第16話
紅く染まった満月が帝都を照らし、光の柱が降り注ぐ中、玄葉と夕霧は宮廷の屋根からその異様な光景を凝視していた。
人々の悲鳴と混乱のざわめきが、風に乗って彼らの耳に届く。
「 五行のバランスを崩すことで、帝都の力を弱めようとしているのか…… 」
玄葉は、光の柱が降り注ぐ場所を一つ一つ確認した。
東市(市場)、太学(学院)、そして霊廟(大聖堂)。
これらは全て、帝都の気脈における要所であり、それぞれが木、火、土、金、水の五行思想に対応する場所でもあった。
夕霧は、古文書に記された五行の紋様と、現在の光の柱の配置を重ね合わせた。
「 陛下、これは単なる毒ではありません。
五行の気を取り込み、帝都全体の『 気 』を月の氏族の秘術へと変換しているのです。
このままでは、帝都の住民だけでなく、この地の生命力そのものが蝕まれてしまいます! 」
玄葉は、即座に動いた。
「 衛兵隊長!直ちに、光の柱が降り注ぐ各要所に兵を派遣せよ!
住民を避難させ、光の柱の根源を探れ!
ただし、光に直接触れるな!
衛兵たちにも、月の氏族の秘術に警戒するよう伝えろ! 」
衛兵隊長は、敬礼し、兵士たちを率いて宮廷を飛び出していった。
しかし、帝都の混乱は既に始まっており、避難は困難を極めるだろう。
「 夕霧、そなたは宮廷内に残り、古文書から、この光の柱を止める方法、あるいは月の氏族の秘術の弱点を見つけ出すのだ。
特に、五行の逆転や、気の流れを乱す術に関する記述を探せ! 」
玄葉は、自らも剣を握りしめ、屋根から飛び降りた。
彼は、最も強い光の柱が降り注ぐ霊廟へと向かう。
そこは、帝都の象徴であり、古の時代から続く聖なる場所だった。
「 陛下!お気をつけください! 」
夕霧の叫びが、玄葉の背中を追った。
玄葉は、帝都の通りを駆け抜けた。
通りには、光の柱に触れて苦しむ人々が倒れ、虚ろな目をして彷徨う者もいた。
彼らの肌には、月の氏族の毒特有の青白い斑点が浮かび上がっている。
霊廟へと続く大通りは、既に混乱の坩堝と化していた。
霊廟の周囲には、兵士たちが人々を避難させようと奮闘しているが、光の柱から放たれる異様な波動が、彼らの動きを鈍らせている。
玄葉が霊廟の前に立つと、上空から降り注ぐ紅い光の柱が、霊廟の威容を不気味に照らし出していた。
霊廟の屋根には、朱色の瓦が重なり、軒先には龍の彫刻が施されているが、その全てが紅い光に染められ、異様な雰囲気を醸し出していた。
光の柱の根元には、月の氏族の紋様が描かれた、巨大な石碑が設置されており、そこから禍々しい気が放たれている。
石碑の周囲には、黒い装束をまとった数人の人影が、何らかの呪文を唱えているのが見えた。
彼らは、月影の配下の者たちだろう。
「 月の氏族め……! 」
玄葉は、剣を抜き放ち、石碑へと突進した。
一方、宮廷内に残った夕霧は、古文書を再び開いた。
月の氏族の秘術と毒に関する記述を、血眼になって探し始める。
彼女は、宮廷の最も安全な一室で、李蘭が護衛されていることを知っていた。
彼女は、李蘭の無事を信じ、自身の使命に集中した。
古文書の深い頁に、かすれた文字で記された一文があった。
『 五行の気が乱れ、天地が逆転せし時、聖なる血は、真の力を解き放ち、逆転の均衡を呼び覚ます 』
「 五行の逆転の均衡……? 」
夕霧は、その言葉の意味を深く考え込んだ。
そして、彼女の視線は、再び手のひらの木彫りの鈴へと向かった。
あの鈴は、彼女の「 清浄なる血 」と共鳴し、月の氏族の秘術を打ち破る力を持っていた。
「 もし、この鈴が、五行の気を正す力を持っているのなら…… 」
夕霧は、鈴を強く握りしめ、目を閉じた。
集中することで、鈴から微かな熱が伝わってくるのを感じる。
それは、彼女の血の力が、鈴を通して覚醒しようとしている証拠だった。
その時、宮廷の地下深くに、再び微かな振動が伝わってきた。
それは、聖なる泉の方向からだ。
「 まさか……月の氏族が、聖なる泉の力も利用し始めたというのか……! 」
夕霧の顔から、再び血の気が引いた。
月の氏族が聖なる泉の力を利用すれば、帝都全体の気の流れが完全に月の氏族の秘術に支配されてしまう。
夕霧は、古文書の記述を思い出し、ある仮説にたどり着いた。
「 聖なる泉の力が、五行の気を操る……。
