幕間 とある公爵子息は思う
俺の妹が倒れたと知らせを受けた時、あの妹が人前で倒れるなんて到底信じられなかった。
妹は王太子妃になることが決まっていると幼い頃に言われてから、文句も一つもこぼさず、淡々と妃修行をしていた。大の男が泣き言を漏らすような膨大な勉強をなんでもないような顔をして。家庭教師も、王族も、俺たち両親でさえも、妹は天才だ、神に愛された子だと褒め称えたが、俺は知っている。
妹は本当は勉強が嫌いだ。家庭教師から出された課題を夜遅くまで泣きながらやっていたこともある。
妹は重たく動きを制限する豪奢なドレスが嫌いだ。乗馬が大好きだが、そんな時でもドレスを着ていた時はこちらが笑ってしまうほど不機嫌そうだった。
苛烈な妃修行を泣きながら、歯を食いしばってそれでも必死に食らいついた。
ただ、
ーーー王太子の側に居られるように
俺が王太子を連れて妹を見に行った時、いつも淑女然として迎えていたが、妹が王太子を見つめる瞳は確かに熱があった。夜会で王太子がエスコートする時なんて、俺がエスコートする時よりもはるかに嬉しそうな顔をしていた。
妹は明らかに王太子が好きだ。よく見ればわかるのに、当の本人は全く気付いてなかった。
それどころか、いつも微笑みを浮かべている妹が何を考えているかわからないと、王太子がぼやいていた時はさすがに呆れたが、いつかわかるようになりますよと取り合わなかったあの時の俺を殴りたい。
王太子が明らかに妹を避け始めた。王太子の気持ちはわかる。余りにも優秀で天才と持て囃されている妹と比べられるのは、確かに辛いことだ。だが、王太子が王太子であることと、妹が次期王太子妃であることは変わりようがない。時間はかかるだろうが、妹の愛に王太子が気付いて、劣等感をなくし愛せるようになると、俺は信じていたし、今も信じてる。
ーーーけれど。
今年最後の学園の夜会で起こった事件の大まかな内容を調べ、妹が眠るベットの側で立ち尽くす俺は、迷っている。
学園内の証言を集めて明るみになった王太子といわくつきの伯爵令嬢との密やかな逢瀬。
王太子が行った突然の婚約解消宣言。
国内ではもう生産が禁止されているはずの毒が塗られた矢。
突然現れたという、宙に浮かぶ黒髪の少年。
そして、外傷もないのに眠り続ける妹。
ーーー致死量の毒を受けて瀕死寸前なはずの王太子が、見る間に回復したことと、妹が眠り続けていることがつながっているとしたら、俺は、
今までのように妹の幸せを祈ってやれない。
「… … …ん」
呻く声にはっと妹を見れば、眉をしかめて身じろぎしている。
「シュルディシュラ!!」
「… お、兄さ、ま?」
美しい碧眼が覗く。妹が、ようやく、目を覚ましてくれた。
恥も外聞もなく、起き上がった妹に抱きつく。妹は戸惑ったように肩を動かした。
「お兄さま?どうなさったの?」
「どうしたもこうしたも、今まで三日間も死んだように眠ってた妹を抱きしめて何が悪い」
「そんなに眠っていたのですか… では、夜会は」
「おおかた収束した。犯人は貴族法改正反対派の子飼いだ。まあまだ不可解なことは残っているがな」
「怪我人は」
「お前を除いて誰もいない。転んで倒れたやつもいるが大したことはない」
そこまで来て、ふと違和感を感じる。王太子の名が出てこない。
「王太子殿下は致命傷の毒を受けたが、奇跡的に回復したそうだ」
「そうですか…それはよかったです」
妹はそういって、いつものように微笑む。違和感が強まる。
王太子の無事を聞いて、そう応えるのは貴族として当たり前だ。だが、普段の妹なら、王太子の無事を自分で確認したいと言い出すはずだ。そう、いつもなら。
俺は、もともと伝えるつもりがなかったことも告げた。
「… … 殿下は夜会でエルスト家の令嬢と婚約すると宣言したそうだな。陛下はこれ以上の醜聞を避けたく、何度も説得したが殿下の決意は固い。最悪婚約が解消されるかもしれない」
「私はどちらでも。お父さまとお兄さまにおまかせしますわ」
この言葉は決定的だ。妹の目は、本気で解消しても構わないと告げている。
にはかには信じられないが、妹は、もしかして、
「お兄さま?」
何も言わない俺をみあげる妹は、いつものように優しく、微笑んだ。
もちろんお兄さまはシスコンです。
王太子よりも3つ上で、王太子のことを弟のようにおもっていました。
王太子と妹が幸せに結婚すると信じて疑わず、王太子が妹を避けているその理由も知っていたのに何もしませんでした。
放任主義といえば聞こえはいいですが、はてさて。
1つ言えることは、お兄さまが何かしら仲を取り持つよう動いていれば、違う結末だったということですね。






