004-1 操影出陣
妖、怪異、怪物、異形……。
呼び方が様々あるように、ソレらの姿形も、数えきれないほど存在する。
そんな彼らの一番古い記録は、奈良時代に書かれた『古事記』や『日本書紀』だと言われている。
昔は、影の中で生き、人間はソレらの棲む闇を恐れた。しかし時代が変わり、闇を照らして星々の瞬きを隠す技術を得た人間たちは、ソレらを押し退ける力を得たと考えた。
想定外だったのは、人類の進化を凌駕する『バケモノ』の適応力だった。
夜でも昼間のように明るくなった現代。
惑星基準だった時間の概念を覆した人間が新たに定義した時間軸に、ソレらバケモノも適応し、生き永らえる術を獲得したのである。
時代を進めるのは、人間の専売特許ではない。
ネットの普及によって経済の回転率を上げた人類の影では、己の進化を加速させていたバケモノ。
人類は、知らず知らずのうちに、自ら絶滅への道を辿っていたのだ。
日を追うごとに太刀打ちできなくなって行く、ソレらとの生存競争。
それでも、バケモノに対抗すべく夜の闇に身を落とし生きて来た者たちが諦めることはなかった。
多くの被害者を出しながらも、顔も名前も知らない誰かの笑顔を守るため、戦い続けた。
しかし、今から約四十年前、事態は急変した。
突如出現した、島国一つを覆い隠すほどのバケモノの群れによって、日本全土が、夜の帳とは異なる、全く新しい闇が幕を下ろした。
政府はこれに対応できず、多くの被害者を作る結果となった。
元からローリスクハイリターンを求める連中だ。重い腰を上げる頃には既に手遅れだと、保身に舵を切った者も少なくなかった。
マスコミたちは、それらを美味な餌だと喰らい付いた。
責任追及などと、無意味な事ばかりをニュースや新聞に取り上げ、国中を不安と不満の渦に叩き落とした。
小さな島国一つが沈むのも、時間の問題だった。
右を見れば隣人がバケモノに襲われ、左を見れば家屋がバケモノの棲家となっている。
何処に行っても明るい未来は現れず、混沌とした日常を描くほか、無くなっていた。
海の外に旗印を立てる国々は、早くに見切りをつけ、横たえ胡座をかいていたその身を引いた。
しかし、日本を覆う闇を祓わんと、一部の者たちが立ち上がった。
古くから、夜の闇の中だけで生きてきた専門家たちだ。
彼らはバケモノの存在を民衆に周知させると同時に、自分たちの存在を世に晒すことで、この混乱を終結へと向けさせた。
それに目敏く飛びついたのが、背後が地獄の業火と化していた日本政府だった。
政府は専門家たちを自らの懐に招き入れ、彼らの仕事を国の旗の下の椅子に縛ろうとした。
正確に言えば、国家公務員として、警察の傘下に加えようとしたのだ。
『警視庁乖離事象課』なる名前がマスコミ伝いに、堂々発表された。が、政府を信じられなくなっていた国民からは猛反対の嵐が吹き荒れ、マスコミはさらなる餌の山に、唾液を巻き散らせ、頭から飛び込んだ。
民衆と国営陣との全面戦争。それをカメラに収める無責任者達。
そんな中、話題の中心人物らは黙々と街の中に蔓延るバケモノを処理して回っていた。当然、彼らからは無数の死者が出た。
しかし、人間同士の争いと人間とバケモノとの争いが同時に起きていた時代だ。それを嘆き悲しむ暇など、何人にも与えられていなかった。
今では『落陽時代』と呼ばれるこの時代は、バケモノの群れが現れ、十二年もの間、日本国民の生活圏を荒らし尽くした。
十二年もの間に、隣人との叫び合いで浪費した小さな島国に住む者達は、地獄にまで届くほどの深い傷を心に刻んだ。
人間同士の争いに決着がついたのは、雪降る凍えた季節になってすぐの事だった。
勝者は国民で、彼らを『祓魔師』と呼び、集団でバケモノ退治に向かう彼らを『祓魔隊』と呼ぶ事となった。
