第10話
玄葉との秘密の同盟が深まるにつれ、夕霧の日常は、表向きは変わらぬ妃としての穏やかさを装いながらも、その実、研ぎ澄まされた緊張感の中にあった。
夜ごと玄葉の執務室で交わされる密談は、彼女の故郷の悲劇と、後宮を蝕む毒の真相へと、確実に近づいていた。
彼女は、持ち前の観察眼と、盗賊時代に培った知恵を最大限に活かし、
後宮内に潜む月影の手の者や、不穏な動きを見逃すまいと、常に周囲に神経を張り巡らせていた。
長慶宮の侍女である冬花は、夕霧の変化に気づき始めていた。
以前よりも、夕霧の目が鋭くなり、物事の裏を読み取るような深みが増しているように感じられたのだ。
「 李蘭様、最近、ご気分がよろしいようですわね。
顔色も以前より明るくなられました 」
冬花は、夕霧に笑顔を向けた。
彼女の言葉には、心からの安堵がこもっていた。
「 ええ、冬花。
そなたのおかげで、少しずつ元気を取り戻しております 」
夕霧は微笑み返したが、その心の中では、冬花の純粋な優しさを守るためにも、
この陰謀を早く終わらせねばならないという、強い決意を新たにしていた。
玄葉との同盟が、彼女にとってどれほど心強いものであるかを、冬花には決して知られてはならない。
しかし、月影の動きは、ますます巧妙かつ大胆になっていた。
彼女は、夕霧が過去に盗賊として関わった、ある重要な事件に関する決定的な証拠を手に入れようと、水面下で暗躍を続けていた。
それは、夕霧が最も隠し通したい、彼女の人生の大きな転換点となった事件だった。
その事件が明るみに出れば、夕霧の身分は完全に剥奪され、彼女は後宮から追放されるだけでなく、命の危険にさらされるだろう。
月影は、その情報を、玄葉への決定的な打撃として使うつもりだった。
月影の宮では、連日、怪しげな人影が密かに往来していた。
彼らは、市井のならず者や、情報屋、あるいは、各地を転々とする旅の商人といった風体の者たちだった。
月影は、彼らに多額の報酬を払い、夕霧の過去、
特に彼女が盗賊として名を馳せた頃の、具体的な足取りと、関わったとされる事件の詳細を調べさせていた。
「 あの盗賊が、最後に姿を消したのは、帝都の西郊外にある廃寺だと? 」
月影は、情報屋の報告に、鋭い眼光を放った。
「 はい、姫様。
その廃寺は、古くから隠し通路や秘密の部屋が多いと噂されておりまして、過去には、貴重な書物や宝物が隠されていたという話もございます 」
「 ふむ……そして、あの盗賊がその廃寺に忍び込んだ後、姿を消した、と。
つまり、そこに、あの女の過去を決定づける何かがあるやもしれぬということか 」
月影は、唇の端に薄い笑みを浮かべた。
彼女は、夕霧の過去を暴き、それを玄葉の信頼を揺るがすための切り札にしようと画策していた。
一方、玄葉もまた、月影の動きを警戒し、夕霧に常に注意を払うよう忠告していた。
「 月影の動きが、最近、活発になっている。
特に、そなたの周囲を探るような気配がする。
油断するな 」
玄葉は、いつものように執務室で報告を聞きながら、夕霧に忠告した。
彼の声には、僅かながらも心配の色が滲んでいた。
「 はい、陛下。
わたくしも、その気配を感じております。
特に、市井の者の出入りが目立つようになりました 」
夕霧は、冷静に答えた。
彼女の心には、緊張感が走っていた。
月影が、いよいよ核心に迫ろうとしている。
「 そなたの過去が、月影の手に渡るようなことがあってはならぬ。
そうなれば、俺の立場も危うくなる。
そして、そなた自身の命も…… 」
玄葉は、そこまで言いかけて、言葉を止めた。
彼の瞳が、夕霧の顔をじっと見つめる。
その瞳の奥には、皇帝としての責務だけでなく、夕霧への、個人的な関心と、彼女を失うことへの微かな危惧が宿っていた。
