おかめと天狗とアインスタイン
――ひと休みしましょう。
わたしは絵筆を動かす手を休めると、カンヴァスから顔を上げ、小さく息を吐きました。
椅子から立ち上がり、アトリエのガラス窓を押し上げます。涼しげな潮風が吹き込み、わたしを絵具の匂いから解放して呉れました。窓の外に拡がる海岸線の眺めは、この町の隠れた宝物。この岬にアトリエを建てた方の気持ちがよく分かります。
――薫さん。
わたしは目を瞬き、アトリエの合鍵を渡して呉れた人の名を心の中で呟きました。
この海の遥か向こうにいるあの人の事を想うと、わたしの胸は焦がれます。薫さんが仏蘭西の地へ経って、もう随分と時が流れました。
「僕が居ない間、このアトリエを好きに使うといい。毎日が精進だよ」
薫さんの厚意に応えて、今でもわたしは、時々ここを訪れて絵の練習を続けています。あの人が帰ってきたときに少しでも上達していることが、わたしの恩返しです。
目を閉じると、薫さんとの想い出が瞼の裏に浮かびます。彼の、ヒンヤリとして柔らかい手の感触を懐かしいと思いました。
――惚れて通へば千里が一里、主を待つ間のこの長さ、おやまあ相対的ですね。
恋ごころを忘れて了ったわたしに、それを再び思い出させて呉れたのは、薫さんでした。彼は、憐れな醜女であったわたしに、美しい、と言って呉れた唯一人の方でした。
幼い頃から、わたしは、自分の大柄な体格や不細工な容貌を気に病んでおりました。尋常小学校の六年のとき、同級生の餓鬼大将達から、おかめ、という仇名を附けられた時が一番悲しかったです。わたしの名字が亀田であるということもありますが、わたしの顔がおかめのお面に似ていたからです。嘲りの言葉はわたしの身を貫かんばかりに苛みました。醜いという事は不幸な事であると知り、その頃から性格も捻くれ勝ちに成ったように憶えております。やがて小学校を卒業し、心無い男生徒達からは逃れられましたが、心は晴れませんでした。女学校でのお友達から評判のよい恋愛小説を薦められたことがありますが、そこで恋愛をする女性は皆、華奢で可憐な方ばかり。わたしにとって、恋愛とはあまりに遠い世界の出来事であると思い知らされ、溜息を吐かざるを得なかったのです。
只、そんなわたしが自尊心を保つことが出来たのは、美術のお蔭でした。わたしの父は、美術に関心の深い方で、それが高じて、絵の道具を扱う店を経営しています。わたしは物心がついた頃から、玩具代わりに木炭を手に、よく悪戯書きをしておりました。美しい容貌に恵まれなかった為か、美を求める欲心は人一倍有ったので、図工と裁縫の授業では、常に甲または十点の成績を修めておりました。父もそんなわたしの才能を認め、女学校を卒業したら、女子美術学校へ進学することを許して呉れたのです。
最早、明治の昔ではなく、自由恋愛の時代です。だからきっと、恋愛をしない自由だってある筈。わたしは美術に専念して生きましょう、そう考えておりました。
初めて薫さんと顔を合わせた時の衝撃は今でも鮮明に残っております。蒸し暑い夏が終わり、秋の始まりを感じさせる或る日の事でした。
わたしは、女学校のお休みの日は、スケッチブックと手文庫を抱え、美しい景観を求めて町を散策するのが常でした。そして特に好いものを見つけると、それらは画架とカンヴァスと絵筆に変わるのです。
その日は天狗山で写生をしておりました。絵筆をカンヴァスの上で走らせていたわたしが、不図、近くにひとの気配を感じ、振り返った途端、電気の様なものが体の中を駆け抜け、胸がドッキリと鳴ったのです。
黒い詰襟に金ボタンの学生服を着た背の高い少年でした。年齢はわたしと同じくらい。近所の中学生かしら。勿論、それ丈けではわたしに印象を深く刻むことなどありません。西洋人めいた高い鼻に白い肌。男の癖に耳が隠れるくらいまで髪を伸ばしているのですが、それが迚もよく似合っているのです。それは、女をして嫉妬させるような美しい顔立ち故でした。
わたしと視線が合うと彼は嫣然【にっこり】と微笑みました。
「アア、驚かせてしまったかい? 失礼。つい美しさに見惚れていたんだよ」
「アラ、恐縮ですわ。拙作をお褒め戴いて」
