4 仮初めの妃の役目 1
常用漢字ではない漢字の使用が多々〜……略。
また『話なげーよ、メンドクセェ』と感じた方も〜……同略。
いつにも増して 長いです。書いている私が飽きる程 長いです。
読もうと云う奇特な方は……ガンバッテ(汗)
ラッケンガルド滞在-2日目の お話です。
___エスファニア王国•国王-フェイトゥーダ ・ 同国•男爵-セレディン___
国王-フェイトゥーダ=エヴァン=ナヴァールの部屋には、彼と 彼の親友がいた。
彼は、男爵にして この城の侍従長を務める青年-セレディン=ラグロス=ハーシュフェルダーだ。
この日、彼等は、目的があって 此処に集まっていた。
そして、壁際にある大きな鏡の前にいた。
軟らかい色の金髪に 蒼い睛の青年は、今年 21歳になる この国の王だ。
その隣に竚つ青年は、闇色の髪に 金茶色の睛をしている。
年齢は 24歳、フェイトゥーダよりも長身で 一回り大きな軀付きをしていた。
細いが がっしりとした体格の、精悍な顔立ちをした青年だ。
優しい印象のフェイトゥーダと列ぶと、少々 悚い。
眉を寄せ 不機嫌そうな顔をしている事も手伝って、威圧感が素晴らしい。
尤も、ラノイには『遠く及ばない』と云った攸だ。
早朝から 神妙な顔をして竚つセレディンと 鏡の間には、1匹の猫がいた。
白灰色の毛並みも美しい、少し大きな種類の 雌猫だ。
彼女は、石造りになっている城の床の洌さを物ともしない 豊かな毛並みをしている。
美猫と評して良い、スリムで 顔立ちの佳い猫だった。
小さめな顔の中の アーモンド型の瞳は、翠色の宝石の様だ。
座っているだけで 気品の漂う、優美な猫-シエルである。
その 知性の溢れる睛は、鏡越しに セレディンを見上げていた。
「セーレン、少し落ち着いたら どうだい?」
愛猫の代わりに、フェイトゥーダは、自分の隣で 表情を強張らせている親友へ そう声を掛けた。
セレディンは、幼馴染にして この国の若き王の言葉に、撰り一層 眉を寄せた。
「いつもなら帰ってくる時間に帰らなかったとしても、彼女は この国の魔法使いだ。最強の人だよ?」
何度も侑けられているだろう、と言われても セレディンの表情は変わらない。
「ファニーナより勍い魔法使いなんか、この辺りには いないと推うよ?」
この意見には、セレディンも 賛同している。
魔法使いと知り合って 半年だが、彼女が勍い事は 良く判っている。
数ヶ月に亘る サマリア王国との一件で、彼女と 他の魔法使いとの関わりを知った。
魔人も 魔女も、小さな少女の姿をした〔幼き妖精〕に ぞんざいな態度をとれる者はなかった。
「あの時も 対等な態度をとったのは、1人だけだったろう?」
南の内海を支配する魔女だけが、彼女を 折れさせた。
「だが、取り入ろうとする者が多いんだ、ファニーナには」
これは、事実だ。
魔法に因る通信に於いても、彼女の隙に付け入ろうとする者ばかりだった。
だから、セレディンの心配は尽きないのだ。
どれ程 勍くとも、彼女は 心優しい。
誰かの悪心や 策謀に嵌まる事もあるのではないか、セレディンは そう考えているのだ。
「大丈夫だと推うよ」
大きな鏡面には 金髪で細身な青年の笑顔と、闇色の髪に精悍な顔立ちの青年の苦悩が写っている。
フェイトゥーダは、蒼い瞳を細めて、金茶色の睛を苦々しく細めている幼馴染みを見た。
彼の睛には、セレディンは 心配性にしか映らない。
だが、セレディンには セレディンしか知らない理由があって 魔法使いを案じていた。
これまでの半年間、魔法使いが 疲弊して帰った事は 3回ある。
その内 1回は、死んでしまうのではないかと思う程 重傷を負っていた。
孰れも、魔法使いの闘いに因るモノだ。
これを知っているのは、セレディンだけだった。
『ひょっとしたら、自分さえも知らない内に もっと酷い状態になっていた事があるかもしれない』
そう推うが故に、セレディンは 心配でならないのだ。
杞憂であってほしい と思う反面、最も高い可能性として あの血塗れの姿が脳裏から離れない。
「だが…… 」
予定外の外出延期など これまでになかった、とでも言いたかったのだろうか。
セレディンは、小さく呟いて 口篭った。
『知り得た事を 誰にも談さない』
これが、魔法使いとの約束である。
セレディンが自分から誓い、それで 詳しく教えられた情報だ。
誓ってしまっただけに、談せない。
魔法使いに 誓う。
それは、契約であり 制約でもあるのだ。
「セーレン、心配しすぎだよ」
これまで〔幼き妖精〕が 王国の為に起こしてくれた 様々な奇蹟と、そのせいで 彼女が蒙ってきた多大な負荷を知るのは セレディンだけだ。
魔法使い-自身が 進んで誰かに談す事はないし、何撰り フェイトゥーダに知られたくはないだろう。
それを理解しているが為に、セレディンは 己れの中の不安を漏らす事が出来ないのだ。
「 ーーーーーーああ…… 」
この時も、セレディンは、そうとしか 答えられなかった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:エスファニア王国•男爵-セレディン=ラグロス=ハーシュフェルダー___
沈黙してから、眼の前へ視線を移す。
鏡面には、苦虫を噛み潰した様な顔をした自分と、その隣で 穏やかに微笑んでいる幼馴染みが写っている。
金糸の様な美しい髪に 蒼穹を写した瞳をした痩身の王は、いつもと変わらず にこやかに笑んでいる。
知らないが故の 笑顔であり、ファニーナの希んだモノでもある。
《 益々 心配性-扱いになるな。》
そうは推うが、心配しているのも事実だ。
否定する言葉が見付からないのも、事実だった。
そうして 考え込んでいる内に、鏡面に写る自分が揺らめいた。
「⁉︎ーーーーーーファニーナ!」
一瞬前までの俺は消え、大鏡に映ったのは、渋い栗色の髪をした 12〜13歳くらいの小柄な少女だ。
灰色の 大きめの睛が、穏やかに微笑んでいる。
いつもと変わりない〔幼き妖精〕だった。
「何処にいるんだ⁈」
唐突に 鏡面が写すモノが変わったが、それに驚く事はない。
彼女が来てから、似た様な事は 数え切れない程あった。
シエルが朝早くから この鏡の前に導いた時から、こうなると判っていた事だ。
それに、驚いている時間が勿体無い。
「申し訳ありません、昨夜の内に戻る予定だったのですが」
俺の、怒号の様な質問に、灰色の瞳が 穏やかに微笑んで そう答えた。
彼女は、いつも そうだ。
嫋やかで、優しい。
俺の非礼にも當たる言動を咎める事もしない。
「帰れないのかい?」
フェイン(彼が 俺を『セーレン』と聘ぶ様に、俺も 彼を愛称で聘んでいる)の問いに、鏡面の中の魔法使いが 小さく頷いた。
「申し訳ありません」
……うん?
