第二話 母を訪ねて 中編
「あゆみは、自分のお部屋を片付けていなさい」
そう言われて、良太さんを連れて二階のわたしのお部屋に来たけれど。
東京に行くときに整理してあるから、何もすることはないのよね。
「あゆみの部屋に入るのは、二度目だね」
一度目というのが、お姉ちゃんの部屋へ箱を取りに行ったときだとしたら。
まったく違うシチュエーション、ですけれどね。
「片付けって言われても、たんすは空っぽだし荷物だって何もないよ」
「東京に持っていったもの以外は、もう処分してあるんです」
「ふうん、それで何もないのか」
「なくて当然です、良太さんと結婚するために東京に行ったんだもの」
「結婚するためじゃなくて、婚約者になるためだろ」
良太さんったら、細かいことを。
「空っぽの机とたんすを捨てれば、おしまいなの」
「そうか、何もないんだ……」
「どうして、そこまでがっかりしているの?」
「アルバムがあれば、小さいころのあゆみの写真を見たかったからだよ」
「言ってくれれば見せてあげますよ、東京にありますから」
「へっ?」
「だから、アルバムなら東京に」
「持ってきているなら、どうして見せてくれなかったの?」
「見たいなんて、言われなかったから」
「わざわざ言わなくても、見たいに決まっているだろ」
「えっ、そうなの?」
「もちろんさ、かわいい婚約者の小さいころの写真なんだよ」
かわいい婚約者ですって!
そんなせりふが、良太さんの口から聞けるなんて。
「だったら、帰ってから見せてあげます」
ちょっと得意気、だったかしら。
一階に下りると、リビングとキッチンには誰もいないわ。
「お父さんは庭にいるのに、お母さんとお姉ちゃんはどこにいるのかしら?」
「あっちから、話し声が聞こえてくるけれど」
お母さんとお姉ちゃんの声がする、寝室に行くと。
「引っ越しやいうても実感があらへん、隣に移るだけやし」
そう、引っ越し先は実家の隣に建った新築のマンションなんです。
「引っ越し業者を頼んだといっても、隣のマンションに運ぶだけだものね」
「そもそも、なんで引っ越すことにしたん?」
「お父さんと二人で暮らしてみたら、一戸建てだと広すぎると思ったからよ」
「そない言うとったんは、課長から聞いとるけど」
「隣にマンションが建つなら、どうせ日当りが悪くなるでしょうし」
「そらま、そやろな」
「どうせ引っ越すなら、隣に引っ越しちゃえって思ったのよ」
「引っ越すんはええとして、なんも隣でのうても」
「あたしたちの年になると、新しくご近所付き合いを始めるのは大変なのよ」
「よう分かれへんけど、そういうもんなんや」
「なんで、3LDKにしてねん」
わたしも、それが気になっていたのよね。
「夫婦二人やったら、1LDKでも足りるやろ」
「何を言っているの、あなたの部屋が必要だからでしょ」
「ウチの部屋?」
「あなたがこのまま独身でいてみなさい、いつ転がり込んできても」
「結婚もせんと、戻ってくる前提て」
それって、お母さんにとってはあり得ない話ではないんでしょうね。
「ほんなら、寝室にウチとあゆみの部屋で3LDKかいな」
「違うわよ、寝室とお父さんの書斎とあなたの部屋でしょ」
「あゆみの部屋は?」
「必要ないでしょ、あゆみはこのままお嫁にいくんだから」
「そうやとしても、お父ちゃんに書斎なんて初めて聞くわ」
「とりあえず書斎として使うだけよ、後になって子供部屋が必要になったら」
「なんやそれ、子供部屋て?」
「あなたが結婚できたとしても、子持ちのバツイチになって戻ってきたら」
お母さん、用意周到なのは分かるけれど縁起でもないことを。
「ウチは未婚の危機を脱した思たら、バツイチの子持ち確定かいな」
微妙にありそうな話なので、いまさら口を挟みにくいけれど。
お母さんたら、お姉ちゃんのことを何だと思っているのかしらね。
良太さんも、未来の義姉のことなんですからにやにやしないでっ!
