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001 戦鬼起動

 六月に入ると、天気予報士は梅雨入りを宣言するよりも先に、猛暑を唱えた。それを讃えたかの様に、蝉は仲間と合唱し街路樹を震え上がらせる。

 輪唱による木々の揺めきを、アスファルトから登る陽炎越しに眺める一人の青年、久頭玲司(くとうれいじ)は、白と黒のジャケットを羽織り、バイクに跨っていた。

 一刻も速く涼める場所に移動しようと、前方のトラックを追い越す。

 誰だって、こんな暑い日に外出などしたくはない。玲司は茹だるヘルメットの中で呆然と思う。

 そんな青年ライダーを嘲笑うかのように、アスファルトは日差しを浴びてたっぷり含んだ熱を解き放とうと、数時間後に訪れる日没を今か今かと待ち侘びていた。


 駅から真っ直ぐに伸びた大通りを直進する玲司は、車線を変更して前を走るバスを追い越し、大きな川の上に架けられた橋へとバイクを乗せた。

 バスの脇を通り過ぎる時チラリとバスの車窓を覗くと、生気の感じられない顔を俯かせる社会人たちが、椅子に座ることもできずに吊り革に掴まっているのが確認できた。その光景は、一昔前の時代の写真で見た、冷凍マグロの搬送のように見えた。

 こんな夏日の下を歩くのはしんどいと、バス移動を決めた者が多かったのだろう。そんな彼らに、玲司は心の中から声援を送った。


 こんな日でも仕事をしなければならない者たちは大勢いる。きっとこれから向かう駅の中は、もっと多くの人で賑わっているのだろう。

 そう考えると今すぐにでも、自宅兼事務所のあるあの寂れた商店街へ引き返したくなったが、それをすれば木炭色の癖っ毛を揺らす、助手兼弟子にこっ酷く叱られるのが目に見えていたため、それよりはと、玲司はヘルメットの中を流れる汗に不快感を覚えながら橋を渡った。


 橋の上には日陰となるものが一切ない。さっきまでの道のりは、背の高い雑居ビルが影を落としてくれていたから何とかなったが、ここにきての直射日光だ。

 額を流れ落ちる汗の量が激増した。

 赤に切り替わってすぐの信号の正面でバイクの進行を止めた玲司は、中華鍋の如く熱を吸収するアスファルトに左足を下ろした。


 熱に浮かされた頭で捉えた信号は、三つ目の鬼が赤い瞳だけを開きこちらに向けているように見える。

 鬼の存在が、少し煩わしく感じた。

 信号が切り替わり、交差したもう一方の車道から一斉に車が動き出す。熱された空気がかき混ぜられ、生温く湿気をたくさん含んだ風が、玲司のヘルメットを叩く。


 ピリリ、ピリリ、ピリリ……。


 ヘルメットに取り付けたインカムが着信音を奏でた。

 スピードメーター横に取り付けていたスマートフォンを見れば、『創瑚』と無機質な字体で電話をかけてきた相手の名前が表示され、その下には緑と赤のボタンが一つずつ。

 チラリと信号の色を確認した玲司は、インカムの細長い体を一回軽く撫でて通話に応答した。


「もしもし創瑚(そうご)か? 今どこだ?」


 機械を通したノイズ混じりの電話相手の声を受け、玲司は救いの糸が天から垂らされた囚人の気持ちを理解した。

 

「分かった。俺ももう駅前まで来てる。すぐ向かう」


 そう言ってインカムに再度一回触れて通話を終了した玲司は、信号に目をやり、もう時期切り替わることに心を(うわ)つかせた。

 目的地が変更された。先ほどの電話で、標的が駅中から駅前の複合商業施設のビルに移った事が分かった。

 現状、一分一秒でも外出時間を減らせるのならば、それに越したことはない。そう思っていた玲司は、青を点灯する三つ目の鬼の股下を通過しようと、右手首を捻りバイクを進ませる。


