003 祓滅の依頼
創瑚が給湯室へと身を潜める。
玲司の教育方針上、あまり創瑚を依頼人と関わらせる事はしない。
創瑚の特殊な能力の件もあるが、大部分はその能力によって与えられた短所にある。
創瑚は人並みの優しさを持ち、命の重さを理解している。
しかし、他人の機微に疎い部分がある。これは、人と距離を置いた事に端を発しているわけだが、祓い屋としてはそこそこ重要な要素に繋がっている。
ここで他人の機微云々を育ててもよいが、それではいざというときに何もできず、創瑚自身の心を壊してしまう危険がある。
創瑚には別のベクトルから活躍できる場がある。ならば、そちらを育てるべきだと踏んだ玲司は、創瑚をあまり表に出さない事を決めていた。
今から八年前の大厄災で、玲司も創瑚も一度無力を経験している。それ故に強くなろうと、玲司も創瑚も今を生きていた。
『自分にできる事なら何でもやる』創瑚は、玲司の弟子になる時にそう言った。
「はい、今開けます」
扉の前に立った玲司は、扉の向こうにいるのが人であることに安堵しつつ、警戒を怠らずにゆっくりと扉を開いた。
「あの、ここって祓い屋の事務所であってますよね?」
社会人らしきスーツに身を包んだ女性が一人、扉の向こうに立っていた。
その顔は化粧で誤魔化そうとしているが、隠しきれないほど青ざめ、痩せこけていた。
(ここに来る前までなら、そこそこ美人だっただろうに)
客用ソファに案内しつつ、玲司は依頼人の女性のこれまでを軽く推察した。
二十代前半の社会人。オフィスガールというやつだろうか。
化粧はあまりしない派なのか、今の不健康状態を隠そうと必死に彩ったことが分かる。
「依頼内容を確認します。貴女のペースで構いませんので、ゆっくり、話せる部分だけ話して下さい」
ソファに腰を下ろした玲司は、依頼人を対面から見つめる。
但し、目線はあくまで彼女の背後の壁に向けている。
目を直視しては話しにくいだろうと、玲司は視線を自然な動作であまり絡ませないようにしていた。
「あの……」
それでも話しにくそうにする依頼人に、玲司は柔和な笑みを向ける。
「はい。どうしましたか」
「貴方が、祓い屋さん?」
これまで、こうした勘違いは幾度も経験している。今回もそのパターンかと理解したタイミングで、創瑚が給湯室から姿を見せた。
「お茶です。どうぞ」
玲司にはほぼ常温の緑茶を、依頼人の女性には、ティーカップに紅茶を淹れ差し出した。
「貴方も、祓い屋さん?」
創瑚を見る女性の目には驚きと困惑。そして、猜疑が溢れていた。が、それを創瑚が察知できるとは、玲司は思っていなかった。
「はい? ええ、そうですよ。といっても、こちらの玲司が正規の祓人で、僕はその助手いった所ですが」
「そう。お若いのね」
「はあ……今年で十六です」
予想通りの反応を見せる創瑚に、一人こっそりため息を吐いた玲司は、創瑚を横目に見て、依頼人が疑問を持たないよう自然体で指示した。
「創瑚、戻っていてくれ」
「はい」
仕事口調で、二人は短いやり取りだけをする。
玲司の態度から、創瑚はこれ以上ここにいてはいけないという事だけを理解して、給湯室に隠れた。
「ごめんなさい。もっとご年配を想像していたものですから」
「いえ、そういった方の方が多いですから。ただ、その想像通りの祓人や祓魔師は、八年前の大厄災で命を落としているんです」
八年前、日本の首都とされていた東京都が壊滅した。
たった一体のバケモノによって。
厄災後の東京には瘴気が溜まり、生身の人間が入る事ができなくなった。それと同時に、日本中のバケモノの力が増大した。
新人の祓い屋が力試しに祓う下級のバケモノが、中堅の祓人やベテランの祓魔師を返り討ちにする事例が多発したのだ。
厄災以降、祓い屋協会も滅魔委員会も、後継の育成に力を入れる方針に舵を切った。そうしてできたのが、二つの組織に烽師連盟が加わった三組織共同育成機関<子子院>だ。
