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023 虚偽の剣士、外様の道を突き進む

 内から雨風を防ぐ為に張られたブルーシートは、外界と避難所である廃校を隔てる一枚の壁のようなものだと、薄闇の広がる廊下を進む體斗は思った。

 荒廃しているのは校舎の中も外も同じはずだが、それでも生活圏内である校舎内を修復するという行為そのものは、ここで生きていた人物らにとっては一種の先進安定剤と化していたらしい。

 ひび割れた壁を埋め、黴や汚れは可能な限いり落として綺麗に保つ。

 尤も、ここの住民たち基準での清潔さだ。都市部で生まれ育った者ならば、一日だってこの場に留まる事は出来ないだろう。

 それだけ、この避難所は荒れ果てていた。

 黴と誇りに混じって、生臭い何かの臭いが時折鼻を突く。

 頬を切り裂かれて脇腹を砕かれた體斗は、体に悪いと痛む体に鞭打って、無美の示した場所を目指して移動する。

 人の気配とやらの存在を明らかにして、物理的にも精神的にも仄暗いここから一秒でも早く退散する。それが、今の體斗の目的となっていた。


 一階から二階に移動すれば、バケモノの数は途端に増えた。

 人間の手が生えたシカは朽ちた教壇に鼻先を近づけ匂いを嗅ぎ、キンギョの鰭を揺らす二足歩行のカメは窓枠だけが残った罅だらけの壁に寄りかかり寝息を立てている。

 足先が人の頭になったウーパールーパーは、何が楽しいのか廊下を全力ダッシュしていた。

 そして、どのバケモノも体のどこかに苔が付着していた。

 これらのバケモノは、一体何処から引き連れて来た?

 顔に受けた裂傷を、體斗は手拭いを強く押し付け血を止めながら進む。

 激痛が顔から脳へと大量の電気を流したが、その痛みと血が抜けた事で、呼吸が安定して思考もクリアになった。

 幻覚も、今はいない。

 何処からともなく現れ、思考にノイズを入れて来る少女の姿が無くなると、途端に上の階から流れる人間の空気感を、肌で感じることができるようになった。

 その気配は、肌に触れるだけでこちらの体を重くする梅雨時の湿気を多分に含んだどんよりとした空気に似ていた。


(酷い兄ちゃんでごめんな……)


 守れなかっただけでなく、一人のうのうと生き延びた挙句、今はノイズ扱いをする自身の非道さに呆れた體斗は、一度大きく息を吸い込み、静かに吐き出した。


「上の階に居るのは、確かみたいだな」

「はい……ただ、バケモノの数が多すぎます」


 一つの空き教室に飛び込み気配を殺していた體斗と無美が壁越しに廊下を覗くと、丁度どたどた踏み鳴らしながらヤギの頭にサカナの胴体、六本のトカゲの足の姿をしたバケモノが走り抜けて行った。


「よし、このまま進むぞ」

「はい。でも先輩、傷の具合は?」

「問題ない。血は止まった」


 真っ赤に染まった手拭いを外して傷を見せた體斗は、そのまま音もなく教室を飛び出して廊下をそろそろと走り抜けた。それに続く無美は、数センチ床から離して浮遊して追従する。

 月明かりの下で今の彼女の姿を見れば、確実に幽霊だと思っただろうと、體斗はその姿を肩越しに確認しつつ、廊下の突き当りを左に折れた。


 所々穴の抜けた廊下を駆け抜け、教室に飛び込み潜み、バケモノを避けながら進む事数分。

 現在、體斗と無美がいるのは二階の中ほどの廊下で、横に目を向ければそこには苔がびっしりと生えた階段が上下に伸びていた。

 交差路の中心で腕を組む體斗と、バケモノが出てこないかと辺りをしきりに気にする無美は、階段を前にして動けなくなっていた。


「この苔、触っても問題ないと思うか?」

「どうでしょう………今の私なら、問題はありませんが」


 一階と二階を繋ぐ階段には苔は生えていない。しかし、二階から三階への階段は、苔に覆われ踏まなければ上には進めないようになっていた。

 都市部の住民に廃校内のバケモノを見れば、それらの苔と同種であるのは分かる。

 問題は、それに触れても問題がないのかという事だ。

 相手を支配している原因とみられる苔だが、その支配条件が分からない為に、體斗は慎重になっていた。

 根っこが寄生先の体内に侵食する事で、相手の自我を奪い支配している?

