生命の筺と暴走自転車
「えーと、ウェストノース通り221Bっと、221Bっと……」
これといった事件もなく一週間が終わり、新しい自動人形を引き取りにゆく前日、午前中の授業を終えた亮介は、シュリーに頼まれて旧市街にある高級住宅街をさまよっていた。
甘いお菓子につられた茜を、彼女の屋敷に置いてきたのは心配だったが、まあシュリーも茜を気に入っているようなので問題はないだろう。
「ここだな、メモと同じ住所……だけど……」
住所の書かれたメモと、鋳物の銘板を照らし合わせながら歩いていた亮介は、分厚い樫の木の門の前で立ち止まった。石壁で囲まれたそれは、屋敷と言うよりどちらかといえば砦に近い。
「大丈夫かこれ? なんか買い物が出来るって感じじゃなさそうだぞ」
大きな鉄の門を見上げて亮介はひとりごちた。シュリーの屋敷も大きかったが、この建物も負けず劣らずバカでかい。
この街では王宮に近いほど古い建物が増えるが、ここは王宮から三ブロックと離れていない。どんな人間が住んでいるのかは推して知るべしだ。
「あの……すみません、この住所はここであってますか?」
とはいえ、このまま突っ立っていても仕方ない。亮介は訝しげな目で自分を見ている門番にメモを見せながら話しかけた。
えんじ色のインバネスコートに羽飾りのついた帽子をかぶった門番が、チラリとメモに目をやると鼻を鳴らして目そらす。小馬鹿にした態度にカチンときたが、ここで喧嘩をしても仕方ない。亮介はもう一度ゆっくりと同じ言葉を繰り返した。
「見れば分かるだろう、字が読めないのかね?」
外国人の子供だと思って完全になめてやがるな……怒りで拳を握りしめたその時、うしろからベルの音がして悲鳴に近い声が響いた。
「ちょっと! そこのあなた、危ないですわよ!」
「っと!? ブレーキ! ブレーキ!」
振り返った亮介に真っ直ぐに自転車が突っ込んでくる。ハーフアップにまとめられた見事な金髪を振り乱し、ハンドルを切りながらブレーキをかけた自転車のリアが滑る。
「きゃあっ!」
「ハンドルを離して!」
ペダルが石畳に打ち付けられて火花が散った。亮介の真横で自転車ごと倒れ込む少女を、強引に左腕で捕まえると抱き寄せる。
とっさにしがみついてきた少女の頭をかばうように右手で抱え、そのまま後ろに倒れ込んだ。
「ぐえっ」
カエルが潰れたような声を出して亮介は背中から地面に叩きつけられた。
自分とそう変わらない年齢の女の子をかばいながら、受け身をとれというのは無理な話だ。それでも何とか背中を丸め、自分の頭を打たないように出来たのは幸運でしかない。
「痛ぅ……」
目から火花が飛び背中を強打して息が詰まる。茜をシュリーの屋敷に置いてこなければ、もう少し何とかなったかも知れない……。
そんな事を思いながら胸にかきいだいた少女に視線を移す。
「大丈夫?」
腕をゆるめて、亮介は顔を覗き込んで尋ねた。
「いたた……。だ、大丈夫ですわ。あなたこそケガはなくて?」
「多分」
「なら、一安心ですわね」
うん、そうなんだけれどね……。頬をくすぐるいい匂いのする髪と、腹のあたりに押し付けられた豊かなふくらみに、素数を数えたい気持ちで一杯になりながら亮介は言葉を返す。
「とりあえずお願いがあるんだけど」
「なんですの?」
「そろそろ離れたほうがいいと思うんだ、そこで怖い門番さんも睨んでることだし」
言いながら、亮介はあっけに取られて動けずに居た門番の方を目で示す。
「え……? あ……!? ハレンチですわっ!」
「ちょっ、おごっ」
なかば身体を起こしていた亮介の胸にもたれていた少女が、顔を真っ赤にして力一杯突き飛ばす。マウントを取られた状態でそれをやられてはたまらない。
胸のあたりに思い切り体重をかけられた亮介は、成すすべもなく石畳に頭をぶつけて……世界が暗転した。
§
「ん……んんっつ? ……ここは?」
「気づきましたわ! 先生?」
ふかふかのベッドの上で目覚めた亮介の目に入ったのは、半べそで自分を覗き込む先ほどの少女だった。
「どれ、目を開いて」
先生と呼ばれた老人が、亮介の目に片側ずつ懐中電灯をかざすと、小さくうなずく。
「軽い脳震盪ですな。ぶつけたところは、もうしばらく冷やしておいた方がよろしかろう」
「良かった……死んでしまったらどうしようかと」
「なぁに、死んだら死んだで使いようはありますぞ?」
やれやれと、くたびれた感じで先生が踵を返して部屋の扉を開けながらボソリと呟いた一言を、亮介は聞き逃さなかった。
「いや、おい。物騒だな殺さないでくれる?!」
「先生! ごめんなさい、あれで悪気はないんですのよ」
どんな悪気のなさだよ、と呆れながら亮介は部屋の中を見回した。立派なマホガニーの調度品、ドアの両脇には二人のメイドが立っている。
「えーと、ココは……っていうか、先に名乗らないと。俺は亮介、高科亮介。リョウでいいよ、みんなそう呼ぶ」
「わたくしはミルドレッド、ミルドレッド・ハーディング」
