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タナカさん

作者: エモトトモエ

 残業を終えて家に帰ると、うちのマンションの前にある植え込みが、一部分だけなくなっている。

 自分の車を駐車場に入れ、ついでに近くまで行って見てみた。

 植え込みは、なくなっているのではなく倒されていた。その幅はちょうど、車1台分。私の背の半分ほどのクルメツツジが、倒されて踏みつぶされていた。なんだかかわいそうに思えた。

 奥のマンションは結構離れているし、無事だったみたい。間に自転車置き場もあるし。

 でも、その自転車置き場の屋根が、へこんでいる。

 暗いからあまりよく見えないものの、へこみはかなり深そうで、大きさは人ひとり分くらい… 

 それ以上は考えないことにした。

 早く帰って、スーパーで買った値引きシール付きのお弁当を食べてお風呂に入って寝よう。

 この前買った入浴剤を開けるのもいいかもしれない。今日は頑張った。

 そうそう、職場で貰った柿がまだあった…



 自宅に帰って着替え、落ち着くと、午後はずっとスマホを見ていないことに気が付いた。

 それで、食事しながらチェックを、と開いてみると、実家の家族やら友達やら同僚やらから、たくさんLINEやメールが入っていた。

 何事かと思ったら、みんな同じ内容だった。

 昼前、うちのマンションの前で交通事故があったという。車が人を撥ね、逃走。撥ねられた人は死亡。

 最悪。

 地方局のテレビでは、現場つまりマンション前からの中継もあったそう。

 ネットの記事を送ってきた人もいた。そこにも写真が載っている。

 植え込みや自転車置き場、これのせいだったのだ。



 朝になって外に出てみると、自転車置き場の屋根はやっぱり、道路側の端がへこんでいた。柱も少しゆがんでいた。

 そのへこんだ部分…何だかぼんやりとした色になっている気がした。

 というか、その周りの空気が霧のように白くなって見える。

 …いや、そんなわけない

 私はゆうべから考え過ぎている。

 見るのをやめ、私は仕事に出掛けた。

 もう見るのはやめよう。…そう思った。なのに。

 帰ってきた私は、また、自転車置き場を通り過ぎるときについつい見上げてしまったのだ。

 今日は定時で上がったから、外はまだ明るい。

 へこんだ部分の真上の空間は、今朝よりもはっきり、白くなっていた。

 何か乗っているのだろうか。…いや、そんな感じではない。

 じっと見ていると、その白いものに形があるのがわかってきた。

 その形はまるで人が横になったような形…

  


 ニュースでは、被害者がどのように亡くなったかは言っていなかった。

 自転車置き場の柱に、花束が立てかけられていた。

 やっぱり見ちゃだめだ。



 それから数日は、マンションの出入りのたびに下を向き、決して自転車置き場なんて見ないようにした。

 早く直すか、撤去されることを祈りながら。



 そんなある日、ポストに、管理会社からのお知らせが入っていた。

 自転車置き場と植え込みの工事についてだった。

 少し長い文章のほとんどは、警察からは現場の状況を保つよう言われたためすぐには直せない、という言い訳めいたことが書かれていた。しかし住民の皆様のご要望はきちんと受け止めており、なるべく早い時期での復旧を…とかなんとか。

 警察はいつまであのままにしておけというのだろう。

 まさか、ひき逃げ犯が捕まるまで、なんてことは…

 


 次の朝、外へ出るなり私は自転車置き場を見てしまった。

 考え事をしていたせいで、目を逸らすことを忘れていたのだ。

 空は曇っていた。

 屋根の上にうっすらと白いものが見えていた。前よりもはっきりしていた。人の形だった。へこんだ部分の端から丸くはみだしているのは頭。仰向けになり、頭をさかさまにした格好で道路の方を向いたようになっていた。

 幽霊だ。

 あの姿で死んだのだろう。

 私の体が勝手に震えてきた。

 幽霊なんて見えたのは初めてだった。

「あの…」

 人の声がした。はっとして周囲を見たが誰もいない。

「私が見えていらっしゃるのでしょうか…?」

 男性の声だった。今ここにいるのは私だけ。あとはあの幽 れ

 私は外に走った。悲鳴が出た。

「すみません」

 申し訳なさそうな声が追いかけてきたが、立ち止まる余裕なんてなかった。



 あとから考えてみれば、幽霊は私に謝ったのかもしれなかった。

 


 その日の帰り、私は思い切って幽霊のそばまで行ってみた。その姿は今朝より鮮明に見える気がした。

「やはり私が見えるんですね」

 幽霊が言った。「ごめんなさい、怖がらせてしまって」

 記事で見た被害者と同じ顔。

 40歳会社員、と書いてあった。

「いえ…あなたのせいじゃありませんし」

 犯人はまだ捕まっていない。

「どうにもねえ、自分が死ぬってことに納得がいかなくて。家族を置いて行くわけですし…はねられました、死にました、なんて急に起こったって簡単に飲み込めるもんじゃありませんで…」

「それは仕方ないと思います」

 私はそう言っていた。

 自分が同じ目に遭ったらやっぱりすぐに納得するなんてできないと思った。

 この人だって…ちょっと前までは、生きている、普通の人だったんだ。

「こんな所からすみません。私、タナカと申します」

 何かが落ちてきた。拾うとそれは名刺だった。

 幽霊って、わざわざ名乗ってくれるものなのか。…というか、ニュースでフルネームしっかり出ていたから知っているんだけれど。

 まあ、そんなことは言わなくていいよね。

 


読んで頂きありがとうございました。


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