第15話
満月の日が刻一刻と迫る中、玄葉と夕霧の調査は急ピッチで進められていた。
宮廷は、朱塗りの柱と瓦屋根が連なる壮麗な建築様式で、その警備は、龍の彫刻が施された鎧を身に着けた衛兵たちによって厳重に守られていた。
彼らは、寝る間も惜しんで、宮廷内を隈なく巡回し、不審な動きに目を光らせていた。
特に、月影が逃走した隠し通路の周辺は、幾重もの兵士が配置され、その先の探索が慎重に進められた。
隠し通路は、予想通り宮殿の地下深くにまで続いていた。
その先には、古びた地下水路が広がり、さらにその奥には、忘れ去られたように静かにたたずむ、広大な地下空間が広がっていた。
その空間の中心には、月明かりも届かぬ深淵で、確かに微かな輝きを放つ泉があった。
それは、古文書に記された聖なる泉であり、周囲には、陰陽の模様が刻まれた石灯籠が静かに佇んでいた。
玄葉は、その泉の前に立ち、その神秘的な輝きをじっと見つめた。
水面からは、清らかながらも、どこか寂しいような、古の力を秘めた空気が漂っていた。
「 ここが、聖なる泉か…… 」
玄葉の声は、重く響いた。
この泉が、月の氏族の秘術に深く関わっているのだとすれば、彼らはこの場所を何らかの形で利用しようとしているに違いない。
夕霧は、古文書を手に、泉の周囲に描かれたかすれた紋様を注意深く調べた。
彼女の指先が、紋様をなぞるたびに、かすかな熱を感じる。
「 陛下、この紋様は、月の氏族が儀式で用いるものです。
古文書にも、この泉の力が、特定の紋様と月の光によって増幅される、と記されています。
特に、五行の思想に基づいた配置になっているようです 」
玄葉は、顔をしかめた。
「 つまり、満月の夜、この泉が最大の力を発揮する時、月の氏族は何か恐ろしい秘術を企んでいるということか 」
その時、地下水路の奥から、衛兵の一人が駆け寄ってきた。
「 陛下!衛兵たちが、泉のさらに奥から、奇妙なものを発見しました! 」
玄葉と夕霧は、衛兵に導かれ、泉の奥へと進んだ。
そこには、地下水路のさらに奥に隠された、小さな空間があった。
その空間の中央には、粗末な石造りの祭壇が築かれており、その上には、いくつもの干からびた薬草の束が置かれていた。
それらは、帝都の市場から消え去った、月の秘薬と噂される香木だった。
祭壇の周りには、八卦が刻まれた石板が並べられていた。
「 これらは、月の氏族が儀式に使う薬草……そして、この祭壇は、彼らが何かを準備していた証拠だ 」
玄葉は、薬草を手に取り、その異様な臭いを嗅いだ。
それは、古文書に記された「 人の精神を惑わし、理性を奪う 」とされた薬草の臭いと一致していた。
夕霧は、祭壇の横に落ちていた、薄汚れた布切れを見つけた。
そこには、月の氏族の紋様が刺繍されており、その紋様の下には、かすかに**「 穢れた血の浄化 」**という文字が記されていた。
夕霧の顔から、血の気が引いた。
「 陛下……!月影様は、わたくしの血を『 清浄なる血 』と呼び、それを彼らの悲願に利用しようとしました。
ですが、この言葉は…… 」
玄葉は、布切れの文字を読み、ハッとした。
「 『 穢れた血の浄化 』……月の氏族が本当に願っているのは、『 荊棘の呪い 』を解くことではなく、自分たちの血を、何か別の方法で『 浄化 』することだというのか……? 」
古文書の記述を思い出す。
月の氏族は、遠い昔、神々の怒りに触れ、「 月の呪い 」と呼ばれる罰を受けたという。
その呪いは、彼らの血を穢し、その力を蝕むものとされていた。