いつもと、何か違う……気がする。
良く判らないが、何だか 少し違う気がした。
そんな俺の小さな違和感を無視して、フェインの問いは続いている。
「暫くは帰れない、と云う事かい?」
「そうなってしまいました」
「予定外って事だね?」
ファニーナは、嘘は得意じゃない。
それに、俺の前では 嘘は誥かない。
談しているのはフェインだが、嘘は誥いていない。
「大丈夫なのか?」
確かめる様に、そう 訊いてみた。
「はい。安全面については、問題ありません」
きっぱりと言ったファニーナに、俺は どんな表情を向けていたんだろう。
尠くとも、晴れやかな表情は していなかった筈だ。
嘘を誥いてくれれば、それを理由に 帰って来いって言えるのに。
「嘘は誥いてない、ってさ」
俺の表情から この事を読み取ったフェインが、普段通りの明るさで笑った。
「ありがとうございます、ご心配くださったのですね」
「当然だ」
知っている筈だ、俺が どれだけ心配しているかを。
でも、彼女は 知らない筈だ。
俺が、どうして こんなに心配しているのかを。
ファニーナは、何も 判っていないから。
10歳も年下の、ただの子供の姿をしているファニーナに、俺が こんなに惹かれているなんて。
「ファニーナ、説明出来るかい?」
「いつもの遠出のつもり だったのですが、少々 見過ごせない事がありまして…… 」
フェインの質問に答えているファニーナは、いつもと変わらない。
本当に、危ない目に遭っている訳じゃないらしい。
「 ………… 」
ほっとする反面、軽い落胆にも似た感情を懐いてしまう。
本当に、我儘は言えない と悟らされてしまう。
「暫くの間、お傍で お護りしたく思っています」
詳しい譚は言えない、か。
これも、いつも通りだな。
ファニーナは、秘密で出来ている様なモノだし。
2人きりなら 何としても詳細を訊き出すんだが、フェインがいたら 彼女は絶対に談さない。
今は 問い質すだけ無駄だろう。
兎に角、ファニーナが『護りたい』と言う相手なんだ。
悪い人じゃないんだろうな。
《 これは、益々 我儘を言える状況じゃないな。》
1日だって 離れたくはないのに。
尤も、こんな事は いい大人が口にして赦される我儘じゃない。
而も、この状況では 尚更だ。
幻滅させかねない発言になる。
《 毎日の お茶の時間すら、お預けか。》
瑣々やかならぬ愉しみだったのに……。
落胆していた俺の代わりに、フェインが質問を重ねている。
「それは〔幼き妖精〕が希んでの事なんだね?」
「はい」
婉然と微笑んでいる12歳の少女は、しっかりと頷いた。
「危険じゃないか?」
一縷の希みを懸けて、もう1度 そう尋ねてみた。
「魔法族が相手 と云う訳ではありませんし、問題はありません」
「なら、僕は いいよ」
あっさりと了承するフェインとは違って、俺は 返答出来なかった。
希んでいたんだ、何かしらの嘘を誥いてくれる事を。
彼女は そんな事はしないと 判っていたのに。
「 ………… 」
不貞腐れて黙り込んだ俺を余所に、フェインは 思い出した様に息を零した。
「ああ、セルフィユには 何て言おう?」
セルフィユは、王妃-フローリェン様の 幼い弟だ。
8歳の 小さな少年で、ファニーナの魔法や 御伽噺のファンだ。
「戻りましたら お希みの歌を、と」
なに⁈
ファニーナの歌って事は、つまり 妖精の謳か。
「判った、伝えておくよ」
体感したのは、たぶん 2回だけだ。
1度目は、サマリア王国の王侯貴族を招いての 猛獣狩りの最中だった。
次は、4人の妖精が集って 唄ってくれた。
フェインの結婚式の日に 祝いの歌を、妖精達が 唱和していた。
どちらも、離れた場所からで、直接 声を聴いてはいない。
だが、どちらも、浄らかなモノが押し寄せてきて すぐに幸福感で満たされた。
「 ーーーーーー……… 」
あれを、もう1度 味わえるなら、暫くは 我慢すべきか……。
「ご用がありましたら、レディ=シエルへ」
「こっちは大丈夫だよ。だから、ファニーナは やりたい事をやりたい様にしておいで」
俺が 自分が納得する為の理由を用意している間に、王と〔幼き妖精〕の間で 譚が付いていた。
鏡も、ただの鏡面に戻っていた。
「 ………… 」
其処に ファニーナの姿はなく、写っているのは 不機嫌そうな俺の顔だった。
「セーレン、そんな顔をしていたら ファニーナが心配するよ?」
「 ーーーー判っている」
思っていたよりも 不貞腐れた声が出た事に、自分で自分に がっかりしてしまう。
俺は、フェインの前で嘘を誥くのが 下手だ。
長い付き合いのせいか、気が緩む。
取り繕う事も必要だと理解しているが、判っていても 出来る事と出来ない事がある。
「判っているけど 無理、かい?」
思考とリンクしたかの様な問いに、撰り一層 顰めっ面をしてしまった。
「 ………… 」
更に不機嫌そうになった鏡面の自分から、俺は 睛を乖らした。
「でも、ファニーナは いつでも無事に帰って来ただろう?」
今の俺は そんな事を考えていたんじゃない。
彼女の近辺に危難がない事は、嘘を言っていなかった時点で確認済みだ。
勿論、彼女の事を案じていない訳じゃないが、最早 僅かな懸念だった。
「ファニーナなら、大丈夫だよ」
知らないのか? フェイン。
俺は、そんなに お綺麗なモノじゃない。
結局は、自分の事しか考えていないんだ。
「 ーーーーーーああ……そうだな」
幼馴染みに そう答えながら、俺は、ほんの少し 自分に失望した。
そんな俺の足許で、白灰色の賢い猫は 暢びりと毛繕いをしていた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:〔森之妖精〕-リーゼロッテ=サフィール___
早朝の連絡を終えて、王族-専用のダイニングへ顔を出す。
勿論、エスファニアへの連絡時にしていた変幻は 解いていた。
今は、彼女の 真(長い銀髪と蒼い瞳の 20歳-前後の美女)の姿をしている。
「おはようございます」
其処には、既に、ラノイと シズがいた。
「おはようございます、アシュリー姫」
「良く眠れたか?」
「はい」
円卓に着いている2人へ 浅く頷いて、ダイニングに入る。
いつもの事だが、ダイニングの壁際には 何人もの女官達が控えている。
彼女達は、給仕の為にいるのではない。
その証拠に、給仕をする者達は 食卓の周りにいる。
彼女達は、飾りの様に、ただ 其処にいるのだ。
そんな女官達に 視線を向けていた魔法使いを、ラノイが呼んだ。
にこりと笑んだ〔獅子王〕は、妃を演じる立場の魔法使いを 優しく手招く。
《 うっ。》
室内には、壁際に列ぶ女官達は 10人近くおり、他にも 給仕に従事する侍従達が 数人いる。
この場で『妃』である彼女が、夫であるラノイの招きを拒める筈がない。
頬が 微硬直したのを感じつつ、魔法使いは、ゆっくりと ラノイに歩み寄った。
勿論、内心は 脱兎の如く逃げ出したかったが。
停まりそうになる足を 何とか進める間に、ラノイは 席を竚っていた。
間近で竚ち停まった彼女を、にやりと笑んだラノイが抱き寄せた。
《 きゃああっ。》
妃を演じると云う立場である以上、抱き寄せる王の腕を振り払うなど出来ない。
これだけの人眼があれば、尚更だ。
《 演技とは云え、人前で……は、恥ずかしいっ。》
軽く抱き締める体勢のまま、ラノイは 魔法使いに頬を寄せる。
「今宵も そなたの許へ参るぞ」
囁く様に、しかし 確実に室内の者達へも聴こえる様に、ラノイ こと〔獅子王〕が言った。
彼女が演じるのは『王が惚れ抜いている妃』だ。
つまり『王の寵愛を一身に受ける妃』の役だ。
向けられる愛を喜んでこそ妃である以上、後摩去る事すら出来ない。
《 恥ずかしいぃ。》
たじろぐ気持ちを扼えて、俯き加減に 小さく頷く。
「っーーーーは、はぃ」
撰り俯いた頬に、ラノイの手が伸びる。
俯いた事により 頬に掛かった白銀の髪を 指先で掬い取りながら、若き王は、にや と笑んだ。
「その様に頬を染める樣も、初々しくて愛らしい」
羞じらっているのを愉しんでいるのか、ラノイは笑み声で そう囁いた。
《 逃げ出したいぃ。》
つい今し方の報告を覆してでも、エスファニア王国へ逃げ帰りたくなった。
尤も、戒縛の仂の前では、逃げる為に動き出す事すら 止められてしまうのだが。
それでも、帰りたい と強く思っていた。
そんな魔法使いの硬直が伝わってか、ラノイは 彼女の頬から手を離した。
「アシュリー、食事を摂れそうか?」
暗に 毒などの有無を問われ、彼女は、テーブルの上の食器を含め 綜てを見回す。
「 ……はい、大丈夫です」
「そうか」
ラノイに促され、抱き寄せられたまま 彼女は食卓へ歩き出した。
その態は、仲睦まじい新婚夫婦-そのものだ。
壁際に控えている女官達は、美男美女のカップルに 顔を赤らめつつ 複雑な表情をしている。
《 啻の女官として お仕えするほうが、何倍も良かった。》
そんな後悔が、何度も頭を過る。
最早 どうにもならない事を考えている間に、椅子に座らされた。
ラノイは、その隣に 椅子を寄せて座る。