しかし、これはあくまで最近できた施設で、玲司やその他、歳の近い同業者は、依然最前線でバケモノを祓い続けている。
「それよりも、依頼の内容を確認しても?」
祓い屋事情など、一般人は全く関係ない。
玲司は話を戻そうと、依頼人に話すよう促した。
「あっ、そうですよね。すみません」
「いえ、ゆっくりで構いませんよ」
こう言った手合いは、急かしすぎると後が面倒になるというのも、現場での経験によるものだ。
これはきっと、学校では教えてもらえないだろう。
「私、近くの銀行で働いている興梠美空と言います」
「美空さん、今回はどの様な依頼で、こちらに来たのでしょう?」
「はい、その……言いにくいのですが…………」
「はい」
「私の姉が、バケモノになってしまったんです……」
美空と名乗った依頼人は、事務所内に落ちた沈黙に耐えかねて、テーブルの上のティーカップに手を伸ばした。
その動作一つ一つを観察しつつ、玲司は別の事を考えていた。
(バケモノになった。か)
この場合の依頼内容はただ一つ。『助けて』だ。
依頼人と親しい間柄の誰かがバケモノになった場合――つまりは、捕食型に誰かを食い殺された依頼人は、助けを求めてやって来る。そんな依頼人に対する返事も決まっている。
『助ける=殺す』だ。
もし、依頼内容がバケモノになった人を元の人間に戻してほしいと言うのであれば断るだけで済むが、『助けて』と言うこのワードにはいくつもの意味が当てはまり、それを確認しなければいけない。
中には勝手に解釈してバケモノを祓う祓人もいるが、そんな事をすれば面倒ごとが増えるだけだ。
「詳しく聞いても?」
「……はい。この目ではっきり見たのは、昨日です」
「はっきり見た?」
「ああ、えっと……なんて言えばいいですかね…………」
どう説明しようかとあれこれ考える美空は、空になったティーカップに手を伸ばす。それより先に創瑚が給湯室から現れ、紅茶のおかわりを注いだ。
「あっ、ありがとう」
「いえ、失礼します」
一礼してから定位置に戻る創瑚を、美空は不思議そうに見ていた。そんな一幕を、玲司は静かに見守る。
紅茶を一口含んでから、美空は順を追って説明した。
「昨日は、後輩が仕事でミスをしてしまって。私と私の同期二人の三人で、その子のフォローに入っていたんです。それで帰るのが遅くなってしまって、最後に私が銀行から出ました。その時には同期二人も後輩の子も帰ってしまって、私は一人、大通りを駅の方に歩きました。しばらく歩くと、背後で音が聞こえたんです」
「音、ですか?」
「はい。鋏を開いたり閉じたりするような、金属同士が擦り合った音です」
「それで、振り返った」
「はい。でも、後ろには誰もいなかったんです」
紅茶を飲んで落ち着いた美空は、体を震わせ青白い顔で玲司を見た。
「後ろには、誰もいなかった」
玲司はその時の光景を頭の中に思い浮かべながら、話の続きを促した。
「その時は気のせいかな、疲れてるのかなって思ったんですけど……」
「また同じ音が聞こえた」
「はい……」
蔓延型のバケモノ関連で話を聞けば、この手の話にすぐにぶつかるだろう。
蔓延型は、生まれたばかりの時は弱く、すぐに人間をどうこうできる段階ではない。では、どうするのか。
答えは簡単、自身を強くする。謂うなれば、成長しようとする。
成長に必要なのは、人間の持つ共通認識。
例えば、『腕が四本生えたバケモノ』の話が誰かの口から飛び出したとする。その話を聞いた誰かが、他の誰かに語る。すると不思議な事に、『四本の腕にはそれぞれ刀が握られている』といった情報が付加されていたりするのだ。
こうして話はだんだん広がり、最初は『四本腕のバケモノ』だったのが、最新地点では『四本の腕が生えた人型のバケモノで、腕にはそれぞれ刀が握られ、目が合うと切り殺される』といった一つの物語が完成する。
物語が完成すれば、その話に登場するバケモノの肉体が蔓延型のバケモノと結びつく。
