風呂に入りながら飲む酒は美味い
自宅の浴室の扉を開けた先に踏み出せば、景色は一変する。
紅葉で山が紅く燃え、赤ん坊の手の平のような形をした赤と黄色のカエデの葉が、青い空でふわふわと宙を舞う。
カエデの葉がゆっくりと舞い降りる先には白い煙が立ちこめている。その湯気の中には竹の柵で囲われた敷地の中に、円形に配置された岩と湧き出るお湯が待っていた。
そんな自然の中にある露天風呂に俺は入っている。
「温泉最高……」
足と腕をいくら伸ばしても壁にぶつからないほど広い湯船につかるだけでも贅沢だが、俺はさらに贅沢を重ねる。贅沢の倍プッシュだ。
自分の頭の隣に置いてある丸い桶に手を伸ばすと、中につまみとなるキュウリの浅漬けと白い徳利と白いおちょこが入っていた。
俺はキュウリの浅漬けをつまんで口で転がすと、白いおちょこに移した清酒を飲み干した。
「風呂に入りながらの酒ってのも良いもんだなぁ」
お湯は少しぬるめの三十九度。長風呂をするにはちょうど良い温度だ。そして、ほどよく冷たい酒が暖まった喉を通り、五臓六腑に染み渡っていく。
俺が今いるのは山の間に作られた天然露天風呂だ。かれこれ三十分くらい入ってるかもしれない。
そして、この温泉を提供してくれたシェアハウスの相手は、俺より歳下の女の子達だった。
「山城さーん、お酒とおつまみのおかわりいりますー?」
「そろそろ出るから大丈夫」
柵の向こうから聞こえてきた少女の声に俺は返事をして、風呂からあがった。
その時点で俺は自分の身体の変化にすぐ気がついた。
温泉というのは実に良い。
肩こり、腰痛、目の疲れと頭痛まで湯にでも流れていくのか、スウッと溶けていた。
温泉に満足した俺が脱衣所で浴衣に着替えて外に出ると、一人の少女が竹筒を抱えて俺を待ってくれていた。
女の子らしい可愛いピンク色の浴衣を着た少女は一見すればタダの人間だが、注意書きにもあったように日本人ではない。というか全く同じ人間であるとは言い切れなかった。
顔はかわいい人間の女の子。黒い艶のある髪の毛の頭から、三角形のふさふさした耳が生え、お尻から肌触りの良さそうな尻尾が生えている。
いわゆる獣人の中でも犬娘とでも言おうか。そんな見た目をしている。
「わき水を汲んできました。いかがです?」
「気が利くな。いただくよ」
水筒代わりの竹筒を受け取り、中の水で喉を潤す。
冷たい水が酒と風呂で火照った身体を冷やしてくれた。
「ありがとうクスハ。女将としての気遣いがかなり身についてきたんじゃないか?」
「どういたしまして。でも、私はお婆さまと比べてまだまだです」
クスハというのが彼女の名前だ。歳は十八で、この世界では立派な大人らしい。
謙遜してはいるが、褒められて嬉しいのか、尻尾をぱたぱたと横に振っている。
目は口以上に語ると人は言うけれど、彼女の場合は同じくらいに尻尾が語ってくれる。
そんなクスハの仕事は旅館の女将さんだ。そして、シェアハウスの同居人でもある。
とある事情で、俺の部屋はクスハが女将をしている温泉旅館《華狼館》と繋がってしまったらしい。
そう、俺が貰ったメールにあった部屋の条件、お風呂が共用というのは温泉宿の温泉という意味で、外国人というのは異世界人だった。
そして、三万円という格安の理由も――。
「山城さんが来てくれて、私達にいろいろ助けてくれなければ、私達は今この《華狼館》にいられませんでしたから。それに、最近街では山城さんが大魔導士って噂になってますよ」
彼女達のために、ちょっとしたお手伝いをしたからだ。
「そんなこともあったなぁ。でも、今俺がこうしてのんびり出来るのもクスハ達のおかげだから、そんなかしこまらなくていいさ。タダ風呂出来るだけで十分恩返しになってる」
彼女の頭に手を乗せぽんぽんと励ますように軽く叩くと、クスハは嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ、なら、タダ風呂のお礼に今晩は私に付き合って下さいよ?」
そして、空になった徳利を持ち上げて俺に見せつけてくる。
この子達は十八からお酒が飲めるらしいから、そういうことなのだろう。
「今日も良い休暇になりそうだ」
「ふふ、私のとっておきのお酒をお出ししますね。私達も今日はお休みですけど、山城さんにはご奉仕しますので、どうかごゆるりと心ゆくまで私達の《華狼館》でおくつろぎください」
ゆったりと出来る広い温泉に、美味しい食事と酒、そして、とびっきりの少女達との一時。
異世界でノンビリ温泉と観光。これが俺の手に入れた最高の休日の過ごし方だ。
そして、休暇の拠点となる場所の名は温泉宿《華狼館》。
そこであったいくつかの出来事を話していこうかと思う。
まずは出会いの話しからでもしようか。