《 ぇ?》
王家-専用の食卓は、大きな円卓になっている。
その為『対面の席』と云うモノはない。
だが、3人になったのなら 其々 一定の距離感を以て座るのが 一般的だ。
隣に座るのは、この国であっても 通例ではないだろう。
その証拠に、円卓に用意されている食器などは その距離感で配置されていた。
「ラノイ様?」
怪訝そうな顔の魔法使いに対し、ラノイは、涼しい笑みで こう言った。
「私は、片時も そなたを離したくないのだ」
壁際の女官達が、歓声の様な 悲鳴の様な小さな声をあげた。
《 この人は、っ。》
魔法使いが 内心の動揺を押し隠す事に専念する間に、給仕の者達が ラノイの食器の位置を直している。
演技も程々にしてほしい、と云う魔法使いの心境を理解していないのか、単に 判っていても却下しているだけなのか。
ラノイは、彼女の 白銀の髪を一掬いして、髪先を 己れの唇へと手繰り寄せる。
「今日も 執務室に、私の傍にいてくれるな?」
漆黒の瞳を細めている青年は、何かを含んだ様な笑みをしていた。
「右も左も判らぬ場所で 独りで過ごすのは、心細かろう?」
動揺してしまう自分を見て 愉しんでいる、と思いながらも、魔法使いは 苦言を呈す。
「一国の王が その様な事では、ご公務に……延いては、国民の暮らしに係りましょう。わたしなら、どなたかに案内を頼んで 王宮内を散策致しますので、どうか お構いなく…… 」
どうか 放っておいてください、と云う願いを込めた言葉は、当然だが ラノイに届かない。
彼が 希んで その願いを却下しているのだから、当然だろう。
「昨日の様に、執務室にいてくれぬのか?」
『夫の希みを叶えるのが 妃だろう?』
そんな声が聴こえてきそうな笑顔だった。
僅かな逃げ場をも塞がれてゆく感覚に、彼女は 密かに背中を震えさせた。
《 こっ、この人は!》
こちらの反応を見て愉しんでいるのだ と判っても、動揺せずにいる事は 不可能だった。
こう扱われる事に 慣れのある魔法使いではない。
魔法使いは、テーブルの向うにいるシズを見た。
宰相-シズ=ラトウィッジは、王と同じ食卓に着き、豪奢な椅子に背を預けて 彼女を見ていた。
その睛が、淡い憐憫を泛かべている。
《 侑ける気は ゼロですか⁉︎ 》
王家の食卓に同席している事で 察している人もいるだろうが、シズは 王族の1人だ。
ラノイとは、腹違いの兄の1人に當たる人物である。
今は 王位継承権を放棄し、宰相として ラノイに仕えている。
そんな宰相は、王の性格を良く知った上で 止める事を放棄していた。
魔法使いを犠牲にしても、彼が仕事をするのなら それで良し、とするつもりらしい。
彼女が困っているのも 承知の上で、シズは 執務の効率アップを択んだのだ。
《 或る意味、凄い。》
魔法使いの素性を知った上で、彼女を犠牲に択んだのだ。
小国であるラッケンガルドにとって、隣国-エスファニアは 何倍もある大国だ。
クランツの言葉を借りれば『吹いて飛ばされる小国』が、ラッケンガルドだ。
そうでなくとも、相手が〔森之妖精〕と判っていれば、これは 自殺行為に近い。
強者である魔法使いが本気になれば、この国は あっと云う間に滅ぶのだ。
そう判っていても、シズは 弟を止めようとしない。
成る様になる、と思っているにしても 肝の据わった対応である。
《 侑けてくださらないのね。》
他力本願を主体とする考えを持っていては この苦難を撥ね除けられない、と悟ったのか。
魔法使いは、代替案を提示する事にした。
「どうしても と仰有るのでしたら、お茶の時だけ お邪魔させて頂きます」
「アシュリー」
昨日と同じ言葉を繰り返すと、ラノイは、反論する様に 魔法使いの称を聘んだ。
優しく諭す様な声だった。
聆き入れるつもりはない と伝わっていたが、魔法使いとしても 諾く事は出来なかった。
「やはり、わたしの様な者がいては、官吏の方達も 気が散ってしまわれますし」
「アシュリー」
「どの様な理由にせよ、お仕事の効率が下がるのは 希ましくありませんから」
勿論、これ等は 建前だ。
ラノイの傍にいる時間を 限りなく減らす為の口実だ。
そうして、ラノイの手から遁れようとしているのだ。
しかし、この策は ラノイには通用しなかった。
「私が『いてくれ』と言っているのだ」
「っ……で、ですが…… 」
「妃は 王の為にある、のだろう?」
所謂『鶴の一声』である。
こう言われてしまうと、逃げ道はないに等しい。
仮初めとは云え、対内的に、彼女は〔獅子王〕の妃なのだ。
「良いな?」
にやり と、ラノイが 小さく笑んだ。
《 狡い。》
ラノイは、魔法使いが断れないと判っていながら、確認の様な言葉で問う。
反則の様な意地の悪さだ。
「っーーーーーー………はぃ」
当然ながら、彼女の答えは これ以外になかった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:〔森之妖精〕-リーゼロッテ=サフィール___
朝食の後 王族専用の食堂を辞した魔法使いは、後宮へ邀う途中にある四阿で 休憩をしていた。
執務室にいる と云う約束をさせられた事を さらっと無視して、此処にいる。
そう、逃げ出して来たのだ。
あのまま執務室へ連れて行かれたら、と思うとだけで 疲労感が押し寄せる。
魔法使いは、四阿に備え付けられた椅子に腰を掛け、浅く息をついた。
《 つ、弊れる……。》
慣れない事をすると弊れる を実体感し、魔法使いは 消沈していた。
そんな彼女の周りには、4人の女官達がいる。
彼女達は、後宮に配属された女官達だ。
つまりは、魔法使いの為に用意された女官達である。
「凄いですっ、お妃様!」
前のめりに詰め寄ってきた女官の勢いに、魔法使いは 気圧され気味だった。
「 ……はい?」
「陛下から あんなに想われるなんて、羨ましいです!」
「そ、う ですか?」
「そうですよ!」
興奮気味の女官達の言葉に、魔法使いは 曖昧な笑みを泛かべた。
「陛下は、女官達の憧れの的でもあるんですが、誰も近付けなくて」
この言葉は、嘘ではない。
見眼が整いすぎて『姚しい』と表せるまでになっているラノイは、どうしても 女達の視線を集める。
地位があり 権力があり、器量が佳いのだ。
様々な理由で 妃の座を狙う者は、尠からずいて当然だった。
だが、同時に、彼は 恐怖の対象ともされている。
ラノイは、二面性のある青年だ。
そして、親しい者達-以外には〔獅子王〕としての面しか 見せはしない。
〔獅子王〕は、何かと畏れられている。
険しい表情であったり 厳しい睛であったり 威圧的な気配であったり、と 理由は多々ある。
苛烈な処断をする〔獅子王〕が 王宮で働く者達の『恐怖の対象』となるのも、当然の成り行きだろう。
女官達は 睛にする機会も尠いが、王宮では 有名な譚だ。
これまで ラノイとの接触に乏しかった後宮付きの女官である彼女達も、数々の『噂』を耳にしているのだ。
「陛下には お早く お妃様を、って希む人達は 多かったんですが…… 」
この人数には、王宮で働く女官達も入っている。
そして、彼女達は、あわよくば『自分が見初められたら』と夢見るのだ。
王宮の女官となった女達の多くが、1度は考えていた と明言しても良い。
美形なラノイに 愛を囁かれたら、と ときめく女は多いだろう。
苛烈な〔獅子王〕が 自分にだけ優しい、そんな場面を妄想して悶える女が大多数 と云える。
魔法使いが『王の択んだ妃』だと知れ渡った今も、それを夢見ている者がいても 可妙しくはない。
「流石に、皆さん 諦めたでしょうね」
頷き合っている女官達の言葉で、魔法使いは 朝食の席での事を思い出す。
室内に入った瞬間から、妙な意思を含んだ視線を向けられていた。
その後も、度々 妙な感じがしていた様に推う。
あの時は、自身が大変な状態だっただけに 気付けなかったが、あれは『嫉妬の視線』だったかもしれない。
《 成程、そう云う……。》
認識したら、どっと弊れが舒し掛かってきた。
何なら 代わってほしいくらいだ、と云うのが 魔法使いの本音だ。
「これまでも、幾多の縁談を 頑なに断り続けておられたので『陛下には、密かに お心に決めた方がいるに違いない』って 噂になっていたんです」
4人の女官達は 軽く頬を引き攣らせた魔法使いには気付かず、愉しそうに譚を続ける。
「お妃様の事だったんですねーっ」
《 違います。》
そんな相手がいるのならば 今すぐ連れて来れば良いのに、と云った事も 乾いた笑みの裏で考えながら、密かに溜息を零す。
まず 何よりも、出会ったばかりの自分の事である筈がないのは、承知している。
だが、正直に そうと言える状態でもなかった。
魔法使いは、声なく 乾いた笑みを泛かべている。
「どちらも 見眼麗しく在らせられて、将来が愉しみです」
「ええ」
「本当に」
4人の女官達は、うっとりとした表情で そう呟いた。
《 愉しまないでくださいぃ。》
一体 どんな未来を想像し、何を愉しみにしているのか。
慄しくて、問う気にもならなかった。