更に時間が経てば、そのバケモノには『名付け』が行われる。
名前によって、もっと多くの人に記憶されて力を増す事にとなり、多くの被害を出る事になる。
この個体を『名憑き』という。
これが、噂話などの少数間で行われるうちはまだいい。
共通認識の人数と存在の明確化が蔓延型のバケモノの強さに直結する為、対象者が少ないだけで、この手のバケモノはそこまでの脅威にはならない。
しかし、ネットの普及によって、真偽の確定していない情報が速く広まるようになってしまった。
結果、バケモノたちの成長は爆発的に速くなり、対処の難易度が上昇し続けている。
(今回の場合、蔓延型が自分の存在を人間側にアピールしてるってのが普通なんだけど……)
依頼人の美空は、最初に言っていた。『姉がバケモノになった』と。つまりは、彼女はバケモノの姿を視認している。それも、姉の体内から産まれる瞬間を見たかのような発言もしていた。それらを合わせた場合、どう考えても捕食型に分類されるのだが……。
話の前後が曖昧な彼女の今の話だけでは何とも言えないと、玲司は傾聴を続ける。
(まあ、捕食型なら産まれた現場を見に行けばそれで確定だし)
捕食型のバケモノの産出現場は、血の海となっている。隠そうと思って隠せるものでもない。
「気のせいじゃないって分かって、私怖くなったんです」
「最近はバケモノが活発化してますからね。その反応は正しいと思います」
美空の話に相槌を打ちつつ、玲司はこれからの行動を組み上げて行く。
(先ずは現場確認。それから近辺の探索。ああ、それから、協会にも連絡しなきゃか)
「それで早足で駅に向かったんですけど、今度は私の隣で同じ音が響いたんです」
「それで、見てしまった。と」
「はい……あれは、間違いなく私の姉です」
震える声で何とか発したその言葉に、美空本人が困惑していた。それを見た玲司は、すぐに彼女の家庭環境にも何かあるのではと見た。
「貴女のお姉さんの名前は?」
「恵です。星庭恵」
「星庭? 興梠ではなく?」
訊いてからしまったと、玲司は思った。
今時、離婚も連れ子の家族も珍しくない。それらに踏み込む方がよっぽど危険だと現場経験から知っていたはずが、無意識に口にしてしまっていた。
しかし、美空の顔に不快や不満の色は一切見られなかった。
「はい。元々私と姉の恵は、両親の再婚で家族になった連れ子同士だったんです。でも結局、あの人たちは、一年も持ちませんでした」
「離婚、されたんですね」
「はい。それで私も恵も旧姓に戻りました」
今時珍しくもない。逆にこんな時代に、子供を育てようとする大人たちには尊敬の念が湧き出てくる。
ましてそれが、血の繋がっていない子供なら尚の事だ。
「状況は分かりました。それでは、恵さんがどのような姿になっていたか教えていただけますか。勿論、お話にくければ答えなくても結構です」
「姿、ですか……」
「はい。親族や親しい間柄の人がバケモノになったと相談に来る方は結構います。その方々の話では、大半が姿が異形化していたと話しています。今回もそれかと考えたのですが、違いましたか?」
捕食型の特徴は、母体から産まれすぐにその母体を食らう事。これはこの分類のバケモノに共通して見られる行動だ。
しかし、その後の行動は個体によって異なる。
そのままバケモノの姿で出歩き、祓人に祓滅されるモノもいれば、母体の姿を模倣し擬態しようとするモノもいる。
もし後者の場合は、ある程度の知能を有している場合が多く、一目で見破れるお粗末な擬態しかできないながらに、夜の間にしか活動しなかったりする。
夜の闇に紛れれば長生きできる事も、人を惑わす事もできることを知っているのだ。
「そう、ですね。姿……あの時の恵は……髪が長かった、です」
「髪?」
「はい。恵はいつも、肩にかかるくらいに揃えていたんですけど、昨日の恵は地面にまで付いていました」