ハーディング? えーと、確か……。亮介はゴソゴソとズボンのポケットに手を突っ込んで、シュリーから受け取ったメモを取り出した。
――ウェストノース通り221B、ハーディング生命源研究所。
「えーと、ハーディング生命源研究所っていうのはココであってる?」
「ああ、お父様の……というより、我が家の代々の道楽ですわね。なにかうちにご用でして?」
「うん、注文品の受け取りに来たんだ、請書が上着の内ポケットに」
ミルドレッドがメイドに目配せすると、部屋の隅に掛けられていた上着が届けられる。内ポケットから小洒落た封筒を取り出して、亮介はミルドレッドに差し出した。
「確かに我が家の封蝋ですわね、開いても?」
「いいよ、そこに書いてある品物を受け取りにきたんだから」
ミルドレッドが封筒を開くと、これまた上等な紙に書かれた請書が出てくる。それをを一瞥して、彼女はメイドの一人を呼び寄せると書類を差し出した。
「これを父様にお届けして。あと、お茶の用意を」
「あ、いや……」
「わたくしの誘いを断ろうなんて、思っていらっしゃらないですわよね?」
「……喜んで頂きます」
§
「へえ、宮廷魔術師の末裔かあ、凄いね」
「大した事はありませんわ。というより、娘のわたくしからしたら良い迷惑ですのよ? 別に宮廷魔術師と言っても、空を飛んだり雷を出したりはできませんのに」
瞬く間にお茶と茶菓子の用意がされると、亮介はミルドレッドになぜこの屋敷に「生命研究所」なるものがあるのか教えてもらっていた。
彼女によれば、王国の創成期から国王に仕えていた宮廷魔術師の末裔で、錬金術から派生した薬学と医学を生業とする家らしい。
「でも、義手や義足に人間の神経信号を伝える増幅器、あれの発明者とかやっぱり凄いと思うよ」
「そうですわね、少なくともそこは私も誇りに思いますわ」
高圧薇発条駆動の義手や義足には、人間の神経命令を伝達する増幅器が組み込まれている。
増幅器は密閉された容器に詰められた薬液と筋組織からなり、定期的に補充される合成生命源をエネルギー源にして駆動、義手や義足のアクチュエーターを駆動させる為のトリガーとして動作する。
「ところでミルドレッド」
「なにかしら?」
親切というかなんというか、後頭部にできたタンコブに氷嚢を当ててくれているメイドに礼をいってから下がってもらい、亮介は一つ疑問に思っていたことを口にした。
「合成生命源って、君の家でないと買えないものなのかな?」
「そんなわけありませんわ、普通は病院の医療機械整備科で買う物でしてよ」
「だよねえ」
普通に考えてそうだろうと、亮介はうなずく。
「ただ、あの注文品は魚や鶏を原料に作られる一般の合成生命源と違って、特別な物ですわ」
「特別?」
「先生もお父様も、お祖父さまも何かは教えて下さりませんけれど……。大学や軍の研究用に出て行く特注品ですわね」
そんな物のお使いに出されたのか俺は……。思いながら亮介は肩をすくめる。
「逆に、何に使うんですの? あれ、義手義足なら五年は動かせる量でしてよ?」
「実は俺も知らないんだ、お使いだからさ」
「そうですの」
柳の葉のような綺麗な眉をひそめ、少し困った顔をするミルドレッドに、亮介は笑顔を返して出されたお茶を一口飲む。ローズヒップティーのゆるい酸味が口の中に広がった。
「ところで、リョウ。あなたのその制服、機械工学院の学生なんですの?」
「ああ、うん、今年留学してきたところ」
「でしたら一つ後輩ですわね。わたくし医療機械工学部の二年ですから」
亮介の所属しているのは、自動人形を含め、機械設計全般を学ぶ学科だ。それに対して医療機械工学部は、人間の身体を機械に置き換えてゆくのを目的とした学科だ。
「これはこれはご無礼を。失礼しました先輩」
「ええ、今日は危ないところを助けてもらいましたから、許してあげてもよろしくてよ?」
二人して芝居がかった口調で言ってから、真面目くさった顔で目を合わせる。
「……も、もう!」
目を合わせた拍子にひょいと右の眉を上げ、次に入れ替えて左の眉を上げてた亮介を見て、こらえきれずにミルドレットが吹き出した。
「さて、そろそろ帰らなきゃ」
午後四時を知らせる鐘が鳴るのを聞いて、亮介はカップをおいた。
「そう、また学校で会えるといいですわね」
「そうですね、先輩」
来たときとは対照的な態度の門衛とミルドレッドに見送られ、亮介は屋敷の門をくぐる。ぶつけた後頭部は少々痛むが、茜が顕現している割に身体が軽い。
「迷惑かけてなきゃいいがなあ」
美味しい物をお腹いっぱい食べさせてもらっているであろう相棒の姿を思い浮かべながら、亮介はズシリと重い金属ケースを手にシュリーの屋敷へと急いだ。
自転車って、意外と時代が下がってこないといまの形になってこなくて、思ったより高級品だったりします。なんでだか結構な高値なのは趣味の機材だったからかもしれません。
そうそう、感想書くのが怖い人は「にゃーん」って書いていってくれてもいいのよ?