わたしは素直にお礼を云いました。今迄にも通りすがりの方に絵を褒められるような事は、何度か在ったのです。
けれども、続く薫さんの言葉で、カッ、と血が頭へ上って了いました。
「拙作? ああ、イヤ、僕は絵のことではなく、君自身のことを指して美しいと言ったのだよ」
マア、何処の不良学生なんでしょう。きっと道すがら、女学生に出会う度に、こんな言葉で揶っているのに相違ありません。
「お生憎様ですわね。そのようなお戯れは、他の女学生になさいまし。わたしはそんな事を云われても、ちっとも嬉しくありませんわ」
「とんでもない。僕は軟派学生などではないよ。美しいから美しいと云ったまでさ」
「御冗談は程々になさいませ。美しいという言葉を云われて喜ぶのは、少しでも自惚れの心持がある方だけです。わたしのように自分の醜貌を良く弁えている者にはその様な甘言は通用いたしませんわ」
わたくしは表情を固め、彼を睨み付けました。男生徒に容貌を嘲られるのは慣れております。併し薫さんは、全く怯むことも嗤うこともなくわたしの顔を見つめ続けているのです。
「ウーン、妙だな。先程は君の貌に美を見出したのだが、今は全く感じられない。僕の思い過ごしだったかな」
「…………」
その表情に全く揶揄を感じられなかったわたしは、どう感情を表してよいものやら分からず、言葉を失って了いました。
「でも、君の才能は、店長さんの云った通りだったようだね。亀田芳乃君、どうだろう。絵を習ってみる気はないかい?」
「エッ、何故わたしの名前を?」
そしてわたしは、彼から事情を聞くことになったのです。
彼の名前は嘴本薫。その名を聞いたときには驚きました。美術の雑誌で名前丈けはよく識っていたからです。日本を代表する西洋画の巨匠、嘴本鉄斎先生の一人息子であり、わたしと同い年でありながら、幼くしてその美術の才能を開花させ、神童、と評されている方でした。この前の大震災で自宅を焼かれ、一家でこの町へ引っ越してきていたのです。
鉄斎先生は薫さんと共に改めて画材を揃える為、父の店を訪れました。すると、お客様がかの嘴本親子であるという事に気づいた父が、親馬鹿にも、わたしの絵を見て欲しいと頼んだのです。その図々しさには、後で聞いた娘のわたしの方が赤面し相です。併し、わたしは父に感謝しなければなりません。鉄斎先生は、弟子を取る積もりは無い、と宣べられましたが、薫さんが、その話に興味を示されたのです。そしてわたしが天狗山に写生に行っていると父から聞いてわたしの様子を見に来たという訳なのでした。
先に記したように、わたしが初めに薫さんに抱いた印象は、あまり良いものではなかったのですが、神童と呼ばれる方からの教えを受けられることは、願ってもない好機です。こうしてわたしは、時間が合う日に、岬のアトリエで絵を習うことにしたのです。
薫さんは元々の性格が気安いせいか、その教え方は具体的で、解りやすいものでした。わたしは未知の技術を幾つも教えて貰い、目から鱗が落ちる思いでした。
また、アトリエでは、薫さん自身の作品を拝見するという貴重な経験もすることが出来ました。美術雑誌に載っている写真丈けでは、色の附いた実物の素晴らしさの何分の一も伝わっていないことを知ったのです。
感嘆すると同時に、自分が如何に井の中の蛙であったかを思い知らされました。又、後になって知ったのですが、薫さんのお母様は、仏蘭西の女流詩人だそうです。嘴本鉄斎先生が彼の地に遊学された際に知り合い、そこで恋に落ちて国際結婚と相成ったのでした。薫さんの美しさはお母様譲りなのです。わたしの中の天邪鬼は、わたしに与えてくれなかったものを薫さんに与えた天を恨む声を上げていました。でも、アトリエ通いを止める積もりには全くなりませんでした。
薫さんに、色の使い方を褒めて貰うのが嬉しかったからです。古今東西の画家の話をするのが楽しかったからです。矛盾した話ですが、薫さんのせいで強まった劣等感を最も忘れていられるのは、薫さんと共に過ごしている間でした。
その日、いつもの様にアトリエを訪れると、鍵は開いているのに、薫さんの姿はありませんでした。わたしは絵の準備をしながら薫さんを待っていましたが、その時アトリエの隅へ置いてあった幾つかのカンヴァスに目が惹かれたのです。
