第16話 あの日の真実
目を覚ましたのは、白い天井の下だった。
管理局本部の医務室。殺風景な個室にベッドが一つ。腕には点滴の管。窓の外は暗い。夜らしい。
体を起こそうとして、激痛に呻いた。全身の呪痕が焼けるように痛む。特に両腕と胸。核を喰った代償だ。
「起きたか」
ベッド脇の椅子に、カナタが座っていた。
「……いつからいる」
「二時間ほど前からだ。お前が目を覚ますのを待っていた」
カナタの顔に、前のような侮蔑はなかった。代わりに——困惑があった。目の前の人間をどう評価すべきか、まだ答えが出ていない顔。
「何日寝てた」
「丸一日。呪域崩壊から約三十時間だ。——医務室の連中が驚いていたぞ。全身の呪痕の量が異常だと」
「今さらだ」
「今さらではない。医師の見解では——お前の体に蓄積している呪力の総量は、Aランク呪術師の呪力を上回っている」
起き上がった。体が軋む。
「それは俺の力じゃない。喰った呪いが溜まってるだけだ。使えるわけじゃない」
「使えないのか」
「使えば暴走する。制御できない力は力じゃない」
カナタが黙った。何かを考えている。
「灰原。一つ聞く」
「何だ」
「あの呪域は——本当に三年前と同じものだったのか」
「同じだ。呪力の質、密度、展開パターン。全て一致している」
「三年前の新宿汚染事件は、公式報告書では『呪力の自然暴走による偶発的事故』とされている。自然暴走が二度も同じ場所で起きるのは——」
「あり得ない。だから——事故じゃなかったんだ。三年前も、今回も」
カナタの目が鋭くなった。
「何が言いたい」
「誰かが意図的に呪域を発生させている。三年前は実験。今回は——二度目の実験だ」
「証拠は」
「核の中に、三年前の呪力がそのまま残っていた。自然暴走なら三年で霧散する。残っていたということは、誰かが封印して保存していたということだ」
カナタが立ち上がり、窓の外を見た。
「……公式報告書を書いたのは誰だ」
「影宮総一郎。第九課上席監査官」
その名前を出した瞬間、カナタの肩が微かに動いた。
「影宮上席。——あの人は管理局内でも評判がいい。温厚で公正だと」
「表向きはな」
「表向き?」
「御堂——お前の同僚のAランク呪術師が、一般人の少女にSランク呪殺術式をかけた。その命令を出したのが影宮だ。そして闇市の元締め・氷室に後ろ盾を与えていたのも影宮だ」
カナタの顔が強張った。
「それは——確かなのか」
「氷室本人が言った。御堂の行動も志摩さん——第七課の事務官が裏付けを取っている」
カナタが拳を握った。爪が掌に食い込むほど強く。
「御堂は……確かに最近、命令系統がおかしかった。直属の上司を飛ばして、直接上からの指示で動いていた。そういうことか」
「お前は知らなかったのか」
「第一課と第九課は管轄が違う。横の連携はほとんどない。——だが、同じ第一課の人間として、気づくべきだった」
カナタの声に自責の色が混じっていた。
エリートだ。この男は。組織に忠実で、実力があり、正義感も本物。だが——組織の中にいるからこそ、組織の闇が見えなかった。
「朱鷺野」
「何だ」
「三年前の事件で、俺の仲間が四人死んだ。公式報告書は『事故』で片付けた。だが——あれが事故じゃなかったとしたら。影宮の実験で四人が殺されたのだとしたら。お前はどうする」
カナタがこちらを向いた。
「……調べる。事実を確かめる。そして——事実なら、影宮を止める」
その目に嘘はなかった。
「協力してくれるか」
カナタが一瞬、逡巡した。管理局の人間が、管理局の上層部を調べる。それがどれほど危険なことか、分かっているのだろう。
「……協力する。——ただし、俺は管理局の人間だ。正規のルートで動く。お前のように無茶はしない」
「それでいい。俺は外から、お前は中から。挟み撃ちだ」
カナタが微かに口角を上げた。笑顔と呼ぶには遠いが——敵意はもうなかった。
*
医務室を出たのは、翌朝だった。
管理局の正面玄関を出ると——雫が待っていた。
制服姿。学校の帰りにそのまま来たらしい。カバンを背負ったまま、ベンチに座って俺が出てくるのを待っていた。
俺の姿を見た瞬間、立ち上がって駆け寄ってきた。
「灰原さん! 大丈夫ですか——連絡くれなくて——」
「すまん。意識なかった」
「知ってます。志摩さんが教えてくれました。核を喰って倒れたって」
雫が俺の腕を見た。袖をまくらなくても、手首から先の呪痕は隠しきれない。黒い紋様が指先まで覆い、以前より明らかに広がっている。
雫の目に、涙が滲んだ。
「また——増えてる」
「仕方ない。これが俺の力の代償だ」
「代償が大きすぎます」
「だから割に合わないって言ってるだろ」
雫が鼻をすすった。泣くのを堪えている。
「灰原さん。——私も行きたかった。一緒に」
「お前がいたら、気が散って喰い損ねてた」
「嘘ですね」
嘘だ。
「……帰るか。腹減った」
「肉まん買って帰りましょう」
管理局の前を二人で歩く。冬の空は高くて青い。
「灰原さん」
「何だ」
「私の力——浄化の力。もっと使えるようになりたいんです。灰原さんが全部喰わなくても済むように」
「お前の力は——」
「鏡を壊した時に使えました。あれからも、少しずつ練習してます」
「練習?」
雫が右手を開いた。掌に、微かに白い光が灯った。小さな、弱い光。だが——確かに、呪いの浄化の力。
「まだこれくらいしかできません。でも——」
「充分だ」
「え?」
「充分だよ。最初はそんなもんだ。——俺だって、最初に呪いを喰った時は、Dランク一つで三日寝込んだ」
雫が目を丸くした。
「灰原さんにもそんな時期が——」
「誰にでもある。お前はまだ始まったばかりだ。焦るな」
雫が少し笑った。
「はい」
コンビニに寄り、肉まんと缶コーヒーを買った。事務所への帰り道、歩きながら肉まんをかじる。温かい。
「灰原さん」
「まだ何かあるのか」
「影宮って人のこと——志摩さんから少し聞きました。その人が、三年前の事件も今回の事件も裏で動かしていたって」
「ああ。まだ確証は足りないが——ほぼ間違いない」
「その人は、何がしたいんですか」
「分からない。だが——呪いを使った何かの計画を進めている。呪域の実験。お前の白峰の血への執着。俺の呪喰いへの関心。全部、その計画の一部だ」
雫が肉まんを噛みながら、考え込んでいた。
「私の力と、灰原さんの力。呪いを消す力と、呪いを喰う力。——その両方が必要な計画って、何でしょう」
鋭い。
俺も同じことを考えていた。浄化と呪喰い。呪いを消す力と、呪いを取り込む力。対になる二つの力が揃えば——何ができる?
「分からない。だが、影宮はそれを知っている。だからお前を殺そうとし、俺に目をつけている」
「怖いですか」
「怖い。——正直にな」
雫が少し驚いた顔をした。俺が「怖い」と認めたのが意外だったのだろう。
「でも、怖いのと、やめるのは別だ」
「はい。——私も、怖いです。でも、やめません」
二人で事務所の階段を上がった。ドアを開ける。いつもの六畳一間。
棚の上のカレンダーが目に入った。
あと何日、この平穏が続くだろうか。
分からない。だが——今日は、肉まんが温かい。
それだけでいい。
今は。




