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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

実りのないこと

作者: むらたけ

女の子って、なにでできてる?

女の子って、なにでできてる?

お砂糖、スパイスに、いろんなイイもの。

女の子って、そういうものよ。

――マザー・グース

 披露宴は、都心のホテルの地下一階にある仄暗いホールで行われた。ケーキカットを終えた新郎新婦は、いま、星座の名前をそれぞれカードで示した十二卓あるテーブルを、にこやかに挨拶して周っている。わたし達がいる親族席を訪れるのは最後になるだろう。

 アサギお姉ちゃんは、フレアの広がった白銀のドレスに、キャンドルを模した電灯の丸っこい光を舐めさせながら、テーブルをゆっくりと巡る。宇宙探索を愉しむロケットが、母星に帰るのを惜しんでいるみたいだ。星屑を呑みこんで、ウエストのフリルがふくらむ。

「キモくね」

 隣りに座った在実ありみちゃんが、げっぷを含んだ声で突然そう囁きかけて来たので、わたしは面食らい、結果として笑ってしまった。

「ひどいな」

「いや、アサギ姉ちゃんがああいうフリフリ着てると、カマっぽくて」

「仕方ないでしょ、旦那さんとのバランスを考えると」

 花婿は花嫁より三歳年下だと聞いていた。グレーのタキシードの着こなしに、わたしはつい、先週執り行ったばかりの、弟の七五三を思い起こしてしまう。恩師と思しき初老の男性に、汗だくになりながらお辞儀をするいがぐり頭を見ていたら、とうとう笑いがこみあげてきた。

 空にした料理の皿にうつむいて肩を震わせるわたしを、左隣に座った弟のげんが、クリームソースをつけた顔できょとんと見上げた。この七歳児は、魚料理の身をほぐすより、付け合わせのソースをひっかきまわすことに熱中しているらしい。

 ナプキンはいつのまにか制服の膝から、絨毯張りの床に落ちてしまっていた。母に持たされたよそゆきのハンカチを制服のポケットから出して口許を拭いてやっていると、「ねえ」と、また、在実ちゃんが押し殺した声を出す。わたしはまた笑いだしそうになりながら、「なに」と尋ねた。

「つまんなくない」

 ふりむくと、在実ちゃんはテーブルクロスの厚いひだに隠すように、映画のチケットをひらひら揺すっているのだ。弟のために屈んでいたわたしには、光の加減で、在実ちゃんの分厚い眼鏡のレンズに指紋がべたべたついているのがよくわかった。料理の脂でてかる唇、見上げているから余計にたっぷりして見える顎の肉づき。ブスだな、と改めて思う。そのブスがわたしを映画に誘っている。

 わたしはいつの間にか「いいよ」と言って、ぱっとチケットを受け取っていた。身を起こすと、ホールの隅でスタッフと話している、黒い留袖姿の中年女性の姿が目に入る。母は赤ワインのおかわりを要求しているようだ。アルコールで上気した頬から、おしろいが溶けているのが遠目にもよくわかった。式場では有料で親族の着付けとメイクのサービスを受け付けている。メイク代をケチッて自前で施した母の化粧は、今日、いちだんと濃い。

 目を逸らした途端、使わなかった丸いスプーンの光沢に湾曲した自分の相貌が映った。朝、入念に塗りつけたリップグロスはすでに剥がれおちている。わたしもまた、ブスの血統を受け継いでいるのだ。どういうわけか、アサギ姉ちゃんだけが、綺麗。綺麗だった。似合わないドレスさえ、着ていなければ。

 わたしは鯛の切り身をひっくりかえして遊んでいる元の肩を突いた。

「うちらちょっと外の空気吸ってくるから、お母さんが戻って来たらそう伝えてよ」

「えー? なんでー?」

「いいからちゃんと座ってろ」

「えー?」

 口先では不満気にしながら、皿から目を上げもしないのだ。この分なら、しばらくは大人しくしているだろう。在実ちゃんの薄ら笑いに、わたしはうなずき返した。「行こ」



 わたしには従姉妹が二人いる。母の兄弟が産んだ娘たちだ。アサギ姉ちゃんとは十三歳も離れているけれど、敏腕編集者であった母が働き盛りの三十一歳で出産に踏み切ったおかげで、在実ちゃんとは同い年。