そして、あの光の柱は、帝都の気の流れを月の氏族の秘術に引き込むためのもの……。
ならば、聖なる泉の力を、月の氏族の意図とは異なる方向へと導けば、この光の柱を止めることができるかもしれない! 」
夕霧は、衛兵たちに宮廷の警備を強化するよう改めて指示を出し、迷うことなく、再び地下へと向かった。
彼女は、聖なる泉の奥にある秘密を探ることにしたのだ。
霊廟では、玄葉と月の氏族の戦いが繰り広げられていた。
黒装束の月の氏族の者たちは、紅い光の柱の力を借り、奇妙な術を使って玄葉に襲い掛かる。
彼らは、地面から黒い霧を噴出させたり、月の光を凝縮したような光弾を放ったりと、多様な攻撃を仕掛けてきた。
霊廟の荘厳な建築は、激しい戦闘の中で少しずつ破壊されていく。
玄葉は、剣を振るい、次々と襲い来る月の氏族の者たちを退けていく。
彼の剣は、皇帝の威厳と、帝都を守るという強い使命感に満ち溢れていた。
しかし、光の柱から放たれる異様な波動が、徐々に彼の体力を奪っていく。
「 くそっ……!この光は、気を吸い取るのか……! 」
玄葉の足元が、わずかにふらつく。
その隙を見逃さず、月の氏族の一人が、彼に肉薄し、毒の塗られた短剣を突き出した。
玄葉は、とっさに体を捻り、短剣をかわすが、その瞬間、背後から別の黒装束の男が、巨大な鉄の棍棒を振り下ろした。
玄葉は、間に合わないと悟り、歯を食いしばる。
しかし、その棍棒が玄葉に当たる寸前、突如として、どこからともなく飛来した一本の矢が、男の棍棒を弾き飛ばした。
矢は、見事な腕前で、正確に棍棒の柄を捉えていた。
玄葉が驚いて振り返ると、霊廟の屋根の上に、凛とした佇まいの女の姿があった。
その顔は、白い布で隠されているが、その弓を構える姿は、まさに百発百中の神業を思わせる。
彼女の着ている黒い装束には、月の氏族とは異なる、別の紋様が刺繍されていた。
「 何者だ! 」
玄葉は、警戒の声を上げた。
女は、何も答えず、再び弓を構え、月の氏族の者たちに向かって矢を放った。
彼女の矢は、正確に月の氏族の術の根源を狙い、彼らの放つ黒い霧や光弾を打ち消していく。
彼女は、玄葉の援護に徹しているようだった。
その時、霊廟の中心に立つ巨大な石碑が、さらに紅く輝き始めた。
そして、石碑の背後から、冷たい笑みを浮かべた月影が姿を現した。
彼女は、先の戦いで負った傷も癒え、以前にも増して禍々しい気を放っている。
彼女の纏う黒い衣装には、月の紋様が妖しく輝いていた。
「 邪魔をするのは、あなただけではないようね、陛下。
ですが、無駄よ。この秘術は、もはや止められはしない 」
月影は、手に持った黒い扇子をゆっくりと広げた。
扇子には、新たな紋様が刻まれており、そこから、より強力な毒煙が立ち上る。
「 月影……! 」
玄葉は、月影の姿に怒りを露わにした。
月影は、扇子を大きく振り、霊廟全体に黒い煙を撒き散らした。
その煙は、単なる毒煙ではない。
触れた者の五感を麻痺させ、精神を侵食する、月の氏族の新たな秘術だった。
屋根の上の弓の女も、その煙に包まれ、姿が見えなくなった。
「 この煙は、五感を惑わし、心を操る。
あなたは、この帝都の混乱の中で、大切なものを見失うでしょう、陛下 」
月影の声が、煙の中で響き渡る。
玄葉は、煙の中で剣を構え、月影の気配を探る。
しかし、煙は彼の五感を鈍らせ、月影の位置を特定させない。
そして、彼の脳裏に、不安と疑念の感情が忍び寄ってきた。
帝都の混乱、人々の苦しみ、そして夕霧の安否……それらが、彼の心を乱そうとしている。
「 くっ……!精神を蝕む毒か……! 」
その時、遠くで、かすかに鈴の音が聞こえた。
それは、夕霧の鈴の音だ。
鈴の音は、微かながらも、玄葉の心に届き、彼の心を乱そうとする毒を打ち消す。
「 夕霧……! 」
玄葉は、鈴の音を頼りに、月影の気配を捉えようとした。
月影もまた、鈴の音に気づき、わずかに顔をしかめた。
「 あの女……まだその力を使えるというのか……! 」
月影は、煙の中に隠れたまま、玄葉に別の月の氏族の術士たちを差し向ける。
玄葉は、鈴の音を道標に、迫りくる敵と戦い続ける。
霊廟の屋根の上にいた弓の女の姿は、煙に包まれたまま、再び見えなくなっていた。
彼女は、月の氏族の秘術に巻き込まれたのか、それとも、別の場所に移動したのか。