「マア……」
わたしは思わず感嘆の声を上げてしまいました。カンヴァスの中には、頬冠をした皺だらけの老婆が、砂浜で海苔を乾している姿が描かれています。恐らくこの町の浜辺を描いた物なのでしょう。わたしも散歩の途中で見たことがある風景でした。
「オヤ、芳乃君、来ていたんだね」
「アッ、薫さん。勝手に絵を見て済みません」
「イヤ、構わないよ。人に見せるために描いているんだからね。どうだい、その絵は」
「素晴らしいと思います。この町の浜辺ですわね? 何気ない風景でもこんなに美しく描けるのは流石としか言い様がありません」
わたしの感想に、薫さんはニヤリと、悪戯を仕掛けた子供のように笑いました。
「ウン、芳乃君、世間一般では、顔に刻まれた皺、古びた着物、頬冠、こういった物は女性の美を損なうものと思われているね。でも、いま君は、この絵を美しいと言った。それは何故だい?」
「エッ……?」
思わぬ質問にわたしは口篭って了いました。再び薫さんの絵を凝視します。この絵は確かに美しい。でもわたしは、散歩のときに浜辺のお婆さんを見て、美しいという感想を持ったでしょうか。何が違うというのでしょう。
「年はとつても人には惚れる。恋の世界は美しい。おやまあ相対的ですね」
薫さんが不意に節をつけながらそう歌い、わたしは我に返りました。
「マア、何んですの、それ?」
「相対ぶし、だよ。知らないかな、アルベルト・アインスタイン博士のこと?」
「アインスタイン……知っておりますわ。先年、独逸から来朝された、偉い学者先生ですわね」
「そうだ。相対性理論を発表した偉大な博士だよ」
相対性理論……字だけを見ると、何んとなく卑猥な理論のようですが、勿論、アインスタイン博士が発表されたのはそんなものではなく、これ迄の物理学の常識を覆すほどの凄い理論なのだそうです。しかし、それを理解するのは非常に難しいらしいのです。
そこで、相対性理論を、理科が苦手なわたしのような者にも分かりやすいよう、噛み砕いて節にしたのが、相対ぶしなのだそうです。
相対性理論とは即ち、何か一つの物を観察するとき、観察者の状態によって、物の形や色、果ては時の流れ方まで異なって見えるという事だそうです。
薫さんは、もう少し詳しくお話をして呉れましたが、わたしが分かったのはその程度迄でした。勿論、どうしてそうなるのかなど、わたしにはカケラも分かりません。
「僕はこの理論を聞いたとき、嬉しかったよ。科学の進展は、美術の領域を侵すものだと思っていたのに、相対性理論によって世界の曖昧さが証明されたわけだからね」
「…………」
「ウン、それじゃ、芳乃君、鳥渡【ちょっと】ここから海を見て御覧」
薫さんは、部屋の窓を押し上げ、外を指差しました。わたしは手招きに従って、窓の桟に手を置き、海岸線を眺めます。
すると、突然、視界をヌッ、と何物かが遮ったのでわたしは小さく悲鳴をあげてしまいました。わたしの眼窩に当たっている冷たくて柔らかな物が、薫さんの手であると気づくと、今度は恥ずかしさで頬が火照ってきました。
「薫さん、何を、なさるんですか。悪戯は、止して下さい」
心臓の鼓動が聞かれそうになるくらい激しく鳴っています。
「手を、手を離して下さいまし」
「大丈夫、怖いことをする訳じゃないから、落ち着いて」
「でも」
「これは師としての言葉だ。さあ、暴れないで」
何やら薫さんには考えがあるようでしたので、わたしは手を引き剥がすことを諦め、薫さんの次の指示を待ちました。
「芳乃君。漣の音が聞こえるかい?」
「……ハイ」
心臓の音が静かになっていくと、逆に規則正しい波の音が聞こえてきました。
「よし、漣の音と呼吸の調子を合わせて……潮の匂いを馨【き】いて……潮風を肌で感じて……。視覚以外の感覚凡てで海を感じるんだ」
「ハイ」
……………………。
「出来たかな?」
「ハイ。出来たように思います」
「それじゃあ、相対性理論を実感するといい!」
薫さんはパッ、と目隠しの手を外しました。
飛び込んでくる景色。
わたしはアッ、と声を上げました。
海が。
空が。
砂浜が。
目隠しされる前とは全く異なる姿を見せていたのです!
