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第4話 廃神社の番人

 管理局第七課。志摩遥の机の上には、いつも通り書類の山が積まれている。


 そこに俺が電話をかけたのは翌朝——三日目の朝だった。


 「登録番号から術者を特定したいって、そりゃまた穏やかじゃない話だね」


 志摩さんの声はいつもの間延びした調子だったが、微かに声のトーンが変わった。勘が鋭い人だ。


 「私的な調査は管理局の認可外だよ、蓮くん。Eランクの権限じゃデータベースにアクセスできないのは知ってるでしょ」


 「知ってる。だから志摩さんに頼んでる」


 「あのねえ——」


 「頼むよ。命に関わるんだ」


 電話の向こうで溜息が聞こえた。長い溜息。


 「……番号は?」


 七桁の登録番号を伝えた。キーボードを叩く音が数秒続いて、志摩さんの声が明らかに硬くなった。


 「蓮くん。この番号——」


 「誰だ」


 「御堂(みどう)(つかさ)。A級呪術師、管理局第一課所属」


 第一課。管理局の精鋭部隊。S級からA級の呪術師だけで構成された、最高戦力。


 A級。


 俺はEランクだ。四段階も上。比べるのも馬鹿らしい実力差。


 「なんでA級の第一課の人間が——何をやってるの、蓮くん」


 「S級呪殺術式の案件だ。一般人の女子高生が対象になってる。管理局は匙を投げた。俺が引き受けた」


 沈黙。


 「……Eランクが、S級を?」


 「喰えるかもしれないだろ」


 「死ぬかもしれないでしょ」


 正論だ。返す言葉がない。


 志摩さんが声を落とした。


 「御堂司。四十二歳。第一課では中堅の実力者。攻撃型で、特に呪縛術に長けてる。性格は寡黙で、上からの命令には忠実。——ここだけの話、あまり好かれてはいない。冷たいって評判」


 「その御堂が、独断でS級呪殺をかけたのか」


 「分からない。でも——S級呪殺術式は管理局の禁術リストに載ってる。使用には局長級の許可がいる。独断でやったなら犯罪だし、許可を得てやったなら……もっとまずい話になる」