無論、警察の傘下など却下され、彼ら祓魔隊は政府公認の滅魔委員会なる上位組織の下で動く、独立組織として受け入れられる運びなった。
これでこの国は、もう一度立ち上がれると、誰もが肩を叩き喜んだ。
そんな影で、実はもう一つの争いが起きていた。
夜の闇の中で生きて来た専門家の誰もが、明るい陽の下に現れたわけではない。
一部の傷者達は祓魔隊のあり方を否定し、己がやり方を貫いたのだった。
結果生じたのは、祓魔隊との抗争だった。バケモノ退治をどちらが行うかなどと、不毛な争いを始めたのだ。
十年以上を費やし、ようやく終結した人間同士の争いの炉に、再度火が入れられようとした。
そんな時代の到来は、一人の老人の登壇によって防がれた。
彼は後に『協会』と呼ばれる組織を組み上げる。
こうして『祓魔師』と『祓い屋』と呼ばれる、二つの新しい職業が現代に生まれた。
「分かるか六郎。これが、私たち祓魔師と祓人関係の原点だ」
「はい、つまりは祓い屋たちより成果を挙げて、組織を潰そうって事っスよね」
祓魔隊第六部隊大隊長を任されてから早数ヶ月。貝塚迅は、新人の育成に難航していた。
「違う。私たち祓魔師にできる仕事がある様に、彼ら祓人にも彼らにしかできない仕事があると言っているんだ。互いに啀み合うのではなく、互いに長所を生かして明日を生きろと」
新人、午場六郎は、先日任務で祓い屋といざこざを起こした。
共同戦線であるため、絶対に言い争いをするなと言って、十五分後の事だった。
今は次の任務のため、装甲車に隊員を乗せて移動している。
隊員が対面に並んで座る車内で、再教育と言う名の言い争いを、迅は責任者故に負っていた。
後頭部で一つに束ねた金の髪が、車の揺れに合わせて左右に揺れる。
「でも隊長、俺たちがいれば、祓い屋なんていらないじゃないスか」
「それでバケモノが一体残らず駆逐され、人々の安寧が戻るのなら、私だって喜んでお前の意見に賛同するだろう。しかし、現実はそんなに甘くない。私たちが救えるのは、この手が届く範囲だ。祓魔隊全員が必死に手を伸ばしても、何処かで必ず取り零される命が出てしまう。その命は誰が救う?」
「それ言われたらそうっスけど。でもそもそも、祓魔隊と祓い屋になんて別れなければ良かった話じゃないっスか」
六郎の意見に、十人いる隊員のうち三、四人が、確かにと顔を背けた。しかし、迅はその意見を正面から否定する。
「ならお前は、目の前で誰かが死んだ時、そう言い訳をするのか? 祓魔師が祓人がと言って、被害者を見捨てるのか」
「なっ、誰もそんな事は言ってないじゃないっスか!」
「事実そうなる。人は皆が皆同じ意見、同じ価値観で生きている訳じゃない。それぞれに合った生き方だからこそ、見ず知らずの人の笑顔を守れる。そうだろう?」
迅の言葉に、隊の半数以上が首を縦に振った。
「それでも、納得できないっスよ」
「そうか。それなら、お前がいつの日か出世して組織を動かせる様になった時に、二つの組織を統合してくれ」
話はこれで終いだと迅が言うのと、第六祓魔隊を載せた装甲車が目的地に着くのとは、ピッタリ同時だった。
「相変わらず、隊長の体内時計は正確だな」
刀を腰に差しながら、今年で十九になる隊員の一人、蓑虫體斗は、短く切った髪を掻きながら、同期の隊員にだけ聞こえる小声で話した。
「それより體斗君。さっき六郎君の話、確かにって思って聞いてたでしょ」
體斗の同期で唯一生き残っている祓魔師、燕坂胡桃は、狩猟用の狙撃銃と、短身の散弾銃を肩にかけながら、體斗を横目に睨みつける。
「いやだって、俺もそう思ったことはあるし……」
装甲車から下車しながら、體斗は続いて降りて来る胡桃から視線を切った。