 それとも、苔を経口摂取等によって体内に取り込む事で、幻覚を見せて精神的に支配しているのか。

 最悪なのは、苔から振り撒かれた胞子で脳を侵される場合だが、それには苔本体への刺激が必要で、触れたり踏みつけなければ無害だという事になる。

 

 浮遊している無美ならば、確かに比較的安全に三階へと行けるだろう。しかし、一人上の階に行かせるには些か心許なかった。


「……他の階段を探すか」


 結果、この道は使用不可と考え迂回する事を決めた體斗は、階段から視線を離した。

 瞬間、コソコソと段上の苔が一斉に蠢き出した。


「體斗先輩、苔が」


 それらを見ていた無美は、震える唇から羽虫の音のような声を絞り出して指さした。

 血の気の失せた白い指を追った體斗が捉えた時には、視界いっぱいに焦茶の絨毯が広げられていた。


「ん? ぅお! あっぶねぇ」


 體斗は、驚きながらもギリギリのところで飛び退き避けた。

 脇腹の折れた骨たちから悲鳴が上がる。

 ズキズキと痛む脇腹を片手で押さえながらも、體斗はもう一方の手で口と鼻を隠した。

 古びた絨毯がひっくり返ったことで巻き上げられた埃は、単純な埃とは訳が違う。

 万が一にでも吸い込めば、その時点で人生に幕が下ろされる必殺の胞子だ。


「念の為、胞子は吸うなよ」


 そう言いながら隣を見れば、色素の薄い唇と、ツンと尖った小さな鼻を、死人の手で覆った後輩祓魔師が一人、驚いたように目を丸くしていた。


(牽制や妨害だけじゃなく、防御にまで転用できるのか)