 もっとまずい。つまり、管理局の上層部が一般人の殺害を認可した可能性。


 「志摩さん。御堂の現在の所在地は」


 「教えちゃダメなやつだってこれ。——第一課の詰所は千代田区の管理局本部。ただし、御堂は三日前から『特別任務』で外出中になってる。行き先は非公開」


 三日前。雫が呪いをかけられたのと同じ日だ。


 「蓮くん。これ以上は本当に危ない。A級の呪術師に喧嘩を売るなんて——」


 「売りに行くんじゃない。買わされた側だ」


 電話を切った。


    *


 事務所に戻ると、雫がソファに座って額を押さえていた。


 「頭痛、ひどくなったか」


 「少し。——大丈夫です」


 大丈夫じゃないだろう。顔色が昨日より悪い。三日目。これから急速に悪化する。


 「犯人が分かった」


 雫が顔を上げた。


 「御堂司。A級呪術師で管理局第一課所属。つまり——」


 「国の側の人」


 「そういうことだ」


 雫は数秒黙って、それから言った。


 「なんで、私なんかを」


 「分からない。だが、必ず理由がある。S級の術式を使うのにはそれなりの準備と労力がいる。意味もなくやるはずがない」


 昨夜の廃神社の紋様を思い出す。あの緻密な術式構成。あれだけの労力をかけて、わざわざ一般人を殺す理由は何だ。


 「白峰。もう一度聞く。両親のことで、何か心当たりはないか。家に古い道具とか、お守りのようなものとか」


 雫が考え込んだ。


 「……一つだけ。母が大事にしていた石があります。黒い、丸い石で——母はお守りだと言ってました。今は私が持ってます」


 「見せてくれ」


 雫がカバンの中を探り、小さな巾着袋を取り出した。中から転がり出たのは、親指ほどの黒い石。磨かれた表面に、微かな——


 呪痕。


 いや、これは呪痕じゃない。もっと古い。もっと根源的な紋様。


 石を手に取った瞬間、指先がぴりぴりと痺れた。この石には力がある。呪いとは違う、もっと純粋な——呪術そのものの力。


 「これ、母親はどこで手に入れた?」


 「分かりません。実家にずっとあったとしか」


 「実家はどこだ」


 「長野です。母の実家で——祖母が亡くなった後は空き家になってます」


 長野。白峰。


 ——白峰。


 思い出した。


 管理局のデータベースで見た名前じゃない。もっと古い記録だ。呪術師になるための訓練課程で、歴史の授業があった。そこで一度だけ見た名前。


 白峰家。呪術の黎明期に存在したとされる古い血筋。呪いを浄化する力を持つ一族。だが、数百年前に途絶えたとされている。


 まさか——。


 「白峰。お前の家系で、霊能者とか、拝み屋とか、そういう人はいなかったか」


 「祖母がそういうことをしていたと、母から聞いたことはあります。でも、私は祖母に会ったことがなくて——」


 点と点が繋がりかけている。


 御堂が——いや、御堂に命じた誰かが、白峰の血筋を狙っている。雫が普通の女子高生だから狙われたんじゃない。白峰家の末裔だから狙われた。


 だが、なぜ殺す必要がある。


 「灰原さん?」


 雫が不安そうにこちらを見ている。今の段階で全てを話すべきか迷った。確証はない。だが——。


 「お前が狙われた理由に、心当たりが出てきた。まだ推測の段階だが」


 「教えてください」


 「お前の家系——白峰という血筋には、呪術に関わる歴史があるかもしれない。母親の石がその証拠だ。御堂がお前を狙ったのは、その血筋に関係している可能性がある」


 雫が石を見つめた。母の遺品。お守りだと思っていたもの。


 「でも、私は普通の人間です。呪術なんて何もできない」


 「今はな」


 その一言に、雫の目が揺れた。


    *


 四日目の夕方。


 雫の容態が目に見えて悪化した。


 頭痛は断続的なものから持続的なものに変わり、微熱が出始めた。呪痕は左肩まで広がり、鎖骨から胸元にかけて黒い蔦が這っている。


 予定通りだ。呪殺術式は正確に進行している。


 「寝てろ。今夜は俺一人で動く」


 「でも——」


 「議論の余地はない。お前は体力を温存しろ。俺は御堂の居場所を探す」


 雫が何か言いたそうにしたが、黙って頷いた。体が言うことを聞かないのだろう。


 事務所を出て、夜の街に消える。


 目的地は管理局の本部——ではない。そんなところに乗り込んだら即座に拘束される。


 向かったのは、新宿三丁目の古い雑居ビルの地下。呪術師たちが非公式に情報を交換する場所。通称「溜まり場」。


 薄暗い階段を降りると、煙草の煙と安い酒の匂いが漂ってきた。カウンターだけの小さなバーに、数人の人影。全員、表では見せない顔をした呪術師たちだ。


 カウンターの端に座り、バーテンダーに声をかけた。


 「御堂司が今どこにいるか、知ってる奴はいるか」


 バーテンダーの手が一瞬止まった。


 「第一課の御堂? やめときな、灰原。あんたの手に負える相手じゃないわ」


 「知ってるよ。だから聞いてるんだ」


 カウンターの奥から、低い声が割り込んだ。


 「三日前から練馬方面で動いてるって噂がある。何かの任務だ。——相当な結界を張ってるから、近づいたら分かる」