もし、彼らがその呪いを解き、本来の力を取り戻そうとしているのだとすれば……。
「 そして、そのために、彼らは『 清浄なる血 』を必要としている…… 」
夕霧は、自分の血の宿命の重さを改めて感じた。
玄葉は、聖なる泉と、その奥に隠された祭壇、そして古文書と布切れの記述を繋ぎ合わせ、月の氏族の真の目的を推測し始めた。
彼らは、聖なる泉の力と、夕霧の「 清浄なる血 」、そして「 月の秘薬 」を用いて、自分たちの血にかけられた呪いを解き、帝国の支配を企んでいるのかもしれない。
「 だが、そのためには、何らかの『 贄 』が必要となるはずだ。
李蘭は、『 贄 』としては不完全だった。
だからこそ、月影は夕霧を狙ったのだ 」
玄葉は、李蘭が宮廷の最も安全な場所に護送されていることを改めて確認した。
その時、外から、衛兵の慌ただしい足音が聞こえてきた。
「 陛下!緊急報告です!帝都の各所で、不審な光が……! 」
玄葉と夕霧は、顔を見合わせた。
「 不審な光だと? 」
玄葉は、衛兵に先導され、急いで地下から地上へ上がった。
宮廷の屋根に立つと、帝都の空に、信じられない光景が広がっていた。
満月が、いつもよりはるかに大きく、そして紅く輝いていた。
その紅い月の光が、帝都のあちこちで、いくつもの異様な光の柱となって地上に降り注いでいる。
光の柱が降り注ぐ場所は、どれも帝都の主要な要所、人々の活気で賑わう市場(東市)、学問の中心である学院(太学)、そして、古の時代から続く**大聖堂(霊廟)**だった。
光の柱は、まるで巨大な龍が天から降り注いでいるかのように、帝都を覆っていた。
「 あれは……まさか! 」
玄葉は、息を呑んだ。
夕霧もまた、その光景に愕然としていた。
彼女は、古文書の記述を思い出す。
『 紅き月の光が、大地に降り注ぐ時、古の扉は開かれ、禁忌の力が解き放たれる 』
「 陛下!これは、月の氏族が、帝都全体に仕掛けた罠です!
彼らは、これらの光の柱を通して、彼らの秘術の力を帝都全体に広げようとしているのかもしれません!
五行のバランスを崩すことで、帝都の力を弱めようとしているのでしょう! 」
夕霧の声は、焦燥に満ちていた。
玄葉は、紅い月と、降り注ぐ光の柱を見つめた。
彼の脳裏に、月影の言葉が蘇る。
「 私の秘術は、もはやあなたの剣では届かぬ領域にある 」。
彼女は、この状況を予見していたのだ。
「 月の氏族は、帝都全体を、その秘術の『 場 』に変えようとしているのか……!
そして、その力で、聖なる泉の力を増幅させ、自分たちの血を『 浄化 』しようとしているのか……! 」
玄葉は、拳を握りしめた。
帝都のあちこちから、人々の悲鳴が聞こえ始めた。
光の柱に触れた人々が、苦しみ出し、その顔には、まるで何かに取り憑かれたかのような、虚ろな表情が浮かび上がっていた。
それは、月の氏族の毒が、帝都全体に蔓延し始めた証拠だった。
月の氏族の陰謀は、玄葉と夕霧の想像を遥かに超え、帝都全体を巻き込む規模にまで拡大していた。
彼らは、聖なる泉の力と、満月の夜の力を利用して、帝都の住民たちを『 贄 』とし、彼らの血を浄化する秘術を完成させようとしているのかもしれない。
玄葉は、夕霧に顔を向けた。
「 夕霧。
そなたの『 清浄なる血 』の力が、今こそ必要な時だ。
この帝都を、人々を、月の氏族の呪いから救うのだ! 」
夕霧は、強く頷いた。
彼女の瞳には、恐れではなく、揺るぎない決意が宿っていた。
この帝都を、そして、そこに生きる人々を救うため、彼女は、自身の宿命と真正面から向き合うことを決意したのだ。