第二節「研究所と私(上)」
私は、研究所で生まれ育った。
とはいっても、研究所は広く、3日程歩き回ってみても全てを回ることはできないほど広いので、狭い場所に閉じ込められていたわけではない。
私の1日は、私に与えられた部屋から始まる。私の起床時間は、午前6時である。日の出とほぼ同じくらいの時間に、照明がつき、鳥のような電子音が目覚ましがわりになる。私は、物心ついたときから寝坊したことはない。これは、数少ない私の自慢の1つだ。
身嗜みを整えて部屋からでると、研究員の皆の部屋に、一人一人挨拶に向かう。大体の人が、部屋のドアを軽く叩くとすぐに返事をして出てきてくれるのだが、極少数、朝になっても起きない人や、酒気が抜けてない人がいる。彼らの名前はメモにとり、後で博士に報告することとなる。余談ではあるが、私はお酒の匂いが嫌いである。ちょっとした臭いだけで顔をしかめたくなるほどだ。
午前7時30分頃に、皆が食堂に集まり、朝食を食べる。料理を作ってくれるのは、私がおばちゃんと呼んでる人達だ。研究所の近くにすむ主婦に人気のある仕事なのだという。昼過ぎくらいに食堂に行くと、おばちゃんが、刃物を使わないで作れる料理を教えてくれる。何故刃物を使わない料理なのかというと、博士に刃物は危険だからと注意を呼び掛けられているらしい。私はもう、そこまで子どもではないと思うのだが抗議しても取り合ってもらえない。
午前8時頃、研究員の皆の仕事が始まる。私は、研究員の女性、「女史」と話ながら、バイタルチェックや身体測定を行う。女史は聡明で明るく活発な、私の憧れの女性である。私の体の測定は、1日に、朝と夜の2回行われ、月に1度くらいのペースで大きな機械を使って体全体をスキャンして、体の内側の写真を撮る。どのようにやっているのかはわからない。女史が言うには、大きな機械の中には月の兎が入っていて、彼らには物質が透過して見えるらしく、協力してもらい、記録しているのだそうだ。私の研究なんかするよりも兎の方を研究したらいいと思う。
午前9時30分頃、私の自由時間が始まる。というのも、研究所の皆は、何らかの研究や、製作などで忙しそうにしているため、私はすることがないのだ。この自由時間の間に私がすることといえば、大体がお勉強である。研究所内で遊ぶと怒られるし、一人でできる遊びには飽きがくるのである。
一番長続きした遊びはお絵描きであった。8か9歳くらいのときに、博士に絵を描くので神と鉛筆が欲しいと頼んだら、次の日には、スケッチブックと鉛筆、それにクレヨンまで用意してくれた。当時の私が、研究所内にあるものを口にいれたり したら危ないと私には常に監視の目が向けられていた。その監視の一人が、女史である。
さて、私はスケッチブックを貰った日から毎日のように絵を描いていた。博士の絵、女史の絵、絵本に出てきた動物の絵、研究所の機材の絵、置いてあった観葉植物の絵。様々なものを描いた結果、4年で描くものが無くなって飽きた。機材は毎月のように新しく運ばれては来るものの、見た目や利便の面からか、性能は変わっても見た目に大差がなかったので、基本的に研究所の中は変化が起きづらいのである。
勉強の話に戻ろう。私は、勉強が好きである。というと語弊があるかもしれない。何故ならば、私にとっての勉強は暇潰しの一貫であって、毎日勉強が楽しみであるなんてことは無いのである。ただ、勉強についての質問であれば、博士や、研究員の皆が暇な時間を見つけて教えてくれるので、日々の勉強については欠かすことがない。私にとって、貴重なふれあいの場である。