないかなら今からデートしたって何も問題無い!」
「ルヴェルト……」
ミリヤに恥をかかせないようにだろう。ルヴェルトがすごい勢いでフォローをしてくれた。
「じゃあ……今からデートということで……」
「うん!」
ミリヤがローブの袖から指を離すと、少々ぎこちない動きでルヴェルトの手がミリヤの手を取った。
「……」
そして再び歩き出し……それきりルヴェルトが黙り込んでしまった。しかし何度か口を開けては閉じてを繰り返しているので、何かを言おうとしているのはわかる。
デートと思った途端緊張してしまったのだろう。ここは一旦ミリヤが助け舟を出すべきところ、ではあるが頑張っている姿が可愛いのでもう少し様子を見ることにする。
「……あ、あー……」
唐突にマイクテストを始めた。
「……本日はお日柄も良く……」
だいぶ混乱しているらしい。表情は一周回って無表情になっているので傍目からは内心の暴走具合がわからない。
「悪いいくら何でもこれは違うなちょっと頭冷やしてくるわ」
「え!?まっ、ルヴェルトー!?」
不意にミリヤの視界からルヴェルトが消えた。その間僅か三秒。気がついた時にはその後ろ姿が橋の手すりを乗り越えてその真下の水路へ。
「斜め上に思い切りが早い!!」
慌てて橋から下を探しながらミリヤは思い出した。
この格好良くて頼りになる、ちょっと恥ずかしがり屋の可愛い人は、たまにとても斜め上の方向に行動が早いことを。
数十分後。
「何故泳げないのに自ら水路に……」
「デートで気の利いたこと一つ言えない男だと幻滅されたかと思って……」
そのまま流されていくルヴェルトをなんとか引き上げ、背中をさすって水を吐き出すのを手伝いながらミリヤが呟く。
「あと泳げなかったんじゃなくて思ったより深くて足がつかなかっただけで」
今更取り繕っても仕方ないと思うのだが、ルヴェルトは変なところでちょっと見栄っ張りである。この街に着く前も一人だけドラゴンや馬に乗れないことを誤魔化そうとしていた。
「……私、乗馬や水泳が上手い人より、字が上手い人の方が好きだよ」
「へ?」
「女の子に気の利いたことを言ってスマートにエスコートできる人より、斜め上のことを言って自爆したり、片手がいつまでもフードから手放せない人が好き」
ルヴェルトは気にしているようだが、そもそもミリヤは最初から完璧さや男らしさでルヴェルトを好きになったわけではないのだ。こんなことで幻滅するわけがない。それどころかやっぱり可愛いとさえ思う。
「貴方とデートするためだけに、あの話の通じない王子の妨害も振り切って逃げて来たんだよ。国を思う真の聖女なんて言われてたけど、最初から貴方のことしか考えてなかった」
「ミリヤ……」
「私の気持ちがその程度のことで簡単に変わるような軽いものだって、思われてたら悲しいな。それともルヴェルトは私が何か女の子らしくないことをしたら嫌いになっちゃう?」
「そ、そんなことは!」
頭から水を滴らせたルヴェルトが勢いよく首を振る。
「どんなことだって、君のことなら知れば知るほど好きになる。初めて会った日に一目惚れしてからずっと、そういう『好き』だ。たとえ王子が君を望んでも、君を連れて逃げるためならなんだってする」
「……私も」
思えばはっきりとその一言を口にしたのは初めてだった。お互いに。
「私もルヴェルトのこと、良いところも悪いところもどんなところも好きになるよ。もしあの王子がルヴェルトに何かしようとしても、今度は私が聖女の力で守って見せるから」
見つめ合ったままどちらからともなく顔を寄せる。もうそれ以上言葉はいらなかった。
◆◆◆
一方その頃、酒場で倒れていたアルフォンスは。
「殿下!お待ちください、ミリヤ様はもう王宮へお戻りになる気は無く……!」
酒場の二階のベッドにて目が覚めたアルフォンスは、丁度辿り着いたところらしい騎士達から、酒場から少し離れた通りでミリヤと会ったこと、ミリヤに王宮に戻る気はなかったことの報告を受けていた。
「ならぬ!ミリヤのいじらしさも意志の硬さも承知の上で、私は彼女を取り戻すと決めたのだ!」
騎士達はこの内の何名かをミリヤの護衛として残し、他の全員は今すぐにでも出発して王宮に戻るべきだと言う。
だがそんな主張にアルフォンスが頷けるわけがない。己の愛から逃げる愛しい少女を捕まえるまで、決して帰らないと決めたのだから。
「お待ち下さい!その、ミリヤ様はいじらしいからという理由ではなく、本当に殿下と結婚したくないだけなのです……他の聖女候補達とは違うミリヤ様は、王太子妃の座にも殿下にも興味が無く……」
「くどい!私の地位にも財力にも容姿にも惹かれない、それはつまり王太子としての私ではなく、私自身を真に愛していることの証明だろう!?」