「あのね、そんな事考えてるから、祓人たちと上手く連携できなくなるのよ」
ため息混じりに、胡桃は小声で體斗にだけ聞こえるように話す。
「それは相手も同じだろ。祓魔師となんか仕事できるかってな」
「さっき隊長は、その事を六郎君に言い聞かせてたんじゃない。互いに価値基準が違うから、啀み合いたい部分は無視して、互いにできる事をしろって」
「そんなこと言ってたか?」
體斗の中では、迅の言葉は別の事を言っているように聞こえていた。が、そもそも體斗には他人の説教を聞く趣味はないため、迅の後ろで揺れる髪をぼんやり眺めながら、今晩の献立を思い返していた。
祓魔隊の約八割が、国が提供する宿舎で生活している。そこの食堂の料理はとても美味しく、體斗は同期が生きていた頃は、皆で三回はおかわりをしていた。
今はたった一人の残った同期と、こうして軽口を言い合っている。
燕坂胡桃。墨のように黒く、艶のある髪を肩に触れないくらいの位置で切り揃えている彼女は、初めて会った時はもっと伸ばしていた。
迅隊長と同じ髪型をしていたと記憶している。それが何時しか、邪魔だからという理由でバッサリ切っていた。
当時はデバイスの特性上、確かに邪魔になるか。くらいにしか考えていなかった體斗だったが、今は他にも理由があったのではと思っていた。
「少なくとも、私はそう解釈してる。もし仮に一つの組織にまとめられたとしても、その組織の内部でいざこざを起こしてちゃ意味がないんだから、いっそ別の組織として互いに動き合うのがいいって。隊長はそう言いたいんだと思うよ」
「そこまでの事は言ってないだろ。もし言ってたとしても、六郎はそこまで理解できてないぞ」
「貴方にも理解できてないみたいだしね」
ふふんと鼻で笑う胡桃を背後に、體斗は前方の扉の前で待っている迅隊長の正面で足を止め、飛び出そうになった言葉を飲み込んだ。
「無駄口はそこまでだ。バケモノはこの建物の中にいる。気を引き締めろ」
體斗と胡桃の会話は、他の隊員には聞こえないくらいの声量で行われていた。がしかし、そんな声も迅の耳には届いていた。
装甲車が停止したのは、ショッピングモールの地下駐車場。そこから移動した迅が、店内に続く階段の前で隊員の顔を見渡した。
「このショッピングモール内にて、多数のバケモノが確認されている。これより二人一組でバケモノを祓う。準備はいいか」
迅の声に、六郎、體斗、胡桃を含めた隊員十名が声を揃えて返事をした。
ショッピングモール内は、静寂が満ちていた。
湿気を含んだ空気は、タイルカーペットに染み込んだ人の血の臭いを、建物の中に絡みつかせるかのように広げている。
バケモノが確認され、この施設の職員は、すぐに客と店員を避難させたらしい。
その判断は正しいと、六郎を引き連れた迅は思った。
「隊長、なんで俺なんスか。絶対、この前の任務での罰っスよね」
拗ねた様子を見せる六郎の前を歩く迅は、前方を見ながら言った。
「安心しろ。お前が私と一緒にいる事を罰ゲームか何かだと思っている様に、私もお前の隣は罰ゲームだと思っている」
「……それ、部下に言っていい言葉じゃないっス」
「そうか。では、その言葉をそっくりそのまま返してやろう。ついでに言っておくと、上司に向かってその口の聞き方をして許されるのはここだけだ。気をつけろ」
上司に対しても同期に接するのと何ら変わらない六郎は、きっと他の隊では嫌われると迅は見ている。
しかし迅本人としては、六郎は見込み有りと気に入っていた。
確かに性格には難があるが、戦闘に関する才能や、祓魔師としての技量は隊内でも體斗と胡桃、野暮の三人と並ぶほどで優秀だ。そして何より、若い。