何が変わったのかと問われると答えに窮してしまいますが、各々が、まるで一皮剥けたように、その輝きを増していたのです。
「薫さん、今、何をされたのです?」
「言っただろう? 観察者の状態が異なれば同じものでも異なって見えるのさ。でも、これは芳乃君も、もう識っていることなんだよ」
「わたしが?」
「若し、この風景を、写真機を使って撮ったとしても、その写真では感動を味わえないだろう。写真機は機械だから、多様に物を見ることが出来ないんだ。では、人間に話を限ればどうだろうか。君が何か一つの作品を描こうとするとき、その日の気分でモチイフから見出す美が違っている。そんな経験は無かったかな」
「アア、分かります……。薫さんのおっしゃること、よく分かります」
「僕が思うに、この世の凡てのものは美しさを秘めているんだ。そして最も美しくなる時が存在する。その時を感じて捕らえ、誰でも分かるような形にして顕すのが、僕達芸術家の役目なんだよ」
薫さんの言葉を聴きながら、わたしは眼前の景色に見惚れています。何時もこんなに美しいものを見て作品を創っているのですから、成程、神童と呼ばれる訳です。
「芳乃もね」
薫さんはわたしの名前を耳元で呼びました。ゾクッと背筋を何かが走りました。
「君と天狗山で初めて会ったとき、絵に集中する君は、迚も美しかった。君は冗談だと躱したけど冗談なんかではないよ。美に関しては僕は絶対に嘘を吐かないから」
この時、わたしは、失っていたものを取り戻したのです。否、そのことを認めたというのが正しいでしょう。
それ以来、わたしはアトリエに向かう時、媾曳に行くのだと、心ひそかに楽しむようになりました。
薫さんが教えて下さった相対性【そうたいせい】理論は、わたしにとっては相対性【あいたいせい】理論だったので御座います。
でも、それからまもなくの事でした。薫さんのお母様が懐郷病にかかり、一家で仏蘭西へと経つことが極まったのは。
薫さんから合鍵を貰った最後の授業の日、わたしは想いを打ち明けることが出来ませんでした。まだ自分に自信が持てなかったからです。でも、いつか薫さんが帰朝されたときに、彼に見せても恥ずかしくないくらい絵が上手くなっていたら、若しくは、わたし自身が美しくなっていたら。その時は、肩を並べて一緒に歩いて下さい。そうお願いしようと、心に誓ったのです。
「おばあちゃん、車の準備出来たよ」
「ハイ、今行きますよ」
可愛い孫娘に呼ばれ、わたしは帯を整えて玄関へと向かいました。
結局、わたしは誓いを破ってしまいました。父の店の経営が危うくなり、わたしは父の知り合いである某商社の社長の息子さんに嫁ぐことになったのです。満州事変以来、キナ臭くなった日本が、美術を嗜む心の余裕を人々から奪っていった為です。
心に浮かぶ薫さんの姿に、わたしの胸は幾度も苛まれました。けれど、薫さんとは何の契りを交わした訳でもありません。つまらぬ意地を張って、両親を困らせるわけにはいかないと、わたしはその結婚を承諾しました。
わたしは両親のためにと自分の心を犠牲にする積もりだったのですが、相手の方は、思いの外、剽軽な性格で、わたしの心を動かしたのです。
『貴方はおかめに似ていますね』
『マア』
『そして僕はひょっとこにソックリだ。ひょっとことおかめ、似合いの夫婦になると思いませんか』
これが、初めて顔を合わせた日の会話です。なんとも非常識ではありませんか。
嘗てはわたしを傷つけた、おかめ、という仇名。まさかそれを口説き文句にする方がいるなんて思いもよりませんでした。でも、この人とならうまくやっていけるかもしれない。そうしてわたしは心を決めたのです。
夫はわたしに絵を描き続けることを許して下さいました。やがて戦争が終わると、わたしは夫の援助を受けて幾つかの作品を発表し、ささやかな名声を得ることが出来ました。
「どうぞ、母さん」
「オヤ、治夫が運転するのかい?」
「今日は母さんの晴れ舞台じゃないか。こんな日ぐらい、運転手に任せないで、俺が送っていくよ」
「ありがとうね」
親孝行な息子にも恵まれました。この子が大学生のとき、母さん、それは相対性理論じゃないよ、と窘められてしまいましたが、そういうことをハッキリ言うところがとても可愛いのです。
「どう、母さん、初恋の人に会う気持ちは。いや、父さんが死んで、もう何年にもなるんだ。今更気を使わなくていいよ」
「ウフフ。あの人に憧れ続けた気持ちも本当。でもお父さんを愛し続けた気持ちも本当ですよ」
あの日、薫さんが、わたしを美しいと言ってくれたお蔭で、わたしも自信を持つことが出来ました。だからこそ、夫とうまくやっていけたのだと感謝しています。
そして現在、貴方と同じ年に文化勲章を頂くことになったのも、不思議な縁を感じますね。
漸く、貴方と肩を並べることが出来た気がします。
(了)