温泉に入るだけで…?
ユイのマシンガントークに付き合っていると、あっという間に元の部屋へと案内された。いくらアホの子でもさすが住んでいるだけはある。
と思ったけど、どうにも腑に落ちないことがあった。
「あれ? 俺部屋の番号とか部屋の間の名前とか言ってないのに、良く分かったな」
「ん? あー、クス姉の匂いと、ヤマトンとの匂いを辿ってきただけだよ」
「え、俺ってそんな臭う?」
「好きな匂いだからモーマンタイ。ほれほれー、お礼にユイちゃんに触らせろー、なめさせろー、匂いかがせろー」
「ちょっ! やめぃ! ズボンを引っ張るな!」
「よいではないかーよいではないかー!」
「悪代官かよ!?」
さすがにベルトを引っ張られてもくるくるとは回れないので、あーれー。とは言ってあげないけどな。
ただ、十分にどたばたしたので、部屋の中からクスハが扉をあけて廊下に出てきた。
「こらユイ。あまりお客様にご迷惑をかけてはいけません!」
「はーい……」
あれだけ騒いでいたのに、お姉さんであるクスハの一言でユイが一気に大人しくなった。驚くべきお姉ちゃん力に思わず俺も黙ってしまう。
続けてクスハはユイの頭に手を乗せると、ちょっと怒った表情を崩してにこやかな表情を見せる。
「ユイ初めてのお仕事がんばって」
「そうだった。ヤマポンのご飯作るんだよね。うん、任せて! 気合い入れてやってくる! 全力で全開で絶好調だよ」
応援一言でユイはその場から走り出して、廊下を曲がって消えてしまった。
出会いから別れまでずっと忙しい奴だったなぁ。
一体どんな物を作るのか、少し不安になってきた。
「大丈夫ですよ。あの子は我が家で一番お料理できますから」
「へぇ、自称板前は伊達じゃないのか」
「ふふ。張り切りすぎなければ、ですけどね」
「え?」
「なんでもありません。ちょっと名付けが独特なだけです」
分かったような分からないようなクスハの答えに生返事を返すと、クスハはくすくすと笑ってから頭を下げてきた。
「すみません。私も別の仕度があるので失礼いたしますね。椅子と机をご用意した。お食事の用意が出来るまで、お茶をお楽しみくださいませ」
「あぁ、うん、ありがとう。また後で」
「はい。失礼します」
ユイと違ってクスハはゆっくりと静かにこの場を去った。
何か引っかかりは残るけど、悪い子達じゃ無いし大丈夫だろう。
ゆっくりしていけというのなら、御言葉に甘えてゆっくりさせてもらうさ。
何せここは温泉旅館だ。ゆっくりするのが作法というものだろう。
部屋に入った俺は障子を開けてから、椅子に座った。
外の景色は新緑が眩しい山の景色だ。
透き通るような青い空に、明るい緑色の木々の葉が茂る山が映る。
温泉が湧くような場所だからか、山の所々から白い湯煙が立ち上っていた。
「良い所だなぁ。静かでゆっくり出来て」
思わずそんな感想を呟いてしまうほどだ。
鳥もあんなに気持ちよさそうに空を飛んでいたら、人も飛びたくなるよなぁ。
でも、今は昼寝してのんびりしようかな?
って、人影!? 上から落ちてきた!?