 無美の能力の幅広さに驚きつつ、視線を足元に移動させた體斗は、そのまま階段を見て一つ頷いた。

 古びて歪んだ階段が、木張りのその身をこちらに見せている。


「上がってこいってことか」

「罠、ですよね?」

「だろうな」


 互いに口と鼻を手で覆っている為に声はくぐもっているが、バケモノが近くにはいないからか、問題なく聞き取る事が出来た。

 ひっくり返って枯れた苔を避けて階段に足を乗せた體斗は、一歩一歩慎重に上階を確かめながら登る。


「階段には誰もいない。つまりは、これを辿れと」


 階段から見た三階は、何処を見ても殆どが焦げ緑に染まっていた。

 壁も天井も苔に埋め尽くされ、窓枠だけが残った長方形の穴は、グリーンカーテンのように乳白色の根をこちらに向けて垂れ下がっている。

 そんな三階の廊下の中で目を引くのが足元。

 小川の流れにも見える床材の木目が一方向に向いて伸びていた。

 左右を苔のカーペットに挟まれた小川は、ここだけが安全に歩ける道だと、細いながらも人一人が通るには十分な幅を広げていた。

 その先へと視線を持ち上げれば、廊下の突き当たりで右に折れているのが確認できる。

 綺麗に真っ直ぐ伸びたその川は階段前の廊下を右折している。

 體斗は脇腹から右手を離して刀を握る。その後をついて行く無美は、両手にサバイバルナイフを構えていた。

 廊下を右へと曲がり、床材を見せる一本道を目で辿る。

 奥の突き当たりにまで伸びた木目の小川が『視聴覚室』の札が下がった苔の取り除かれた扉にぶつかっていた。

 足早に、但し音は最小限に移動した體斗は、横に動くスライドドアに手を掛ける。

 耳を近づけ中の様子を探ると、確かに二つの呼気が感じられた。

 いると確信した體斗の行動は素早かった。

 手に掛けた扉を勢いよく開け放ち、飛び込むように視聴覚室へと入って刀の切先を気配へと向ける。

 壁に激突した扉の大きな音に驚いた無美は、そんな體斗とは一拍置いてからそろっと音もなく入った。


「やあ、いらっしゃい」


 視聴覚室の中心に、男が一人立っていた。

 疲労でやつれた顔に、鈍色に近い若白髪で染まった髪。そして、格言者特有の魂に染められた苔色の瞳の男。

 そんな男が右手に握るのは、デバイスと思われる持ち手以外を白に染めた巻取り式の動物用リードだった。

 緩くたわんだ紐は、ここまで見た苔に似た緑色だったが、それらよりも一段と鮮やかに染められていた。

 よくよく目を凝らしてみれば、その正体は鎖の形を取った苔だった。そんな苔の先端に付けられた鈎が曲線を描き、輪を作って引っ掛けられている。


「歓迎どうも。楽しい楽しい談笑に入りたいところだが、その前に確認だ。アンタが、監獄から脱走したって祓い屋か?」

「先輩……」


 事前に通達されていた脱走者の特徴が、目の前の男と合致したと、體斗は警戒を強めた。その背後にいた無美は、目の前の光景に驚き震えた声で體斗を呼んだ。


「違うと言えば、そのまま見逃してくれるのかな?」


 くたびれたその風貌とは正反対な柔らかな物腰に、飄々とした口調の男は、仮にこの場でこうして対面していなければ、先の言葉の通り楽しく談笑できたかもしれないと、體斗はほんの少し残念に思った。


「アンタ次第だ」

「先輩!」


 脱走者と思しき男を真っ直ぐ見つめる體斗の袖を、無美がナイフを握った手で引っ張った。


「あの子、どう見ても人間です」

「見れば分かる」


 常人らしき雰囲気を纏っていながらも、この場では一番の狂人だと断定できる物的証拠。苔の鎖で作られた輪っかが掛けられたそれは、見紛うことなき一人の少女だった。

 一糸まとわぬ痩せぎすの少女からは、生気を感じさせない空気に最も近い雰囲気を放ち、瞳は濁りくすんでいた。そして最も目を引いたのは、その少女の胸から腹部にかけて一直線に広がった、瑞々しい苔だった。


「君たち祓魔隊の本命は、この避難所で生活していた避難民だろう?」

「そうだ。よく分かったな」

「もちろん分かるとも。なんせ祓魔隊は、一般人の間では英雄だなんて呼ばれ、持て囃されているからね」

「避難民は何処にいる?」


 話が速いと質問する體斗はフンッと鼻で鳴らすと刃を下げた。

 しかし警戒は怠らず、右手に握ったその刀の柄には左手を添えてすぐにでも動けるようにする。

 警戒の対象は、目の前の祓い屋こと、蝗守源氏とその横で腰掛けた少女。

 苔の侵食が何処まで進んでいるかは分からないが、少女の表情の欠落した顔を見れば能力によって自我を失っているだろうと予測できる。

 救助は諦め、無力化を念頭に置く。


「もういないよ」

「どういう意味だ?」


 刀を握る手に力を籠める體斗は、教室の中心でリードを右手で弄ぶ源氏へと一歩近づいた。

 間合いは十分、いつでも切り込める距離だ。


「ここに来るまでに見ているはずだが?」

「何処にも人はいなかった。確認したから確かだ」

「とぼけなくていいよ。本当は、分かっているんだろう」


 ニコリと笑う源氏のその手に握られた苔の鎖を見て、體斗は嫌な想像を浮かべて顔を顰めた。


「あり得ない。そんなことは不可能だ」

「だが、君たちはその目と耳で捉え、その脳で確かに感じていたはずだ」


 體斗の呟きの意味を的確に捉えた源氏が追撃をかけた。


「こんなに多くのバケモノを、どうやって集めたのかと」


 無美もその言葉でようやく二人の言っている意味を理解したのか、両手に握ったナイフを震わせた。それを空気だけで感じ取った體斗は、一度大きく息を吸い、小さく薄く吐き出した。


