クスハのお誘い
いつものように浴室から華狼館にやってくると、俺の存在に気付いたのかヒビキがいつものように窓からやってきた。
「もう慣れたけど……毎回屋上から落ちてくるんだな……」
「今夜は月が綺麗」
「ヒビキちゃんは大人になったら、月見酒とか似合いそうだな」
最初は驚いたけど、風呂に入りに来る度に空から降ってくるとさすがに慣れた。
「その時はお兄さんと一緒にしてみたい」
会う度に腰元に抱きついてくるのも慣れた。
家に帰って、誰かが待っていてくれているというのは、意外と嬉しいもんだ。
家に帰ってきて出迎えてくれるのは犬だけ。と上司が酒の席で嘆いているが、ざまあみろ。俺はこんな可愛い犬娘が待ってくれるぜ。
「あはは。ありがとう。これ、今日のお土産」
ヒビキの頭をなでつつ持ってきた袋から、おやつの煮干しを取り出した。しょっぱくてゴマがついてるやつだ。
「……嬉しい。ヒビキこれ好き」
表情の変化は乏しかったが、ヒビキの声は興奮気味で、尻尾が横にぱたぱたと振られている。
相変わらず、顔よりも尻尾の方が表情豊かな子だ。でも、分かってればなんてことはない。素直で年相応に喜ぶ良い子だ。
だた、趣味は犬というよりも猫っぽかったけど。
「ヒビキちゃんは魚の方が好きなんだっけか」
「うん。だって、魚の方が良くとれるし、安いから」
「ん?」
「ユイとクスハお姉ちゃんの負担が小さい」
年相応と評価したのは早かったかな。この子もお姉ちゃん達に負担をかけまいと精一杯背伸びしてるんだ。
両親代わりの二人のために、ワガママは押さえ込んできたのかな。
「えっと、こっちもあるよ? ビーフジャーキー」
「ううん。こっちの煮干しの方が好き。大丈夫だよお兄さん」
「そっか。でも、食べたい物があったら何でも言ってくれよ? 俺もこの宿のお世話になってる訳だし」
「うん」
ただ、無理強いも出来ないし、尻尾を見る限りヒビキが嘘をついている様子もない。
なら、今はただ頭をもふって、次のおねだりを待っておくか。
「ふぁ……お兄さんの手……気持ち……いい。優しい……魔力を感じる」
「なら、よかった。ところで、他の二人は? クスハにもユイにもお土産があるんだけど」
「あ、二人は今明日の開館準備で忙しい。だから、ヒビキは邪魔にならないようお月見してた」
「へぇ。そっか。明日から普通にお客さんがくるのか」
「うん。明日世界樹の迷宮が更新されるから、新しい財宝目当ての冒険者さん達が街にたくさんやってくる。クスハお姉ちゃんはお部屋の準備して、ユイはご飯の仕込み」
いつのまにか喜んでいたヒビキの尻尾がしょぼんと垂れている。
平気な顔して、なんでもないように話しはしているが、少し寂しいのかもしれない。
大人しくて大人びてるように見えるけど、この子はまだ十歳だ。
「なぁ、ヒビキちゃん。お土産を差し入れで渡したいから、クスハ達のところに案内してもらってもいいかい?」
「ん。構わない。一緒に屋根伝いに探す?」
「……普通に廊下でお願いします」
「分かった」
垂れた尻尾が丸を描いて、ある程度元気を取り戻したみたいだ。
多分屋根伝いでって同じように丸を描いただろうなぁ。冗談言わない子だし。
「それじゃ、ついてきて」
ヒビキの背中についていくと、びっくりするぐらいあっさり二人に出会えた。
ちなみにユイの方は――。
「ありがとっ! これで二十四時間戦えるよ! 疲れ知らずだよ! 温泉戦士だよ! この黄金の輝きがあたいに力をくれるよ!」
と危ないことを言っていたので、終わったらすぐ寝ろと叱った。
