大人の時間
さて、そんな訳で温泉と畑を手に入れて、俺の異世界温泉ライフは充実している。
昼間は酒を飲みながら風呂に入ったり、ユイとヒビキと畑や厨房で遊ぶ。
そして、ご飯を食べ終わり、子供達が寝静まった夜に、そんな日常の話を話す相手は――。
「ふふ、ユイとヒビキの相手は大変でしょう? ユイはやんちゃだし、ヒビキはあれでも好奇心旺盛な子ですから振り回されていませんか?」
「楽しませて貰ってるよ。なんか童心に戻ったみたいで楽しんでる。子供がいたらこんな感じなのかもな」
クスハと隣同士になるように座ったので、軽く乾杯してから互いにおちょこに口をつけた。
話しをして乾いた喉に、酒がスッと通り過ぎていく。
月が最も高くなる大人の時間に、薄明かりの下で旅館の女将を独占する贅沢は普通なら出来ないだろう。
大人同士による大人の休日ってやつだ。
お客が入り始めても、この二人きりの時間は続いていた。
「あら? 山城さんはお一人でしたか?」
「残念ながら。クスハ達がいるから寂しくないけどさ」
「あら? 口説いてます? 本気にしちゃいますよ?」
上目遣いで見つめてくるクスハの頭に手を乗せて、艶のある髪と柔らかい耳をくしゃくしゃとなでる。
「ったく、子供があんまり調子にのんなよ? クスハみたいな娘がいたら嬉しいけどな」
「もうっ、そうやって子供扱いする」
「そりゃ、俺の方が大人だからな? 娘は冗談だけど妹だとは思ってるよ」
俺の言葉に頬を膨らませたクスハが怒っておちょこの中に入っていた酒を一気に飲み干して、突如こちらを向いて姿勢を正した。
「ん?」
「でも、大人でも辛いことはありますよ? 教えてくれたのは山城お兄様です」
とんとんとクスハが自分の膝の上を手の平で叩く。
それがどういう意味かは分かる。膝枕をしてくれるという意思表示だ。
だが、あまりにも突然過ぎないか?
「えーっと……クスハさん?」
「どうぞ。お兄様」
「クスハ完全に酔っ払ってるだろ?」
「えぇ、でも、山城お兄様も酔ってます。ここ最近少し疲れた顔してます。なら、良いんです。どうぞ!」
「そんな疲れてるように見えたのか……。でも、せっかくだから、お邪魔します」
俺も酒を一気に飲み干して、言い訳を作ってから頭をクスハの膝の上に乗せた。
酔っているおかげでやれるけど、普通にやっぱり気恥ずかしさは残ってる。
でも、頭を起こす気にはなれなかった。
今日はそのまま優しさに溺れていたかったんだ。
「ふふ、それでも大人ですか?」
「大人だから甘えたいんだよ。普通にしてたら、本当に甘えられる人なんていないんだから」
「えぇ、知ってますよー。私もそうやって山城お兄様に甘えたことがありますから」
「……お互い様だな」
「はい。お互い様です。似た者同士です。だから、どうかお気になさらず」
滑らかな浴衣の生地の下に、暖かくて柔らかいクスハの太ももを感じる。
酔いとクスハの体温で頭が熱い。
そっと目を閉じて、ただ、心の中から溢れる言葉を口に持っていく。
「まーた、あの石頭な上司に怒られた」
「今度は何があったんですか?」
「……お前の企画はつまらないってさ。……ありきたりだって」
「お兄様は面白いと思ったんですよね」
「面白いと思って作ったよ。お爺さんとお婆さんがゆっくり出来そうな、無理のない旅行プラン。歩き回らないで済むように、ゆっくり楽しめるように、静かに楽しめるスポット集めたんだ。でも、ダメだった。お客さんのことを一生懸命考えたんだけど……」
「大丈夫ですよ」
目を閉じた俺の頭にクスハの手が触れる。
「お兄様は大丈夫です。だって、私達のことを考えて色々してくれています。美味しいご飯も作ったり、買ってきてくれたりします。そんなお兄様なら、みんなの喜ぶ物が作れます」
「……俺にできるかな」
「はい。お兄様は優しい人です。その優しさはきっと誰かを幸せにできます。お客様は分かってくれますよ。女将の私が言うんですから間違い無いです。その優しさに上司さんも早く気付くと良いですね」
「……ありがとう。また頑張ってみるよ」
膝枕されて、愚痴を聞いて貰って、励まして貰って、どっちが大人と聞かれるかも知れないが、大人だからこんなところでしか、こんなことは出来ないんだ。
こんな姿を同僚や友人には絶対見せたくない。
「ふふ、あの時の恩返しです」
「そう言えば俺が最初に膝枕したんだっけ?」
「えぇ、ふふ、あの時の山城お兄様は何でもお見通しって様子で、今の噂通り大魔導士みたいでしたよ?」
「あの時から二人きりの時はお兄様だけど、そろそろユイ達の前でもいいんじゃないのか?」
「恥ずかしいのでいやです。意地悪なお兄様にはこのままの姿勢で、あの日の思い出話ししちゃいます」
クスハと俺だけの二人きりで過ごす夜の話し。もちろん普通のお客には見せたことがないし、ユイやヒビキにすら見せない大人の持つもう一つの顔。クスハの夜だけの顔を、誰にも見られたくない顔の話をしよう。
華狼館が開店してお客が入る一日前、お姉ちゃんでもなく、女将でもなく、一人の少女が見せた表情の話を。