夕霧は、玄葉の視線に気づき、その真剣な眼差しから、
彼が自分をただの協力者としてだけでなく、ある種の大切な存在として見ていることを、漠然と感じ取った。
しかし、彼女はまだ、その感情の正体を捉えることができなかった。
「 ご心配には及びません、陛下。
わたくしは、これまでの人生で、幾多の困難を乗り越えて参りました。
今回も、必ずや月影様の企みを打ち砕いてみせましょう 」
夕霧は、毅然とした態度で答えた。
彼女の言葉には、強い決意と、玄葉への確かな信頼が込められていた。
玄葉は、夕霧のその揺るぎない眼差しに、静かに頷いた。
その夜、玄葉は、夕霧を呼んで、月の氏族に関する新たな情報を共有した。
「 月の氏族の古文書に、妙な記述が見つかった。
どうやら、彼らは、古くから**『 荊棘の呪い 』というものを恐れているらしい。
その呪いは、月の氏族の血を引く者にのみ現れるものだという。
そして、その呪いを解く鍵は、失われた『 真実の書 』**に記されている、と 」
玄葉は、読み上げた古文書の一節を指差した。
その古文書は、埃をかぶった巻物で、月光の下で、その文字がぼんやりと浮かび上がっていた。
「 荊棘の呪い…… 」
夕霧は、その言葉に、胸騒ぎを覚えた。
故郷で、人々が苦しんでいた症状と、何か関係があるのだろうか。
「 『 真実の書 』とは、何でございましょうか? 」
夕霧は尋ねた。
「 それが、定かではない。
月の氏族の者ですら、その存在を知る者は少ない。
ただ、その書には、月の氏族の秘められた歴史と、
彼らが代々守ってきた、あるいは隠してきた『 毒の知識 』の全てが記されているとされている 」
玄葉は、真剣な眼差しで夕霧を見た。
「 そなたの故郷を滅ぼした毒と、この後宮の毒。
そして、月の氏族に伝わる『 荊棘の呪い 』。
全てが、何らかの形で繋がっていると、俺は睨んでいる。
そして、その鍵が、そなたの過去にあるとすれば…… 」
玄葉は、言葉を濁した。
彼の視線は、夕霧の瞳に強く注がれた。
夕霧は、その視線から、自身の過去が、この巨大な陰謀の核心に関わっていることを改めて感じ取った。
彼女は、故郷の悲劇の真実を突き止めるため、そして、李蘭の願いを叶えるため、この謎を解き明かす必要があると強く感じた。
翌日、夕霧は、冬花と共に後宮の庭園を散策していた。
その途中で、不自然に落ちている小さな木の人形を見つけた。
それは、粗末な作りだが、夕霧が故郷を追われる前に、幼い頃に友人と作ったものと酷似していた。
その人形の首には、古びた麻紐が結ばれており、そこには、かすかに**「 廃寺 」**という文字が刻まれていた。
月影の仕業だと、夕霧はすぐに悟った。
彼女は、人形を手に取り、その文字を指でなぞった。
彼女の心臓は、激しく脈打った。
月影が、ついに自分の過去の核心に迫ってきたのだ。
しかも、その方法は、夕霧の記憶を呼び覚ます、巧妙で悪質なものだった。
夕霧は、冬花に気づかれないよう、素早く人形を懐に隠した。
そして、その日の夜、玄葉との密会で、その人形の存在を報告した。
「 陛下、月影様が、わたくしの過去を探り当てようとしております。
この人形は、わたくしが故郷を追われる前に、友人たちと作ったものと酷似しております。
そして、この文字……『 廃寺 』。
わたくしが、盗賊として最後に姿を消した場所でございます 」
夕霧は、震える手で、木の人形を玄葉に見せた。
彼女の顔には、緊張と、そして、かすかな恐怖の色が浮かんでいた。
玄葉は、人形を手に取り、その文字を凝視した。
彼の眉間に、深い皺が刻まれる。
「 廃寺か……月影は、そこにそなたの過去を暴く、決定的な証拠があると考えているのだろう。
だが、なぜ、このような稚拙な方法で、そなたを試す? 」
玄葉は、月影の行動の意図を測りかねていた。