「いいやあり得ない。バケモノを産み出せる能力があるなんて、聞いたこともない!」

「確かに君の言う通り、私の能力は産み出すなどと言う高尚な力ではないよ。簡単な命令を聞かせる程度のお粗末な支配さ」

「自分でさっき言った事と矛盾してるってのには、気づいているか?」


 会話が成立しない祓人や祓魔師は案外いる。

 こんな仕事をしていれば、精神的におかしくなる者は少なくないからだ。

 幻覚、幻聴、鬱気に発狂。他には、人格の乖離などなど。症状は様々だが、魂が壊れているのだと考えれば、それが体表に表れて当然だろう。

 それが一般人ならば、そこまで問題にはならないだろう。しかし、これが覚醒者の場合、話は変わる。

 腕の一振りで首は飛ぶし、体当たりを仕掛ければ骨が砕けて臓物が飛び散る。人外の力とは、当言う者だ。

 そんな奴らを、家族を失った数年後には沢山見た。

 目の前の男も同類なのかと、體斗は一抹の不安とひとつまみ以下の羨望が湧き上がった。


「いいや。私は何も矛盾などしていないよ」

「避難民をバケモノにしたんだろ? なのに産み出していないって矛盾だろ」


 やっぱり、この男も壊れている。

 體斗の中で、同情と自嘲とが混ざり、己にも刃が突きつけられているのだと錯覚した。

 目の前の男は未来の自分だ。いつかお前もこうなると、もう一人の體斗は刃を首筋にあてがい冷笑を浮かべていた。


「私はただ、避難所にいた彼らの中に潜んでいた彼らを外へと出しただけだよ。まあ、そうして出て来た彼らに自我はなかったけれど。……あれはきっと、成長途中で無理矢理に出した所為だろう。これじゃあただの人形、ただの肉塊だ。どのみち、産み出したなどとは言えないだろう」


 體斗の頭の中で、警鐘がけたたましく鳴り響いた。


「悪いな。俺は高等教育を受けてないんだ。だから、お前の言っていることが全っ然わからない」

「おや、そうだったのか。それは失礼した」


 楽しげな笑みを見せた源氏は、自ら一歩體斗に近づき続けた。


「私は、君たちがバケモノと呼ぶ存在こそが、新たなる人類にふさわしいと思っている。だから私は、人の中に潜む彼らを外へと出して自由にしている。こういえば、君にも伝わるだろう」


 源氏は朗々と語る。しかし、それでも體斗には理解できなかった。

 バケモノが新たなる人類などと考えている集団は、何処にもいない。ならば、彼一人の思想かと言えば、そうは思えなかったからだ。


(誰かに命令されている? しかし今の時代、誰にとってもバケモノは危険分子だ。ソレらに好感を持っている人間なんて、いたとしても少数……下手すれば、片手で足りるぐらいだろ)


「…………何故?」


 困惑に口を閉ざした體斗の背後、視聴覚室の出入り口でやり取りを静かに聞いていた無美は、一言だけ口を開いた。


「ん? 何か言ったかな?」


 源氏の視線が體斗の背後にいる無美を捉えた。

 瞬間、握っていた刀を横に構え、胸の高さに持ち上げた體斗が殺意を滾らせて一歩踏み込んだ。


「子御木抜刀術、五月雨醜散!」


 完全に不意を突いた。

 そう確信した體斗は、身体中の筋肉を働かせて人間にできる最速で横に薙ぐ。


苔器万傷(たいきばんしょう)


 體斗の振り抜きが届く直前、體斗の行動を理解した源氏は呟く。

 口から零れ落ちたその言葉は、空気を震わせながら足元に落ちた。

 紡がれた言葉が空間に溶け込んだその瞬間、源氏を中心に、円を描いて床に罅が入った。

 刃が源氏の首へと吸い込まれ、届くまであと数ミリに迫ったその時、源氏の足元の罅から苔の柱が迫り上がって来た。

 所詮は植物。そのまま切り払えばいいと考えた體斗は、刀を振るその腕を止めずに振り抜こうとした。

 が、苔の柱は想像以上に硬く、體斗の前で刀と衝突して火花を散らした。

 刃は進まず、周囲に甲高い金属音を響かせるに止まった。


「仕事だよ、鴻鵠(コウコク)