 交差点の中心に入ったところで、視界の端にそれは映った。左手反対車線側に見える目的地の建物。その歩道に面した出入り口から、大勢の人が吐き出されていた。

 見ればその誰もが顔に恐怖を張り付け、我先にと走っている。


「くそっ!」


 咄嗟に車体を左に傾けた玲司は、交差点内で進行方向を変えた。この時、自分が駆るのがバイクで良かったと心の底から思った。元から左折しようとしていたタクシーとぶつかりそうになったのだ。


 黄色と青の壁を体の左側スレスレまで近づけた玲司は、目的地に向かうため、反対車線と歩道の境界線に車体を捩じ込んだ。

 前方から浴びせられるクラクションの雨を全て無視して、建物前でバイクのエンジンを切る。それまではバイクのエンジン音が外の音を遮っていたが、切った瞬間、玲司の耳に逃げる人達の甲高い悲鳴が押し寄せた。


「悪い、どいてくれ!」


 ヘルメットを外してハンドルロックを確認した玲司は、出入り口から吐き出される人に叫び、人波の中へと飛び込んだ。

 流れの急な波に飲まれないよう身を低くして抗いながら店内へと侵入した玲司は、黒のウエストバックに手を入れ、ソレがちゃんと入っているかを確かめる。

 金属質の固く冷たい、そして滑らかな表面が指先に触れた。


 時刻は昼過ぎ、建物の中には飲食店がいくつもある。当然、昼食目的で足を運んでいた客たちが一斉に出口へと駆けていた。

 人波から突き出た肩や飛び出してきた腕が玲司を襲う。が、それでも姿勢を崩さず、ビル内の貸店舗をいくつか通り過ぎ、人でごった返した通路の突き当たりを迷わず左へ。

 この道をまっすぐ進めば、すぐに人で埋め尽くされているであろう中央エリアだ。


 中央エリアには、流行の最先端ファッションを着こなしたマネキンと、対のエスカレーターが置かれている。普段はそこそこの量を乗せて運ぶだけの階段式昇降機だが、今この状況では上り下り関係なく上の階にいた人が一足に駆け降りようとして詰まっていた。


 これは危険だと玲司が思ったその瞬間、両方の列が示し合わせたようにドミノ倒しを披露した。

 自動で動く階段の上で倒れ、転がる人達を見ていた玲司は、視野を最大限にまで広げ、上階へ行ける最短距離を探す。


 標的の正確な位置は特定できていない。が、少なくとも上の階にいるのは確信している。でなければ、普段無関心を貫いているであろう一般人が、必死の形相で押し合いへし合い逃げるわけがない。


(あそこからなら、上に行けるか)


 ここでの最優先事項は、創瑚との合流だ。その創瑚がどこにいるのかと訊かれれば、間違いなく騒動の中心だと言える。

 自分の心配よりも他人の心配を先にする十五歳の少年が、この状況で悠長に避難しているはずがない。


 ウエストバックに手を入れ感触を確かめたソレ——瞳の部分に当たる箇所をV字状に線を掘って繋ぎ、額が菱形状に突き出た機械仕掛けの仮面を取り出だした。


 人の波に流されないよう、フロアのタイルに足裏をぴったりくっ付けた玲司は、視線を上階へと向ける。

 ぞろぞろとエスカレーターから流され吐き出された避難者達が、ゾンビの如き緩慢な動きで起き上がり始めた。

 これ以上起き上がられると、間違えて蹴りかねない。そう判断した玲司は仮面を額に押し付け叫んだ。


「<戦鬼(センキ)>起動!」


 玲司の声に反応し、左右のこめかみから緩やかなV字に彫り込まれた線をなぞるように、あるいは、水滴が毛細管現象によって溝に広がるように、緑の光が迸る。

 左右から伸びる緑光が、仮面の中心で混じり合い、仮面全体へと溢れた瞬間、黒と緑の仮面から、鬼の唸り声を思わせる機械的な重低音が鳴り響く。

 溢れる光は玲司の動きに合わせて中空に螺旋を描き、装着者を人外の道へと(いざな)った。


 五感が取り込む情報の流れが加速する。それらを処理する脳は、濁流のように絶えず押し寄せる情報を即座に仕分け、玲司の意識に地下一階から四階までの状況を組み上げ見せた。