「 それは、わたくしを動揺させ、自ら廃寺に向かわせるためかと存じます。
そして、そこで、わたくしを捕らえるつもりなのでしょう 」
夕霧は、冷静に分析した。
玄葉は、夕霧の分析に頷いた。
「 その可能性が高い。
だが、そなたが廃寺に向かえば、月影の罠に嵌まることになる。
だが、行かねば、そなたの過去が月影の手に渡り、帝国を揺るがしかねない。
どうする、夕霧 」
玄葉の口調は、公の場では決して見せない、素の口調になっていた。
彼の視線は、夕霧を真っ直ぐに見つめる。
その瞳の奥には、彼女の安全を案じる、微かな感情が宿っていた。
夕霧は、一瞬迷った。
廃寺には、彼女の過去の、最も深く、そして痛ましい秘密が隠されている。
そこには、彼女が故郷を追われることになった、ある決定的な出来事の証拠が眠っている可能性があった。
同時に、それは、月の氏族の毒の根源、そして
「 荊棘の呪い 」
の真実を解き明かす鍵でもあるかもしれない。
「 わたくしが、廃寺へ向かいます 」
夕霧は、決意を固めた。
彼女の言葉には、揺るぎない覚悟が宿っていた。
「 そなた、何を言っている。
それは危険すぎる。
月影の罠に、自ら飛び込むつもりか? 」
玄葉は、思わず声を荒げた。
彼の顔には、明確な焦燥感が浮かんでいた。
夕霧の身を案じる感情が、彼の中で膨らみ始めていた。
「 このまま月影様に過去を暴かれるのは、陛下の信頼を失うだけでなく、
李蘭様を苦しめた毒の真実を永遠に闇に葬ることにもなります。
わたくしは、この目で、廃寺に隠された真実を確かめたいのです 」
夕霧の瞳は、強い光を宿していた。
彼女の言葉は、玄葉の心を揺さぶった。
玄葉は、深い溜息をついた。
彼の脳裏には、夕霧を失うことへの懸念と、彼女の決意を阻むことへの葛藤が渦巻いていた。
「 …わかった。
そなたの決意、しかと受け止めた。
しかし、一人で行かせるわけにはいかぬ。
俺の影の部下を同行させる。
そして、俺も……いや、俺は、この宮から動けぬが、最大限の援護をしよう 」
玄葉は、そう言って、夕霧に歩み寄った。
彼の顔には、皇帝としての厳しさだけでなく、夕霧を案じる、個人的な感情が強く滲み出ていた。
「 夕霧。
そなたは、俺にとって、もはや一介の妃ではない。
この帝国の未来を左右する、重要な鍵なのだ。
だからこそ、無茶は許さぬ。
必ず生きて帰ってこい。
いいな 」
玄葉は、夕霧の肩に手を置き、その瞳を真っ直ぐに見つめた。
彼の言葉には、命令以上の、強い願いと、そして、彼女への、特別な思いが込められていた。
その言葉は、夕霧の心を強く揺さぶった。
彼女の胸には、玄葉の真剣な眼差しが焼き付いた。
夕霧は、玄葉の言葉に深く頷いた。
彼女の心に、玄葉への強い信頼と、彼に応えたいという思いが沸き上がっていた。
「 はい、陛下。
必ずや、生きて真実を持ち帰って参ります 」
夕霧は、そう言って、玄葉に深く頭を下げた。
その瞬間、二人の間には、言葉にはできない、しかし確かな、互いを支え合う絆が、さらに深まった。
廃寺への潜入は、決行された。
深夜、厳重な警備をかいくぐり、夕霧は玄葉の精鋭の影の部下たちと共に、後宮を抜け出した。
月明かりが、彼らの行く手を静かに照らし出す。
夕霧の胸には、廃寺に隠された過去への不安と、故郷の悲劇の真実を突き止めるという使命感、
そして、玄葉の言葉への確かな信頼が入り混じっていた。
廃寺は、帝都の西郊外にひっそりと佇んでいた。
崩れかけた本堂、雑草が生い茂る庭、そして、そこかしこに散らばる瓦礫。
かつて栄華を誇った寺院は、今や見る影もなく荒れ果てていた。
しかし、その廃墟の奥深くに、夕霧の過去を巡る、そして帝国の命運を左右する、ある真実の片鱗が眠っているはずだった。