 源氏の呟きに、體斗は素早く身を引いた。

 苔の柱が枯れ落ちると、そこには階下と繋がる大穴だけが残され、そこから大量のバケモノが這い上がって来た。

 ヤモリ頭。鬼瓦の頭を胴体につなげた小グモ。二足で歩き、槍のようなものを握るウーパールーパー。

 どれも廃校内で見かけたバケモノで、体のどこかに苔を纏っていた。

 そんなバケモノたちが床に空いた穴から飛び出し、更に天井を叩き割って別のバケモノも降って来た。


「まだこんなにいたのか」


 天井から青空が見えるようになった視聴覚室に、體斗の声が広がったが、それをすべて、集まったバケモノの鳴き声が覆い隠した。

 ぱっと見、三十前後は集まっているだろうバケモノたち。その中には、人の形を保った存在もちらほらと見えた。それが、源氏の言葉を裏付けるようで、體斗はそれらから視線を外す事で、心の内に否定した。


「私の友人の鴻鵠だ」


 源氏が紹介して来たのは、異形の大行列の最前列にいた一人の祓い屋だった。

 白を基調としたカジュアルな和服のデザインに、黒のラインが入った緋山の服には、深緑の苔が右肩から下へと放射状に広がっていた。


「コウコク……鴻鵠か。元準一級に、そんな名前のデバイスを使う祓人がいたな。名前は確か、鴻上翔(こうがみかける)

「何だぁ、俺のことぉ知ってんのか。もしかして、ファンか?」


 驚いた。

 都市部で見た苔に体を乗っ取られた一般人は、皆一様に自我を失っていた。故に、苔に侵された人は声を発する事はないだろうと考えていたからだ。

 癖のある話し方に、軸という概念をどこかに捨てて来たかのようにふらふら左右に体を振って歩み寄って来た男に、體斗は体の外に向けていた刀を引き戻して構え直す。


「鴻鵠、彼らの相手は任せるよ」

「へいへぇい。おっさんは、そぉれ持ってとっとと引っ込んでな~」


 バケモノを背後に従えた男はヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべ、背中越しに手を振った。

 血の気の失せた水色の瞳は瞬きを一切せずに體斗を見ていた。


「おっさんとはずいぶんな呼び方だ。君とは、二つしか違わないだろうに」

「俺はぁ、まだ二十代だぁからな」

「そうだね。では、ここは若者同士、好きに暴れるといい」


 少女を愛おしそうに抱き抱えながら、源氏は床に空いた穴へと飛び込み姿を消した。

 それを追うかと考えた體斗だったが、飛び降りていった穴をカエルのバケモノに塞がれ、自然に選択肢は潰された。

 尤も、目の前の戦力差からここで二手には別れられないとも考えていた為、體斗は目の前にまで寄って来ていた祓い屋の男へと意識を集中させた。


「俺ぁ本来、屋外戦が得意なんだけどな」

「悪いが、お前の土俵に上がるつもりはない」

「だろうな。お前ぇ、補器を起動できねぇんだろ?」


 鴻鵠の言葉に、體斗の心臓は大きく飛び跳ねた。胸から広がった衝撃が両肩を小さく跳ね上げ、瞼を少し上に持ち上げた。

 してから、それが悪手だったと悟った。

 目の前の男は、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。


「偶ぁにいるんだよな。使えば最後ってぇ力を持ってる奴」

「だったら、どうした?」

「俺ぁよ、そんな奴らに力を使わせて、命の輝きつぅのか? 死人に近づくそいつらの顔を見ぃるのが、大好きなんだ」

「あのおっさん同様、お前もクズだな」

「あんなおっさんと一緒にするんじゃあねぇよ。俺ぁあんな餓鬼にゃ興味ね。もぉっと熟れた……そうだな、子持ちの垂れた肉の方が好きなんだぁよ」

外屑(げず)が!」


 體斗の刀が、握り直した際にカチャリと音を立てた。とても小さな擦過音だった。

 その音を開始の合図に、祓魔師と祓人は同時に動いた。


(デバイスは協会に没収されてるはず……いや、あのおっさんも使ってるんだからどっかで手に入れてるって見た方がいいか)