耳にしたら、それだけで 深刻なダメージになりそうだった。
こう云った事は『聴かない』に限る。
「少し、お時間は ありますか?」
話題を変える事にした魔法使いは、そう切り出した。
「え? ええ、勿論」
「では、王宮の案内を お願いしても宜しいでしょうか? まだ、何も判らなくて」
「はい、喜んで」
後宮付きの女官である彼女等は、妃となった者の世話をするのが 役目だ。
時間があるも ないも、妃である魔法使い-次第だ。
「わたし達は お妃様-付きの女官ですから」
一応、話題を乖らす事には成功したが、女官達の好奇心の的である事に変わりはない。
事実、彼女達は 王宮内の案内中も 質問を繰り返していた。
「お妃様は、どちらの方なんですか?」
ラッケンガルド王国は 単一民族で成り立ち、皆が黒髪で 黒い瞳だ。
時折 色素の薄い者が産まれる事はあるが、それだとて『漆黒ではない』と云った程度だ。
やや色素が薄く 茶色の髪や瞳をしている者は 尠からずいるが、魔法使いの様な 銀髪はいない。
新雪の様な白銀の髪も 蒼穹を想わせる蒼い瞳も、この国の民には ないモノだ。
興味をそそられるのも、仕方がないと云える。
「見て お判りでしょうが、国外から参りました。このラッケンガルド王国には、休暇で…… 」
何処の国とは明言せず、更に『休暇で来たのだ』とミスリードする。
正体を知られずにいる為に 必要な事であり、これまでの人生で 幾度も繰り返してきた事でもある。
魔法使いである以上、 日常的に重ねてきた手法だ。
「少し 足を伸ばしたら、ラノイ様が…… 」
当然だが、小鳥に変現して執務室を覗いていたのだ とは言わずに、そう呟いた。
「素敵っ」
「それで、陛下の お睛に留まったなんて!」
「偶然が、お妃様を 陛下に引き合わせたんですね!」
勘違いをする様に 彼女達の思考をミスリードしたのだから、この解釈は 当然だった。
しかし、これ程 見事に曲解して、興奮の上 喜ばれると、複雑な気分になる様だ。
魔法使いは、何等かのダメージを受けた気分で 女官達を見ている。
「偶然 来た場所で巡り会うなんて、もう運命ですよ!」
運命かは判らないが 縁はあったのだろう、とは思っていた。
だが、小鳥の姿でいた自分に気付くとは思っていなかっただけに、魔法使いとしては 予定外の事態でもある。
「まさか、この様な事になるとは…… 」
この呟きは、本音だった。
尤も、それを理解する者は 傍にいない。
「良かったじゃないですか! あんなに愛されてるんですから」
女官の言葉に、魔法使いの頬が痙攣しそうになる。
《 揶われている と云うか、面白がられている と云うか。》
何に対しても慣れのない彼女の反応を愉しんでいる、としか思えなかった。
笑顔が引き攣りそうになったのを 何とか怺えて、神妙な顔を作る。
「この国の事を何も知らない わたしの様な者がいても、ラノイ様の お邪魔になってしまうだけでしょう」
ラノイと シズに危難が迫っていると視えてしまったから 残る事にしたが、この立場は 本当に辣かった。
出来る事なら、今からでも 女官の1人として扱ってほしいくらいだった。
尤も、周囲は 彼女の葛藤に気付かない。
「そんな事ないです!」
「大臣様達は きっと、ご自分の娘を正妃に って思うんでしょうけど、そんなの 結局は 地位や権力欲しさです」
「わたしは、お妃様みたいに 陛下を愛してらっしゃる方のほうが いいと思います」
「わたしもです!」
この熱弁は、魔法使いを驚かせるに足るモノだった。
《 お慕いしている様に見えるの⁈ 》
魔法使い-本人は、演技やら 嘘が上手いほうではない。
ラノイの演技が巧みなのか、女官達が 鈍感なのか。
魔法使いが仮初めの妃である事など、考えもしない様だ。
「だから、末永く 陛下の お傍にいらしてくださいねっ」
4人の女官達は、きらきらとした睛を 魔法使いへ向けている。
《 ぅ……。》
言われる程に 追い詰められている気分になっているなど、女官達に 判るべくもない。
「お妃様?」
押し黙った魔法使いの顔を覗き込む様に、1人の女官が 小首を傾げた。
「ぁ、いいえ……あの、ぁ……ありがとう、ございます」
彼女には、そう答えるしかなかった。
《 これは、推ったより 辣い役目だわ。》
微笑んでいる裏で 泣きそうな気分になりながら、魔法使いは 重い溜息が零れそうになるのを ぐっと怺えていた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:後宮付き女官の1人-アイシア。
陛下が ご即位されてから、早-4年。
その間、後宮に入る女性は 誰もいませんでした。
陛下の許に寄せられた縁談は 多かったけれど、その綜てを 陛下-ご自身が撥ね除けてしまわれた為です。
会おうともせずに、縁談を持ち掛けられた段階で 断ってしまわれる。
『陛下には、お心に決められた女性がいるに違いない』
女官達の間で そう囁かれていましたが、まさか、本当に お会い出来る日が来るとは。
そして、お仕えする事が出来るなんて 夢の様です。
而も、他国の方で、お姚しくて お優しい方だなんて。
《 流石です! 陛下。》
淑やかなだけでなく、慎み深い女性であらせられるなんて、もう 完璧です。
お妃様に お仕えする栄誉を得る事が出来て、わたしは 本当に倖せです。
これからの毎日の お勤めを思うと、今から愉しみです。
末は、陛下と お妃様の御子の お世話も出来たら、もう本望です。
王宮の中を ご案内していた時も、こうして 庭園で休憩をしている今も、お妃様は 嫋やかに微笑んでおられる。
何て 素敵な方でしょう。
わたし達の様な 下々の者にも、お優しくて在らせられる。
《 後宮付きの女官になっていて良かった。》
名家に生まれたとは云え、次女であった わたしは、家を継ぐでもなくて。
孰れは、父さまの決めた相手に嫁ぐ事になるでしょう。
その『何処かへ嫁ぐ日』がくるまで、と 王宮へ『花嫁修行』に出された訳です。
はい、これも 父さまの指示です。
凡そ 2年前の事でした。
綜て 流されての事だったけれど、今は 感謝したいくらいです。
こんなに素晴らしい方と巡り会い、お仕えする事が出来るんですから。
《 誠心誠意、お仕えしなくては。》
決意を固めながら、わたしは、うっとりと お妃様を見詰めていました。
わたしだけじゃなく、他の女官達も お妃様の姚しさに見惚れていました。
少し前まで 後宮付きの女官は『穀潰し』と陰口をされ、侮蔑に近い睛を向けられていました。
肩身は とても狭かったです、ええ。
碌な仕事もなかったんだから、仕方がないんですけど。
でも、これからは、お妃様の為に 立ち働く事が赦されるんです。
何て 嬉しいんでしょう。
そう思っていた わたしの耳に、こちらへ近付いて来る足音が聴こえました。
視線を向けると、中年の男性がやって来るのが見えました。
あの人は、良く知っています。
名家-ゴルデル家の ご当主様で、王宮では 文官に當たる『官吏』の1人で在らせられる。
大臣-程じゃないけれど、官吏の中でも 陛下に近い攸に在る役職の方。
余り いい印象はないけれど、何の用でしょう?
「お妃様」
不意に掛けられた声に、お妃様が 首を巡らせました。
王宮の中庭にある 小さな四阿で 休憩をしていた 女官達は、突然 現れたゴルデル様に驚いていました。
言葉もなく 礼もとらない女官達には睛もくれず、ゴルデル様は お妃様を瞰しました。
何だか いい感じのしない視線な気がします。
「執務室へ どうぞ、陛下が お呼びです」
この言葉に、わたし達は 陛下の愛の深さを思ったのですが、何故か、お妃様は 表情を曇らせました。
「ですが、わたしの様な者が 執務室へ参っては、他の方達の お邪魔に…… 」
「当然です」
お妃様の 奥ゆかしい お言葉を、ゴルデル様が 不躾にも遮られました。
「妃など、後宮で愨しくしておれば良い」
軽蔑を含んだ睛で、侮蔑すら泛かぶ声で、悪意としか表せない言葉で、ゴルデル様が お妃様を見て、お妃様に 言った……。
その瞬間、わたしの中で 変化が起こりました。
「ゴルデル様⁉︎」
他の女官達は、暴言ともとれるゴルデル様の言葉を 諫めようとしている様です。
「ですが、仕方がないでしょう。貴女がいないと、陛下は、それを理由に 仕事の手を止めてしまうんですよ。貴女が この国の為を思うなら、今すぐ 役に立ってほしいものですね」
「ゴルデル様、そんな言い方!」
「そうです! お妃様に対して 無礼でしょう!」
何だか、女官達の声が 遠くに聴こえます。
一体 どうしたと云うんでしょう。
わたし、どうしたんでしょう。
頭が、働きません。
病気でしょうか、軀が 熱いです。
急に どうしたんでしょう。
さっきまで 何ともなかったのに。
何か 良くない病気だったりするんでしょうか。
ひょっとしたら、生命に係わる様な……。
でも、今は、そんな事 どうでもいいです。
今は、この無礼な男を黙らせたい、それだけです。
お妃様を侮辱するなんて、それだけで 生きている意味がないでしょう?