 ことさら有難いと思ったことはない。年齢と性別が同じだって、仲よくなれるとは限らないでしょうが。

 むしろ赤ん坊のころから事あるごとに顔を突き合わせていれば、目につく比較対象に吐き気がしてくるものだ。

 わたしは在実ちゃんより毛深いし、在実ちゃんはわたしより色が黒い。在実ちゃんはわたしより胸が小さいけれど、わたしは在実ちゃんより脚が太い。在実ちゃんの肩には小学二年生のとき、後ろの席の男子生徒にカッターで切り付けられた傷痕があり、わたしの背中には蒙古斑が殴りつけられたかのようにくっきりと残っている。

 等身大の歪んだ鏡として、わたしは在実ちゃんと自分を重ね合わせ、そのたびにうんざりした。不細工である。手足はまだ伸びきらず、骨はぐんにゃりとして、表皮にやたらと臭い汗を掻く。アサギ姉ちゃんとは全然違った。わたしの落胆が在実ちゃんに伝わるのにそう時間はかからなかった。眼鏡をかけるようになると、鼻先のガラスの向こうに在実ちゃんは遠のいた。わたしを向く猫背な立ち姿は、ひたすらにださかった。

 やっと打ち解けたのは去年の夏に、おじいちゃんの癌がどうしようもなくなって、親戚一同が病院に集まった時だった。

 初孫であるアサギ姉ちゃんを筆頭に、わたし達はもう目もかすんで見えないおじいちゃんに挨拶をした。おじいちゃんは、わたしと在実ちゃんをあっさりと間違えた。わたしの髪を撫でながら「在実はちゃんと友だちつくりなさい」、在実ちゃんの指をさすり「りかはもっと本を読みなさい」と言うのだ。在実ちゃんは人差し指だけかろうじておじいちゃんに触れさせているものの、ひどく迷惑そうな顔をしていた。

 わたしは薄目でそれを見ながら、たるんだ血管でボコボコしているおじいちゃんの腕から漂う薬のにおいを嗅いでいた。

 こんな人がもうすぐ死ぬんだと思うと腹の底がすっと抜けるような、奇妙な感じがしていた。きっとみんなこんな風なのだ。気がつくとある日突然十三歳だったように、ある日十八歳になり、二十七歳になり、四十を過ぎ、やがてこうして醜いままゆっくりと死んでいくのだろう。

 鼻腔から吸いあげたにおいが死そのものであるような気がして、わたしは息を止めた。できれば汚い手で触らないでほしかった。

 元を抱いた母に押されるように交代して、わたしと在実ちゃんは病室から廊下へ出た。待合室は親戚のおじさんおばさんで占領されて、わたし達の行き場はどこにもないのだ。アサギ姉ちゃんだけは、おじいちゃんの枕もとにずっと座っていることを許されていたのだが、美人は損だなあと、かえって同情してしまった。

 土曜日で、午前授業を終えてすぐ父に車で連れて来られたわたしは制服を着ていたけれど、在実ちゃんは胸に世界地図を描いたTシャツに、ふくらはぎで折ったカーゴパンツを合わせていた。

 顔を合わせるのは、ずいぶん久しぶりだった。

 階段で、踊り場からそよいで来た風をよく覚えている。プリッツスカートがそよいで、在実ちゃんの腿に触れた。夏服は、剃りきらない腕毛が露わになるから嫌いだ。腕組みをするわたしの横で、在実ちゃんはふかし芋のように粉っぽい顔をずっとしかめていた。

 在実ちゃんがなにも言わないので、わたしは「在実ちゃんてさ」と罪のない話題を振ろうとした。在実ちゃんは、わたしに嫌われていることをよく覚えているようだった。途端に体をかたくして身構えるので、舌をUターンさせて「変な名前」と、突き飛ばすように罵る。哂う。

