表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/30

第9話 呪いの値段

 作戦は単純だ。


 闇市を潰すには、元締めの氷室を止めればいい。氷室がいなくなれば、組織は瓦解する。


 だが、A級ならともかくEランクの俺には氷室を力ずくで倒す手段がない。元B級とはいえ攻撃系の呪術師だ。正面からやり合えば負ける。


 なら——氷室の商品を全部喰ってしまえばいい。


 闇市の在庫、つまり呪具に込められた呪いを片端から喰い尽くす。商品がなくなれば闇市は成り立たない。氷室のビジネスモデルそのものを破壊する。


 「……無茶ですね」


 雫に計画を話したら、開口一番そう言われた。


 「無茶だが、これしかない」


 「闇市にある呪いを全部喰うって——体がもつんですか」


 「分からない」


 「分からないのに——」


 「S級を喰ったときも分からなかった。でもやった。今回も同じだ」


 雫が黙った。反論できないのではなく、反論しても無駄だと分かっているからだろう。


 「でも——前回は私を助けるためでした。今回は、闇市を潰すためですよね。それって、灰原さんがやらなきゃいけないことなんですか」


 鋭い質問だ。


 管理局がやるべき仕事だ。本来なら。だが管理局は動かない。他の呪術師も関わりたがらない。闇市の存在を知っていて、目をつぶっている人間がほとんどだ。


 「やらなきゃいけないかどうかは知らない。でも——放っておいたら、俺のところに来る被害者が増え続ける。その呪いを喰い続けるのは、結局俺だ」


 「それは——」


 「元を断った方が、長い目で見りゃ楽なんだよ。割に合う計算だ」


 嘘だ。割に合う計算なんかしていない。ただ——あの地下で見た光景が、頭から離れない。


 呪いが商品として並んでいた。人間の苦しみに値札がついていた。五万円で誰かを呪える世界。それが当たり前のように回っている。


 あれを見て、何もしないまま呪い除去屋を続けることは——たぶん、俺にはできない。


 「……分かりました」


 雫が立ち上がった。


 「手伝います。灰原さんが闇市の呪いを全部喰うなら、私は——別の方法で支援します」


 「どうやって」


 「闇市で呪いを買った一般人のリストがあれば、管理局も動かざるを得ないんじゃないですか? 被害者がD級やC級でも、組織的な販売の証拠があれば」


 「……お前、頭いいな」


 「普通です」


 普通じゃない。この子は時々、驚くほど的確なことを言う。


 「黒瀬マリに連絡する。取引記録を手に入れられるか聞いてみる」


    *


 マリは予想外に協力的だった。


 「取引記録ね。——あるわよ。氷室は几帳面な男だから、全ての売買を記録してる。顧客名簿、取引日時、金額、商品の種類。全部データベース化されてる」


 「それを手に入れられるか」


 「私がハッキングするのは無理。でも——深夜市の最中なら、氷室のサーバーに物理的にアクセスできるかもしれない」


 マリが地図を広げた。


 「VIPルームの奥に管理室がある。サーバーはそこ。深夜市の開催中は警備が市場側に集中するから、管理室は手薄になる」


 「つまり、俺が市場で派手に暴れて注意を引きつけてる間に、管理室からデータを抜く」


 「そういうこと。——役割分担は?」


 「俺が市場の呪いを喰う。白峰がデータを抜く」


 「私は?」 マリが首を傾げた。


 「あんたには案内を頼みたい。白峰を管理室まで導いて、回収したデータを外部に転送する」


 マリが煙草をくるりと回した。


 「報酬は」


 「闇市が潰れれば、情報屋としてのあんたの商売は——」


 「逆よ。闇市が潰れた後の混乱は、情報の宝庫。闇市壊滅の裏側を知ってるのが私だけなら、その情報は高く売れる」


 商魂たくましい。


 「それでいいなら」


 「決まりね。——次の深夜市は五日後。準備しなさい」


    *


 五日間の準備期間。


 俺は体のコンディションを整えることに集中した。鎮痛剤の量を調整し、睡眠時間を増やし、食事を摂る。普段おろそかにしている基本的なことだ。


 S級の呪いを喰ってから一ヶ月近くが経ち、体はある程度は回復していた。だが「ある程度」だ。完全には程遠い。全身の呪痕は以前より増え、左腕に至っては指先まで隙間なく紋様が刻まれている。