お引っ越しの準備もあらかた済んで、殺風景になったリビングで。
良太さんとお姉ちゃんの三人で、お茶をしていると。
「このどら焼きっておいしいね、大阪の名物なの?」
良太さんたら、二つ目に手を伸ばしながらそんなことを。
「何を言うてんねん、ウチらが持ってきた東京土産やん」
目の前のテーブルに置いてある箱に、東京銘菓って書いてあるでしょ。
歯医者さんの帰りに並んで買ってきたって、お母さまが言っていたのに。
「ねえ、今夜はどこに泊まるの?」
「何を聞いとったんや、自分」
そこまで偉そうに言うってことは、お姉ちゃんは聞いていたんだ。
「聞くって、何をさ?」
「課長が言うとったやろ、大家さんが昨日から大阪出張を入れてくれとるて」
ふうん、お父さまについてのことだとお姉ちゃんは聞いているのね。
「休日なのに、父さんも大変だよね」
わたしたちのために、来週だった出張の予定を前倒ししてくれたって。
お母さまが言っていたでしょ。
そうか、良太さんはお母さまの話なんてとことん聞いていないんでしたね。
「仕事が終わったらここで合流して、ホテルに泊まんねんて」
「ふうん」
お仕事を終えたお父さまが到着されたのは、夕方になる前。
わたしの両親とあいさつを交わしてから、明日の手順を聞き終えると。
「ごっつ早いお帰りやな、大家さん」
「会議が終われば帰るだけだし、同行したやつらは三時の新幹線で帰ったよ」
「今夜はどこに泊まるんか、良太が気にしとったで」
「会社が入っているビルのホテルを予約してあるよ」
「前に来たときに泊まったホテル?」
「ああ」
「お父ちゃんとお母ちゃんも一緒け?」
「ご両親には思い出の詰まった家だろ、最後の夜はここで過ごしたいってさ」
わたしたちも本来はそうすべきなのよ、この家で育ったんだから。
「やったら、ウチとあゆみだけホテルに泊まるんか」
「そうだよ」
やけにうれしそうな、お姉ちゃん。
お母さまがいない上に親の目が届かないと知って、これ以上ない笑顔ね。
「ほなメシにしよか、近くにうまい店があるんや」
勇んで席を立とうとするお姉ちゃんに、お父さまは。
「せっかくだから食事は家族水入らずでしろよ、後でホテルに来ればいいさ」
「大家さんはどないすんねん」
「俺たちはどこかで食事をしてから、先にホテルに行っているから」
「課長抜きで大家さんとおるんやで、それこそウチにとってのせっかくやん」
「たまの親孝行なんだから、そうしろよ」
「しゃあないな、大家さんがそこまで言うんやったら」
へえ、珍しく言うことを聞くんだ。
他ならぬお父さまの言うことだし、明日の夜もあるからかしら。
「ホテルでは、フロントで名前を言えばいいようにしておくからな」
良太さんとお父さまをお見送りしてから、近所の焼き肉屋さんへ。
いつも家族四人で通っていた懐かしさから、店内を見回しているわたし。
一方でお姉ちゃんは、席に着くなり大きなジョッキでビールを飲んでいる。
「お母ちゃんは、ウチを独り身のまま結婚でけへんやら言うて」
ついに、自分に対するお母さんの考えに文句を言い出したわ。
「しまいには、たとえ結婚でけたとしても子供を連れて出戻るやろて」
「あなたのことを心配している、母親だからこその思いなんだから」
そうね、お母さんは心の底から心配しているんだと思うわ。
「お母ちゃんは心配しとるけど、そんなんウチのせいとちゃうやろ」
「あなたのせいじゃないなら、誰のせいだっていうのよ」
「大家さんがウチを選ばんさかい、こないなことになっとるんや」
いくら酔っぱらっているとはいえ、なんてことを言い出すのよ。
「やめてよお姉ちゃん、もう酔っ払ったの?」
っていうより、新幹線に乗っているときから酔っていたわね。
「夏樹は、こんな感じでいつもみなさまにご迷惑をかけているの?」
はい、あなたの娘はどこにいてもまったくぶれずに周りを困らせています。
「心配せんでええ、ウチがこないでもあゆみが頑張っとるからチャラや」
ほら、そう言いながらジョッキを飲み干してお代わりを頼んでいるでしょ。
「どんな理屈よ、結局はあゆみ頼りってことなの?」
「持つべきものは、できた妹やな」
「あなたって子は」
親って大変なのね、特にお姉ちゃんの親ともなると。
心配の量が、他の人とは比較にならないでしょうから。
ちょっと待って、わたしの子供は良太さんの子供でもあるのよね。
だったら、わたしもお母さんと同じような心配をすることになるのかな。
やれやれ……。
ご機嫌で大ジョッキを四杯も空にして、ついに爆睡しちゃったお姉ちゃん。
知っている人も多い近所のお店で、久々に会った両親の前だっていうのに。
どれだけお気楽なのかしらね。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんてば!」
だめだわ、こんなに揺さぶってもびくともせずに眠っているもの。
「これじゃ起きないわね、あなただけでもホテルに行きなさい」
「お姉ちゃんを残して、わたし一人だけ行けないわよ」
「夏樹のことは何とかするから、気にせずに行きなさい」
「何とかって、お母さん一人でどうやって二人も」
一人で二人?