「ふふ」

 どういうわけか、在実ちゃんのしかめっ面は緩んだ。眼鏡のフレームが鼻先まで落ち込む。在実ちゃんの声は顔と同じくらい渇いていた。

「在実って、梨のことだよ」

「ナシ」

「梨っていうとなんにも無いみたいで縁起わるいから、昔から梨のこと、有りの実っていうの、知らない」

 在実ちゃんの口ぶりは平坦で、独りごとのようだった。真似して「知らない」とのっぺりした声で答えると「漢字ちがうけど」と鼻をすするのだ。へー、泣くような子だったんだな、とわたしは意外に思った。

「うちのお母さんさ、産気づいた時、動けなくてずっと梨を見ていたらしいよ。病院で、隣りのベッドの妊婦さんが食べられなかったお見舞いが、ずっと冷蔵庫の上に置いてあったんだって。産んでるあいだ、ずっと梨のこと考えてたって」

「おばさん、梨食べたかったんだ」

「知らないけど、ひどくない」

「なにが」

「産む前に見ていたものの名前を子どもにつけるなんて、イエスキリストに馬とか飼葉桶って名前つけるようなものだ」

「カイバオケ」

「イエスキリストって馬小屋で生まれたんだよ」

「馬なの? イエスキリストって」

 つい語尾を上げてしまった私に、在実ちゃんは涙に汚れた顔を向けて、ふっと相好を崩した。「違うよ」と言う。空気が乾燥しているせいだろうか、かすれているわりに、ずいぶん濃ゆい「違うよ」で、わたしはなにもかも否定された気がして、視界を非常階段の外へ逃がした。

 そこに、腕を半分入れられるくらいの長細い窓があいていた。

 八月の土曜日にふさわしい、よく晴れた午後だった。わたしは窓から見下ろせる駐車場の、敷きつめられたアスファルトの屑という屑に青々とした光の粒が挟まっているのをいくつも発見した。

 見ようによってはペリドットとかアメジストとか、そういう澄んだ宝石のように見えなくもないのだが、どれだけ美しくともやはり青空のかけらであることは疑いようもなく、そんな幻覚を目へ入れて家へ持ち帰ったところで、実生活に害しかもたらさないことは明らかだった。

 開いた窓から息を吸っただけで喉が青さでいがらっぽい。わたしは咳き込んでしゃがみこみ、隣に在実ちゃんが座ったことを感じて黙った。

 ばかにすんな、イエスキリストが馬じゃないってわたしだって知っているような気がしていた。ただ、それで在実ちゃんが泣きやんだらしいので、なんだか弁明するのも面倒くさくなってしまっただけだ。

 アサギ姉ちゃんが探しに来てくれたあと、わたしたちは携帯電話の番号とアドレスを交換した。アサギ姉ちゃんの結婚式の日取りが決まっても、お互い、連絡は一つもしなかったが、まだ携帯電話のアドレス帳に残っている。友だちがいないわりに、顔写真と誕生日まで登録されているのが妙におかしかった。



 映画を観終わって、携帯電話の電源を入れると、母から着信が十五件来ていた。わたしは息苦しさに制服のネクタイを緩めた。

「披露宴終わったかな」

 在実ちゃんはポップコーンの塩気が残った指を舐めながら「さあ」と言った。披露宴のあとは新郎の友人が幹事を務める二次会が催されると母から聞いてはいたが、わたし達に関係があるとは思えなかった。

 だらだらと客のはけていく座席の八列目中央に、わたしと在実ちゃんはまだ座っていた。スクリーンの下にちょいちょい前列の頭の影が入ってはいたが、小さな映画館だったので、それだけ下がってやっと全体像が把握できるくらいだった。誰に共感することもなく、淡々と地球が滅亡していくのを眺めるだけの一時間四十分で、頭がまだ少し眠っている感じがする。

 ヒロインが日系アメリカ人で、アサギ姉ちゃんにいくらか似ていたような気がしたのだが、在実ちゃんがセーラー服のスカートに置いているパンフレットを見ると全くの別人だった。わたしは足元に落ちたブレザーをローファーの爪先で掬いあげた。