齢十七でこの練度は、天賦の才と呼ぶ他ないだろう。
勿論、他の隊員も動けない訳ではない。ないのだが、咄嗟の判断を強いられた時、動きが鈍る事が多々あるのが気になるところだ。
バケモノを前にした時、判断に遅れが生じるのは命取りになる。しかし、そう説いた所でなかなか直せるものでもない。
本来、才能の原石である六郎は、他の隊員と組ませるべきなのだが、ここでお前を信頼していると組ませては、六郎が調子に乗るのが目に見えているため、今回は隣につけた。
その分戦力的に不安がある者たちは、三人一組にして動かしている。向こうで何かあるとはあまり考えていない。
「それにしても、こんなに静かだとなんだか逆に不気味っスね」
「そうだな。潜伏に長けているのか。それとも、もうここにはいないのか」
ショッピングモールの一階を担当する迅、六郎ペアは、レストラン通りからフードコートへと移り、バケモノの痕跡がないかと視線を巡らせる。
倒れた椅子、叩き割られたテーブル。切り裂かれたソファ。ここで戦闘があったのは間違いない。
足元には血痕も確認できた。人体を流れる真っ赤な血だった。
「どっちの死体もないっスね」
「そうだな。だが、ここに祓い屋がいたといった報告は受けていない。あるとすれば、逃げ遅れた客か店員だろう」
バケモノに手負いはいないと迅は言って、腰に差した刀に手を添えた。
「構えろ、六郎」
「分かってるっス。数は五、こっちを狙ってるっスね」
六郎の凄いところは戦闘能力だけでなく、周囲を見るその察知能力もだ。
正確にバケモノのいる方向を見て、さらに数もあっている。
これから第六で育てて行くのかと思うと、迅は内心喜びに拳を震わせた。
「六郎、先手は譲ってやる。好きに暴れてこい」
「いいんスか!」
「但し、俺の許可があるまでは、デバイスの使用を禁止する」
「はあ? 生身でバケモノとやり合えって言うんスか」
不満を漏らす六郎と、近づいてくるバケモノの気配。それに合わせて刀を抜いた迅は、六郎を横目に別方向から迫るバケモノにその切先を向けた。
「そうだ。あんな物を使わずとも、この程度は祓えると私に見せてみろ」
「……できたらなんかくれるんスか?」
「一体でも祓えれば、反省文は無しにしてやる」
六郎の右側面に転がっていたソファの後ろから、荒縄の螺旋模様を全身に浮かばせたウナギの形をしたバケモノが飛び出してきた。
「んなもん、言われても書かねぇっスよ!」
飛び出してきたバケモノの頭を鷲掴みにした六郎は、その細長い体をもう一方の手で引っ掴むと、そのまま真っ二つに引き千切って見せた。
「ほう、やれば出来るじゃないか」
「これくらいなんて事……いや、なんであの一瞬で残り全部片付けてるんスか。好きに暴れていいって言ったスよね!」
六郎がバケモノ一体から襲撃を受け、それに反応して引きちぎるまで、約二秒。その間、迅は残りの四体を刀で切り飛ばしていた。
「ああ、確かに言ったな。だが、お前があまりにも上品な戦い方をするものだから、てっきり乱戦は好みじゃ無いのかと思ってな」
息一つ乱していない迅は、既に刀身を鞘へと納め、自然体で立っていた。
無言で、次に行くぞと六郎に指示を出し、一人先に歩き出す。
「これでも、お前のために一体ぐらいは残しておくつもりだったんだ。しかし、お前が対処するのに随分時間を食っていたからな、こちらで処理してしまった」
移動を始めても非難の眼差しをやめない六郎に、迅は真顔で返した。
「隊長って、新聞とかだと祓魔隊のメンドル扱いスけど、本当はかなり陰険っスよね」
「そうか。では、お前のその印象を崩さないためにも、やはり反省文は書かせた方がいいか」
