表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/7

第二章

 サックスをしまい、臨海パークから横浜駅に向かい、市営バスで家の近くまで行く。

 そこからそのまま家に向かって歩く。

「あの、お兄さん。」

「ああ名前で呼んでくれていいよ。皐月でも賢治でも。」

「じゃぁ、皐月お兄ちゃん!」

「それでいいよ。」

「皐月お兄ちゃんって一人暮らしなの?」

「一人暮らしだよ。親は両方とももう死んでるからね。だから君達と同じ境遇でもあるね。」

 街であった学生が、自分達と同じ境遇だったことに驚いているようだ。

 バス停から徒歩で10分。ようやく家が見えてくる。

「ついた。ここが僕の家だよ。」

 そのまま玄関の鍵を開けて中に入る。

「どうぞ。」

「「「お邪魔します。」」」

 玄関に入ってそのままスリッパを出していると、子供たちがわらわらと入って来る。

「作業部屋は2階にあるから、ついてきて。」

「はい。」

 みんな靴を脱ぐと、しっかりとそろえ、スリッパに履き替える。

 自室に鞄をしまうと、階段を上って作業部屋に入る。

「ここが作業部屋だよ。」

「!!すごい!バリトンサックスが飾ってある!」

 さっきのアルトの子が部屋に置かれた壊れたバリサクに駆け寄る。

「あれ?これって。」

「ああ触らないでね。それは壊れたもので、まだ修理してないから吹けないんだよ。」

 改めてみると、俺の作業部屋は、随分手狭だ。

 6畳ほどのスペースに、作業用の机に壊れたバリサク、サックスのケースがいくつかと、クラリネットにヴァイオリンなどのケースもある。

「さて、君たちの楽器を診よう。その間俺のサックスを貸してあげるよ。」

 子供たちが楽器を置くと、俺も自分の楽器を出す。

「えーっと、テナーが2本と、アルトが2本しかないか。誰かソプラノでもいいって人いる?」

「あの!バリサクってありますか?」

 アルトの子が聞く。

「ああ、俺のがあるけど、メインのはヤナギサワで吹きにくいと思うから、予備のヤマハのを貸してあげるよ。ええっと、名前なんだっけ。」

 そう言えば名前を聞いてなかった。

 頭を掻きながら振り向くと、「あ、言ってなかった」と言う様な顔になる。

「私は加藤鈴(かとうすず)です!以後お見知りおきを!あ、担当はアルトファーストです!」

本橋澪(もとはしみお)です。アルトセカンド担当です。」

「…神田葵(かんだあおい)、です。…アルトサード、担当です…。」

斉藤美智子(さいとうみちこ)で~す!テナーファースト担当で~す!」

三国友恵(みくにともえ)と申します。担当はテナーセカンドです。以後お見知りおきを。」

 全員が自己紹介を終えると、もう一度立ち上がり、自分も自己紹介する。

「じゃぁ、俺も名乗っておこう。俺は高橋賢治(たかはしけんじ)。元バリトンサックス奏者だ。今は東雲皐月(しののめさつき)と言う名前でYouTubeに楽器の演奏動画を上げたり、演奏会に出てたりする。今は特に楽器を決めているわけじゃないけど、バリサクを吹いていることが多いかな。その、これからよろしく。」

「「「「「よろしくお願いします!」」」」」

「ここじゃ狭いから少し広い部屋に移動しようか。ストラップとかマッピとかは持ってね。」

 そのまま楽器を出し子供たちに渡すと、もう一度部屋を出ると、隣の少し広めの部屋に案内する。

 中には、譜面台が何本かと、本棚がいくつも置いてある。

「整備が終わるまでここで吹いててね。あー何か楽譜持ってこようか。アンサンブルの楽譜あるかな。」

 本棚の間に入ると、アンサンブルの楽譜を探す。

「すご~い!楽譜がこんなにたくさん!」

「こんな楽譜がいっぱいあるところなんて見たことない!」

「おーい。アンサンブルはこっちだよ。」

 子供たちは書庫のようなうちの譜面庫を興味津々に見て回っている。

「賢治さん、ここにある楽譜なら使っていいんですか?」

「ああ、ここにある楽譜は俺の私物だから大丈夫だよ。あ、テナーが2本いるけど、そこはテナー1本の譜面を2人で吹けばいいか。」

 楽譜は、スコアとそれぞれの楽譜がアルト1stから順番に並び、封筒に入れた上から購入したときについていた冊子に挟んで並べられているため、背表紙には曲名と作者名が書かれている。