わたしの目線の先には、さきほどから爆睡中のお姉ちゃんと。
それ以上のペースで飲んだ結果、これまた爆睡しているお父さんが。
「珍しいわね、お父さんが酔って寝ちゃうなんて」
記憶にないわ、初めて見たかも。
「あなたが東京に行ってから、めっきりお酒に弱くなっちゃって」
「そうなんだ」
「久しぶりにあなたの顔を見られたから、うれしくて飲み過ぎたんでしょ」
心配してくれる、これも親なのね。
「とにかく、わたしとお母さんがいても二人を運ぶのは無理でしょ」
「そうねえ、どうしましようか」
「どうするもこうするも、手伝ってもらうしかないわね」
「どうしたんだい、あゆみちゃん」
「お食事中でしたら、すみません」
「俺らは食事を終えたけれど、あゆみちゃんこそ食事は終わったの?」
「実は、お姉ちゃんとお父さんが……」
恥を忍んでお父さまの携帯電話に電話をして、事情を話しているんです。
お父さんとお姉ちゃんを運ぶにあたり、助けてもらおうと思って。
「……というわけなんです、申し訳ありませんが戻ってきてもらえますか」
お願いするだけでも恥ずかしい、迷惑千万な事態に発展しちゃった。
「俺は構わないから気にしないで、どこに行けばいいの?」
「実家を出て、右に二百メートルほど行った角の焼き肉屋さんです」
「これからタクシーで向かうから、そのまま待っていて」
少しすると、タクシーで駆けつけてくれたお父さま。
「申し訳ありません石田さん、せっかくお帰りになったのに」
「いえ、ちょうど食事を終えてホテルに向かう途中でしたから」
しきりに謝っているお母さんを尻目に、わたしは。
「ねえ良太さん、あの人は誰なの?」
お父さまの後ろに、初めて見る人がいるんだもの。
「中島さんっていうんだって」
「名前が知りたいんじゃありません、誰なのかって聞いているんです」
「ああ、父さんの会社の人だってさ」
「それだけじゃ分からないわ、会社の人がなぜここにいるのかってことです」
「まだ仕事で残っていたから、父さんが助っ人にきてもらったんだよ」
「助っ人って?」
「あゆみのお父さんは、父さんが運ぶからいいとしても」
問題はお姉ちゃん、か。
「完全に寝ている鹿山さんを、僕がホテルまで運ぶのは無理だろうからって」
中島さんは、お姉ちゃんの運搬要員として連れてこられたみたいです。
若くて体格もいいから、お姉ちゃんなら軽々と運んでもらえそうだけれど。
「良太とあゆみちゃんは中島と一緒に、先にホテルに戻っていろよ」
「父さんはどうするの?」
「あゆみちゃんの実家にお父さんを連れていってから、ホテルへ行くよ」
「うん」
「それじゃ頼むよ、中島」
「分かりました」
「寝ているやつをホテルの部屋まで運んだら、帰っていいから」
見知らぬ男の人におぶわれている間、爆睡し続けていたお姉ちゃん。
今はホテルのベッドに寝かされて、幸せそうに寝ています。
後から思えば、この夜の出来事って。
お姉ちゃんにとっては、人生の一大事の始まりだったのに。
すやすやというより、これだけぐうすか寝ていられるんですもの。
これじゃ、お母さんに心配されるわけだわ。
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「くまさんの春から 3rd season」は全二十四話。
毎週、木曜日~金曜日の十六時五分に投稿予定です。
この作品は、「くまさんの春から」「くまさんの春から 2nd season」の続編ですので。
よろしければ、「くまさんの春から」「くまさんの春から 2nd season」をお読みいただいてから読まれることをお勧めします。




