変質者と変質者と変質者
鉛色の空が翔の不安を表していた。短い草花や泉は薄暗くなり、遠巻きに立っている木々は生気を失って、幽霊の様に翔をうかがっている。這い寄る冷気に吹きすさぶ風、現れるいなびかり。雨。それらは段々と強まり、翔の髪を荒らし、白いブラウスを透けさせ、まだ完熟したとは言い難い、女の線を、そこに浮かび上がらせていた。
哲はまだ戻らない。
視界の端に影が見えた。哲かと視線を向けると、大きさに人違いと気づく。まさか衛兵が追ってきたのか? そう考えた。影は薄暗い木々の間から、鉄でも千切りそうな筋肉あふれる腕と、素材の分からない、ざらついた灰色の腰巻を雨の中にさらし始め。続いて何も通さない、見るものを萎縮させる体と、大きさも力強さも変わらない大剣を背負って、広場に侵入を果たした。翔は大男の顔を見て二度目の衝撃を受ける。
その顔はおっさんだった。
横は髪が有るのに上は薄く、前はほぼ無い。しょぼく覇気の無い顔。鼻の横から口の両端まで駆けるしわが、おっさん顔をさらにおっさんたらしめている。多分生きるのが辛い。
顔と首以下に、異常にギャップを持つ男は、まだ少し力の出ない翔の前まで行くと、低く厳かな声を出した。
「貴様、神か?」
翔は、は? と気の抜けた声を出してしまった。意味不明である。男は続ける。
「我が主と並ぶその萌え姿、つい信仰してしまいそうだ」
翔は悟った、こいつマジやばいと。同時に男の出身について予測が付く。
「あなたはまさか、フジの?」
東の国、フジ。その国を一言で言えば、独裁者と狂信者の国。王は神であり民衆は信仰すべきが公式の一言で、発表当時、ネットでは公式が病気になったと、何かにつけ話の種にされていた。だが、王のキャラクターが公開されると話は一変。千年前から続く、女王である少女アマテラと、身分を持たないサムライとの恋愛シナリオも相まって、ネット上でも狂信者が続出している。
「しかし、我が信仰は主のために」
男は翔の質問を軽く聞き流した。むしろ聞く気があるのか疑わしい。翔は言葉を重ねるが男は答えず、背負った大剣をおろして抜き、地面に刃先を落とした。鈍い音と共に、雨に打たれる黒い刀身は地面に沈む。
「萌えは主のために。我の心を揺さぶった責を受けてもらおう」
話が通じない。男は自身の頭の上で大剣を構えた。獲物を叩き潰す大剣の圧倒的な存在感、使い込まれた男の体、振り下ろす事だけを考えた目つき。翔は動けなかった。辺りの薄暗さが精神を、叩きつける雨が体力を奪っていく。一瞬、大剣を見つめる視界がさらに暗くなった。だが雨はその勢いを失っていく。なぜ? 男の体がふらついた。翔を狙っていた大剣が狙いを狂わせ、男の横を砕く。飛び散る土。翔は短い時の中で気が付いた。黒光りする靴が、足が、男の喉が有った場所で浮いている。黒い煙から膝が見え、太もも、白い肌になり、ガーターが、揺らめく外套が、張り付いたベルトが姿を現して一人の少女になった。
ひるがえって四つんばいで着地。男の体は止まる。翔は見ていた。赤い目を怒りにぎらつかせながら立ち上がる。彼女は言った。
「おい、翔に何をしようとしてた?」
爪を伸ばす。男は体勢を戻してまた構えた。
「なあ、てめえは翔に何をしようとしてたんだよ」
男が静かに低い声で言う。
「この剣は我がいち物、我が欲」
初心者用運動サポート起動。そう呟いて吐き捨てた。
「叩きのめす」
哲は消えた。