生かしておく必要なんて ないですよね?
《 いいですよね? 殺っちゃっても。》
剣呑な事を考えている わたしの耳に、お妃様の 静かな声が届きました。
「お怒りに ならないで」
冷静でいて、軟らかな声でした。
それまで ゴルデル様を睨んでいた わたしが、思わず 振り返ってしまう程でした。
「だけど、お妃様っ」
女官の1人-シノンが、尚も 眼の前の男を睨んでいるのが 見えました。
でも、わたしは、お妃様の 姚しい微笑みから睛を乖らせなくなっていました。
「わたしは、気にしておりませんから」
気のせいでしょうか。
わたしを見て、言った様な気がしました。
「でも…… 」
わたしの横で 女官が口籠っている間に、あの男は 踵を返していた様です。
「では、さっさと執務室へ来てくださいね」
去り際に 吐き捨てる様に、あの男-ゴルデル様が そう言ったのが聴こえた気がしました。
たぶん、確かだと思います。
「っ!」
他の女官達が 怒気を滾らせたのが判りました。
肚が立ちますよね、やっぱり。
なのに お妃様ときたら、全然 怒っていなくて。
「はい、すぐに参ります」
ああ、お妃様ったら、あんな男にまで婉然と笑んで応えなくても。
でも、その微笑も綺麗です。
本当に、女神様みたいですね。
「 ーーーーーーあんな言い方‼︎ 」
他の女官達は 今も怒っている様だけれど、わたしは すっかり和んでしまいました。
いえ、肚は立っているんですけれどね。
何て云うか、お妃様を見ていると 怒れなくなるって云うか……。
さっきまで『殺してやりたい』と思っていたんだけれど、どう云う事でしょう?
「ゴルデル様は、名家の ご出身ですけど、それにしても、お妃様へ あんな物言いをするなんて!」
「お恚りにならないでください。わたしは 気にしておりませんから」
「でも!」
「あの言い方は 赦しておけません!」
「そうですよっ」
他の女官達が 怒っていますね。
そうですよね、怒っていいんですよね。
だけど、何か こう……ほのぼの? しちゃうんですよ、お妃様を見ていると。
ほら、また 優しく微笑んでくださった。
「ありがとうございます、わたしの様な者の為に お恚りくださって。ですが、わたしは 大丈夫ですから」
女神の微笑に、他の女官達も 毒気を抜かれたんでしょうか。
「っーーーーお、お優しすぎますっ」
さっきまでの悚い顔が、嘘の様に消えました。
「ゴルデル様の仰有る事も 一理あるのです。右も左も判らない 今の わたしは、間違いなく 邪魔でしかありません。満足に出来る事と云えば、ラノイ様に お茶を差し上げるくらいなのですから」
全員 うるうるとした睛で、お妃様を見詰めます。
勿論、わたしも。
「お妃様…… 」
人は、誰しも『敵わない』と感じる相手がいる、らしいです。
おじいちゃんから聴いた この譚を、わたしは この王宮へ上がって実感しました。
陛下に会った時に、陛下の睛が わたしのほうへ向いた、その瞬間に。
『この人に 敵と認識されてはいけない、絶対に敵わない』
人生で初めて そう感じました。
声を掛けられた訳でもないし 睨まれた訳でもないのに、視線が こちらへ向いただけで そう直感したんです。
たぶん、陛下は、女官達の中にいた わたしを 何の気なしに一瞥しただけ。
もっと言えば、わたしを見た訳でもなくて、何気なく視線を流しただけ。
その中に、偶々 わたしが映り、一瞬 睛が合っただけ。
それなのに、その ほんの一瞬で、わたしは 陛下に恐怖したんです。
あんな諷に思う人は そうそう いない、と推っていたけれど。
どうやら、もう1人 いた様です。
わたしは、お妃様にも 敵いそうにありません。
陛下とは 全く別の意味で、この女神様には 逆らえそうにないんですもの。
見ていると、うっとりしちゃうし。
「お手数ですが、お茶の準備だけ お願い出来ますか?」
「は、はい。勿論、すぐに」
わたしが お茶の用意を引き請けたのを見て、テーブルの向うにいた女官が 透さず 発言した。
「じゃあ、執務室まで ご案内します」
ああっ、失策った!
そっちにするんでした!
少しでも長く お妃様の お傍にいたいのにっ。
……我慾です、はい。
だって、ふんわり微笑まれるだけで 倖せな感じがするんですもの。
「ありがとうございます」
ああっ、控えめな笑顔が素敵です!
こうなったら すぐに お茶の準備をして、執務室へ お届けしなくては!
わたしは、笑顔で竚ち上がると、小走り気味で 厨房へ邀いました。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:後宮付き女官の1名-シノン___
アイシアと もう1人の女官が お茶の準備の為に厨房へ行くと、お妃様は 密かに溜息を零された。
僅かだけど、表情が冴えない。
間違いなく、先程の ゴルデル様の言葉が原因だろう。
姚しい お顔に、緲かに憂いが滲む。
そんな表情も 素敵だが、やっぱり微笑んでいてくださったほうが嬉しい。
《 おのれ、ゴルデル。》
私の家は、名家でも 何でもない。
啻の庶民だ。
父は 王都の片隅で役人をしているけど、だからと云って その伝で王宮に召し上げられた訳じゃない。
父が ギャンブル好きで、毎月の家計は苦しく、弟や 妹の為にも、私が稼がねばならなかった。
職を探していた時に この仕事の求人が出ていて 最も高給だった、それだけの理由だ。
自分の倫理感と 社会的な道義とで いろいろと悩みはしたけど、背に腹は変えられなかった。
私は、女官として 王宮に入った。
ほんの10日前の事だ。
この王宮では、女官の入れ替わりが激しいらしい。
理由については教えられなかったけど、陛下が悚いせいだ、と 私は推っている。
兎に角、凡そ 半年から1年弱で辞めてしまうらしい。
つまり、人事も 教育も追い付いていないのが現状だそうだ。
そのせいか、新人の女官達は 暇な部署に配属される。
多少の失敗も赦される、急ぎの仕事もない部署が択ばれる。
後宮付きの女官と云うのも、その1っだった。
今まで 後宮に召し上げられた方がいなかったのが その理由だろう。
これで、私が お妃様の お傍に仕える事になった次第は 以上だ。
他の理由は 何もない。
判ると思うけど、有能でもなければ 王宮に詳しくもない。
要所要所への案内くらいは出来でも、女官としての働きには期待しないでもらいたい、と云うのが 本音だった。
そんな私でも、お妃様が憂いているのは 見たくない。
こんなに姚しいと 憂いも態になるけど。
《 こっそり、陛下に告げ口しておこうか。》
陛下なら、お妃様を悪く言う者を 赦しはしないと推う。
直接は見ていないけど、ベタ惚れなんだと 女官達が騒いでいたし。
丁度 執務室へ行くし、何かのタイミングで言ってやれないだろうか。
そんな事を考える内に、執務室へ着いていた。
執務室に入ると、陛下は 数名の大臣に囲まれていた。
宰相様や クランツ様は、いらっしゃらない。
別の部屋へ 資料や書類を取りに行っているんだろうか。
陛下を囲んでいる大臣達は 政治の譚をしているのかと思いきや、どうやら 話題は 側妃についてだった。
いつも偉そうにしているクセに 何をしているんだ、仕事しろ。
「その譚は もう良い」
「ですが、陛下」
「諄いぞ、大臣」
「陛下、吾々は…… 」
「私の妃は、アシュリー 1人で良い」
ぴしゃり と言い放った陛下の声は、冷ややかだった。
本当に 鬱陶しいと思っている事が、私にも伝わった。
陛下は、大臣達を黙らせてから 部屋の入口に竚ち尽くす 私の隣を見た。
険しかった陛下の睛が、ふっと和らいだ。
「アシュリー」
お妃様へ手を差し伸べての 軟らかい声には、今し方の 冷ややかさの欠片もない。
この言葉に、大臣達が 一斉に振り返った。
敵意を含んだ視線は お妃様にのみ向いていたが、その隣にいるだけでも 相当なプレッシャーだった。
「っーーーーーー……… 」
私は、青褪めて 硬直していた。
「私の妃は、そなただけだ」
招かれて、お妃様は 陛下の前へ進み出る。
相変わらず向けられている 大臣達の『ぎろぎろとした視線』の中を、お妃様は 臆する事もなく ゆっくりと進んで行く。
傍にいただけで硬直している私とは 大違いだ。
陛下に告げ口をするのも、無理だ。
悚くて 近寄れない。
私は、恐怖で 軀が動かなくなっているのに、どう云う訳か お妃様は平気みたいだ。
あの嫋やかな人の何処に、そんな勇気があるんだろう。
《 お妃様って、凄い。》
直立不動のまま、私は、白銀の長い髪を見詰める事しか出来ずにいた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:王の側近-クランツ=バルトロメイ___
私と シズ様が資料庫から戻ると、執務室に アシュリー姫がいらしゃっていた。
アシュリー姫は 硬直しておられた、陛下の腕の中で。
当然だ、あの方は そう云った事に とことん弱くていらっしゃる。
勿論、開口一番『放しなさい!』と言ってやりたかったが、室内に大臣達がいては それも出来ない相談だ。
そんな訳で、私は まず大臣達を追い出した。
休憩だと言って 執務室から大臣達を排除し、彼等が 隣室からも離れたのを確認してから、アシュリー姫を解放させた。
陛下は 何かを言おうとなさっていたが、その暇など与えさせなかった。
後になると 信じられない事をしたな、などと思う。
思い返すと、震えが きそうになる。
だから、考えない事が肝要だ。
私は、アシュリー姫から 陛下を引き剥がし、間髪入れずに 仕事の催促をした。
大臣達を『休憩だ』と言い 追い出したからと云って、何も 本当に休憩をする必要はない。
啻でさえ アシュリー姫を呼び寄せる為に、態と 手を止めていたのだ。
執務室へ 姚しい華が来たのなら、この先は 馬車馬の様に働いてもらわねば!