一瞬、外の景色に人影が映ってすぐに下に消えた。
見間違えかと思って窓辺にかけよると、白い髪の女の子が窓の縁に捕まってぶら下がっている。
そして、俺に気がつくと、顔をあげてこっちをジッと見つめてきた。
「あ、お客さん、本物だ」
「き、君、大丈夫!? 上の階から落ちてきたんじゃ!?」
「うん。屋根の上から飛び降りてきた。よいしょ」
「いや、よいしょじゃなくて、なんて危ないことを……」
ドッキリにしても心臓に悪すぎる。
と言っても落ちてきた当の少女は全く悪びれた様子も、焦っていた様子も無く、当たり前のように窓から部屋にあがってきた。
灰色の髪にぺたんと倒れたダックスフントっぽい垂れ耳、水色の布地に青いアサガオの花が描かれている。
そんなアサガオに包まれた身体はクスハやユイと比べると二回りくらい小さい。
まだまだ子供という印象の子だ。
そういえばユイが誰かの名前を言っていた気がする。
「えっと、君がもしかして、クスハとユイの妹のヒビキちゃん? 俺は山城克也って言うんだけど」
「さすが異界のお客さん。人の性質を見抜く魔法を使ったの?」
「俺が異界の人って良く分かったね」
「匂いと魔力で違うって分かる。お兄さんの身体からしみ出る魔力で魔力酔いしそうなくらい濃厚」
「え、えーっと……褒められてるの?」
「最大限の賛辞。ヒビキも魔導士だから」
どうしよう。不思議ちゃんだ。
ユイとは全く違う意味でペースを掴めないぞ!?
「さすが大魔導士のお婆ちゃんが呼んだ人」
「へ?」
「何で呼ばれたか聞いてないの?」
「いや、まったく……」
「お婆ちゃんは適当な人だから」
ヒビキは困ったようにため息をつくと、こちらを見上げてジッと目を見つめてきた。
「えーっと、お婆ちゃんがお兄さんを見つけて、ここに送った話しする?」
「うん」
「お茶飲もう」
「うん!?」
お婆ちゃんの話はどうしたんだいヒビキちゃん!?
俺を窓辺に放置してお茶を入れ始めたヒビキに俺はどうして良いか分からなかった。
お茶のみに俺を呼んだなんて話の流れじゃなかったよね!?
お婆ちゃんを適当だと言った君も十分に適当だよ!
「おいしい」
ダメだ。このマイペースっぷりはユイと真逆の意味で強すぎる。
ユイがマシンガントークで押してくるのだとしたら、この子は幻影使いとでも言うのだろうか。話がどう転ぶか全く分からないし、まったくつかめない。
「お兄さんはお菓子がないとお茶飲めない人?」
「いや、そういう訳じゃないけど……」
「そっか。なら、お菓子はヒビキが貰う」
「あ……」
ヒビキが袖口から包みを取り出して、団子のような物を口の中に放り込んだ。
お菓子が無くてもお茶は飲めるけど、お菓子があった方が美味しく飲める。というにはもう遅いし、言っても仕方無い気がしてならない。
諦めてヒビキの向かい側に座ると、ヒビキが俺の代わりに湯飲みにお茶を入れて差し出してくれた。
色は鮮やかな透明な緑。香りとしても緑茶に良く似ている。
「毒は入ってない」
「あぁ、ごめん。ちょっと俺の知っているお茶と似ていて驚いたから」
「ツナヨシが持ってきたお茶。東方の特産品。裏山の畑に持ってきて育ててる」
「あぁ、道理で……。お、このお茶美味いなぁ」
おもわず話の目的を忘れてため息をつくほどだ。
「お茶は良い。お兄さん飲んだら窓辺で昼寝しよう」
「いいなぁ。暖かいし、座布団を枕代わりにしたらよく眠れそうだ。――って、おばあさんの話は!?」
「あー、忘れてた」
「忘れてたって……。えっと、どういう目的で俺はこの世界に連れてこられたんだい?」
「温泉に浸かってもらう」
「へ?」
「温泉に浸かってもらう」
大事なことだから二度言いましたってか?
鼻をならして誇らしげに頷いているヒビキに俺は頭を抱えるしかなかった。
ユイとの会話が言葉の千本ノックなら、ヒビキは言葉のピッチングマシーンだ。剛速球と変化球、そして消える魔球が一方的にこちらへ投げられて終わる。
「いや、分かってるよ? 温泉に俺が入れば良いんだよな? でも、俺を温泉に入れるためだけに呼んだって意味わからないぞ……」
「え?」
「いや、何で分かんないのって顔されても困るんだけどっ!?」
「うーん……」
「悩んだ振りして眠らないで!?」
この子腕を組んだと思ったら、上半身机に投げ出して寝ようとしだした!?
いや、うん、分かるけど、子供には難しい話しするの大変なのは分かるけど、もうちょっとだけ頑張って!
