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足湯の月見酒

 即断した俺とクスハは酒瓶とグラスを用意すると、足湯のある裏山の畑へと向かった。

 実は俺も夜に足湯へ行くのは初めてだ。


 だから、畑についた瞬間思わず足を止めた。というか勝手に止まった。


 月明かりに照らされた砂の道の先、山を開いた段々畑は小さな光が飛び交って、田んぼの水が淡く輝いている。

 飛んでいる光をよく見れば、蛍ではない。青いガラスの欠片が雪のように舞っているんだ。


 青い光の霧の世界。とでも言おうか、何とも幻想的な世界だ。


「すっげぇ……何だコレ」

「……お婆さまから聞いた事があります。世界樹が新たな世界と繋がる時、星の地殻結晶が温泉と一緒に噴き出すって」


「星の光か。ロマンがあっていいなぁ。行こうぜクスハ。山の上から見下ろしたくなってきた!」

「はい。お供いたします」


 わくわくが止まらない。

 俺達は光の中を駆け上がり、山の頂上へとのぼった。


「最高の景色だな……」

「はい。走って息が切れるはずなのに、息止まっちゃいました」


 まるで、海でも目の前に広がっているかのように、青い光が見渡す限りを覆っている。

 遠くの街の光が青い霧の中で乱反射し、キラキラと色とりどりの光になって宝石のように見える。


 天に目を向ければ、巨大な満月が顔をのぞかせ、世界を淡く照らしている。


「クスハ。乾杯しようか」

「はい、乾杯です」


 お湯の流れる音と風の音が聞こえるほど静かで、うっすらと明るく感じる世界の中で、俺とクスハのグラスがぶつかり、軽い音がした。


「今まで生きてきた中で、最高の一杯かも」

「私もです」


「あ、お土産におつまみ持ってきたんだよ。チーズセット」

「へぇー。これが乳を固めて作るという、ちーずですか。街で売っているのを見たことがありますが、初めて食べます」


 せっかくだからちょっと良いやつを買ってきたんだ。

 外側が白いチーズにや赤いチーズ、クリーム状のチーズと色々なチーズの詰め合わせだ。


「匂いは何というか独特なんですね」

「あっ、そうか。鼻が良いから、もしかして苦手だったか?」


「いえ、大丈夫ですよ。発酵食品作りは私のお仕事ですから。醤油も味噌も私の作品です。これも癖のある漬け物みたいなものだと思えば」

「さらっと言うけどすごいな。ほら、食べてみて」


 切り分けたチーズをクラッカーにのせてクスハに渡すと、彼女はジッと見てから思い切って一口に噛みついた。


「あ……おいしい。ちょっと癖になる味ですね」


 最初は恐る恐るだったのに、二枚目をおねだりしたいのか驚いたような目で俺の目をジッと見つめてきた。


「気に入って貰えて良かった。ほら、おかわり」

「ありがとうございます」


 俺達がクラッカーかじるカリッとした音が一緒に鳴る。

 しょっぱめのチーズに、甘めのクラッカーを、キリッとした味わいの酒がさらって喉の奥へと過ぎていく。

 足湯とお酒のおかげで身体がポカポカとしてきた。


 クスハの方も少し酔い始めたのか、頬が紅潮している。

 美味しいつまみに、幻想的な光景、そして、かわいい浴衣美女と同じ足湯に入りながら、酒を楽しむ。これ以上の贅沢はないだろう。


 彼女が酒を飲んだ後に吐くため息すら、色っぽく感じる。


「クスハは大人だな」

「どうしたんですか突然?」


「まだ十八歳なのに、立派に女将をやってるよ。明日はきっと大丈夫。一番最初の客だった俺が保証する。だから、そんな緊張しないで良いと思うぜ」

「え……?」


 グラスを両手で抱えたクスハが真顔で俺の目を見つめてきた。

 しまった。もしかして、違ったかな?


「えへへ、すごいですね山城さん。よく私が緊張してるって分かりましたね」


 一瞬固まっていたクスハが照れたように笑う。

 女将として見せる大人の微笑みではなく、年相応の子供っぽさがまだ少し残る笑顔だ。思わずスマホで写真を撮りたくなるほど可愛かった。


「ユイやヒビキも分からなかったのに、よろしければ種明かしして頂いても?」

「大切な仕事の前夜なのに、遅くまで全体の確認してたからな。それに、そんな大事な日なのに、休むんじゃなくて自分からお酒に付き合うと言ってくれたり、行ったことの無い足湯に行ってみたいって言ったり、緊張を紛らわせたいのかなってさ」