「あ、おジャ魔女だ。これやろうよ!」

 澪が、『おジャ魔女カーニバル』を手に取って他の子たちに声をかけている。

「じゃぁ譜面台はここにあるから自由に使って。座奏したければここに椅子が重ねてあるから。」

「ありがとうございます!」

 そのまま部屋を出ると、そのまま作業部屋に戻り、エプロンをつけて、子供たちの楽器ケースを開ける。

 さっき見た時も思ったが、どの楽器もネジが緩んだり油の後が残っていたりするのが気になる。それに、じっくり見ると、タンポの状態も良くないようだ。それに、ネックコルクの状態も良くない。

(最初にコルク変えるか。それと一緒にオクターブキィのタンポ交換とネックの管内洗浄をするか。)

 棚に置いてある箱の中から、シート状のコルクとブラスソープにワイヤーブラシ、タンポのセットを取り出し、温水を用意すると、コルクを小さい伸ばし棒で伸ばし、コルクの端を斜めに切る。

 ケースからネックを取り出すと、ネックからオクターブキィを外し、コルクを剥ぎ取る。

 そのままグルーガンをコンセントにさして、ネックの中の洗浄にかかる。

 ブラスソープを温水で薄め、ブラシにしみこませると、管の中をブラシで洗い、水道で洗い流す。それをしっかりとスワブとタオルでふき取り、そのまま作業室内にかかったハンガーに干す。

 こういう時、2階に水道があってよかったと思う。

 グルーガンがあったまったのを確認すると、少しはみ出すようにコルクを圧力をかけながら巻いていく。

 一周すると、コルクを斜めに切り、段差がなくなるように張ると、はみ出た分と余分なコルクを切り、ふと過ぎるため紙やすりでコルクを削る。

 グリスを塗り、マッピを入れてみる。

 問題がないようなので、マッピを抜き、グリスをぬぐう。

 そして最後にタンポ交換に取り掛かる。

 タンポ皿をバーナーであぶり、中の接着剤を溶かしてタンポをとると、タンポ皿に残った接着剤をきれいに落とし、新品のタンポにグルーガンで接着剤を塗り、タンポ皿にはめ、ネックに取り付けると、タンポの向きを調整し、しっかりと穴がふさがれていることを確認する。

 同じ作業を5本分終わらせると、結構時間を食う。

 そのまま楽器本体の整備に入る。

 管の本管とU字管のつなぎ目の胴輪(どうわ)のネジとベルを支える支柱を外し、ベルを外し、キーをすべて外してみると、どれもタンポが死んでいるが、スプリングやネジなどは問題ないようなので、タンポの交換にかかる。

 さっきのオクターブキィと同じようにバーナーでタンポ皿をあぶり、タンポを外す。指貝(ゆびがい)が付いているものは、貝隠し(かいかくし)で指貝を隠しながらあぶる。

 キィが管に当たる所に着いたコルクも脱落していたり、かけているところも多いため、すべて付け替える。

 すべてのタンポが交換し終わると、管内洗浄に入る。

 接合部に残った接着剤を剥ぎ、管の中をネックと同じように洗浄し、また水で洗浄し、スワブとタオルで拭き、もう一度キィをつけなおし、タンポの調整を終えると、ベルを接合する。

 支柱の向きを確認すると、グルーガンで本管とU字管の接合部に接着剤を流し込み、胴輪をはめてネジをしめる。

 これでやっと修理が完了する。

 そしてキィ一つ一つにオイルを指していき、綿棒ではみ出たオイルをふき取っていく。

 そして、白手袋をはめ、グロスで拭いてやると、ビンテージ品のような輝きを放つ。

 これだけで合計1時間半。

 これを後4本やるのか…。

 そして同じ工程を4本すべて行ったころには、外は夕焼けに染まっている。

「…そういえばあの子たちは何も言ってこなかったな。ずっと楽器の音が聞こえてるし。」

 作業部屋を出て、隣の譜面庫に向かう。

(そういえば、昼食をとってなかったな。あの子たちも取ってないのかな。)