そう思っていたのだが、執務室で、沢山の書類が乗った大机を前に、陛下は 手を止めていた。
普段なら『手を休めない!』と 陛下を諌める私だが、今は 私の手も止まっている状態だ。
自分の事を棚に上げて 国王を叱る程、私は図太くはない。
因みに、宰相-シズ様の手も止まっている。
仕事の鬼と謳われる シズ様までもが、無言で 一点を見詰めていた。
陛下と シズ様の視線は、執務室の端にある 小振りなテーブルの前に竚つ アシュリー姫へ向けられている。
彼女は、テーブルに揃えられたティーセットを前に 竚ち尽くしている。
アシュリー姫は、陛下のセクハラから解放され 落ち着かれると、お茶を淹れてくださろうとした。
女官達が搬んで来た 茶器などは、執務室のサイドテーブルに用意されていた。
アシュリー姫は その前まで進み出て、そのまま 動かなくなってしまった。
陛下達と同様、私の手が止まっているのも 彼女が原因だった。
「 ーーーーーー……… 」
女官達に 茶の準備をさせておきながら、それを前にしても 一向に茶を淹れようとしない。
この状態が、5分近く続いているのだ。
これは、私の睛にも 奇異に留まっていた。
私が 声を掛けていいものか 悩んでいると、陛下が 口を敞いた。
「もしかして、何か 怒ってる?」
先程 大臣達に対する『妃-大好きアピール』に使った事が 気に障ったのか、との問いに アシュリー姫は 小さく首を振る。
「いいえ」
「迷惑だったんじゃない?」
「そうでは、なくて…… 」
だいぶ 歯切れ悪く、アシュリー姫は そう答えた。
彼女が こう云った態度をとる時は、何かがあるのだろう。
そう感じた私は、眼の前の書類を そっち除けで 小首を傾げた。
「何か 厄介事ですか?」
そうとしか推えずに掛けた問いには、返事を貰えなかった。
どうやら 無視をした訳ではなく、何かが気になっているらしい。
それこそ、こちらの声など届かないくらいに。
「 ………… 」
そう察したのは、私だけではなかった様だ。
陛下は、執務用の椅子を竚った。
「談して? アシュリー」
心配事も 疑念も、教えてほしい。
そんな言葉に、アシュリー姫は 数瞬の間を擱いて 呟いた。
「こちらでは……女官や 侍従官などは、どうやって お決めになるのでしょう」
これは、先程の陛下の問いに答えた と云うより、ただの独り言だった様に推える。
怕らく、陛下の問いも 聴こえていなかったと推察される。
独白の様な問いに、シズ様が 小首を傾げている。
疑問を懐いている様だが、アシュリー姫の思考が判らずにいる訳では ないだろう。
シズ様は、恐ろしく頭の良い方だし。
その証拠に、睛が悚い。
或る程度 察しがついてしまった、と その顔に書いてある。
これからは なるべく 正面の席に視線を向けない様にしよう、寿命が縮んだら困るし。
「一応 審査はしてるよ? 侍従官の中には 長く働いてる者も多いけど、女官達は 日の浅い者のほうが多いかな」
陛下は、大机を廻り 入口付近にいるアシュリー姫に歩み寄る。
「そうですね、女性は 入れ換わりが早いですから」
シズ様の言葉は、返答の様で 返答ではない、と推う。
何手も先読みをして、正しい結論を導き出そうとしているのだろう。
「 ーーーーーー……… 」
これは、アシュリー姫も同じなのか。
彼女は、無表情で ティーセットを瞰している。
正直、私には 読みや勘を働かせる、なんて事は出来ない。
そんな 凄技的な能力はない。
「誰か、気になる者でもいましたか?」
誰も訊いてくれないので、仕方なく 自分で問い掛けてみた。
「まぁ……いる、と云えば いる様ですね」
蒼い瞳には、吾々では視えない 何かが視えているのか。
用意されたポットを見詰めて、アシュリー姫は 沈黙していた。
「また、毒でも?」
以前から、陛下と シズ様の湯呑に毒が仕掛けられていた と云う譚は、私も聴いている。
だから、今回も それについてだろう、と推察していた。
「はい」
その為、アシュリー姫の答えに驚く事はなかった。
アシュリー姫が〔森之妖精〕であると知らなければ、毒を仕掛け続けるのは 当然の事だろう。
気付かれているとは知らずに、同じ作戦を実行しているに すぎないのだ。
疾うに 解毒されている事を知ったら、どんな反応をするか 愉しみだ。
「今度は ポット?」
彼女の肩越しに 顔を覗き込む様にして、陛下が尋ねた。
間近に迫ったラノイ様の顔に、アシュリー姫が、びくり となさっている。
先程の事もあってか、警戒を爲さっているのが ありありと判る。
《 あーあ、厭がる事など しなければいいのに。》
脅えられるのは、はっきり言って 陛下の自業自得だ。
尤も、図太い あの方には響かないだろうが。
陛下の接近に気付いていなかったアシュリー姫は 急いで離れようとするが、前にはテーブルがあり 後ろには陛下がいる。
横へ遁れんとした彼女の行く手を塞ぐ様に、我が王は 両腕を拡げ 囲いを作っている。
陛下は と云うと、アシュリー姫の脅えを含めて、彼女を困らせて面白がっているのが 丸判りだ。
本当に、この方は 人が悪い。
と云うか、遣り方が 子供だ。
「アシュリー?」
どうしたのだ、と言わんばかりの態度で、陛下は アシュリー姫の顔を覗き込んでいる。
判っておられるだろうに、本当に こう云う時の陛下は 意地も悪い。
事実、彼女は 逃げ場を失って 身を縮めている。
《 ああ、脅えられている。》
私は、はらはらしながら 王と〔森之妖精〕を見ていた。
彼女は、魔法属としては『幼い』とは云え 高位の魔法使いだ。
吹き飛ばそうとすれば、この王宮くらい 簡単に消し去れるらしい とも聴いた。
あの方が やる気になれば、陛下くらい どうとでも出来るだろう。
それをしないのは、アシュリー姫が 類をみない程の お人好しだからだ。
こんな ちっっさな国の内情など、アシュリー姫には 一切 関係ないと云うのに。
〔獅子王〕の仮初めの妃になってくださっているが、そもそも アシュリー姫の お立場を考えれば、相当な無礼に當たる。
大体、今回の事だって 幾らでも断れただろうに、知り合ったばかりの陛下やシズ様の為に ラッケンガルドへ残ってくださった。
本当に お優しい方だ。
だから、陛下に『付け入られる』のだ。