「温泉ってどうやって出来るかしってる?」
ヒビキは上半身を机の上に投げ出して丸まったまま質問してきた。
「え? あぁ、地下のマグマで暖められた地下水がわき出したのが温泉なんだよな」
だからこそ火山が多い日本は温泉大国になれた訳だ。
「こっちの世界では地殻結晶というのが地面の奥に埋まってる。星の魔力の塊みたいなもの。その結晶の中に閉じ込められた魔力で暖められた水をヒビキ達は温泉って言ってる」
「星の魔法でわく温泉かぁ。なんだかロマンを感じるな」
「沸いた水はまた地に戻って、魔力は循環してる。でも、最近は溜まりすぎて、爆発しそうだから困ってた」
「爆発?」
「うん。こうやってジーッと丸まってると、段々手とか足とか痺れて、動きたくなる。でも上から降ってくる魔力で動けない。なら、力一杯無理矢理動いて、手足を伸ばすしかなくなる」
「地震が起こる原因みたいだな」
「さすが異世界の人は賢い。お兄さんの言う通り地震とか噴火が起きるかもしれない。だから、お兄さんに温泉につかってて欲しい」
説明のため丸まっていたのか、説明を終えたヒビキが身体を起こして、俺の目を見ながら頼んできた。
温泉と魔力と地震の関係は何となく分かった。
水風船に水を入れ続ければいつか破裂する。破裂させたくないなら、入れた水を抜いて捨てなければならない。
だが、そこで何故俺が必要なのか分からない。
「お兄さんの身体は魔力を吸い取るのに適してる。温泉に入ったときに身体に変化はなかったかい?」
「言われてみれば痛みが急に消えて、身体も軽くなったような。それが魔力を温泉から取り込んだってこと?」
「それだよ。お兄さんは無意識に星からくみ出される魔力を取り込める。だから、気が向いた時に温泉に入って欲しい。そうすれば、星も少し休める」
「俺の身体がねぇ? でも、そんな星の力を浴びて副作用は無いのか?」
入りすぎると湯あたりとか、のぼせたりとか、そういう症状が出たりするんだろうか。
それに魔力酔いしそうと出会い頭に言われたし、何か良くない印象を与えることもあるのだろうか。
「特には無い。湯あたりとかのぼせたりとかは普通のお風呂でもなると思う。後は――」
ヒビキが突如立ち上がり、何故か俺の隣に移動してきた。
また何か変なポーズでも取って説明するつもりだろうか。
「触れるととっても気持ちよくなるのが副作用」
「へ? ちょっ、ヒビキちゃん!?」
ヒビキは俺の隣で横になると、俺の膝の上に突如彼女の頭を乗せてきた。
「天井の日なたぼっこより暖かいかも」
「んな猫みたいなことしてるのか……。って、そうじゃなくて、どういうこと?」
「お兄さんの吸い取った魔力が、お兄さんの願望に反応して、魔法になってしみ出てる。身体の痛みを和らげる魔法がお兄さんの身体からしみ出てて、気持ちいい」
「あぁ、なるほど。肩こりや打ち身の痛みが消えて欲しいって風呂に入りながら思ってたかも。最近疲れてたしなぁ……」
別段、不都合なことではない。むしろ風呂に入っているだけで、自分の治療が出来るなんて便利この上ないじゃないか。
「ということで、このままお昼寝」
「あっ! ちょっ、寝付くのはやっ!?」
あっという間にすぅすぅと寝息を立てたヒビキに戸惑いは隠せなかったが、やることは変わらないか。
「俺も寝たいと思ってたっけ。俺も少し昼寝しよ。眠った姿をイメージしたら眠りの魔法とか?」
ヒビキを膝の上に乗せたまま目を瞑ると、魔法の効果かすぐに意識が溶けていった。
あぁ、寝不足も解消出来るのか……。休むには最高の世界かも……。
冒険とかどうでもいいや……。とにかくゴロゴロしよう……。
もうこの時には俺は月三万円の家賃を払う覚悟を済ませていた。