 そんなことを思いながら部屋の扉を開けると、中では集中してまっすぐ楽譜を見て演奏している子供たちの姿があった。

(こういう環境で演奏をしてきたことがないのか。それなら、この環境が楽しくて仕方がないのはわからないでもない。)

 あれから軽く6時間は経っているのに、全く集中が切れていない。それどころか、最初に聞いた時より間違いなく成長している。

(子供ってのは急に成長するとは言うが、とんでもないな。)

 だが、鈴はなれないバリサクだからか、少し集中できていないようだった。

 おれは、そのまま作業部屋に戻り、自分のバリサクを取り出す。

 『YANAGISAWA B-WO30BSB』

 この銀メッキのベルにシルバーの管、真鍮製のキィ。楽器に詳しい人なら、この型番を聞いてピンと来る人も多いだろう。

 これは持論だが、ヤナギサワは癖が強いという人や、吹きにくいという人をよく見かける。確かに初めてであれば吹きにくいかもしれないが、吹き込んであげて、なおかつ自分もその楽器の癖を見つけることができれば、ヤナギサワの楽器はセルマーと互角か、それ以上の戦いができる楽器なのだと思っている。

 リードをなめると、マッピにリガチャーで固定し、ネックにさす。

 ハーネス型のストラップをつけ、バリサクを下げ、ネックをつけると、作業部屋を出る。

 倉庫に入る直前で、曲が変わる。

 『ディープパープルメドレー』

 吹奏楽では定番となっている曲だ。自分でアンサンブル用に編曲しなおし、前に動画で使った。

 部屋に入っても、背中を向けているためか、彼女たちは気づかない。

 鈴の後ろに立っても、気づかず。演奏を続ける。

 やっぱり、鈴は疲れているように感じる。

 バリサクが入る瞬間に、俺も一緒に入る。すると、彼女たちは驚いたように演奏をやめてこっちを見るが、俺が演奏を続けていると、それに乗ってくる。

(そういえば、これってバリサクのソロがあったな。)

 『ディープパープルメドレー』は、曲の途中にバリサクのソロがある。これは原曲でギターのソロなのだが、バリサクでやるからかっこいいのだと思っているため、編曲の時もバリサクにソロを置いた。

 ソロが近づくにつれ、隣に立っている鈴が、すごい勢いで期待のまなざしを向けてくる。それに、他の子たちもすごい勢いでチラ見してくるのがわかる。

(はぁ…。なんつー期待の仕方してんだ。自分の演奏もおざなりじゃねぇか。……でも、ここまで期待されちゃぁ、黙って引けねぇなぁ!)

 ソロ前にの落ち着いたところで、テナーに割り振ったトロンボーン系のロングトーンが鳴る。

(今できる最高の演奏をしてやるよ!!)

