第21話 内部の裏切り
管理局本部。千代田区の官庁街に建つ、一見すると普通の省庁ビル。十二階建て。窓は全て防弾。結界が三重に張られている。
正面玄関から入った。
受付の女性が俺を見て、端末を確認し——顔色を変えた。
「灰原蓮さん。あなたの認可は取り消されています。管理局への立ち入りは——」
「影宮総一郎に会いに来た。第九課の上席監査官だ。会いたがっていると聞いた」
受付が内線電話に手を伸ばした。数秒の会話。
「……お通しいたします。第九課、九階です」
予想通りだった。影宮は俺を拒まない。「喰呪体」が自ら来たのだから。
エレベーターに乗る。隣に監視の制服組が二人つく。護送というほどではないが、自由に動ける状態でもない。
九階。第九課のフロア。整然としたオフィス。他の課と変わらない風景だが——空気が違う。呪力の残滓が薄く漂っている。
奥の個室。扉に「上席監査官」のプレート。
ノックする前に、中から声がした。
「どうぞ」
扉を開けた。
影宮総一郎が、デスクに座っていた。
五十代に近い男。白髪交じりの髪を整え、銀縁眼鏡の奥に穏やかな目。口元には微笑。紳士然とした佇まい。
こいつが——全ての黒幕。
「灰原蓮くん。ようやく会えましたね」
穏やかな声。敵意はない。むしろ——歓迎しているように聞こえた。
「座ってください」
ソファを勧められた。座る。影宮はデスクを回り、向かいのソファに座った。
二人の間にテーブル。その上に湯気の立つ紅茶が二つ。
「紅茶は飲みますか?」
「缶コーヒーの方がいい」
「残念。——さて」
影宮が足を組んだ。
「何から話しましょうか。お互い、聞きたいことは山ほどあるでしょう」
マリの仕込んだ小型マイクが、ジャケットの内ポケットに入っている。録音は開始されている。データはリアルタイムで外部のマリに転送されている——はずだ。
時間を稼ぐ。影宮に喋らせる。
「あんたの計画を聞かせてくれ。呪術浄化計画」
影宮の眉が微かに上がった。
「知っていましたか。——マリさんの仕事ですね。優秀な情報屋だ」
否定しない。隠す気もない。
「ええ、お話しします。隠す段階はもう過ぎました」
影宮が紅茶を一口飲んだ。
「灰原くん。あなたは——呪いで苦しむ人を何人見てきましたか」
「数え切れないほど」
「そうでしょう。あなたは三年間、毎日誰かの呪いを喰ってきた。呪いがどれほど人を苦しめるか、誰よりも知っている」
「ああ」
「ならば——想像してください。この国から、全ての呪いが消える世界を」
影宮の声が熱を帯びた。穏やかな仮面の下から、本音が滲む。
「呪いで病む人がいない。呪術犯罪がない。恨みが形を持たない。——そんな世界を、私は作りたい」
「そのために、俺の仲間を殺したのか」
影宮の微笑が、一瞬だけ消えた。
「三年前の新宿汚染事件。あれは——必要な犠牲でした」
「必要な犠牲」
声が低くなった。自分でも分かるほど。
「あなたに大量の呪いを蓄積させるためには、通常では考えられない量の呪力暴露が必要だった。自然な方法では何十年もかかる。だから——環境を作りました」
「仲間が死んだのも計画のうちか」
「本当は全員生き残る予定でした。だが——呪力の暴走が想定以上に強く、制御が効かなかった。四人が犠牲になったのは、計画の瑕疵です。私の責任です」
影宮が軽く頭を下げた。
「申し訳なく思っています」
謝罪。言葉だけの。
拳が震えた。
「——俺を怒らせたいのか」
「いいえ。事実を話しています。あなたには知る権利がある」
「じゃあ続けろ。雫に呪殺術式をかけたのは?」
「白峰の血を覚醒させるための刺激です。S級の呪いをかけることで、彼女の潜在能力が目覚める。——そして、それを解呪できる人間はあなたしかいなかった」
「最初から——俺が助けに行くと分かっていた」
「あなたの性格を調べました。見捨てられない人間だと。——予想通りでしたね」
全て計算の上。
最初から最後まで、影宮の筋書き通り。
「闇市も——あんたの仕込みか」
「氷室は便利な駒でした。大量の呪いを流通させることで、あなたの呪力蓄積を加速させる。あなたは被害者の呪いを喰い続けるでしょうから」
「今回の呪域事件も」
「二度目の実験です。三年前のデータだけでは不十分だった。あなたがどれほどの呪いを喰えるか、限界を測る必要がありました」
全て。全部。
この三年間の全てが——影宮の実験台だった。
「灰原くん。あなたは怒っているでしょう。当然です。だが——結果を見てください」
影宮が立ち上がった。
「あなたは今、日本で最も多くの呪力を蓄積した人間です。そして白峰雫は、白峰の血を覚醒させた浄化体です。二つの駒が揃った」
「駒と呼ぶな」
「失礼。——二つの力が揃えば、この国から全ての呪いを消せます。あなたが全ての呪いを集め、白峰が浄化する。それだけです」
「計画書には書いてあったぞ。俺の死亡確率は九十五パーセントだと」
影宮が一瞬だけ目を伏せた。
「犠牲は最小限に抑えます。ゼロにはできない。だが——あなた一人の犠牲で、何百万人が呪いから解放される。それは——」
「割に合うと?」
「……ええ。割に合います」
俺の口癖を使いやがった。
「影宮。あんたの理想は理解できる。呪いのない世界。素晴らしい話だ」
立ち上がった。
「だが——人の命を駒にして、仲間を殺して、少女を実験台にして作る世界が、本当に『呪いのない世界』か? あんたのやってることは——呪いそのものだ」
影宮の微笑が消えた。
初めて見る、素の表情。冷たい。
「理想論ですね、灰原くん」
「理想論じゃない。俺は——あんたの計画には乗らない。雫を渡すつもりもない。諦めろ」
「残念です」
影宮が眼鏡を直した。
「ならば——強制するしかありませんね」
影宮が指を鳴らした。
扉が開き、四人の制服姿の呪術師が入ってきた。全員、B級以上の気配。
「灰原蓮を拘束してください」
「了解」
四方から呪縛が飛んできた。
喰う——だが、四人分同時は重い。体が軋む。
もう一波。呪縛ではなく、呪刃。攻撃だ。
避けきれない。左肩に呪刃が掠め、血が飛んだ。
「大人しくしてください。殺しはしません。あなたは——私の計画に必要な人間ですから」
影宮が穏やかに言った。
くそ。ここまでか——
スマホが振動した。短い振動。三回。
マリからの合図。録音データ転送完了。
——録れた。
影宮の告白。三年前の事件の真相。呪術浄化計画の全容。全て。
あとは——これが外に出れば。
意識が薄れていく。呪縛の拘束が全身を締め上げ、視界が暗くなる。
最後に聞こえたのは、影宮の声だった。
「白峰雫を——確保してください」
意識が落ちた。