軽口を叩いていながらも、迅は常に周囲を警戒し、逆にバケモノの居場所を探り当てようとしてた。それを肌感で理解した六郎は、改めて眼前の祓魔師が他とは違う事を認識していた。が、それでも言い合いを止めるつもりはなかった。
「さっきも言ったスけど、たとえ命令されても、絶対書かないスから」
「では、命令違反で減給だな」
「なっ! それは、職権濫用じゃないスか!」
「兄弟の多い家は大変だな」
フッと笑う迅に、六郎は素朴な疑問をぶつける。
「そう言う隊長のご実家はどうなんスか。それだけの刀の腕なら、やっぱ祓魔師の家系だったり?」
「……私は、生まれた頃から一人だ。県の技術は、偶然祓い屋を生業にしている恩師に拾われ叩き込まれただけだことだ」
「祓い屋に育てられたんスか……」
六郎は明らかに面白くなさそうな顔をした。祓い屋に関する話をするときは、いつだってこんな顔をする。
フードコートから移動して出たエリアは、中央エレベーター広場だった。
タイルカーペットから、大理石調のフロアタイルに変わった広場は、定期的にイベントが開催されているショッピングモール内でも人気の場所で、今日は丁度、手品師のマジックショーが開催されていたらしい。
近場の柱には、破れかけのポスターが貼ってあった。
手品師が怪しげな仮面を付け、その下からこれまた怪しげな笑みを浮かべている。
広場中に散らばったパイプ椅子は血で汚れ、鉄臭さを中空に浮かせていた。
エレベーター前の舞台には、誰かの死体が放置されていた。
おそらくは手品師であろうと推測できるが、両腕と頭、片足を喰い千切られたその姿では、ポスターと見比べても、服装以外では本人だと確信できるものではなくなっていた。
バケモノは手品師を喰らった後、避難者を追いかけて出入り口方面へと向かったらしい。
血の伸び方から推察できる。そして、喰らってから戻ってきたのか、それとも取り逃し戻って来たのかは分からないが、今はガラス張りのエレベーターを軸に、とぐろを巻いて眠っていた。
「ヘビっぽいスね」
「聞いていなかったが、何故お前は祓い屋を嫌うんだ?」
「今する話っスか⁈」
寝ている巨大ヘビのバケモノを前に、鞘に納まった刀に左手を添えた迅が、六郎を見た。
「祓い屋って、言い方を変えてるだけで、ただの人殺しじゃないですか。そんな奴らと一緒に仕事なんで、俺はできないですよ」
迅がそうしているからか、六郎もバケモノを前に余裕を見せて雑談に乗る。が、普段の飄々とした態度から一変、殺意をむき出しに語った。
バケモノが目を開いた。
黒一色に染まった角膜と、真紅に濡れた左右で独立して動き回る瞳。縦長に開かれた楕円状の瞳孔が細められ、迅と六郎を捉えた。
次いで、口元から血のように真っ赤な舌がチロチロリとこちらを窺う。
「何があったか知らないが、お前のその殺気に当てられたらしい。来るぞ」
「ハンッ! ちょうど鬱憤を晴したかったところっスよ」
二人の構えを前に、バケモノはその長躯をエレベーターから剝がし、広場の上に伸ばす。と同時に、四方に伸びた通路から静寂を破り、ナニかの足音がフロアタイルを震わせた。
迅と六郎の脳内で、周囲から多数のバケモノがこちらに向かっていると警告が発せられる。
「長い胴体に、左右と下三方向の五つに広がる顎のヘビ。間違いない、<ニクビキ>だ」
「ニクビキって確か、最近ネットで騒がれてた奴っスよね? 確か本部でも、無差別連続圧殺事件の原因だって睨んでた……まさか、こんな所にいるとは」
灰色に染まった人間の前腕が、幾重にも折り重なって全身を覆うヘビの形をしたバケモノ――ニクビキは、こちらを見下ろしながら左右と右下、左下、真下に顎を開き、音に変換されない声で咆哮を上げた。
『祓魔隊共有掲示板』
<ニクビキ>