「毒は、お湯に溶けてるの?」
追い込んでいる陛下は、眼の前の美女の脅えなど 見えてもいないかの様な態度だ。
《 す〜んごく悚がっているじゃないですか。》
そう言ってやりたかったが、アシュリー姫の返答が気になった私は 言葉を飲む事にした。
「う、器にも、塗られています」
軀ばかりか 声まで硬くさせて、アシュリー姫が答えた。
今にも抱き締められそうになっているんだから、当然だ。
アシュリー姫を お侑けするべきか逡巡する合間に、私は、迂闊にも 正面へ視線を向けてしまった。
広いスペースを挟んで 向かいの席にいるシズ様は、ペンを手にしながら 虚空を見据えていた。
途切れ気味の言葉を耳にしたせいか、シズ様の顔が、先程よりも 悚くなっている。
今なら その睛力で、私の呼吸くらい 止めてしまえそうだ。
言うまでもない事だが、私は、即座に シズ様から睛を乖らしている。
体温が 急激に上がり、背中に じっとりと汗が泛いていくのが判る。
あの一瞬で、間違いなく 数ヶ月分の寿命は縮んだだろう。
書類を読むフリをして 俯き、そんな事を考えている間にも 陛下の質問は重ねられていた。
「湯と 器の両方に?」
「はい……ですが、効果も 毒性も異なるモノです」
これを聴いて、正面から漂ってくる気配が変わった……様な感じがした。
悚いモノ見たさ、とは 厄介な心理だ。
見てはいけない と頭では判っているのに、衝動は これに逆らい、恐怖対象の恐怖度合いを その睛で確かめずにはおれなくなる。
愚かな私は、思わず 顔を上げてしまった。
シズ様は、眉間に皺を寄せ 険しい表情をしている。
「っーーーー⁉︎」
凄いですね、本当に 人を殺せそうですよ。
出来る事なら、シズ様を見ない様に 背を向けていたい状況です。
可能なら、一刻も早く この部屋から逃げ出したいですね。
たぶん、足が竦んで 歩けもしないでしょうが。
「それは ブッキングした、って事かな」
「尠くとも 2人、毒を仕込んだ者がいる、と云う事ですか」
陛下が呟くと、シズ様も 苦々しく言い零した。
こう云う時の シズ様は、本当に悚い。
流石は 陛下の兄上様だ、と 思わされる。
お母上様は違うものの、同じ血筋にあるせいか、恚りを滲ませると 同等の威圧感を醸し出すのだ。
私には、この環境は息苦しい。
実際に、本当に息苦しかった。
私の周りの酸素が薄くなったのではないか と推う程に、呼吸をしてもしても 酸欠状態が続いている。
そして、これは 私だけの変化の様だ。
「どっちが どんな毒?」
「器の毒は、昨日と同じモノです」
陛下も アシュリー姫も、酸欠状態にはなっていない様だ。
勿論、私を呼吸困難にしているシズ様も 何ともないのだろう。
椅子に座って 尚、倒れそうになっている 私を余所に、3人の会話は続いている。
「口にする程に効力を増し、ゆっくりと体調を垉させるモノ、でしたね?」
シズ様の確認する様な言葉に肯いてみせてから、アシュリー姫は、改めて ポットを瞰した。
「ですが……ポットの毒は、即効性のモノです」
「 ーーーー死ぬんですか?」
「いいえ。綜て飲み干しても、数日 寝込むくらいでしょう」
その瞬間、陛下と シズ様の睛に剣呑な光りが宿った。
当然だろう、と思う。
何を狙って その毒が仕掛けられたのか、私にも判る事だ。
それだけに 憤りは判る。
だが! 2人-同時に怒気を発するのは罷めて頂きたい!
今し方 気絶しそうになったんですよ⁈ いい大人が!
《 迸る怒気を 波動の様に放つのは、毒を仕掛けた者に対してだけにしてもらいたい。》
そう言えれば良かったが、もう 喉が からからだ。
毒が入っていてもいいから、早く お茶が飲みたい。
何なら 毒でも飲んで、数日 寝込んでいたほうが 軀の為にいいかもしれない、とまで推う。
「ふぅん」
陛下が、鼻先で嗤う様にしつつ そう言い零した。
慄しい。
軟らかかった 我が王の声は〔獅子王〕の それに変わり始めている。
「つまり、狙いは 陛下の生命ではなく、唯一の妃である アシュリー姫を陥れようとしての事だ、と」
「だろうな」
シズ様の恚りを滲ませた言葉に、陛下が 冷ややかな声で同意した。
「後宮へ身内を入れたい連中にとって、アシュリーは 眼障りでしかない。妃が淹れた お茶で『国王の毒殺未遂』などと云う騒ぎでも起これば 簡単に引き摺り降ろせる、とでも推ったか」
「相変わらず 姑息なマネを」
陛下に続いて シズ様も、溜息混じりに 独白とも付かない言葉を呟いた。
ゆったりと喋っているが、2人共 慄しい怒気を滲ませている。
最早、殺気と呼んでやりたいくらいだ。
勿論、最初の犠牲者は 私だろうが。
《 これで死ぬとなったら、余りにも 短い人生だ。》
何で こんな人達に仕える事にしたんだろう、などと 過去の短慮を嘆いてみる。
硬直し 酸欠になり 干涸びそうになっている私とは 打って変わって、アシュリー姫は 穏やかだった。
「わたしが『毒薬を作れない 唯一の魔法使い』であると知らなければ、こうする事が 最も効果的でしょう」
何でもない事の様に、そう 結論付けている。
この姫が怒る事など あるんだろうか。
自分が嵌められ様としていたと云うのに、どうして そんなに穏やかでいられるのか。
陛下や シズ様が恐怖と威圧の波状攻撃を私に強いていなければ、私だって 怒気を言葉に載せていただろう事態なのに。
「問題は それが誰か、だ」
相変わらず 薄い笑みを泛かべたままで、陛下は ポットを見据えている。
睛が笑っていないのに 表情だけは笑っていると云うのは、何度 見ても慄しい。
整い過ぎている顔だけに、迫力がある。
軟らかく笑んでいれば、お母上-似の 姚しい顔立ちをしておられるのに。
《 何にせよ、莫迦なマネをしてくれる。》
出会ったばかりとは云え、アシュリー姫は 陛下の『お気に入り』なのだ。
アシュリー姫に害となる者を、この人が赦す筈がない。
今 陛下の頭の中では、何人かの可能性を吟味しているのだろう。
晣らかに、先程よりも 猙々(あらあら)しい怒気を発している攸からも それが判る。
尤も、これは シズ様も同じだった。
流石は ご兄弟であらせられる。
行動が似ていますよね。
でも、罷めてください。
即刻、罷めてほしいんです。
死にそうです!