 まだ起動していないと判断したのは、自身と同じ認識空間内に留まっていることからだ。

 體斗は刀を上段から振り下ろす。対して鴻鵠は、振り下ろされる刃を一切気にせず、まるで自分に向いていないとでも言いたげに無防御で體斗の顔面へと拳を伸ばした。

 刀が振り下ろされ、少ない光を鈍く反射した刃が左肩から侵入して、筋肉を切断し胸骨を断ち切り、心臓の中心にまで達した。

 噴き出した血が體斗の顔を濡らし、背中から飛び出した切っ先から真っ赤な水滴が床に落ちたのと、固く握られた石のように堅牢な拳が體斗の頬骨を打ち砕いたのはほぼ同時だった。


「ぅらっ!」

「っ!」

「先輩!」


 吹き飛ばされた體斗は床を転がり、鋭い痛みが左頬を襲った。

 骨が砕かれたらしい鈍い痛みと、止血した裂傷が開いたのだろう鋭い痛みがズキズキと広がる。

 押し迫るバケモノの対応で忙しい無美は陥没した床を飛び越え、崩れた天井の縁に足をかけて体の向きを強引に変えてナイフを振った。

 助力を期待するには、あまりに酷な状況だった。


「どう、なってんだ……。鴻上、お前そのままじゃ、死ぬぞ」


 心臓を見事切り裂いた刀は、殴られた拍子に手を離してしまった。故に、鴻鵠の胸に突き立てらたように残されていた。

 がしかし、體斗が見ている前で、鴻鵠は眉一つ動かさずに言った。


「あぁ、そぉだな」


 両手で胸に突き刺さった刀を握った鴻鵠は、體斗が見ている前で一息に引き抜いた。

 傷口からゴポゴポと湧き水の如く流れ出た血は、人間の鮮やかな赤黒い色味を持っていた。

 驚きに固まり、體斗は目の前の凶行をただ傍観する。


「お前……何してんだ……」


 心臓は機能を失い、体内からは血が止まることなく流れ続ける。誰がどう見ても致命傷だった。

 あと数秒で死ぬ。だと言うのに、目の前の祓人の顔には焦燥も絶望もなく、苦痛すら感じていないのか変わらず猟奇的な笑みを浮かべていた。


「あのおっさんのぉ、言った通りみたいだな」


 鴻鵠の言葉に、どう言う意味かと口を開きかけた體斗は、驚きでその口を閉じることもできなくなった。

 肩から入った刀の傷が泡立ち、見る間に体の修復を終えた。

 左手で雑に血を拭った鴻鵠のその体には、傷一つ残されていなかった。


「お前、人間じゃないのか?」

「いいやぁ。体にほぉんのちょっち、苔が生えただけの人間さぁ」


 質問に対し、鴻鵠は何食わぬ顔で右手の刀を軽く振って血を落としながら答えた。

 そのまま襲ってくるのではと身構えた體斗の前で、鴻鵠は切り裂かれて垂れ下がった服の裾を手で引き千切り、刃にべっとりと付着した自身の血拭い取り始めた。


(緋山の服を素手で……コイツはもう、人間じゃない)


 驚愕と警戒で動けずにいる體斗の前で、鴻鵠は刃を返して拭き残しがないことを確認して、にこりと笑みを浮かべ、刀を放って返す。

 刀を空中で受け取った體斗は、目の前で起きた一連の全てに理解できず困惑を隠せなかった。

 傷が治ったのはデバイスの影響か?

 デバイスを使用しているように見えなかったのは、油断させる為?

 そのまま殺せるはずが、わざわざ相手に武器を返した理由は?