「誰かに踏みつぶされた蛇の怨念がバケモノへと転じたモノ」とネットに投じられた一文によって実態を得たと考えられるヘビ型のバケモノ。
ネットでの投稿から時間が経ち、多くの人の目に付いた事で『ニクビキ』の名前が付けられた。
ニクビキは顎を五股に開き、口腔内から高硬度の巨岩を吐き出し落とす。
祓魔隊はこれを祓滅次第、本部に報告する事。
「分かっていると思うが、私の指示があるまでは、デバイスは使用するなよ」
「え〜、ニクビキと放逐者の群れに生身でって、かなりキツいんスけど!」
「生きて帰れたら、焼肉を奢ってやる」
「マジっスか! やる気出てきたっス!」
新人祓魔師の扱いに慣れてきた。と、ほくそ笑む迅は、前に倒れ込みながら駆け出し、迫るバケモノの群れへと自らぶつかった。それを合図に、六郎も頭上で舌を出しては引っ込め、こちらを見下ろすニクビキへと飛び上がり、迫った。
「子御木闘拳術、雪原蹄掌!」
ニクビキの頭部に、掌サイズの凹みを与えた六郎は顔を顰め、一階フロアに戻ると、すぐに横へと飛んだ。
一息置いて、六郎の着地地点を岩塊が砕き、周囲に重厚な音を響かせた。
デバイス未起動の生身で『名憑き』のバケモノに挑んだ事など無い六郎。
右手に帰ってきた衝撃を逃がそうとプラプラ振りながら、これを祓うのは骨が折れると、迅に乗せられた事を若干後悔した。
ヘビを思わせるその胴体と、やはりバケモノだという感想が出てくる五つの顎を持つ頭を仰ぎ見ながら、迅は足元に転がる無数の放逐者の死骸を踏み越え、エレベーター広場を駆け回っていた。
焼肉に釣られてやる気を見せていた六郎も、戦闘開始から十数分後には息切れを起こし、地上を走り回って、攻撃を避けるので精一杯になっていた。
「どうした六郎。もう降参か?」
対して、耐久値に自信のある迅は、軽やかに一階フロアを駆け、飛び跳ね、ニクビキの攻撃を誘い、翻弄する。
頭上からの落石、二股に裂かれた尻尾の叩きつけを抜いた刀で受け流し、迫る荒縄のようなウナギの放逐者を切り飛ばす。
「なっ、なん、何でっ、隊長は、そんな体力が、あるんスか!」
肩で息を吐きつつ、バケモノが振り落として来た尻尾を何とか回避した六郎は一階フロアのタイル上を転がり、迅が切り祓った放逐者の死骸にぶつかり止まった。
黒を基調とした、詰襟の学生服を想起させる隊服の羽織が、バケモノの黒い血を吸って重くなる。
耐久性と撥水性を兼ね備えた緋山家印の隊服といえど、この広場に転がる五十を優に超えるバケモノの血は、弾き切る事ができなかったらしい。
「ふむ。本部に、隊服の性能向上を打診した方がいいな」
そんな六郎を見ながら、ニクビキによる尾の横薙ぎを跳躍一つで回避した迅は体を捻り、遠心力を乗せた刀で切りつける。
剣の軌道に沿って、前腕の鱗を幅五十センチほど巻き込み吹き飛ばした迅の斬撃で、ニクビキは声にならない無音の呻き声を上げた。
それでも、攻撃の手は止めない。
五股に開いた口から、血のように真っ赤な口腔内を見せ、体内から大型トラック程の岩塊を吐き出した。
「隊長! デバイスの使用許可を!」
真っ黒の隊服をさらに黒く染めた六郎が叫んだ。
その声を片耳に入れた迅は、刀を鞘に納めた。
頭上から迫るニクビキの吐き出した巨岩を避けて足場にすると、二度目の跳躍をして追撃を避ける。
さらに、横たえた大木のようなその長躯を踏みつけ、吹き抜けを越えて二階フロアへと移った。
「いいだろう。使用を許可する。一分以内に祓え」
吹き抜けの転落防止柵に寄りかかりながら、迅は六郎の要求に承認を下す。
許可の発言と同時に、時間を指定して来た上官を前に、六郎は唖然とした。
「時間まで指定するんスか!」
「当たり前だ。この程度、本当はお前一人の力で祓ってもらわなければ、私が困る」