 実際に吹いて思う。今までで一番のソロだったと。

 茜とのデュエットよりも、柏田とのソロ合戦よりも、今までやってきたどの演奏よりもいいソロが吹けた自信がある。

 ソロが終わった後、アルトのメロディが入るはずなのに入ってこず、ソロの最後のA(アー)を伸ばし終わるり、マッピから口を話すと、子供たちが拍手をしてきた。

「賢治さんって、本当にバリサク奏者なんですね…。」

「さっき聞いたソプラノとアルトよりも、バリサクの方がすごく音がきれいで深い音ですね。」

 拍手しながら絶賛してくる。

 隣に立ってる鈴は、言葉がでないようだ。

「そんなことより、君たちの楽器修理終わったよ。試奏は君たちにやってもらった方がいいと思ってね。」

「終わったんですか!?」

「うん。作業部屋に置いてあるから、俺の楽器はケースの上に置いといていいよ。あとでしまってくれればいいから。」

「はい!」

「わかりました!」

 子供たちが楽器を置いて作業部屋に急いでいった。

「……元気だなぁ。」

 1人になった部屋で、彼女たちが残していった楽譜を見て、おもむろに吹き始める。

 少し経って子供たちが戻ってくる。

「お帰り。タンポとかコルクの交換しておいたよ。調整もしてあるから、吹いてみて。」

 そういいながら、楽譜の中から6重奏の楽譜を持ってくる。

「これは俺が編曲した譜面だ。アルト3本テナー2本バリ1本の編成なんて普通の楽譜屋さんの譜面では見かけないからね。」

 持ってきた楽譜は、『風になりたい』。

「この曲ならじっくり音を聞くのに向いてるだろ。バリサクは俺がやるよ。」

「『風になりたい』かぁ。吹いた事ないんですよね~。」

「私もないな~。演奏を聴いた事はあるけど。」

「そうそう。YouTubeでこれと同じ編成で聞いた事があるけど…。」

「それたぶん俺のチャンネルだぞ…。」

 子供たちに楽譜を渡すと、少し個人練習を始める。

 何か忘れている気がするんだよなぁ…。

 1時間くらい練習して、アンサンブルに入ろうと思った瞬間、忘れていた大事なことを思い出す。

「あ!今日の撮影してねぇ!」

 1日中楽器の修理をしていたため、今日の撮影をし忘れていた。

「これから何かとるか…?いや、それとも今日は休みにしちゃうか…?」

 頭を抱えていると、ずっと静かだった葵が声を出す。

「あ、あの!…私たちの、演奏って、使えませんか……?」

「あ~そういえば、これからやる私たちの演奏も使えるかもね。」

「顔は、何かお面かなんかつければ行けるね。」

 子供たちもみんな同意していく。

「……ネットの動画にでるってことは、身元がばれる危険性もあるんだよ?それでもいいの?」

「うん!それにしゃべるわけじゃないし、顔も隠すし学校とかの制服ってわけでもないんだから、大丈夫だよ。」

「そっか…。よし!そうしようか!」

 急いで撮影機材を持ってくると、すぐにカメラを設置して、録音機材も準備する。

 子供たちの仮面は、段ボールと紙で作る。

 そして絵とかは子供たちにまかせ、いろいろ準備をする。

「よし!できたよ。そっちは?」

「仮面もできたよ~。」

 みんなが仮面をつけ、カメラの前に並ぶ。

「よし、行こうか。」

 仮面をつけ、カメラを回す。

「はい!どうもこんにちわ!東雲音楽団(しののめおんがくだん)の東雲皐月です!今回は、昔やった曲をもう一度演奏しようということで、昔演奏した、THE BOOMさんの『風になりたい』を演奏しようと思います。編成は前回と同様にアルトサックスが3本にテナーサックスが2本、バリトンサックスが1本という編成です。前回の演奏では、全部僕が演奏したんですけど、今回は!子供たちにアルトとテナーをやってもらい、僕はバリサクで入ろうと思います!」

 口元だけ出た仮面をつけた子供たちと一緒に一列横に並ぶ。

 他にもいろいろトークをするも、そのすべては俺1人。子供たちにトークを振ることなく、1人でトークを続ける。

「ちなみに僕の持ってるバリサクは、新たに買ったんじゃなくて、昔中学生の時に中学生奏者をやってた頃に使ってた楽器です。ちなみにヤナギサワで~す。まぁ中学生の頃って言っても、購入したのは去年ですけどね。まぁそんな事どうでもいいですかね。では、演奏を始めていきましょう!」

 動画の入りを取り終えると、一度カメラを止める。

「じゃぁ録音する前に一回合わせてみようか。」

「「「「「はい!」」」」」

 並んで楽器を構え、ブレスで合図を出す。

 演奏していくと、みんな最初に聞いた時に比べてとてもうまくなっている。

 演奏が終わり、みんながマッピから口を離すと、俺が感想を言う。

「いいね!じゃぁこのまま録音にはいっちゃおうか。」

「そのあと自由に吹いててもいいですか?」

「う~ん。あんまり遅くなっちゃうと君たちの施設の人に迷惑かけちゃうから、施設の人にちゃんと伝えてね。」

「わかった!」

「了解です!」

 子供たちが一斉にスマホを出すが、この子達、みんな同じところに住んでるんじゃないのか…?