夕霧は、盗賊として培った潜入術を最大限に発揮し、影の部下たちと共に廃寺の奥へと進んでいった。
荒れ果てた寺院の内部は、静寂に包まれていた。
だが、その静寂の奥には、何か不穏なものが潜んでいるような、張り詰めた空気が漂っていた。
月影の手の者が、既に罠を仕掛けているかもしれない。
夕霧は、常に警戒を怠らなかった。
夕霧は、幼い頃の記憶を辿りながら、廃寺の隠し通路を探した。
彼女の故郷の毒と、この廃寺には、何らかの繋がりがある。
その確信が、彼女を突き動かしていた。
そして、ついに、彼女は、廃れた壁の裏に隠された、小さな扉を発見した。
その扉は、古くからの呪術的な模様が刻まれており、奇妙な空気を放っていた。
その模様は、月の氏族の紋章にも似ていた。
「 これです…ここです。
私の故郷で、このような紋様を、見た記憶がございます 」
夕霧の声が、震えながらも、確信に満ちていた。
影の部下たちが、警戒しながら扉に近づく。
扉の奥は、深く、そして暗い階段が続いていた。
湿った空気と、独特の土の匂いが、地下へと続いていることを示唆していた。
夕霧は、玄葉から渡された小型の松明に火を灯し、その暗闇へと足を踏み入れた。
影の部下たちも、彼女に続いて警戒しながら進んでいく。
階段を下りた先は、ひんやりとした地下空間だった。
そこには、薄暗い光が差し込むことなく、完全に閉ざされた空間が広がっていた。
そして、その中央には、古びた石の台座が置かれていた。
台座の上には、埃をかぶった一冊の古文書が置かれている。
その古文書の表紙には、月の氏族の紋章が刻まれており、
そして、その隣には、夕霧が故郷を追われることになった、ある決定的な出来事の証拠となる、古びた装身具が置かれていた。
それは、幼い夕霧が、あの悲劇の日に身につけていたものだった。
夕霧は、その装身具を見た瞬間、全身の血の気が引くのを感じた。
彼女の脳裏に、悲劇の日の光景が鮮明に蘇る。
それは、彼女が最も思い出したくない、しかし決して忘れることのできない、心に焼き付いた記憶だった。
月影が、ここまで過去を暴いていたとは。
そして、この場所で、決定的な証拠を手に入れようとしていたとは。
古文書と装身具。
これこそが、月影が狙っていた、夕霧の過去を暴くための決定的な証拠だった。
そして、この古文書こそが、月の氏族が代々守り、そして恐れてきた**『 真実の書 』**の片鱗なのではないか、と夕霧は直感した。
それは、故郷を滅ぼした毒の真実、そして
「 荊棘の呪い 」
の根源を解き明かす、最初の鍵となるだろう。
夕霧は、震える手で古文書と装身具を手に取った。
その瞬間、背後から、冷たい風が吹き込んだ。
「 おやおや、まさか本当に、自ら罠に嵌まりに来るとは思いませんでしたわ、李蘭妃様 」
月影の声が、静かに、しかし、明確に響き渡った。
彼女の背後には、数人の影の者たちが控えていた。
彼らの手には、鈍く光る刃が握られている。
月影は、夕霧の背後に、ゆっくりと歩み寄る。
その顔には、勝利を確信したような、冷酷な笑みが浮かんでいた。
「 まさか、あなたが盗賊であったとはね。
そして、その隠された過去が、まさかここにあるとは。
これで、陛下も、あなたを信じるわけにはいかなくなるでしょう 」
月影の言葉は、嘲りを含んでいた。
彼女は、夕霧の命を狙っているだけでなく、彼女の全てを奪い取ろうとしていた。
玄葉の影の部下たちが、一斉に構え、月影の影の者たちと対峙する。
しかし、相手は月影が用意周到に仕掛けた罠だ。数は少なくない。
「 やはり、罠でしたか…… 」
夕霧は、古文書と装身具を胸に抱きしめながら、月影を睨みつけた。
彼女の瞳には、恐怖だけでなく、月影への強い怒りが燃え上がっていた。
「 そうね。
あなたのような者は、後宮には不要なのです。
陛下の寵愛を受けるに値しない。