 大量の呪いを一度に喰えば、何が起こるか分からない。


 それでもやる。


 雫には別の準備を頼んだ。


 「これ、USBメモリです。管理室のサーバーに挿したら自動的にデータをコピーするプログラムが入ってます」


 「お前、いつの間にそんなもの——」


 「学校の情報の授業で覚えました。——あと、ネットで調べました」


 十七歳の行動力が怖い。


 「サーバーの場所はマリさんが案内してくれるんですよね」


 「ああ。だが——もし見つかったら、すぐに逃げろ。データより命だ」


 「分かってます」


 雫の目は真剣だった。覚悟がある。


 この子はもう、ただ助けられるだけの存在じゃなくなっている。


    *


 決行の夜。


 午後十一時。新大久保の別のビル。前回とは場所が変わっている。


 ビルの手前で、三人が合流した。俺、雫、そしてマリ。


 「段取りを確認するわよ」


 マリが低い声で言った。


 「まず灰原が客として入場。市場の中央まで進んだら——派手にやりなさい。呪いを喰い始めれば、警備は全部そっちに集中する」


 「分かってる」


 「その隙に、私と白峰ちゃんが裏口から管理室に向かう。データのコピーには最低三分。灰原が三分間、市場を混乱させてくれれば充分」


 「三分でいいのか」


 「三分で充分。——ただし」


 マリが俺を見た。サングラスの奥の目が光った。


 「氷室は甘い男じゃないわ。あなたが呪いを喰い始めたら、全力で止めにくる。元B級よ。正面からやり合って勝てるとは思わないで」


 「勝つ必要はない。三分持てばいい」


 「その三分が命取りにならないといいけど」


 マリが肩をすくめた。


 雫が俺の袖を引いた。


 「灰原さん」


 「何だ」


 「——無事に帰ってきてください」


 その声の切実さに、一瞬、言葉を失った。


 「帰るよ。缶コーヒー飲みたいからな」


 雫が少しだけ笑った。


 俺は正面入口に向かい、雫とマリは裏手に回った。


 門番に顔を見せる。前回と同じ男。


 「また来たのか」


 「いい商品があるって聞いてな」


 階段を降りる。地下二階。扉を開ける。


 闇市——深夜市が、今夜も開かれていた。


 前回より客が多い。三十人はいる。売り手も増えている。ビジネスは拡大しているようだ。


 市場の中央まで歩く。周囲を見回す。棚に並ぶ呪具の数——百以上。全部喰えるか?


 考えるな。やるしかない。


 深呼吸。一度。二度。


 手近な棚に手を伸ばし、呪具を掴んだ。黒い石。中にD級の呪いが込められている。


 石を握りしめる。呪いが掌から流れ込んできた。


 不味い。だが軽い。D級なんてこんなものだ。


 石が砂のように崩れた。呪いを抜かれた呪具は、ただの残骸に変わる。


 隣の石にも手を伸ばす。また喰う。もう一つ。もう一つ。


 五つ、十、十五——


 「おい、何やってる!」


 売り手が叫んだ。


 遅い。


 棚の呪具を片端から掴み、呪いを吸い出していく。両手を使う。右手で掴み、左手で次を取る。流れ作業だ。


 胃が重くなっていく。全身の呪痕が熱を帯びる。だが止まらない。


 二十個。三十個。四十個。


 市場に悲鳴が上がった。客が逃げ始め、売り手たちが俺に向かって駆け寄ってくる。


 「止まれ! 何者だ!」


 呪縛が飛んできた。D級の稚拙な拘束呪術。喰う。体が吸い込む。


 まだだ。まだ足りない。


 棚を一つ丸ごと倒した。散らばった呪具の上に手を置く。まとめて吸い出す。


 五十個。六十個。


 体が悲鳴を上げ始めた。胃が痙攣し、視界の端が暗くなる。口の中に血の味。


 それでも——手は止めない。


 「灰原蓮か」


 冷たい声。


 振り返ると、氷室が立っていた。白いシャツの袖をまくり、両手に黒い光を纏わせている。B級攻撃型の呪術。


 「私の商品を——何をしてくれている」


 「喰ってる。全部」


 「馬鹿な真似を」


 氷室の右手から黒い光弾が放たれた。


 避ける——間に合わない。肩に直撃。体が吹き飛ばされ、棚に叩きつけられた。棚が崩れ、呪具が散乱する。


 肩が焼けるように痛い。B級の攻撃は重い。


 だが——散乱した呪具から呪いが漏れ出ている。


 体を起こし、散らばった呪具に手を伸ばす。


 「まだ喰うか」


 氷室が呆れたように言った。


 「全部喰ってやる。——あんたの『商品』は、今夜で最後だ」


 七十個。八十個。


 体の限界が近い。意識が遠くなりかける。鎮痛剤はもう効いていない。


 あと——何分だ。マリと雫は間に合ったか。


 氷室が再び光弾を構えた。


 もう避けられない。


 そのとき——


 ポケットのスマホが一度だけ震えた。


 雫からの合図。データ取得完了。


 三分。間に合った。


 氷室の光弾が迫る。


 俺は笑って——喰った。


 B級の攻撃呪術を、正面から。


 不味い。猛烈に不味い。だが——喰えた。


 氷室の顔が歪んだ。


 「お前——何者だ」


 「Eランクの呪い除去屋だよ。ただ、ちょっとだけ——大喰いでな」


 膝が震えている。もう立っているのがやっとだ。


 だが——もう用は済んだ。


 「また会おう、氷室。——次はないといいな」


 踵を返し、出口に向かって走った。走った、というより、よろめきながら進んだ。


 階段を上がり、地上に出る。冷たい夜風が顔に当たった。


 路地の先で、雫とマリが待っていた。


 雫が駆け寄ってくる。


 「灰原さん! 大丈夫ですか——血が」


 「平気だ。データは」


 「取れました。全部」


 「……よくやった」


 その言葉を最後に、意識が薄れた。膝が折れる前に、雫が体を支えた。


 「灰原さん——!」


 「……少し、休ませろ」


 路地裏の壁に背を預けて座り込んだ。


 体中が痛い。呪痕が暴れている。八十個以上の呪いを一度に喰った代償。


 だが——成功した。


 闇市の在庫の大半を喰い尽くし、取引データも手に入れた。


 あとは——このデータを、どう使うか。


 マリが煙草に火をつけた。


 「お疲れさま。——思ったより派手にやるのね、Eランク」


 「褒め言葉と受け取っとく」


 「褒めてないわよ。——それより、これからどうするの。データは手に入ったけど、氷室はまだ生きてるわ」


 「管理局に持ち込む。志摩さん経由で」


 「管理局が動くと思う?」


 「取引記録に一般人の被害者リストがある。組織的な呪術犯罪の証拠だ。さすがに無視はできない」


 マリが煙を吐いた。


 「甘いわね。——でも、面白いから黙って見てるわ」


 甘いかもしれない。だが、やれることはやった。


 雫が隣に座った。何も言わず、ただ黙って隣にいた。


 それが——思ったより、温かかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