「いいえ、王太子としてのアルフォンス殿下にも、アルフォンス殿下としてのアルフォンス殿下にも惹かれていない可能性が……」
しかしそんなアルフォンスについ先程まで喜んで賛同していたはずの騎士達は、今は誰一人追従してはくれなかった。
何故かエイトというついこの間まで遠征に出ていた若い騎士が中心となり、主君たるアルフォンスを代わる代わる窘めようとしている。
この短時間で一体何が起きたというのか。
「そもそも、ミリヤ様が最初から殿下を愛しているに違いないという前提が、『王太子に惹かれない女がいるはずがない』という我々の思い込みで……ミリヤ様が殿下を慕っていたような素振りは少しも……」
「ぐっ……だ、だが!」
他の騎士はあまり強くは言わないものの、エイトと名乗るこの騎士は下手をすれば不敬になるようなことを物怖じもせずに言ってくる。
さらに忌々しいことにエイトの説得は、数刻前に朦朧とする意識の中で聞いた、魔法士の男から言われた内容とほぼ同じもの。
跳ね除けようにも何故かそのときは上手く言い返すことが出来ず、丸め込まれそうになりながらたかが平民の戯言などに耳を傾ける必要はないと必死で思考から追い出していたのに。
味方であるはずの部下に再び突きつけられた矛盾に、アルフォンスはグッと言葉を詰まらせた。
「ミリヤ様は最初からずっと、一刻も早く帰りたがっておられました。滞在中に心変わりされた様子もなく……」
「そっ……それだ!私を愛していないというのなら、何故あそこまで必死に帰ろうとしていたのだ!」
「へっ……?」
しかし続くエイトの言葉に、アルフォンスは光明を見出す。問いを投げられたエイトは『三日も飯を食ってないのに何故腹が減ってるんだ』とでも言われたようにポカンとしていたが。
「ただ妃の座にも私にも興味がないというだけなら、殊更急いで帰る必要も無かろう。むしろ国の為を思えば聖女が滞在することに意味があるとわかるはず。あの、ひたすら国のために尽くそうとするミリヤがあんなにも必死に命令に逆らおうとした……ただ無欲なだけでは説明がつかない、何か大きな理由があるはずだ」
そしてその理由が『平民の自分では王太子妃として相応しくないから身を引こう』であったなら、頑なにアルフォンスに惹かれていない素振りを見せていたことにも辻褄が合う。
アルフォンスは失いかけていた自信が再び漲っていくのを感じた。
「え……?あ、それは……たしかに……」
反対していた騎士の何人かも納得したように頷きかける。
「そ、そうか、ミリヤ様は本当の本当に国と殿下のためを思って」
「いやいや、しっかりしろケビン、ブルーノ!ミリヤ様は約束があるから帰りたいって言ってただろ!それに、殿下のために身を引こうとしていたなら、聖女となった今はむしろ殿下のため国のため王妃になろうとしなきゃおかしいじゃないか」
「うっ、た、たしかに」
しかし頷きかけた二人をまたもやその遠慮のない騎士が引き止めてしまった。
「ええい貴様、まだ言うか!」
己の素晴らしい仮説にようやく数人の味方と自信を取り戻せたと思ったのに、エイトとか言う男がまたもや屁理屈を……屁理屈に違いない言葉で惑わせてくる。
これ以上ここに居ては危険だ。
「もういいっ!お前達にミリヤの何がわかるというのだ!私はこの目でこの耳で、ミリヤの本当の気持ちを確かめに行く!」
「えっ、お、お待ちください!殿下!」
アルフォンスは未だふらつく身体をなんとか奮い立たせると、ドアを開け放ち一目散に駆け出した。
すぐに己を追いかける足音が聞こえたが、ベッドに寝かされるときに装備を外され身軽な格好でいたことが幸いし少しずつ引き離していく。
「どうか本当の気持ちを答えてくれ、ミリヤよ……!」
アルフォンスが倒れてからそう時間は経っていない。そう広くはない街の中、夕闇でも目立つ銀髪を探すのは難しくないだろう。
自信しか無かった胸に広がる不安や焦燥を打ち消したい一心で、アルフォンスは愛しい少女を求め走り続けた。
数十分後。
「…………王宮へ帰りましょう、殿下」
「…………」
水路の近くでミリヤを見つけすぐさま走り寄ろうとしたアルフォンスは、ミリヤに寄り添われている紺色の塊が件の忌々しい魔法士であることに気付き顔を顰めた。
まずは愛しい少女に纏わりつく害虫を追い払ってからと思い足を止め、声を張り上げかけるも、その間に聞こえてきた二人の信じがたい会話に思わず呼吸が止まる。
そのままずっと、進むことも戻ることも出来ずただ目の前の二人を眺めて居た。
「ミリヤ様が頑なに王宮から去ろうとした本当の理由は、もう聞かなくともお分かりでしょう……」
いつの間にか追いついていた騎士達の一人に憐れむように声をかけられる。
アルフォンスは今度こそ何も言い返すことが出来なかった。