そして、この帝国の邪魔をする存在は、消え去るべきだわ 」
月影は、冷酷な目で夕霧を見つめた。
彼女の指先が、合図を送るように動く。
月影の影の者たちが、一斉に夕霧たちに襲いかかった。
夕霧は、玄葉の部下たちと共に、廃寺の地下で激しい攻防を繰り広げた。
彼女は、盗賊時代に培った身体能力と、毒に関する知識を活かし、
巧みに敵の攻撃をかわし、時には、用意しておいた薬草を使い、敵の動きを鈍らせた。
しかし、相手は多勢に無勢。
徐々に、追い詰められていく。
彼女は、古文書と装身具を守り抜かねばならない。
それが、玄葉との約束であり、故郷の無念を晴らす唯一の道だった。
その頃、後宮では、玄葉が苛立ちを募らせていた。
廃寺に向かった夕霧からの連絡が途絶えていたのだ。
「 まだか!まだ夕霧からの報告はないのか! 」
玄葉は、執務室で部下を叱咤した。
彼の顔には、焦燥と、そして、抑えきれない心配の色が浮かんでいた。
彼の心臓は、まるで夕霧の危険を察知したかのように、激しく脈打っていた。
彼は、自分のこの感情が、皇帝としての懸念だけではないことを、薄々感じ始めていた。
「 陛下、廃寺からの報告がございません。
もしかしたら、月影の手の者と交戦状態にあるかと…… 」
部下の言葉に、玄葉は奥歯を噛み締めた。
「 くそっ……!俺が、自ら行けないこの状況が、これほどまでに歯がゆいとは! 」
玄葉は、拳を卓に叩きつけた。
彼の心は、夕霧の安否への不安で満たされていた。
彼にとって、夕霧は、もはや単なる協力者ではなかった。
彼女の存在は、彼の心の奥深くに、静かに、しかし確実に、根を下ろし始めていたのだ。
廃寺の地下空間で、夕霧は最後の力を振り絞っていた。
影の部下たちも、次々と傷を負っていく。
月影の影の者たちが、夕霧のすぐ目の前まで迫っていた。
「 終わりよ、李蘭妃。
あなたの醜い過去も、陛下の偽りの信頼も、全てがここで潰えるわ 」
月影の声が、冷たく響いた。
彼女の目が、勝利に酔いしれるように光る。
夕霧は、胸に抱いた古文書と装身具を強く握りしめた。
これだけは、渡してはならない。
その瞬間、地下空間の奥から、かすかに光が差し込んだ。
そして、聞き覚えのある、力強い声が響き渡った。
「 夕霧!無事か! 」
それは、玄葉の影の部下の、増援だった。
玄葉が、夕霧の安否を案じ、さらに精鋭を送り込んでいたのだ。
彼らは、玄葉からの厳命を受け、夕霧を何としてでも救い出すべく、廃寺へと駆けつけていた。
増援の到着により、状況は一変した。
月影の影の者たちは、思わぬ反撃に動揺し、次第に劣勢に立たされる。
月影は、舌打ちをしながら、夕霧を睨みつけた。
「 ……運がいいわね。
だが、次は、こうはいかないわよ 」
月影は、そう言い残すと、残りの部下たちと共に、地下の隠し通路へと姿を消した。
彼女は、まだ完全に敗北を認めたわけではなかった。
夕霧は、安堵の息を漏らした。
だが、体中の痛みと疲労で、その場に崩れ落ちそうになる。
その時、玄葉の部下の一人が、夕霧に駆け寄った。
「 李蘭妃様!ご無事ですか!
陛下が、大変ご心配されておりました 」
彼の言葉に、夕霧は、玄葉の顔を思い浮かべた。
彼の心配は、本物だった。
彼女の心に、温かいものが込み上げてきた。
古文書と装身具。
夕霧は、その二つをしっかりと握りしめていた。
廃寺で手に入れた真実の片鱗。
それは、彼女の過去の痛ましい記憶を呼び覚ますと同時に、月影の陰謀の根源、
そして
「 荊棘の呪い 」
の謎を解き明かすための、重要な鍵となるだろう。
そして、この鍵を、玄葉と共に解き明かすことこそが、
故郷の無念を晴らし、李蘭の願いを叶える唯一の道なのだ。
後宮の闇は、まだ深い。
だが、夕霧の心には、新たな決意の光が灯っていた。