「お見通し……でしたか。ふふ、私もまだまだですね」

「俺も似たようなことするからな」


「ふふ、似た者同士ですか。口説くのが上手ですね。なら、今、私の気持ち分かります?」


 浴衣の袖で口元を隠したクスハが上目遣いでこちらをじぃーっと見つめてくる。

 わずかに赤い頬、浴衣の隙間から見える鎖骨と肩の肌。

 酔って呼吸が大きくなっているのか、離れていても呼吸と一緒に動いているのがよく見えた。


「クスハは明日なんて来なければ良いのに。って思ってる」

「せっかく準備したのにですか?」


「せっかく準備したからですよ」


 オウム返しのように聞こえて、オウム返しじゃない。


 ある意味、俺達の一番弱い部分だ。似た者同士なら、きっとそれが一番怖い。

 自分の努力が全て水泡に帰するのが、怖くて仕方無い。

 努力をしなければ失敗した時の言い訳が出来る。でも、仕事で言い訳をしても良いことなんて一つもないし、小言が増えるだけだ。


 だから、努力はするけど、その努力がムダになった時、とっても虚しくなるんだ。


「驚きました……。その通りです。私に心を読む魔法使ったとしか思えないんですけど? 魔法の天才って言われてるヒビキですら、そこまでは出来ないんですよ?」

「クスハが言ったんだけどな。似た者同士って」


「あら、これは一本取られましたね。お恥ずかしいです。あっ、ありがとうございます」


 俺は答え合わせを終えて、クスハと自分の空いたグラスに酒を注いだ。

 俺には正解したご褒美に、クスハには緊張を紛らわすお薬に。


「乾杯」

「乾杯です」


 カツンと音を鳴らして、一緒にグラスの中にある酒を飲み込む。

 そして、もう一つ。苦労してるクスハにご褒美だ。

 空になったグラスをクスハと反対側において、俺は自分の膝をぽんぽんと叩いて音を出した。


「山城さん?」

「酔ってふらついてるから、ちょっと横になって休んだ方が良い」


「でも」

「いいからいいから、魔法で身体を楽にしてあげるからさ。癒しの魔法は得意なんだ」


 言葉尻だけを捉えると、俺今、完全に怪しい人だな……。


「そうですか? ……ならお願いしちゃいますね。お邪魔します」


 クスハがゆっくりと頭を俺の膝の上に降ろし、確かな重さを足に感じた。

 そんな彼女の頭の上に手を置いて、軽くさするように撫でる。


「俺もクスハも酔ってる」

「山城さん?」


「だから言うけど、安心しろ。誰にも言わないさ。酔っ払って忘れる」

「あ……」


「大人って辛いよなぁ。責任を負わないといけないし、弱音は吐けないし、平気な振りし続けないといけないし。だから、酒を飲んで全部忘れるって言うけれど、そう簡単じゃないしな。朝起きれば責任だけは思い出しちゃうんだから」


 彼女からの返事はなかった。

 そんなクスハの頭を撫でながら、俺は話を続けた。


「だから、代わりに、酒を飲んで酔ったなら、貯め込んだ弱音を吐いちまえ。つきあってやるから」

「山城さんは意地悪です」


「えー? そうか? 俺良いこと言ったと思うんだけどなぁ?」

「だって、そんなこと言われたら甘えたくなっちゃうじゃないですか」


「大人だって、甘えたい時は甘えたいさ。俺だってクスハ達に甘えてるんだし」

「もう、本当に意地悪ですね」


 クスハは小さく笑うと俺の手を握りしめて、目を瞑った。

 握りしめられた手が少しだけ震えている。


「怖いです……。私のミスでユイやヒビキに迷惑かけるのが怖いです。お客様に怒られるのが怖いです。お婆さまから任せて貰った華狼館を失敗させるのが怖いんです。私の頑張りが足らなくて失敗するのが怖くて仕方無いんです……」

「よく我慢してたな。すごいよクスハは」


「だって、私が不安にしたら、ユイとヒビキはもっと不安になっちゃいます。二人だってお父さん達がいなくて寂しい思いをしているのに、一生懸命前向きにがんばってるんですよ。お姉ちゃんで先に大人になった私が、不安を見せる訳にはいかないんです……」

「うん。知ってる。ユイが明るくて前向きなのも、ヒビキちゃんが自由にやっていけるのも、クスハが頑張ったおかげだよ」


 ちょっと不思議な二人だけど、真っ直ぐ育ったと思う。少なくとも、一緒にいて俺は心底楽しんでいる。

 それはきっとクスハが二人を支えているからだ。


「俺達が遊んでいる間に旅館の掃除をしてくれて、街にビラ配りに行って、一人で備品確認して。クスハは頑張ってるよ。俺達が楽しく過ごせているのが証拠だ。それに――」


 いつのまにかクスハが目を開けていたので、嘘はついていない証として言葉を口にする前に微笑んでみた。


「大丈夫。クスハが少しくらい失敗しても、ユイもヒビキもクスハにガッカリしないから」

「山城さんもですか? こんな情けない姿をお見せしたのに、ガッカリしてないですか?」


「もちろん」

「なら……お願いがあります」


 顔を赤らめたクスハがもじもじしながら、ためらい気味に口を開く。


「もう少しだけ甘えさせてもらっても……いいですか?」

「うん」


「あ、あのっ!」

「うん?」


「……今だけは、お兄様と呼んでもよろしいでしょうか?」

「可愛い妹の頼みだ。断る理由はないよ」


「……ありがとうございますお兄様」


 旅館の女将ではなく、一人の少女としての顔を見せて照れくさそうに笑うクスハの顔は、妹たちにも客にも見せない、俺だけに見せる表情だった。



 こんな話があってから、ユイとヒビキが寝静まった後、クスハは俺のことをお兄様と呼ぶようになった。


 後になって思えば随分と大胆なことをしたものだと思う。


 というか、そのせいでクスハが随分と大胆になった。

 思い出話を終えても、膝枕をし続けるクスハが俺の頭を撫でてくる。


「お兄様。また疲れたら私におっしゃって下さいね」

「うん、そうするよ。クスハも何かあれば言えよ? 向こうの世界でこっちにはないお酒とかつまみを買ってくるからさ」


「はい。お兄様」


 クスハの膝の上で目を瞑って、俺は甘い華の匂いと柔らかな暖かさに包まれて眠りに落ちた。

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