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荊棘後宮の盗妃伝  作者: ひらめ
第1章
10/24

第9話


月影の巧妙な罠を乗り越え、夕霧が玄葉に真実を告白した夜から、後宮の空気は目に見えて変化していった。

表向き、長慶宮の李蘭妃は、依然として病弱で人前に姿を現すことは稀であるとされていたが、

その裏では、玄葉と夕霧の間に、秘密裏の、しかし強固な同盟が築かれていた。

その同盟は、後宮の闇に深く根を張る陰謀を暴き、

ひいては帝国の根幹を揺るがしかねない巨大な悪意に対抗するためのものだった。

玄葉は、夕霧の類稀なる知識と、その瞳の奥に宿る強い意志に、深い興味と期待を抱き始めていた。

彼にとって、夕霧はもはや一介の妃ではなく、自らの右腕として、この複雑な局面を乗り越えるために不可欠な存在となっていた。

玄葉の執務室は、夜ごと、彼と夕霧の密会の場となった。

厳重な警戒が敷かれ、信頼のおける影の部下しか近づくことを許されない。

そこでは、二人は皇帝と妃としてではなく、互いの目的のために情報を交換し、策略を練る協力者のような関係だった。

玄葉は、公の場では

「 私 」

という一人称を使い、皇帝としての威厳を保っていたが、

この執務室では、時折

「 俺 」

という素の口調が漏れるようになった。

それは、彼が夕霧に対し、より個人的な関心を抱いている証でもあった。

「 あの毒は、月の氏族の領地でしか育たない稀少な植物を原料としている。

しかも、その調合には、古くから月の氏族に伝わる秘術が用いられていると、医官が報告してきた 」

玄葉は、卓上に広げられた詳細な報告書に目を落としながら、静かに言った。

彼の声は低いが、その言葉には確信がこもっていた。

「 月の氏族か……やはり 」

夕霧は、唇を噛み締めた。

故郷を滅ぼした毒と、後宮の毒が繋がっている可能性が、いよいよ現実味を帯びてきたのだ。

「 月影は、自らの血族の力を利用しているということか。

だが、なぜそこまでして…… 」

玄葉は、眉間に深い皺を刻んだ。

「 彼女の野望は、後宮の覇権だけに留まらない。

帝国そのものに影響を及ぼそうとしている、と俺は睨んでいる 」

夕霧は、自身の故郷の悲劇を思い出し、胸が締め付けられるようだった。

彼女の心には、故郷の無念を晴らしたいという強い使命感が宿っていた。

「 陛下、その秘術に関する情報はございますか?