ちなみにあげたのはエナジードリンクじゃないぞ。プリンだ。
プリンをまるで薬のように言う奴はユイくらいじゃないだろうか。
クスハの方はクスハで忙しいようで、倉庫で備品のチェックをしていている所に遭遇した。
「山城さん。すみません。せっかくいらしてくれたのにお相手出来なくて」
「ヒビキちゃんがいてくれたから構わないよ。それよりお土産があるんだ」
「ありがとうございます。あ、ただ、後でお部屋に行って受け取ってもいいですか? まだ確認したい物があるので」
「うん、大丈夫。それじゃ、今のうちに風呂にでも入ってるよ」
そうしてその場から立ち去ろうとしたら、クスハが思い出したように声をかけてきた。
「あっ、すみません。その前にヒビキを寝かせて貰っても良いですか?」
言われてみれば隣のヒビキがあくびをかいて、今にも眠りそうなほど目をとろんとさせている。
これは歩いている内に倒れそうだな。仕方無い。抱きかかえて部屋まで運ぶか。
「あぁ、うん。分かった。よっと」
「ヒビキ……は……大丈夫……眠く……ない。お兄さんと……一緒にいる」
「でも、俺に触れてると眠くなるんだろ?」
「お兄さん……意地悪……」
「大人は意地悪だけど、子供は寝る時間だよ」
「……一緒が……いい」
「分かった分かった。一緒にいるから。そんな寂しそうにするなって」
尻尾と耳が垂れすぎだ。
そうしてヒビキを部屋まで運んで布団に寝かせると、彼女は寝言をつぶやき、俺の手を握ってきた。
「お父さん……」
俺がお父さんに似ているのか、それとも寂しいのか。
どっちか分からないけど、何となく後者な気がした。
だから、俺は手の平をそっとヒビキの頭の上に乗せて、笑う彼女を想像しながら、そっと呟いた。
「良い夢を見られる魔法。かかってくれよ」
やったこともないし、ヒビキにとってどんな夢が良い夢かは分からないけど、それぐらい願っても罰は当たらないはずだ。
本当にかかったかどうかは分からないけど、普段笑わないヒビキが微笑んでいる寝顔を見れば、どっちでも良い気持ちにさせられる。
「風呂行ってくるかな」
ヒビキが寝付いたので、軽く風呂を浴びてから部屋に戻った。
温泉で身体の病気を治す民間療法を湯治と言うけれど、こっちの温泉はすぐに効果が出るから本当にいいなあ。今日の疲れが嘘のように抜けていくよ。
そして、風呂上がりにはクスハの作った酒が待っている。
ストレスも嫌なことも忘れて、床に入れる最高のセットだ。
「あれ?」
寝る前に一杯やろうと思ったら、俺の部屋でユイが寝転がっていた。
布団を敷いて力尽きたのか、気持ちよさそうにヒビキの隣で寝息を立てている。
ユイとヒビキの尻尾が重なって、仲睦まじい感じだ。
「やれやれ……。起こすのは可愛そうだし、違う場所でやるかな。でも、それならクスハを探さないと」
諦めて別の部屋で一杯やろう。食堂あたりか、畑の足湯で月見酒か。
そんなことを思案していると、後ろに新しい人の気配が現れた。
「あらあら、ユイの姿がないと思ったらこんなところに」
「クスハか。良いからこのまま寝かせてやろう。気持ちよさそうだし、起こすのは可愛そうだ」
「では御言葉に甘えさせて頂きます。お礼にお酒ご一緒しましょうか?」
「お、それはありがたい。どこで飲む?」
「今宵は満月が美しいですし、そうですね。噂の足湯でいかがでしょうか?」
月見酒にとびっきりの美少女がついてくる。
お礼にしては大きすぎて、おつりを払っても良い気分になる。
即断した俺とクスハは酒瓶とグラスを用意すると、足湯のある裏山の畑へと向かった。