「意外だったよ」

「ヒロインが死ぬわけないじゃん」

「在実ちゃんのことだから、もっと変な映画見るんだと思ってた」

「変な映画か」

「いや、知らんけど」

「見るけどさあ、変な映画」

 在実ちゃんは行儀悪く四の字に組んだ脚からポップコーンの屑を払った。「変な映画だと、りかちゃんが寝ちゃうかと思って」



 道路に出ると陽はとっぷりと暮れていた。薄らはげた銀杏並木から巻き起こる風が両腕を広げた新聞紙をわたしの頭上二メートルの高さに、舞いあげ、抱き潰して駅ビルを囲む金網に叩きつける。

 わたしは在実ちゃんに誘われるまま結婚式を脱け出したことを、今になって後悔しはじめていた。帰れば母に叱られるのだろうし、在実ちゃんにわたした映画料金、千五百円の出費も痛い。映画の結末は、二か月前に原作を読んでいたので知っていた。おじいちゃんの遺言を、わたしは中学校の図書室に通うことで少しずつ果たしている。

 友達をつくれとかボケ老人にナメた口をきかれた在実ちゃんも、もしかして同じようにしているのかもしれないと思い至ると、哂った息も白く曇った。梨の旬ももう終わる。街灯を点け始めた路地の緩い下り坂の彼方でかすかに光っているのは、きっと金星だろう。あんな点みたいな光を、人は昔っからヴィーナスとかいう。最悪。

「あー、帰りたくねーなあ」

 そう出し抜けに嘆いた在実ちゃんは、赤くなった鼻面を暗い路地に向けて「新婚初夜か」と呟いた。アサギ姉ちゃんとその旦那さんのことを言っているのだとすぐにわかって、わたしは吐き気を催した。なんだか下品な言い回しのような気がしたからだ。

「在実ちゃん、そういう言い方はよそうよ」

「あー、ねえ。キモいな。これはたぶんあたしの病気なんだけど女といる男を見ると、すぐに性行為に結びつけてしまう。ないか」

「ねーよ」

「右利きの男を見ると昨日の夜も右手でしごいたのかと思う」

 絶句するわたしを差し置いて在実ちゃんは「バカみたい」と吐き捨てた。「毎晩毎晩毎晩毎晩そんな調子で消費されるのと運よく着床するのとしないのとがあって、おじいちゃんが子ども三人つくった結果あたしとりかちゃんが同い年の従姉妹なのかと思うと、馬鹿馬鹿しくてたまにすごく死にたくなっちまうよ」

 気がつくと在実ちゃんは、傷痕のある右肩を、凝ったかのように左手で揉みほぐしている。「ごめんね」と言う。

 今さら謝られても困る。

 わたしは中指の先で、在実ちゃんの眼鏡を眉間まで押し上げて「わたしが結婚式しても、在実ちゃんを呼ばないよ」と呟いた。「変な妄想されたらうっとうしいわ。在実ちゃんもそうしていいから」

「りかちゃん、あたしは相手がいねーよー」

 確かに眼鏡の位置を直したところで、在実ちゃんのブスはどうしようもなかった。ああでも、こういう女ほど高校進学したらコンタクトに変えるのかもしれない。ブスも一瞬くらい化けて、似合わないドレスを着て、いつかは。いつかは?

そう思うと、わたしも在実ちゃんの病気が伝染ったのだろうか、ほんの少し、死にたくなってしまった。



 アサギ姉ちゃんが妊娠したことは、こたつの中で知った。わたしは冬休みの読書感想文を片づけるべく、腹這いのぬくい亀となってうとうとしていたところだった。

 帯のついたままのハードカバーの本の下には充電中の携帯電話が入れてあって、わたしは電話を受ける母のよそゆきの声を聞きながら、携帯電話のピンクで平たい感触をむぐむぐと撫でた。

 従姉妹の子どもはなんつうんだったかな。

 そう思いながら、在実ちゃんに電話かメールをすべきなのか、それとも向こうからの連絡を待つべきなのか、眠い頭を抱え込む。冬ならば、実りのなさも赦されるだろう。

「良い女の子は天国へ行けるが、悪い女の子はどこへでも行ける」

――ヘレン・ガーリー・ブラウン

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