1話 選ばれし聖女
神の加護による強力な結界に守られた聖国、エウレア。その南西に位置する港街マディロから王都へと続く最短の道。そこを全力で馬を走らせ駆け抜ける一つの集団があった。
「聖女ミリヤ様。お疲れのようでしたら、少々早いですがこの街で宿を取りましょう」
「いえ、このまま進みます」
「ですが、このまま進むと農村地帯で日が暮れてしまいますが……」
集団の先頭にて馬を操るのは、水色がかった銀髪を青いリボンで括り、強い意志を秘めた翡翠の瞳を持つ少女。早朝から殆ど休む暇なく走り続けていた彼女に、同じように併走していた騎士達の一人が話しかける。
「農村に宿があるとは思えません。最悪野宿になりますよ?」
言外に『それは嫌だろう』と滲ませる騎士に、聖女ミリヤと呼ばれた少女はキッパリと答えた。
「親切な方がいたら物置か馬屋を借りましょう。雨さえ凌げればどこでも良いです。私の力が消えないうちに一刻も早く王都に向かわなくては」
エウレア国では半年に一度、各地で聖女測定というものが行われる。
正式名称は“結界構築系聖属性神力測定”だが、世間一般的には聖女測定で通っており、むしろ正式名称の方を知らない人の方が多い。
エウレア国の各都市を魔物や悪意ある他国の侵攻から守る無敵の結界は、王都の教会にある大水晶に聖女が定期的に神力を注ぐことによって構築される。
そしてその神力はエウレア国の若い女性に数万人に一人の確率で、短くて一週間、長くて三年の一定期間のみ宿るもの。
たった今鞭を振るい馬を走らせ続けているミリヤ・ノーレン十六歳も、まさに先日聖女測定を受けその身に神力が宿ったことが判明したばかりであった。
「皆様にも最悪野宿を強いてしまうのは申し訳なく思います。ですが一分一秒でも無駄にしたくないのです。……水晶によれば私が神力を授かったのは丁度三日前。もしこれが一週間で消えるものだとしたら、今日を入れて四日以内に王都に着かねばなりません。馬の交代のために街には寄りますが、必要最低限の買い出しを済ませたらすぐに出発しましょう」
いつどこで誰にどれだけの神力が宿るかは完全にランダムであるため、エウレア国では十代〜二十代の全ての女性に半年に一度の聖女測定と、神力有りと判定されたらすぐさま王都へ向かうことが義務付けられている。
勿論国の防衛に直結することなのでそのための費用は全て国持ち、大水晶に注いだ神力に応じて報償金も出るのだが。
「ですが聖女様。地方の簡易測定とは言え、貴方様の神力が持つ期間は最大値である三年だと出たはずでは?」
「そ、それでも、万が一ということがあるかもしれないでしょう!」
選ばれし聖女の中には、王都までの交通費宿泊費雑費が全て国持ちであるのをいいことに、高級宿に泊まり寄り道をし必要以上のものを買い込み贅沢三昧する者も珍しくないと言う。しかしミリヤは違う。そんな浪費をしている暇はないのだ。
「急がなければ……一刻も早く……!」
「聖女様……!」
真っ直ぐに前を向き、聖女としての務めを果たそうと邁進するミリヤの強い意志に、護衛の騎士達も疲れた身体を奮い立たせた。
「真の聖女とは、この方のことを言うのかもしれないな……」
「ええ、本当に……」
騎士達が呟く賞賛の言葉にすらミリヤは振り向かない。ただただ一直線に王都を目指す。
「お願い、間に合って……!」
向かい風もなんのその、馬の手綱をしっかり握り直すミリヤ。
急がなければ。早く王都に着かなければ。早く大水晶に神力を注ぐ作業に入らなければ。そして即行で帰れなければ。全ての行程を一月以内に納めなければ。納めなければ、納めなければ……。
一カ月後のデートに間に合わないのである!!