 答えの出ない疑問が膨れ上がる體斗の前で、鴻鵠は胸元を大きく開き腹部を見せた。


「この苔、傷を速く治してくれるんだぁとよ」


 鳩尾の少し下、割れた腹筋に這うように苔が広がり、緑の鎧のように見えなくもないものが體斗の目に映った。


(服についている苔とは別に見せてきたと言うことは、皮膚に直接触れていないといけない? 苔の根っこの深さが影響している? どのみち、損傷した骨と臓器を修復するのは苔と関係ないだろ。どうなってんだ?)


 目の前で起きた超常現象に、體斗は腹の底を冷やし頭の奥が火照るのを感じた。


「……先輩」


 考え込んだ體斗の背後で、無美が足を止めた。その声は小さく、荒くした息の中に隠され危うく聞き逃しかけた。

 肩越しにちらりと確認すれば、バケモノに受けたのか、額が裂けて血を流す無美がいた。


「先輩が、あの人を切った後。それと、刀を引き抜いた時。バケモノが勝手に倒れました」


 鴻鵠から見て、無美は背中を向けて背後のバケモノを警戒しているかのように振る舞っていた。

 それに合わせ、體斗も懐から紙を取り出し刀身の油を拭き取る。


「何もしてないのにか?」


 懐紙で刀についた油を拭き取る動作で揺れた隊服の袖で口元を隠しつつ、背後の無美を再度確認した體斗は、無美が小さな顎をコクリと傾けるのを見た。


(つまり、あの苔は生命活動を別個体と共有してるってことか? 余裕があるっぽいアイツの態度から、多分ここにいるバケモノ全部があいつの命って感じか)

「無美、周囲のバケモノを祓滅してこっちを手伝え。コイツはもう、人間じゃない」


 紙をその場に捨てた體斗は、両手で刀を握り腰を落として構えた。

 その言葉に大きく頷いた無美は、再度駆け出しバケモノへと肉薄する。

 そんな二人を見ていた鴻鵠は、呆れ顔で體斗を見下ろした。

 その立ち姿に警戒は見られず、カウンター狙いというものでもないと體斗は感じた。

 どれだけ攻撃を受けようが自分は死なないと、命の重さを忘れた人間のそれだった。


「おぉい、おいおい。俺の話聞いてたかぁ? 俺ぁは人間だって。苔生やされて、ちょっち人より怪我しにくくなっただぁけだって、そう言ってんだろ?」

「普通の人間は、体に苔を生やさねぇんだよ!」


 一息で懐に飛び込んだ體斗が、刀を下から切り上げる。それを左腕で防いだ鴻鵠は、口をへの字に曲げた。


「そりゃあぁ、都市部に住んでる奴らの話だろ?」

「だったら何だ?」

「こぉんな、今にも崩れそうな避難所っつう食料箱に押し込められた肉壁どもは、人間じゃねぇえってか?」

「何の話だ? 学校行ってない馬鹿でもわかるように話せよ!」


 左腕を縦に切り裂いた刀をそのまま振り切ろうと力を加えた體斗だが、それに反発して、鴻鵠は筋肉を膨張させて刃の進行を防ぐ。

 二人は、ぶつかりそうなほど顔を寄せて睨み合った。


「なぁんで政府は、今にも滅びそうなトコに救援物資を届けてると思ってんだ?」

「国民を守るのが責務だからだろ!」


 體斗の間髪入れずの返答に、鴻鵠は鼻で笑った。


「囮の為だ。つってんだぁよ」

「なっ!」


 驚きに手を滑らせた體斗へと、鴻鵠が右の拳を體斗の左わき腹から上へ掬い上げるように振り上げた。

 體斗の耳には、肋骨が数本折れる音が響き、次いで腹の内側から突き刺さった痛みが走る。それを拳越しに感じ取ったであろう鴻鵠が、にやりと肉食獣が獲物を見るかのような鋭い笑みを浮かべた。


「いぃいか? 政府が求めてんのはぁ、必要最低限の費用で都市部を守る事だ。そのために必要なもんは何だ? 高い防壁? 強力な結界? 違ぁう。数が多くて幾らでも代わりの利く、そぉんで自分たちの株が上げられるもんだ。ヴァカでも、もぉうわかんだろ」