記憶を辿るように、視線を事務所内に流された美空を観察していた玲司は、一つの確信を持った。
(この人たち、仲が良かったんだな)
血が繋がっていないといった姉妹だが、恵の話をするときの美空は、緊張の解けた自然体になっていた。そして、髪型も先程話していた肩にかかるくらいというのも、今の美空と同じだ。
「恵さんと最後にお会いしたのはいつ頃でしょう。勿論、昨夜のは含めずにです」
「最後は……」
美空は突然顔をうつ向かせた。
「何か?」
突然の事に、玲司は考えを巡らせた。結果、一つの答えに行き着いた。
(……だけどこの場合、捕食型でもなくなるぞ)
玲司が答えにたどり着いたのと、美空が顔を上げ、光の失った瞳で玲司を射抜いたのは、ほぼ同時だった。
「恵と最後に別れたのは八年前。東京に遊びに行った日です」
「今回の依頼、めんどくさい事になりそうだ」
「そうなの?」
「依頼内容は簡単だ。『姉を楽にしてあげて下さい』だとさ。祓い屋の事、多少は勉強してから来てたみたいだ」
美空からの依頼は、姉である恵を祓う事。それ自体は別にいい。バケモノを見つけ出し、祓うだけだ。しかし問題は、そのバケモノにあった。
「蔓延型でもなく、捕食型とも考えづらい。ましてや原典型でもないと来た」
美空との会話の間に組み立てていた予定はすべて崩れた。真っ先にやらなければならない事が出来たからだ。
「稀に見られるっていう『特異型』じゃないの?」
「あの手のバケモノは、擬態が上手くて、人語を介して人を欺く。お前も知ってるだろ。今回の目撃情報とは似ても似つかない」
背もたれに体を預ける玲司は、ソファの上で脱力し切っていた。
いつものオーバーサイズ気味のシャツとカーゴパンツにシワが寄っている。
美空から詳細に聞いた恵の姿では、特異型には分類できない。
『地面に付くまで伸びた髪が体を支え、下半身はない。両腕は、膝下くらいにまで伸びていたと考えられ、腹から垂れた背骨は、犬の尻尾みたいに先端が鋭利で、彼女の首に巻かれていた。』
(一体、どんな異形だよ……幸いなのは、そんな噂が出てない事か)
分類が分からない以上、蔓延型でない事を祈るばかりだ。
成長されては敵わないと、ため息を零した玲司は、背もたれから体を起こし、思考に集中する。
幾つもの情報が、玲司の頭の中で渦を巻いていた。
「とにかく、俺はこれから協会に依頼の内容を伝える。その間にあいつに連絡取っといてくれ」
考えながら、創瑚へと指示を出す。
「あいつって?」
「言わなくても分かるだろ」
「ああ、迅さんの事」
迅の名前を出された玲司はまた大きなため息を吐きつつも、これ以外の最短ルートはないとも理解して、更に気を重くした。
「あいつに聞くのが、一番早いからな」
場所を事務所から商店街内の喫茶店に移した玲司と創瑚は、貝塚迅の到着を待っていた。
「遅い」
「まだ店に来て五分も経ってないよ」
「今すぐ来いって言ったんだろ?」
「十五時にここに来てくれるってさ」
「あと二十分もあるじゃねえか」
スマートフォンで時間を確認した玲司はため息を吐き、目の前に置かれたコーヒーをかき混ぜた。
店で出されるコーヒーは大抵熱くてすぐには飲めない。それを見込んで十五時に予定を合わせたのかと思うと、創瑚のマネジメント技術の向上には目を見張るものがあると、玲司は内心驚いていた。
(けど俺は、お前を事務要員で育ててる訳じゃないんだよ)
「迅さんが来るまでの間に、依頼内容を教えてよ。情報収集くらいはできるから」
それも込みで時間を設定しただろと言いたくなった玲司だったが、何も言わずに興梠美空からの依頼内容を創瑚に語った。
ついでに、自分の中でも今回のバケモノの情報を整理する。
店内には、コーヒーの香りが充満していた。
コーヒーだって、今の時代は中々に高級な嗜好品だ。仕事でなければ、頼んだりしない。
二十分後、予定時間ぴったりに、喫茶店の扉に取り付けられた鈴が、店内に来客を知らせた。