毒の解毒法、あるいは、その毒を無効化する術が、月の氏族に伝わっているかもしれません 」

夕霧の瞳は、希望の光を宿していた。

玄葉は、静かに首を振った。

「 現時点では、その秘術に関する詳細な情報はない。

月の氏族は、閉鎖的で、自らの秘術を外部に漏らすことは決してない。

それゆえに、今回の毒も、特定が困難を極めた 」

彼の言葉に、夕霧は一瞬、絶望を感じた。

しかし、玄葉は続けた。

「 だが、そなたの知識が、それを解き明かす鍵となるやもしれぬ。

そなたの故郷の悲劇と、この毒には、何らかの繋がりがあるのだろう 」

彼の視線が、夕霧の瞳を捉えた。

その視線には、信頼と、そして、彼女の能力への純粋な好奇心が込められていた。

夕霧は、玄葉の言葉に、全身に熱が宿るのを感じた。

それは、期待されることへの高揚感だった。

玄葉は、夕霧に、後宮の妃たちの様子、月影の宮の監視状況、

そして外部勢力との繋がりに関する最新の情報を共有した。

玄葉の影の部下たちは、月影の侍女たちの動きを綿密に追跡しており、

彼女たちが秘密裏に宮の外と接触していることを突き止めていた。

その接触の背後には、月の氏族の一部、そして帝国の政界を揺るがす隠された勢力が蠢いている可能性が浮上していた。

「 どうやら、月影は、ただ後宮の覇権を狙っているだけではないようだ。

帝国の要職にある者たちと繋がり、何らかの大きな企みを進めている。

俺の知らないところで、ここまで腐敗が進んでいたとはな…… 」

玄葉は、悔しそうに拳を握り締めた。

彼の口調は、公の場では聞かせないような、素の感情が滲み出ていた。

夕霧は、その言葉に、故郷を滅ぼした者たちの顔が重なった。

彼女の心には、怒りと、そして、玄葉への、人間としての共感が芽生え始めていた。

彼もまた、己の力の及ばないところで、深い傷を負っている。

夕霧は、自身の故郷で得た毒に関する知識、

そして盗賊時代に培った情報収集術や潜入術を玄葉に惜しみなく提供した。

彼女は、医官の報告書を読み込み、妃たちの症状から毒の作用をさらに深く分析した。

「 この毒は、精神を不安定にさせ、互いに疑心暗鬼にさせる効果も持っているようです。

後宮が混乱すれば、月影様にとって都合が良いのでしょう 」

夕霧は、冷静に分析結果を述べた。

「 その通りだ。

混乱は、常に悪意ある者の味方をする。

だが、そなたのおかげで、その狙いが明確になった。

感謝する 」

玄葉は、夕霧の洞察力に感嘆し、彼女にわずかに視線を向けた。

その視線には、彼女の知性に対する、深い敬意が込められていた。

二人の間には、日に日に、単なる協力関係以上の、奇妙な信頼関係が芽生え始めていた。

夜遅くまでの密談の中で、玄葉は、普段見せることのない皇帝としての苦悩や、孤独を夕霧に打ち明けることもあった。

「 皇帝というのは、常に孤独なものだ。

誰もが、俺の言葉の裏を探り、俺の行動に利を見出そうとする。

真に信じられる者が、どれだけいるか…… 」

玄葉は、遠い目をして呟いた。

彼の声には、深い疲労と、そして、わずかな寂しさが混じっていた。

夕霧は、その言葉に、自分もまた、孤独な道を歩んできたことを重ね合わせた。

故郷を失い、身寄りのない中で、誰にも心を許すことができなかった日々。

「 陛下は、お一人ではございません。

わたくしが、陛下のお力になります 」

夕霧は、思わずそう言って、彼の言葉を遮った。

そして、玄葉の目を真っ直ぐに見つめた。

その瞳には、嘘偽りのない、強い意志と、そして、玄葉への、人間としての共感が宿っていた。

玄葉は、夕霧の言葉に、驚いたように目を見開いた。

そして、その瞳の奥に、夕霧の真剣な眼差しを捉えた時、

彼の心臓が、まるで予期せぬ衝撃を受けたかのようにわずかに脈打った。

それは、長きにわたる孤独に、一筋の光が差し込んだような感覚だった。

「 ……そうか。

そなたが、いてくれるのか 」

彼の声には、それまで聞いたことのない、深い安堵が込められていた。

彼は、夕霧の存在が、己にとってどれほど得難いものであるかを、深く認識し始めていた。

彼は、夕霧の肩に、ごく軽く手を置いた。

その手の温かさに、夕霧の心臓がわずかに跳ねたが、

それはあくまで協力者としての信頼の表れだと、彼女は自身に言い聞かせた。

この夜以来、玄葉は、夕霧を

「 李蘭妃 」

と呼ぶことはほとんどなくなり、時折、彼女の瞳の奥をじっと見つめ、

「 そなた 」

と呼ぶようになった。

その呼び方には、皇帝としての立場を超えた、個人的な関心と、彼女の能力への期待が込められていた。

そして、玄葉は、夕霧との密会が増えるにつれて、彼女の小さな仕草や表情から、その微かな感情の揺れを読み取ろうとするようになった。

夕霧もまた、玄葉の厳しい表情の裏にある真摯さや、彼が抱える重責を理解し、彼を支えたいという思いを強くしていった。

彼らの間には、言葉以上の、深い理解と共感が育まれていった。

しかし、それはまだ、恋愛感情と呼ぶには程遠い、奇妙な友情と信頼の入り混じった関係だった。

しかし、水面下で進む二人の同盟に対し、月影の影は、さらに深く、そして狡猾に迫っていた。

月影は、夕霧の過去に関するさらなる情報収集を進めていた。

彼女は、市井に潜む盗賊の仲間、あるいは、夕霧の故郷の悲劇を知る者を探し出そうと、密かに手を広げていたのだ。