「買収されている女官や 侍従官がいるかもしれませんね」
この茶器も 湯も、後宮付きの女官達が用意したモノだ。
だが、直接 搬んで来た者でなくとも、前以て 毒を仕込む隙はある。
厨房に出入りする者は 云うに及ばず、途中で 擦れ違った者達にも 不可能ではない。
対象人物は どれ程になるのか、今は 見当も付かない。
それを 短時間で知る術を持つのは、アシュリー姫くらいだろう。
「アシュリー」
行動を促す様に、陛下は、再び『幼い魔法使い』の顔を 後ろから覗き込んだ。
仕込まれた毒が視えるなら、仕掛けられる前の毒も視える筈だ。
それを持つ者を 彼女の眼力で捜し出せば、問題解決は早い。
私も、その案が最善策だと推う。
しかし、アシュリー姫の返事は 異なっていた。
「じきに判りますよ?」
捜す気のない言葉に、陛下の眉が寄っている。
それでも 笑顔を保っているから、尚 悚い。
余りに悚くて 睛が乖らせないくらいだ。
私としては、何故 アシュリー姫が悚がらないのかが、不思議でならない。
「 ーーーーーー………… 」
一方、シズ様は 難しい顔で沈黙している。
黙られるのも悚いので、何か喋っていてもらいたいモノだ。
「アシュリー」
陛下は、何かを含んだ様に、背を向けたままの魔法使いを聘んだ。
これに、アシュリー姫が 首を竦める。
毒を飲まされるのは 陛下になるが、真の標的は ラッケンガルド王-唯一の妃だ。
つまり、アシュリー姫を 失脚させる事だ。
そう推えば、陛下の誘導も 尤もだと思う。
「っ、じ……じきに…… 」
先程と同じ言葉を繰り返したかったのだろうが、流石のアシュリー姫も 声を詰まらせた。
しかし、この返答は 不味かった。
自分に降り掛かる火の粉を放置する様子に、我が王は 態度を変えた。
逃げ道を塞ぐ為に 拡げていただけだった両腕で、柔かく彼女を抱き締めたのだ。
「きゃ、っ」
後ろから、肩と腰を抱き込む様に 腕を回したのだ。
あの姫なら、厭がって当然だった。
寧ろ 小さな悲鳴にとどめてくださった、と云うべきだろう。
《 無礼な腕など 魔法で払い除けて、顔面に 強烈な平手打ちでもしてしまえば いいのに。》
そうすれば、陛下も 少しは慎むかもしれない。
アシュリー姫は、やってくださらないだろうが。
「アシュリー?」
尚も びくん と撥ねた軀を 後ろから包み込む様に抱き、返答を促す。
「捜さない気か?」
自分の希む返事を引き出そうとする〔獅子王〕にも、彼女の答えは変わらない。
「じ、じきに 判る事、です」
捜そうとすれば、必ず 違和感を懐かせる。
それは、証拠を隠滅する猶予を与える上 牽制にもならない。
必ずある『背後の糸』を辿る前に 逃げられでもすれば、根本の解決には繋がらない。
陛下の腕の中で 身を縮めながら、アシュリー姫は そう付け加えた。
確かに、正論だ。
しかし、これには『探査する者が 普通の者達だった場合は』と云う文言が付く。
見るだけで判別出来る事を知らない者達が、アシュリー姫を警戒する筈がないのだ。
王宮へ来たばかりの妃が いろいろな場所を見て廻っている、と云う体を妝えば そう警戒されるモノでもない。
何せ、持ち物検査をする攸か、直接 問い質す必要もないのだから。
そうである以上、かの姫が あれこれと上手くもない理由を付けているのは、そうしなければならない何かがある……と云う事なのか。
私には、これ以上は 想像も付かないが。
これは お任せするほうがいいのかもしれない、と推えてきた。
尤も、陛下達は 私とは違った。
アシュリー姫の発言を受けて 何事か考え付いたらしく、陛下が 一際 悚くなった。
元々 慄しい人だと云うのに、更に増すとか 罷めてほしい。
私の精神と 寿命の為に、本当に 罷めてほしい。
「 ……判った」
溜息混じりに 承諾して、陛下は エスファニアの魔法使いを放す。
そして、適切な距離をとる様に、数歩 退いた。
「攸で、お茶は なしになるの?」
残念そうな声で催促をした陛下は、一瞬前までとは 表情が違う。
発せられていた猙い気配も 険しい表情も熄え、和やかな睛をしている。
私も、漸く 息が出来る様になってきた。
だが、まだ 喉は からからだ。
このまま 咽の皮膚が貼り付けば、今度こそ 呼吸困難で死ぬかもしれない。
それを回避する為にも、出来れば、一秒でも早く お茶が欲しい。
何なら、そのポットの中の 冷め切っているであろう微温湯でも構わない。
毒入りのままで構わないので、早く ください。
「いいえ」
アシュリー姫は、ポットと湯呑に 軽く觝れる。
たった それだけの事で、綜ての毒は 効果を失った様だ。
相変わらず、何と便利な能力だろう。
私にも使える様になるのなら、すぐ態 弟子入りしたいくらいだ。
彼女は 茶器の解毒もし、お茶の用意に移った。
まずは、冷め切ってしまったポットの中身を 湯に戻す攸から始まった。
解毒の済んだポットの上に 手を翳しただけで、蓋の隙間と注ぎ口から 勢い良く蒸気が噴き出した。
ポットの蓋が軽く持ち上がり、かちゃり と音が発つ。
これなら、再度 女官を呼び寄せ湯を用意させる必要もない。
それにしても、湯にする魔法も使えるなんて、何と便利な……。
私は 陛下の魔法しか 見た事はなかったが、アシュリー姫は、御伽噺にある様に 火や水をも自在に操れるのだろう。
而も、火を出さずに熱を発すると云うのは 高等技術だったりするのではないだろうか。
今度、詳しく訊いてみよう……後日、気力と体力が戻って 真面に喋れる時に。
「今日は、ほうじ茶に致しましょう」
手際良く お茶を淹れ、まず 陛下へ差し出す。
「ありがとう」
アシュリー姫は、シズ様と、畏れ多くも 私の分まで ご用意下さっていた。
嬉しいです! 感謝しますっ。
喉 からからでした。
「ありが と、ござ ぃま す」
口内が乾燥しすぎると、上手く喋れなくなる。
それでも、辿々しく 礼を述べてから、私は ほうじ茶を啜った。
そして、瞠目し 沈黙した。
瞠った睛は、ほうじ茶の 茶色い水面を見据えたまま 動かなかった。
頭の中を、僅かな疑問と 数多の感動が駆け巡っていた。
アシュリー姫の淹れる お茶が美味いと云う譚は、知っていた。
昨日 シズ様が、実に美味い お茶だった と、珍しく 熱弁しておられた為だ。
確かに、これは 素晴らしい!
普段の茶葉と違うのでは、と推ってしまうくらい 美味い。
「美味しいよ」
「ええ、本当に」
陛下と シズ様が賛辞を送っている。
私も 賞賛を送りたかったが、驚きの余り 声が出なくなっているらしい。
どうも、昨日から驚かされてばかりな気がする。
序でに、先程の 肉体に響く精神疲労が、洗い流されている気がする。
喉の渇きも 肉体-及び 精神的な疲労感も、もう感じない。
「わたしの仂は、生命を育むモノですから」
何とも 控えめな言葉が返ってきた。
此処は 素直に喜んでいいと推うのだが。
「 ーーーーーー魔法使いの中でも 稀では?」
「いいえ、そう珍しい天賚ではありません」
「そうなんですか?」
「実際に『緑の手』や『癒しの手』と云った天賚を具える方は、魔法使いでなくとも いらっしゃいますよ。事実、わたしの弟も、同じ仂を具えております」
「でも、魔人や魔女で そんな噺を聴きませんが」
「魔法使いは、とても 長寿ですから」
「?」
解答を貰う度に 新たな質問を重ねていたシズ様は、アシュリー姫の返答に 小首を傾げられた。
旁で聴いていた 私も、同じ事に引っ掛かっていた。
魔法使いが長寿だから? 何だと云うのか? と云う疑問だ。
確かに、御伽噺で 魔法使い達の多くは『老獪な魔人』やら『狡猾な魔女』やらと謡われている。
そして、総じて 長寿であると云ったニュアンスを含んでいる。
明確に謡われてはいないが、1度でも御伽噺を聴いたことのある者ならば 同じ印象を懐いた筈だ。
それを 今更 云われても、何を示唆しているのか判らないのだ。
これについては、陛下が 答えをくださった。
「つまり、永く生きる内に『生命を育む』って心が薄れるのさ。闇の仂ってのは、そう云うモノなんだ。そのせいで、使える筈の仂も 揮えなくなるんだよ」
強力な天賚を具える上、幾つかの魔法も使い熟す。
何でも、幼少期に 魔法使いの弟子になった事があるとか ないとか。
それだけに、陛下は、魔法使いの事情に お詳しい。
「アシュリー姫は…… 」
彼女は『幼い魔法使い』だ。
ほんの13齢の、魔法使い達にしたら 赤児の様な齢の人だ。
御伽噺で『老獪な』と語られる程に 永く生きた魔法使い達とは違うのだろう、と 漠然と推った。
「わたしは、殊更 この仂が強いのです」
どうやら、それだけではないらしい。
《 それも『光りの仂』に因るんだろうか。》
私には 全く判らないが、強力な光りに属する魔法使いだと云うし。
「お陰で 安心して飲み喰いが出来るよ」
陛下の声も 表情も、すっかり和らいでいる。
先程まで 赳しいまでに険しかった気配が、嘘の様だ。
「お役に立てて 何撰りです」
ええ、役に立っていますとも。
とても 役に立ってくださっていますよ。
陛下は仕事をしてくださるし、あの悚さを緩和してくださるし、大援かりです。
陛下や シズ様の お生命を護ってくださっているばかりか、2人の脅威から 私の寿命をも護ってくださっていますよ。
《 勿論、この場で お伝えする事は(慄しすぎて)出来ませんが。》
そんな事を思いながら、手許の ほうじ茶を 大切に大切に啜っていた。
クランツさんが出てくると、どうしても 話が長くなってしまいます。
そして、可哀相な目に遭わせてしまう……ごめんね、クランツさん。
きっと 次は、怒鳴り捲っているクランツさんが書きたい。
でも、きっと 次も……。
主人公より サブキャラを構いすぎな気もする。
サブキャラ好きも 程々にしないと、ラノイとリーゼロッテが霞んでしまう(笑)