「な……何、言ってんだ、お前…………」


 ヒュルヒュルと喉の奥から空気が漏れ出た體斗は、刀を床に突き刺し体を預けながら、鴻鵠を睨み上げた。

 肋骨の大半を折られた腹部は、激痛の渦を内側で広げて、それぞれ近くの臓腑へと伝播させる。そこから流れて巡る血がどくどくと騒ぎを立てて、体の異常を脳へと伝えて来る。

 その情報を処理するのに脳の機能の大半が裂かれて、目は開いているはずなのに資格情報がまるで入ってこなかった。

 真っ暗闇が、脳へと広がる。その中では不可思議な光の明滅が繰り返されて、激痛が全身の筋肉を硬直させる。


「避難民どもの事だぁよ。公認非公認問わず、政府は幾らでも変わりのきく肉壁を手に入れたぁんだ。そんでそいつら囮の肉どもは、その日暮らしのための物資を政府から貰う。互いに益のある話だぁろ? 掛かる金は最低限。誰も文句を言わない。表向き各市区町村への援助つぅうて、政治家どもは人気者。全くもって平和的解決法だ。さっすが、頭の良い国のお偉方だよなぁ!」


 眦を吊り上げ、怒りに染まった水色の瞳が體斗を見下ろし、乾燥した鴻鵠のその瞳には殺意が浮かんでいた。それを體斗が知覚する事はなく、ただ一方的に感情は流れて中空に溶ける。


「お前ら祓魔隊は良いよなぁ! なぁんも知らず、なぁんも感じず、ただ世の為人の為って。お遊びの祓い屋ごっこでぇ、モテモテになれるんだからぁよ!」


 頭上から振り下ろされた拳を、體斗は肌に感じる風の流れだけで察知し、体を横に転がして躱す。

 横転の勢いで立ち上がった體斗は、刀を一度大きく振って、一つ大きく息を吐いた。

 大きく息を吸い込めば、折れた肋骨に貫かれた肺が激痛を送る。が、體斗はそれを無視して胸を張り、振った刀を体の正面に引き戻して正面の祓人と向き合った。


「お前の言った事が、本当かどうかは知らない。だけどな……俺たち祓魔隊は、お遊びで人を守ってる訳じゃない! 皆、バケモノに癒えない傷を受けて、それでも明日を見る為に、震える足を引っ張り上げて立ち上がったんだ!」


 その目には確かな殺気が籠っていて、二人の様子を窺っていたバケモノが数体、怯えて教室の隅へと退いた。


「へぇ、なぁるほぉどねぇ~」


 楽し気に納得顔をした鴻鵠は何度も頷き、懐から青い扇子を取り出し先端を體斗に向けた。


「それがぁ、お前の核言かぁあ?」

「子御木…………いや、違うか」


 笑みを深めた鴻鵠の前で、子御木の名を口にした體斗は首を小さく横に振った。


外様倣剣術(とざまほうけんじゅつ)・参式」


 外様の剣術。それは、子御木草壁にあこがれた名も無き剣士が編み出した外法の剣術だ。それを扱う祓魔師も祓人も少なくはないが、長生きしないと言われている。

 その理由は一つ。剣術によって体にかかる負担が、人間が耐えられるそれではないからだ。

 デバイスありきの剣術。それを使う體斗は、一度でもデバイスを起動すれば命はない覚醒者だった。

 正面に構えた刀を下げ、半円を描いて大上段に構え直した體斗の目から光が消えた。


「<鴻鵠(コウコク)開扇(かいせん)!」


 両手で扇子を上下に挟んだ鴻鵠は、音も無く開き右手で握ると、体の内から外へと煽った。

 一陣の風が水面を揺らすが如く緋山の服は波立ち、袖や裾から白鳥の羽が舞い上げられた。

 ヒラヒラと中空で回転する羽根は、水色と白のグラデーションで綺麗に彩られていたが、羽柄だけは深緑に染まっていた。


雨天海嘯(うてんかいしょう)!」

水浴潤填(すいよくじゅんてん)雲海(うんかい)


 互いの得物がぶつかり、突風と衝突音で教室中が震えた。

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