◆◆◆
王都からは離れた、しかしそれなりに栄えている港街マディロ。ミリヤはその街のどこにでもある酒場のウェイトレスだった。街の近くに中級者向けのダンジョンがあり、背伸びした初心者・慣れてきた中級者・手軽に小遣い稼ぎがしたい上級者の幅広い層の冒険者で毎晩賑わっている。
「いらっしゃいませー!」
彼——のちにルヴェルトという名だと判明した——が初めて来店したのは一年前。ミリヤがこの酒場で働き初めてから三カ月、そろそろ新人札も取れるかといった時期だった。
「……カウンター以外の一人席があれば」
濃紺のフードを目深に被り、足首まで覆うローブを着た人。僅かに見える顎と声で辛うじて同い年くらいの男だと判断した。
「はい、ありますよ!こちらにどうぞ!」
ミリヤの働く酒場は大人数用のテーブル席と少人数用のカウンター席だけでなく、一人だけどカウンターで店主や他の客と距離が近いのも苦手というタイプのために小さな一人用丸テーブルと丸椅子も用意している。
「紙でもご注文できますから、書き終わったら手を挙げてくれれば取りに参りますよ」
さらに大声で店員に注文するのが苦手なタイプのために筆記でも注文できるよう紙とペンがテーブルに備え付けられている。
そんなシャイなタイプこのあたりの客にいるのだろうかと思っていたミリヤだったが、三カ月目にしてようやくそれを求める客が現れた。
「……これ」
「はい、承ります!」
数分後受け取った注文用紙に書かれた字がそのぶっきらぼうな雰囲気に似合わずとても綺麗で、ミリヤはちょっとだけ驚いた。
◆◆◆
寝場所を問わず行進を続けて三日後。
「……聖女様、聖女様!」
「あっ……ごめんなさい、少しボーッとしていました」
日が暮れる直前に王都に滑り込み、ミリヤは目についた宿へと駆け込んだ。受付で名前を書き込もうとして、他の客の書いた字を見て『彼の字はもっと綺麗だったな』とついルヴェルトと初めて会った時のことを思い出していた。
綺麗な字だった。
物差しでも使ったかのようにぴったりと平行で整った字。
今思えばそれがきっかけだった。たったそれだけのこと。けれど誰かを好きになる理由なんて、案外そんな単純なことだったりするのだ。
「明日も早いので、皆様も早く休んでください。馬は一旦ここで預かってもらって、王都の中心までは路面魔鉄道を使いましょう」
だって可愛いじゃないか。必要最低限しか喋りたくないようなオーラを出しながら、注文票はきっちり丁寧に書き上げる。
マーメイドと海のお友達サラダ〜涙の海水風ドレッシングを添えて〜の『〜』まできちんと書いていたのが更に可愛い。他の客は大抵メニューを指差して「このやたら長い名前のシーフードサラダください」としか言わないのに。
「では皆様、お休みなさいませ」
「はい、聖女様」
そうだ、もしデートで食事に行くなら筆記の注文様式がないところにしなくては。口頭の注文ならミリヤがすればいいし、うっかりルヴェルトが筆記で注文してそこのウェイトレスをキュンとさせてしまっては敵わない。
そんなことを考えながら部屋の鍵を手に階段を上がるミリヤを見上げる騎士達。
「なんということだ。ここまで来て、ただの一度の贅沢もしないとは……」
「王都ならどんなに端でも少し探せば高級宿くらい見つかるだろうに、一番最初に目についたこのボロ宿に一直線だ」
「無欲な方だ……あるのは国に尽くしたいという崇高な願いだけ……まさに聖女そのものじゃないか」
ミリヤの中にあるのは『気になる男の子とのデートに間に合わせるために早く帰りたい』という切実な願いだけなのだが、そんなこと騎士達が知る由もなく。
「あの方なら王太子様のお心を動かすこともできるかもしれないな……」
「ああ、歴代の聖女にはその功績と心の美しさで王妃に選ばれた方もいる。ミリヤ様ももしかしたら……!」
ミリヤの姿が見えなくなってからも、そんな賞賛を続けたのだった。