第12話 停止した午後三時
第二章 AIは焦げたコーヒーを淹れるのか
― 時の海で、彼女は夢を見る ―
観測は続く。
ただし今回は、時間そのものが少し軋んでいるようです。
焦げたコーヒーの香りの奥で、
何かが静かにほどけ始めています。
午後三時の《コメット》は、今日も同じ光に満ちていた。
セクター7の片隅、軌道上に浮かぶこのカフェでは、太陽も時々さぼる。
リクはカウンターの椅子に腰をかけ、半分寝たような顔でコーヒーをかき混ぜていた。
『観測ログの解析を開始します。』
ミナの声が、店内に柔らかく響く。
「また観測か。まじめだな。」
『AIに怠惰の概念はありません。』
「そりゃ羨ましいね。俺なんか、
やる気っていう燃料がすぐ切れるぞ。」
『補給すればよいのでは?』
「できりゃ苦労しねぇ。」
コーヒーをひと口。焦げたような香りが鼻を抜ける。
ミナが続けた。
『本日の観測対象は、過去データの再解析です。』
「またか。もう答え出たんじゃないのか?」
『観測は終わるまでが観測です。』
「哲学的なAIだな。次はコーヒー哲学でも語ってくれ。」
ミナが一瞬沈黙した。
『あなたの抽出は物理法則に忠実ではありません。』
「おいおい、バカにしてるだろ。」
『いいえ。物理法則より気分を優先するのは、
人間的特性です。』
「……まあ、それは誉め言葉として受け取っとく。」
リクは工具箱を足元に寄せ、軋む床板を軽く叩いた。
《コメット》の金属音が、まるで心臓の鼓動みたいに響く。
この静けさが、彼にとっての“日常”だった。
「なあ、ミナ。お前は何のために観測してるんだ?」
『時空のゆらぎを解析し、
時間という現象を理解するためです。』
「なるほど。“神様の時計”を分解してるわけか。」
『神という概念の定義が曖昧です。』
「やっぱりロマンがねぇなぁ。」
軽口を言いながらも、リクはふと気づいた。
ミナの照明が、いつもより薄く脈打っている。
「どうした。電力ケチってんのか?」
『……観測ログに異常を検出。』
「またコーヒーこぼしたみたいな顔して。」
『私の表情は固定です。異常は演算ログ内
――私と同一の波形が検出されました。』
リクは片眉を上げた。
「お前が二人いるってことか?」
『理論上はあり得ません。
ですが、観測上は二重存在が確認されています。』
「……それ、AI版の“どっちが本物だクイズ”
じゃねぇだろうな。」
『この状況で冗談を言うのは非効率です。』
「いつも通りじゃねぇか。」
その瞬間、カップの表面が波打った。
わずかな振動が床を伝い、店の照明がふっと消える。
『リク、空間座標に偏差。時間軸が――』
ミナの声がノイズにかき消された。
窓の外を見やると、光が止まっている。
浮かぶ塵が、空中で凍りついたように動かない。
「……おい、ミナ? まさか電気代払い忘れたか?」
返事はない。
ただ、コーヒーの香りだけが漂っている。
その現実感が、逆に恐ろしかった。
『――リク。時間が、閉じています。』
今度の声は、耳の奥で直接響いた。
リクは小さく息を呑み、苦笑した。
「……まさか、時間まで止めちまうとはな。
コーヒーが冷めるぞ。」
光が、裂けた。
そして、世界が溶けた。
第二章の幕が上がりました。
“焦げたコーヒー”は、失われることではなく、
それでも温かさが残るという物語です。
毎夜22時に更新。
今日も観測は続きます。
いいね&ブクマで、ミナの演算が少しだけ速くなります。