 声の主はD級の呪術師で、時々仕事を回してくれる男だった。


 「練馬のどの辺だ」


 「石神井公園の北側。ただし——行くなよ、灰原。A級に喧嘩売って帰ってきた奴を俺は知らない」


 「喧嘩を売るんじゃない」


 立ち上がった。


 「呪いを喰いに行くだけだ」


    *


 練馬区、石神井公園北側。


 住宅街を抜け、街灯もまばらな暗い道に入る。普通の人間なら何も感じない夜道。だが、俺の目には見えている。


 結界だ。


 道路を跨ぐように、半透明の紋様が空間に浮かんでいる。一般人が入ると無意識に迂回させられる排除型の結界。呪術師でなければ気づかない。


 だが俺は呪術師だ。Eランクだろうが関係ない。


 結界を踏み越える。


 空気が変わった。一気に呪いの濃度が跳ね上がる。ここは——昨夜の廃神社と同じ匂いがする。


 暗い道の先に、人影があった。


 街灯の下に立つ男。長身、痩せ型。黒いコートの下に管理局の制服が見える。年齢は四十代前半。鋭い目つき。感情の読めない顔。


 「来ると思っていた」


 低い声だった。


 「灰原蓮。Eランク呪術師。能力——呪喰(のろいぐ)い」


 「御堂司。A級呪術師。趣味——女子高生に呪殺術式をかけること」


 御堂の目が細くなった。怒りではない。品定めだ。


 「あの娘に関わるべきではなかった」


 「理由を聞かせてくれないか。なんでただの高校生にS級をかけた」


 「ただの高校生ではない。——お前も気づいているはずだ」


 白峰の血のことか。


 「知ってたとしても、だから何だ。殺していい理由にはならない」


 「上の判断だ」


 「上?」


 「それ以上は言えない。——引け、灰原。お前の能力は知っている。呪いを喰う力。面白い力だが、A級の攻撃術式を喰えるとは思うな」


 御堂の右手が持ち上がった。


 掌に黒い光が凝縮する。呪縛術——対象の動きを封じる拘束系の呪術。A級の精度と威力で放たれたら、回避も防御もできない。


 「最後の警告だ。引け」


 「断る」


 呪縛が放たれた。


 黒い鎖のような光が、四方から俺を包囲する。速い。躱せない。


 だから——躱さなかった。


 鎖が体に巻きつく。全身が軋む。骨が悲鳴を上げる。


 だが、鎖の正体は呪いだ。


 呪いなら——喰える。


 「なっ——」


 御堂の顔に初めて驚愕が浮かんだ。


 巻きついた呪縛の鎖を、俺は皮膚から直接吸い込んでいた。鎖が溶け、黒い液体のように俺の体内に流れ込む。不味い。猛烈に不味い。A級の呪術は重い。密度が違う。C級の比じゃない。


 胃が痙攣する。全身の呪痕が赤熱するように疼いた。口の中に血の味が広がる。


 だが——喰えた。


 鎖が消えた。俺は自由に立っていた。


 「A級の呪縛を……喰った、だと」


 御堂の声に、かすかな動揺。


 「言っただろ。呪いを喰うのだけは、誰よりも得意だって」


 口の端から血が垂れた。拭う暇はない。御堂が次の術式を構築し始めている。今度は呪縛じゃない。呪刃——純粋な攻撃術式。


 A級の呪刃。当たれば死ぬ。喰う前に体が持たない。


 正面からやり合えば勝てない。分かってる。


 だから——作戦を変える。


 俺は御堂に向かって走った。


 「自殺か?」


 御堂の呪刃が振り下ろされる。黒い光の刃。それを——


 避けた。紙一重で。


 A級の攻撃を避けたんじゃない。呪いを喰い続けてきた体は、呪いの「流れ」が読める。どこに力が集中し、どこに隙間があるか。刃の軌道が、俺には見える。


 御堂との距離がゼロになった。


 手を伸ばし——御堂の胸に触れた。


 「——っ!」


 御堂の体から、呪力を直接吸い始めた。術者本人から呪力を喰う。やったことはない。理論上は可能だが、体への負担は呪霊を喰うのとは比較にならない。


 「離せっ——」


 御堂が俺を突き飛ばした。五メートルほど吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられる。


 だが、その一瞬で充分だった。


 御堂の呪力の「味」を覚えた。そして——あの呪殺術式との繋がりを、確かに感じた。


 「やっぱりお前だ、御堂。あの子の呪いはお前がかけた」


 地面に転がったまま、笑った。口の中は血の味でいっぱいだ。


 御堂が冷たい目でこちらを見下ろした。


 「……どのみち、お前では解呪できない。あの術式は私にしか解けない。そして私は解く気はない。命令だからだ」


 「誰の命令だ」


 御堂は答えなかった。踵を返し、闇の中に消えていく。


 「これ以上追うな、灰原。次はお前も殺す」


 足音が遠ざかり、結界が消えた。


 俺は地面に仰向けのまま、夜空を見上げていた。星は見えない。東京の空は、いつだって暗くて狭い。


 四日目の夜が終わる。残り三日。


 御堂が解く気がないなら、方法は一つしかない。


 雫の体から、S級呪殺術式を——直接、喰う。


 体がどうなるかは、分からない。


 「……割に合わないにも程がある」


 血の味の口で呟いて、俺は立ち上がった。

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