とある公爵令嬢の場合 前編
処女作です。拙い文章ですが、最後まで読んでいただければ幸いです。
生まれて間もない頃、私は王太子と婚約したそうだ。
我が公爵家と王家をより強く結びつけるための駒の一つにされたことに、今も不満はないが、あの方の人生を縛り付けてしまったことに心がいたむことはあった。けど、決して婚約破棄がしたいと思ったことは無かった。なぜか?そんなの、決まってる。あの方が大好きだったから。今も、その気持ちは変わらない。
私は王太子だった同い年のあの方−−−ライレック殿下に釣り合う人間になるよう、英才教育を施された。およそ一般的な貴族令嬢には必要ない、地理、諸外国の文化、情勢、言語。ありとあらゆる教養をこの身に叩き込まれた。そうして、私は未来の大国の王妃に相応しい、あの方の婚約者として国内外に名を知られるようになった。誇張も謙遜もなしに、私以上に王妃に相応しい存在はいないと、今でも思う。
けれども、あの方の妻として相応しかったかどうかは、今でもわからない。
私と王太子の関係は、良好とは言い難かった。王太子がどこか距離を置いて私と接している理由が分からず、私は何とか溝を埋めようと必死になったが結局溝は深まることはあっても無くなることはなく、私たちは国内で一番の学園に入学することになった。
学園に入学してからも私たちの関係は変わらず、どうしても話し合うことがない限りは互いに会うこともしなかった。私たちはそれぞれ学園内の秩序を保つことへの責任があり、忙しなく日々を過ごしていたのが大きな一因だが、それだけではないことは承知していた。
何故、王太子が私を避けるのか。幼い頃からわからないその問題を、この頃の私は忙しない日々を言い訳にして棚上げしていた。いずれは彼と結婚することは決定していたから、その後でも良いと思っていたのだ。時間はたくさんあるから、少しずつ関係を修復していけばいいと。
そんな根拠のないことを信じて安穏と過ごしていたから、罰がくだったのだろうか。
それは、満月の夜だったと思う。珍しく何かしらの会もなく、私は学園の自らの部屋で紅茶を飲んでいた。そして、何気なく窓の外の庭園を見て、凍りついた。
二人の男女が寄り添うようにして立っていた。薄桃色の珍しい髪色の少女と、王家特有の白銀色の髪の青年−−−−王太子。普段、微笑んではいても冷たい光を宿していた青灰色の瞳が優しげに細められている。
−−−いつかは、王太子と分かり合えるなんて、そう根拠もなしに考えていた私は。なんて、なんて、愚かだったのだろう。
何もかも遅かったのに。
震える手でカーテンを閉じて、
私は⚪︎⚪︎した。
「ごちそうさま」
ふと、まだ幼い高い声がして驚いて後ろを振り返った。見ると部屋の中央に少年が立っている。
夜色の黒髪に、同色の大きな瞳。少女と見間違うほどに甘く整った顔立ちの少年は、愉快げに唇を釣り上げる。
−−−扉が開く音はしなかった。
「どなたですの?随分無粋なことをなさるのね」
「僕はバク。美味しい匂いがしてついつい食べてしまったよ。とっても美味しかった。ありがとう」
お茶請けの焼き菓子を食べたのかと思った私は未だ手をつけていなかった受け皿を見た。しかし、一つも欠けていない。
−−−ではこの少年は、何を食べたというのだろう。
戸惑う私を知ってか知らずか、少年はますます笑みを深めた。
「お礼に、次僕を呼んだときに一つだけどんな願いも叶えてあげる」
それなりの代償は払ってもらうけどね
そう言い終わるか終わらないうちに、ふっとかき消えるように少年はいなくなった。
残されたのは、まだ湯気の立つ紅茶と、誰も手をつけていない焼き菓子と、カーテンを掴んで立ち竦む私。
人の夢を喰べるという怪物と同じ名前の少年は、何を喰べたのだろうか。