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恋の始まりは更紗から

恋の始まりは更紗から (庄之川視点)

作者: 大平麻由理

庄之川(男性)視点になります。

「あ、(しょう)()(がわ)君! ちょうどよかった」

「課長……」


 隣の部署に行こうと廊下を歩いている時、突然その人に会った。乃木崎課長だ。

 確か十歳以上年上のはずだが、体型といい手入れの行き届いた髪といい、庄之川と同年齢の女性たちと全く引けをとらないほど輝いて見えるのは、決して言い過ぎではない。顔立ちも相当な美人であると周囲はその美貌を高く評価している。

 本社に転勤してくる前は海外支店に配属されており、それなりの業績を上げてきたと聞く。持ち前の手腕で先輩社員をも差し置き、異例の速さで出世を成し遂げた人だ。

 男女、年齢を問わず、仕事ができる者にはそれなりの活躍の場を提供するのがこの会社の特徴でもあり、他社より秀でている部分でもある。課長のような人材が会社を支えている事実は庄之川とて認めざるを得ない。

 が、しかし、ことあるごとにプライベートにまで踏み込んでくる彼女のパーソナリティーには困惑を隠せないでいた。


「ねえねえ、今から一緒に飲みに行かない? 二人っきりで……」


 やはり予想通りの誘い文句が投げかけられる。課長の直属の部下でもないのに、常日頃からこうやって食事や飲み会に誘われるのだ。課は違っても仕事での繋がりは皆無ではないため、断ってばかりもいられない。けれど今夜はどうしてもだめだ。今日という特別な日に、二人きりでと誘ってくる課長の真意を量りかねていた。


「いえ、今日はこの後、約束がありまして……」


 非常に断り辛い状況ではあるが、ここははっきりと意思表示をする必要がある。もし今回の誘いを拒否したことで仕事に支障をきたしたとしても、逆境を受け入れる覚悟は出来ていた。それほど今日という日は、庄之川にとって大事な日だったのだ。


「そうなの? せっかくいいお店に連れて行ってあげようと思ってたのに、残念だわ。ねえ、庄之川君、いつになったら私と飲みに行ってくれるのかしら」

乃木(のぎ)(ざき)課長、申し訳ありません……」


 まだまだ若輩者である自分は、ただひたすら頭を下げるしか(すべ)がない。


「そんな、謝らないでよ。そうだ、その約束って、あなたの彼女に会うのかしら? だって、今日はホワイトデーよ」

「…………」


 あまりにも的を得た課長の言葉に、返す言葉もない。けれど何も言えないのにはちゃんとした理由があるのだ。

 

「あら、もしかして……。それって、私と飲むのを断る言い訳? 年上の私とじゃ、嫌なのかしら」

「そういうわけではありません。乃木崎課長、本当に約束があるんです。ですので、今夜は……」


 こういう切羽詰った時、つい本音が出てしまうのは人間誰しも同じだろう。ただし今回の本音は、断る言い訳でも何でもない。さっき階段のところで同期の女性と擦れ違いざまに取り付けた約束を、今夜はしっかりと全うしなければならないのだ。真実をそのまま課長に伝えたつもりだった。


「じゃあ、そのお相手の方も一緒に私の紹介する店に行くってのはどう? その方、あなたの彼女じゃないんでしょ? なら、別に一緒でもいいんじゃない?」


 課長は全くひるまなかった。この強引さが仕事でも武器になっているのだろう。そして課長が言うとおり、約束した相手は彼女ではない。もちろん、恋人でもない。だが……。

 その人は庄之川が心に決めた大切な人であり、そこに他人の入り込むすき間は、一ミリたりとも用意されていないというのが本心だった。


「そうですね、まだ彼女ではありません。でも今夜きちんと話をするつもりです。彼女に私を受け入れてもらえるよう、この気持ちを伝えるつもりです。彼女のことを……。愛しているんです」


 あまりにも自信たっぷりの眼差しで挑発的な態度を録り続ける課長には、うやむやな答えはいらないと判断した。直球勝負だ。今まで生きてきて一度も言ったことがない、愛しているんです、などという言葉をいつしか口走ってしまっていた。


「ぷっ……。あははは、なんてこと言うの? 愛してるだって? まあ、安っぽい言葉。わかったわ。あなたの思うとおりにすればいい。ああ、またフラれちゃった。じゃあね」

「課長、ちょっと待って下さい。あの、これ、バレンタインの……」


 声だけは高らかに笑っているが、課長の表情は強張ったままだった。すぐにその場から立ち去ろうとする課長を引き止める。ここに来たのには理由があったのだ。バレンタインデーに分不相応な品物を無理やり渡され、それに見合った額の物を返そうと課長の元に足を運んだところ、廊下でばったりと出会ってしまったというわけだ。


「ああ、お返しね。いらないわ。どうせ義理でしょ? 本命なら受け取るけど」

「…………」


 この人の言葉に裏表はない。いらないと言えば、絶対に受け取らない。ましてや課長の機嫌を取るために本命などと見え透いた嘘を()く気もなかった。


「じゃあね。そのお相手の方と素敵な夜を」


 こちらを見ようともせず片手を上げて手を振り、コツコツとヒールの音を響かせて颯爽と去っていく。

 庄之川の右手には、渡しそこなった洋酒が入った紙袋がぶら下がったままだ。こうなることは薄々予想はしていたが、さて、この洋酒をどうするべきかと思いあぐねる。


 時計を見ると、すでに八時を過ぎていた。具体的な待ち合わせ時刻を決めていたわけではないが、課長が誘って来たことを考えると、彼女もそろそろ仕事を終えているかもしれない。更紗で長時間、彼女を一人ぼっちで待たせるわけにはいかない。

 庄之川はすぐさま踵を返し、自分の部署に戻った。あと十五分くらいで残りの仕事も片付くだろう。

 後味がすっきりというわけではないが、課長とのやり取りも、精一杯対峙したつもりだ。後は、更紗で彼女に会うだけだ。


未優奈(みゆな)。すぐにそっちに行くから、待ってろよ」


 庄之川は小さくつぶやくとデスクに向かい、商談のためのメールを素早く打ち込んだ。



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