 どうやら子供たちも気づいたようで、代表して友恵が電話することになったため、電話するために、譜面庫を出ていく。

 しばらくして、スマホを持ったまま戻ってくる。

「あの、お兄さんに代わってほしいと言われたんですが…。」

「ああ、代わるよ。」

 友恵からスマホを受け取り、耳に当てる。

「もしもし。お電話変わりました。サックス奏者の高橋賢治と申します。」

『あ、子供たちがご迷惑かけてるみたいだね。申し訳ない。』

 電話出たのは、渋い声のおじさんだった。

『君は今、高橋賢治といったな。高橋賢治といったら中学生奏者として有名だった人だろう?確か今は引退したと聞いたが。』

「ええ。確かに中学卒業時に高橋賢治としては引退しましたが、中学在学中より、東雲皐月という名でYouTubeに動画投稿したり、それの関係でコンサートなどに出たりして活動しています。」

『ほう…。インフルエンサーというやつか。』

「いや違う気がしますが…。」

『友恵がずいぶん頼み込んでいたから、どういう人なのかと思ったが、ほんとに高橋賢治君みたいだね。子供たちを頼めるかな?』

「あ、はい。頼まれました。」

『何かあれば、私のところに連絡してくれ。ネットで調べれば出てくると思う。《伊集院(いしゅういん)児童養護施設(じどうようごしせつ)》って言うんだ。…子供達には、楽器を用意してあげるくらいしかやってやれず、楽器を吹ける場所や、整備する費用、楽譜も満足に用意してやれない。……正直、助かる。子供たちの為にも、君みたいに音楽を教えてくれる存在がいてくれて、ありがたい。』

「…友恵に代わりますね。」

 彼の言葉に特段どう返せばよいのかわからなかったため、友恵にスマホを返す。

「うん!問題ないでしょ?じゃぁね。」

 友恵が電話を切ると、子供たちが近寄る。

「どうだった!?」

康太(こうた)いいって?」

「うん!いいって!ただししっかり送ってもらえだって。いいですか?お兄さん。」

「ああ、送るのはいいよ。」

「「「「「やったー!」」」」」

 そこまで演奏してたいのかな。

「とりあえず動画を撮っちゃおう。さっさと終わらせれば君たちも演奏時間が作れるよ。」

「そうしよう!」

「やっちゃおう!」

 みんなわらわらと自分の位置につく。俺は、そのまま録音機材とカメラの録画を始める。

「…すぅ…すぅ!」

 今度は鈴が合図を出す。

 風になりたいは、最初の1小節と1と1/2拍はバリサクがない。

 出だしのテンポ感でその曲のテンポと雰囲気が変わると言っても過言ではない。指揮者のいる場合であれば、指揮者がテンポを変えられるが、アンサンブルでは最初のテンポ感でそのまま行くしかなくなる。

 どんなテンポで行くのかと思ったら、イン・テンポよりほんの少し早いくらいのテンポで始まる。

(いいテンポだな。これくらいのテンポなら問題ないかな。)

 そうこうしているうちにバリサクも入る。

 原曲のようなサンバのテンポではなく、柔らかく聞かせる音で出だしを吹き終わると、バリサクの軽快な伴奏とテナー2本とアルト2本の刻み、その上にアルト1stの、これまた軽快なリズムが乗っかる。

 しばらくすれば今度はテナーのメロディーが始まり、またアルトにメロディーが戻る。

 そうこうしているうちにバリサクのソロが始まる。

 今度は軽快なテンポなので、軽い音で奏でる。

 ソロと言ってもそこまで長くないので、すぐにアルトのソリ(ソロの複数形。複数人で吹く目立つパート。)に繋がる。売っている楽譜だとここはアルトのソロだが、せっかく6重奏なのだからということで2本で吹くことにした。

 他にも変更点が多かったが、最後の全員で駆け上がる音階の後、抑え気味に最後の低音ロングトーンを吹く。

 演奏が終わり、残音も消えて数秒経ってから録音機材を切る。

「お疲れ!」

「終わったー!」

「緊張したー!」

 子供たちは凄い勢いで疲れたような声を出す。

「じゃぁ俺は編集するから、その間吹いてていいよ。」

「やったー!」

「お兄さん!これすごい吹きやすいです!」

「掃除するだけでこんなに吹きやすくなるんですね!」

「楽器ってのは大切にすればするほど答えてくれる。これからは表面を拭いたりオイルを指してあげたりするだけでもいいよ。オイルは月一くらいで指せば問題ないよ。じゃぁ俺は1階の自分の部屋で作業してるから、何かあったらいいに来ていいよ。ああ場所は玄関の横だよ。」