月影は、夕霧が宮中に入り込むまでの足取りを徹底的に調べ上げ、その中で、

夕霧が過去に盗みに入ったとされる屋敷の記録、あるいは、彼女が関わったとされる事件の噂を突き止めることに成功した。

それは、夕霧が盗賊であったことを示す、決定的な証拠となる可能性を秘めていた。

「 どうやら、あの女は、かつて名うての盗賊であったらしいわね。

それも、ただの盗賊ではない。

特定の品しか狙わず、決して人を傷つけない、奇妙な盗賊だと。

ふふ、まさか、後宮にそのような者が入り込むとはね 」

月影は、部下から得た報告に、薄ら笑いを浮かべた。

彼女の目は、獲物を仕留める前の捕食者のように鋭く光っていた。

「 その盗賊が狙った品とは、何だった? 」

月影は、さらに深く探るように命じた。

「 はっ、それが…毒物に関する書物、あるいは、珍しい薬草が狙われていたようです。

それと、古い地図や、謎の古文書なども…… 」

部下の報告に、月影の笑みはさらに深まった。

「 やはり…これで、全て繋がったわ。

あの女が、陛下の信頼を得たのは、その毒の知識によるもの。

そして、その知識は、盗賊時代に培ったものというわけか。

これほど陛下を欺くとは、許せない。

必ず、この女を排除してやる 」

月影は、夕霧の過去を暴き、彼女を後宮から追放するための、決定的な謀略を練り始めた。

彼女の狙いは、夕霧の秘密を公にし、玄葉の信頼をも失墜させることだった。

そして、その謀略は、玄葉と夕霧の同盟が強固になればなるほど、危険なものへと変貌していった。

玄葉と夕霧は、日増しにその連携を密にしていった。

夕霧は、毒に関する新たな情報や、月影の動きに関する洞察を玄葉に伝え、玄葉は、彼女の安全を確保するための策を講じた。

彼は、長慶宮の警備を名目上強化し、月影の手の者が容易に近づけないようにした。

それは、表向きは妃の安全のためだが、実際は、夕霧が自由に調査を進め、玄葉と密会できる環境を整えるためだった。

ある夜、玄葉は、自身の執務室で、夕霧に帝国の歴史書の一部を見せていた。

それは、月の氏族の起源に関する、古くからの記述だった。

「 月の氏族は、古くから薬学と、そして、秘められた毒の知識を代々受け継いできたという。

その知識は、帝国の権力の中枢に深く食い込むための、彼らの切り札でもあった 」

玄葉は、書物を指差しながら言った。

「 しかし、その力が、今、後宮を蝕んでいる。

そして、もしかしたら、帝国の根幹を揺るがすかもしれない。

これほど危険な力を、なぜ歴代の皇帝は放置してきたのだ? 」

玄葉は、自らの不甲斐なさに、悔しさを滲ませていた。

彼の口調は、公の場では決して見せない、素の感情が露わになっていた。

夕霧は、その言葉に、故郷の悲劇の根源が、この帝国の歴史の奥深くに隠されていることに気づき始めていた。

「 陛下… 」

夕霧は、思わず玄葉の名を呼んだ。

彼女の瞳には、玄葉の苦悩への共感と、彼を支えたいという強い思いが宿っていた。

玄葉は、夕霧の視線に気づき、そっと彼女の顔に触れた。

彼の指先が、夕霧の頬を優しく撫でる。

その触れ方は、皇帝としての威厳と、ごくわずかな戸惑いが入り混じったような、繊細なものだった。

「 そなたの故郷を滅ぼした毒が、この帝国の深部にまで関わっているとすれば……

俺は、必ずその真実を暴き、そなたの故郷の無念を晴らしてみせる。

そして、二度と、同じ悲劇が起こらないよう、この帝国を守る 」

彼の言葉は、皇帝としての誓いであると同時に、夕霧への、個人的な約束でもあった。

その言葉には、玄葉の夕霧への深い信頼と、そして、彼女の能力への大きな期待が込められていた。

夕霧の心臓は、激しく脈打った。

彼の指の温かさが、夕霧の頬に熱を残す。

それは、純粋な驚きと、強い共感によるものだった。

夕霧は、玄葉の言葉に、これまでの孤独な人生の中で、初めて温かい光を見出した。

彼女は、玄葉の真剣な眼差しから、彼が本気で自分を信じ、

この後宮の闇を共に打ち破ろうとしていることを感じ取った。

彼女にとって、玄葉は、故郷の無念を晴らす手助けをしてくれる、

最も強力な協力者であり、信頼できる存在だった。

彼の皇帝としての威厳と、時折見せる人間らしい苦悩に、彼女は尊敬と、深い共感を抱き始めていた。

しかし、新たな同盟が深まる一方で、後宮の闇は、さらに深いところへと広がっていた。

月影の謀略は、着実に夕霧を追い詰める準備を進めていたのだ。

彼女は、夕霧が過去に盗賊として関わった、ある重要な事件に関する決定的な証拠を手に入れようとしていた。

それは、夕霧が最も隠し通したい、彼女の人生の大きな転換点となった事件だった。

その事件が明るみに出れば、夕霧の身分は完全に剥奪され、彼女は後宮から追放されるだけでなく、命の危険にさらされるだろう。

月影は、その情報を、玄葉への決定的な打撃として使うつもりだった。

夜空には、満月が静かに輝いていた。

その月光が、後宮の壮麗な宮殿を照らし出し、

同時に、その闇の奥深くに潜む陰謀の影を、さらに色濃く映し出していた。

玄葉と夕霧の間に芽生え始めた新たな関係と、深まる陰謀。

後宮の運命は、今、二人の手に委ねられた。


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