柵の手すり部に肘を突き、完全に静観の構えを取る。そんな迅に、六郎は小言を呟いた。
「最初からデバイスを使わせてくれれば――」
「一人の力というのは、デバイス無しでの話だ」
「うげっ……」
六郎の話を遮り語る迅に、六郎は呻く。
迅は反撃を殆どしていないが、それはできないのではなく、こちらが祓うのを待っているからだと、逃げに徹していた六郎は気づいていた。
自分の力量と、迅の実力に確固たる差が開いている事を痛感した六郎は、大きく一つ、呼吸を挟んでから、ニクビキの正面に立った。
互いの視線が絡まり、周囲の音が遠ざかる。
視線を外さず、六郎は羽織りのポケットから組紐を取り出し、左手首に巻き付けた。
組紐は、白と黒、赤褐色、黄褐色と金の計五色の紐八本で組まれ、縦幅二十七ミリ、横幅七十九ミリ、厚み五ミリのアーチ状に反った長方形の電子機器を絡み込んだデザインをしている。
「<操影>出陣!」
左手をニクビキへと向けてそう唱えた瞬間、六郎の下に落ちていた影が蠢き、色を得た。
組紐と同じ色に染まったもう一人の六郎が、足元の影から現れ、六郎の両足を掴んで這い上がる。
影は六郎の腰を呑み込み、胸へ。更に進み両腕へと絡まり、六郎が纏っていた隊服は、モノクロから彩り豊かな五色の影と同化した。
赤褐色、黄褐色、金と白と影本来の色味を持った黒が蠢き、隊服の羽織をはためかせる。
「十秒経過、残り五十秒」
デバイス使用時から計測を行っていた迅は、無慈悲にも秒数を読み上げ残り時間を警告する。それを耳に入れた六郎は前傾で駆けだした。
影を失ったその躰でニクビキへと肉薄する。
正面からの突貫に、ニクビキも同じように口を開いて突撃を繰り出した。
「――っ!」
拳を握り、正面に突き出そうとした六郎の眼前に、一抱えほどの岩石が飛来する。
ニクビキが口腔内から岩塊を吐き出したのだと気付いた時には、拳を突き出し対処していた。
巨岩が砕け、幾つもの石辺が、ニクビキの頭部へと殺到する。
ニクビキが、視界から消えた。
六郎にはそう見えた。そんな六郎の足元に、影が落とされる。
「くそっ! 図体がデカすぎるんだよ」
頭上から迫っていたニクビキを横っ飛びに避けた六郎は、フロアタイルの上を転がり起き上がると、砕く勢いで踏み込み、ニクビキの左目に握り込んだ拳を突き刺した。
『――――――ッ!』
声にも音にもならない絶叫が、ニクビキの口から吐き出された。
それは空気を震わせるものでないため、通常認知できるものではない。しかし、人間の道から外れた六郎には、ニクビキの悲鳴が確かに聞こえた。
「残り二十秒」
迅のカウントダウンを聞いた六郎は意を決し、何もない中空に足を乗せて跳躍し、肉薄した。
片目を潰されたニクビキは上体を反らし、五つの顎を建物の天井付近へと持ち上げる。
外に逃げようと頭を天井に触れさせたニクビキだったが、残された右目が六郎の姿を捉えた時、その動きが止まった。
これまで地面を走り回っていた小動物が、突然、何もない中空を蹴って移動し始めたのだから当然だ。
バケモノと呼ばれ、恐れられる依然に、生物的な習性を持つソレらは、突然の事態に陥れば当然、思考を巡らせるために行動を停止する。
虚を突いた六郎は両方の拳を握り締め、ニクビキの頭部、その正面で動きを止めて力を溜める。
握った拳の腹を上下で合わせ、腰を捻り、体の横に置いて構える六郎に、ニクビキは迅の斬撃で鱗を剝がされた尾を振った。
「子御木闘拳術、蹄音重奏”草原”」
――トッ、トッ、トッ、トッ、トッ。
ショッピングモール内を、何かが走る足音が聞こえた。
――ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。