 そういって、カメラや録音機材を持ち、バリサクを下げたまま譜面庫を出る。

 作業部屋にはいると、サックスをケースにしまい、エプロンを外すと、部屋を出る。階段を下り、自分の部屋に入ったところで、午前中に収録中動画をとっていたことを思い出す。

(そういえば日中の動画を載せればよかったのか…。)

 悩んだ末、両方載せることにした。それ以前に、エンディングを撮っていなかったことに気付いた。

 パソコンの画面の前にカメラを置くと、仮面をつけて、録画を始める。

「はい!えー最後まで聞いていただいてありがとうございました。実はですね、今日の撮影前に友人の高校の学祭で流す映像に入ってほしいということで、僕と夕月で出演していたので、そこのカットもいくつか動画の最後に入れて、動画をしめようと思います。では、どうぞ!」

 最後まで言い切ると、数秒間を開けたのちにカメラを止める。

(さて、編集に入るか。)

 カメラの動画をパソコン移し、動画の編集ソフトを起動させる。

 いつものように編集をしていると、気が付けばもう2時間も経過していることに気付く。

(まだ半分も終わってないけど、そろそろあの子たちを家に帰さないとな。そういえば、さっきから音が聞こえないけど、どうしたんだろう。)

 部屋を出て2階に上り、譜面庫入ると、さっきまでいたところに彼女たちはいない。

「…あれ?どこ行ったのかな……?」

 周りを見渡すと、本棚の間から足が見える。

 本棚の前に回り込むと、子供たちが並んで床に座って寝ている。

「……寝ちゃったのか。仕方ないな…。」

 そのまま彼女たちの持ってる楽器をとると、スワブを通し、コルクからグリスをふき取り、ケースにしまうと、リードを水ですすいで水分をふき取り、ケースに入ってたリードケースにしまうと、ケースを閉じる。

 そうやって楽器を全部しまうと、スマホを取り出し、電話をかける。

「あ、もしもし?コウか?」

『おう。どうした?』

「悪いけど車でうちまで来てくれないか?音楽を教えてた子供たちが寝ちゃったんだよ。」

『ああ、いいよ。手出してねぇよなぁ?』

「出すわけないだろ。まぁありがとう。よろしくな。」

『おうよ。』

 電話を切り、スマホをしまう。

 コウは、小学校のころからの友達だが、一応以外に年上で、俺より4歳上だ。

 譜面台を片付けると、そのまま楽譜も戻す。

 そうこうしていると、スマホが鳴り、画面を見ると、コウから≪着いたぜ!≫とLINEが入る。左手の時計を見ると、どうやら電話してから30分経っていた。

 玄関を出ると、外はもう日が落ちて、真っ暗だったが、街灯に照らされたハイエースが目に映る。

 こっちに気付いたのか、運転席からコウが下りてくる。年上とはいえ、身長は俺と変わらないくらいだが、ガタイは俺よりも全然いい。まぁ握力とかの筋力なら俺の方が強いっていう矛盾はあるが…。

「お待たせ!子供たちは?」

「あ~。それが、楽譜庫で寝ちゃったんだよね。だから、運ぶの手伝って。」

「おう!いいぜ!」

 コウと一緒に、子供たちを運び、座席が取り付けられたハイエースに乗せ、楽器も載せると、俺も助手席に乗る。

「で、どこまで行けばいいんだ?俺行先知らないんだけど。」

「ああ。ええっと。確か《伊集院児童養護施設》だったかな。今調べるよ。」

 ネットで調べてみると、位置的には上大岡の近くのようだ。

「え~。上大岡~?遠いいじゃん~。」

「いいだろ?後で飯おごってやるからさ。」

「わかったよ。ラーメン忘れるなよ?」

「ああ。ラーメンな。お前こそ、どこのラーメン屋にするか考えとけよ。」

「当然だろ?」

 そういいながら、コウはシートベルトを締める。

「じゃぁ行こうか。」

 俺がシートベルトを締めたのを確認すると、コウはエンジンをかけ、ライトをつけると、走り出す。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