宿屋でおばさんが待ってる
門を抜けると白交じりの砂を踏み固めた道が敷かれ、道に隣接し、多少雑多ながら木造の建物がでたらめに並び、木の板をはめ込んだ窓からもれる明かりや、たまに動くゆらめいた火を見た時に、巡回する警護団であると理解されたり、しばらく先には馬車の移動を意識したロータリーと、中心部に丸い建物が有って、今ちょうど一人の警護兵が入って行く所であった。さらに遠く離れた場所には大きな屋敷が見え、あれが先ほど話に出ていた長の住まいであると思わせた。他にも町の内部は有ったが、翔の隣に居る哲が目を輝かせてうろうろし始めたので、そっちに目をやる気持ちが膨れて、なんと言うか、リアルでも遊びに行く時、大きかったり広い場所に行くとしょっちゅうはぐれて、哲を探す羽目になるのだが、と、翔はそれに関係した出来事を思い出した。数年前の話である。友人六人と大型ショッピングハウスに出かけた時の事、いつの間にか哲が消えたので翔が五人を待たせ、道を戻って探したのだが、携帯にも出ずどうにも見つからない。仕方ないので戻ってみると、五人も居なくなっていた。誰にも連絡が付かず、うろうろ探し回って二時間、やっと見つけたら哲も含め六人揃っていて、話を聞くと、翔が探しに行って直ぐに哲が戻ってきたらしく、それから色々見て回っていたと、そのうち戻ってくるだろうと楽観的に、翔以外の六人が、連絡も返さずに楽しくおしゃべりもしながら、おやつを買って食べたり満喫していたのだった。この話を聞いた後、翔が気がつくと豪華な昼飯が無料で目の前にあった事は言うまでも無い事かもしれない。
そんな訳で、集団で行動する時の癖みたいなもので、ふっと仲間の動向を追いかけている自分に気づく翔だった。少し、何故か自己嫌悪している自分にも気づく。俺はお前らの母さんかよ、である。
「哲、先に宿屋に行くぞ。見物は後にしよう」
こんな事態とは言え、せっかくエノトに入って初めての町で先を急ぐのもどうかと思ったが、まだ晩御飯時にも関わらず人通りが少ない事が翔はひっかかっていて、ツンデレ男もそうだが、イベントが進み過ぎると困るのだ。宿屋に引っ込んで、せめてこの一日は終わらせたいと考えていた。だがなんとなく、上手く行かない様な気もして、それは主にツンデレ男のせいだが、少し急いでしまう気持ちが有るのだ。
哲も何か察しているのか、ちらちらと町の様子を見ながら翔に続いて、話を聞いた通り、町に入ってすぐ右に有る宿屋、二人の前に、この通りの建物の中では比較的大きい、二階建ての建物に歩いて行く。木製の扉の上に、通りから良く見える場所にもだが木の看板が掛けられていて、皿の上に鳥と、端にナイフとフォークが描かれていた。
軽い手ごたえと、キイと弱く鳴った扉をくぐって、奥に見える暖炉の火に導かれ、揺らめいた光と影を渡り、しっとりときしむ音を抜けると、いくつものテーブルとイス、カウンターがある食堂が二人を迎えた、そのカウンターをふいていた中年のおばさんが二人に気づき、ぎょっとした様子で雑巾を水を張った桶に放り込み、視線を二人に向けながらカウンター端へまわる。
「あんたら、若い娘がなんて格好してんだい、ちょっと待ってな」
言いながら手洗い用の桶に両手を突っ込んで、近くの手ぬぐいを荒々しく取ったおばさんは、すぐ隣に有る、奥に行くためのドアを肩で開け、勢いの付いた扉が反転して壁にぶつかり、ドンと大きい音を立てたが気にする風でも無く、盛大に床をきしませる音を立てながら、見えなくなり、見えなくなっても音は続いて、しばらく続いたと思ったら、足音とは別種の重たい物を落とした様な、鈍い音と低く長い振動が伝わり、翔は床がえぐれないのか心配になったほどだった。その心配が過ぎた後、次は他の泊り客が怒鳴り込んでこないか心配になり、居心地が悪くなって、左に有る、個室に通じているだろう通路と階段に目が行ってしまった。
哲を見る。
とても珍しいのか、木のイスに座ってそろいのテーブルに倒れかかり、だらけた時にする様に、ほほと耳を当てて、カウンターの向こうに有る大きく鎮座した樽を見ていた。その様子にツアーガイドの先頭に立った気分になり声をかける。
「あれに酒が入ってるんだ」
哲の目が翔と交わった。
「木のコップでな、すくい上げるんだ。気を使った場所ならひしゃくですくう」
「あれってぬるくないのか?」
嫌悪感の見えない哲に、この世界になじめる資質を見て、翔は嬉しくなった。どうしても受け付けない人が中には居たのだ。
「それは魔法で冷やすか、場所によったら洞窟に樽を置いて、一日待ったら飲めるよ。って言っても、動物に飲まれてる場合も有るから、樽を置く前に、その洞窟を調査しないといけないけどな。それがまた金になるんだ」
地響きが戻ってきた。哲に「立って」と穏やかに言って、カウンターの奥に向き直った。
哲が立ち上がって少し経つと、また扉が跳ねた様に開いて大きな音を鳴らす。おばさんの両手にこぼれる量の、華やかであったり落ち着いた色合いであったり様々な服が抱え込まれて、哲が倒れ掛かっていたテーブルの上に押し込む様に置かれた。
「さああんた達、どれでも取りな。お代は要らないよ」
今日泊まる予定の二人だろ? とおばさんが言ったので、翔はあいまいにうなずいておいた。
良く見ると、テーブルにつまれたのは服ではなくて外套だった。翔の様子におばさんも気づいたのか、笑って、ちょっとうるさい声で言った。
「客も色々だからね。中には魔法のかかった物もあって、そういうのは大体変なものさ。多分、見た目で魔法をかける訳にはいかないんだろう。けど、隠せるものなら隠しておきな。いらないやっかい事に巻き込まれる前にね」
翔はツンデレ男の時と違い、丁寧に頭を下げた。哲も「ありがとう」と、笑顔で言って、二人で選ばせてもらった。
翔はあれ? と思った。続いて哲は外套を着てるじゃないか、とも思った。だが、おばさんはあんた達と言った。不思議に思って哲を見ると、ちらちらと太ももが外套からはみ出している事が分かった。このスリットが気にかかったのだろう。
「哲、その外套は、何か変えたり出来ないのか?」
言ってしまってから哲の弱点を思い出した。何でこれほど重要な事を忘れていたのか。哲は物を持って瞬間移動が出来ないのだった。
「んー、出来ないな。まだ出来ないのかも」
翔は、そうかと言って哲に気に入ったのが有るのか、すぐに聞いた。翔の手には一つ取って有る。
哲はしばらく、うーん、うーんと唸っていたが唐突に決心して外套の山から一つ引っ張り出した。翔には分かっていた。哲お得意の勘である。色々考えての適当とも言える。
おばさんが残った山を抱えて、食事を作る間、部屋で休む事を提案したので、その部屋はどこですかと、扉が続く廊下と上に繋がる階段をいちべつして聞くと、おばさんは言った。
「どこでも良いよ。今日は貸切さ。あんた達のね」
あんた達が出て行くまでね、お代は隊長さんからもらってるよと続けた。
イベントは進行中の様だった。