足音はすぐに重量を増し、数を増やし、六郎の近くへと集まる。
――ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ。
六郎の周囲に足音が集まると、足音はさらに重々しく速度を上げた。
彩り鮮やかな羽織が、人間には感知できない風に靡き翻る。
――ドンッ、ドクン。ドンッ、ドクン。ドンッ、ドクン。
六郎の奏でる心臓の鐘の音が足音と混ざり合い、見えない足の音を、周囲に広げた。
「残り十秒……八、七、六、五」
カウントダウンが、残り一桁を読み上げ始めた。
迫るニクビキの尾の先端が、六郎の羽織った学生服を思わせる羽織の端に触れた瞬間、六郎は前方に倒れ込み、躰の横で溜めていた両方の拳を前へと突き出した。
蹄が軽やかなステップを踏んで、ショッピングモール内を駆け巡る。
すぐ近くにいた迅は、そよ風でも浴びたかのように目を細めて、その風を全身で感じた。
しかし、他のエリアを探索していた隊員は、突然台風か竜巻がこのショッピングモールを襲ったのかと身構えた。
それだけの威力を見せた不可視の暴力を、六郎の目ははっきりと映していた。
六郎を中心に、半径十メートルで広がる草原を、毛色の様々な馬が自由に走り回る。
彼らの足音が六郎の心臓を動かし、彼らの纏う風が、六郎の突き出した拳に絡まり前へと押し出す。
馬の駆け抜けた後の暴風が、ニクビキの頭部、潰れた左目と、開かれた口から体内へとなだれ込む。そして、内側から血管を切り裂き、皮膚を突き破り、真っ黒な血と共に飛び出した。
「時間……ギリギリ…………っスね」
息を切らした六郎の背後で、ニクビキの頭が吹き抜けの柵を破壊しなら、二階フロアに倒れて行く。
中空からゆっくり下りる六郎は、迅の真ん前に戻った。
しかし、迅は六郎を見ていなかった。
六郎の背後、倒れたバケモノの残った右目を見て刀に手を添えた。。
「いいや、時間切れだ」
言うや否や、迅は添えていた手で刀を握る。
姿勢を低く、体を前に倒した勢いを助走に、居合の型を取った。
迅は、驚き固まる六郎の横を通り抜けて飛び出した。
「なっ!」
デバイス<操影>を解除した直後の六郎の背後で、右目を開いたニクビキが頭を持ち上げた。
「子御木抜刀術、窮嚇一閃」
ニクビキは、五つあった顎のうち三つを吹き飛ばされた口を広げ、迅の特攻を待ち構える。
ニクビキには、攻撃を仕掛ける体力など残っていなかった。
迅は右足で踏み込みながら鞘から刃を抜き、横一文字に振り抜き、ニクビキの頭を切り裂いた。
驚きから復帰して、体が動くようになった六郎が捉えたのは、長く太い木の幹のようなバケモノの体躯を、両断して振り抜いた後の迅の後ろ姿だった。
バケモノと上官のぶつかり合いを見逃したことを悟った六郎は、半分開いた口で呆けた声を出していた。
「すげぇ……」
神速の抜打。六郎が見たのは、視認できない速度で刀を抜き放ち、すれ違いざまに長く太い木の幹のようなバケモノの体躯を両断した、迅の振りぬいた後の姿だった。
「焼肉は奢ってやる。但し、時間以内に祓なかった罰として――」
「また罰! 何スか、反省文っスか!」
呆けていた六郎は、刀を振って血を落とす迅が口にした『罰』と言うキーワードで正気に戻り、文句を零す。
「私が稽古をつける。一本でも取れれば、先日の問題行動も上には報告しない」
「やるっス! あっ、いや、やります。やらせて下さい!」
問題行動が続けば、上から降格や減給の罰を受ける。そうなれば、家族の多い六郎の家は、すぐに生活が苦しくなるだろう。
知っていて脅しかける隊長には腹が立ったが、それ以上に、目の前で魅せられた高い壁に、六郎は少年のように目を輝かせるのだった。