(見つけた。四階、雑貨屋前か)


 捜索範囲ギリギリの所に、騒動の中心であろう反応が浮かび上がる。既に被害者が出ていた。


「祓い屋だ。祓い屋が来てくれた!」


 もそもそと起き上がった避難者の誰かが声を上げた。それに倣い、他の者たちの視線が玲司へと向かう。

 恐怖と希望、二つの感情を半々に含んだ視線に囲まれた玲司の体が、中空に溶けた。

 尤もそれは、避難者たちに目からはそう見えたというだけの話だ。


 玲司は一足飛びで、エスカレーターへと飛び込んだ。着地点は、倒れた人たちのいる階段部分、ではなくその隣。

 手すりの上へと足を乗せる。

 手すりを伝って駆け上る玲司を目視で追える人間は、この建物の中にはいなかった。

 数秒も経たないうちに、玲司の体は二階から三階。三階から四階へと移動する。

 四階から上の階層は吹き抜けになっていて、避難の遅れた客の姿が吹き抜け手摺りの向こうに確認できた。


 雑貨屋の前に着地した玲司は、仮面越しに見える光景と、仮面の隙間から流れ込む臭気に顔を顰めた。

 逃げ遅れた買い物客だったであろう肉片と血が、フロアタイルに真っ赤な花畑を描いていた。

 ぱっと見だけでも三人分。手足のパーツや頭が転がっている。

 しかし、それが一つの体から切り離されて転がっているのか、それぞれ別の体から切り落とされたのか、判断ができないほど、現場は荒らされていた。

 そんなカラスに荒らされたゴミ捨て場のような場所の中心地で、ソレは誰かの腕を抱きながら蹲っていた。


 人間と同じぐらいの大きな電球のような体に、人間の手足を六本生やしたソレは、天井の照明を全身で乱反射させ、いくつもの小さな虹を身体中に浮かばせる。

 透明度の高いガラスでできたソレは、買い物客の腕へと牙を突き立てる。

 電球で例えるならば、ソケットに差し込む口金と呼ばれる部位がソレにとっての頭らしく、大きく開き、勢いよく閉じる。その反復動作を続け、血飛沫が盛大に巻き上げられた。

 返り血が体を赤く染めていることを気にもしないその様子から、理性や知性といったものは一切感じない。己が欲を満たそうと、何度も何度も銀の口から覗かせる牙を突き立てては咀嚼し、人肉を食らっている。


 玲司は拳を握り、一足で肉薄すると、返り血がべっとりとついた電球へ振り下ろした。

 ガラスのような透明感のある肉体はしかし、見た目に反した生物らしい弾力を持ち、返り血によってヌメリを帯びていた。

 体の曲線に沿って拳が滑る。


 衝撃を受け流された事に玲司は驚きもせず、冷静にもう一方の腕を伸ばし、ソレを掴んだ。

 口の位置から判断するに、人間で表すと頭のてっぺんを鷲掴みにしている形だ。

 掴まれた事でようやく玲司の存在に気づいたソレは、血で真っ赤に染まった頭部を捻り、敵を捉えた。が、ソレが次の一手に出るよりも先に、玲司は片腕で持ち上げ、背負い投げの要領で床に強く叩きつけた。

 タイルが砕け、下地の鉄筋コンクリートにヒビが走る。

 ソレの体がひしゃげて床にめり込む。


「アアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァ!」


 陸地に上がった魚のように体を痙攣させた電球は、耳障りな金切り声を上げる。

 黒板を爪で引っ掻いた音を数十倍にしたような絶叫は、玲司の耳を貫き四階フロアの壁や天井。床全体にヒビを広げた。


子御木(ねみき)蹴術(しゅうじゅつ)三前趾足(さんぜんしそく)

「アアアァァ——!」


 フロアにめり込んだソレを蹴り上げる。

 宙に浮いて絶叫が途中で詰まったソレに、玲司は蹴り上げた足を返し二発の追撃を加えた。

 衝撃は爆発にも似た音を立ててビル全体を揺らす。


 全身をガラスのような透明な皮膚で覆ったソレは、玲司の猛攻を受け、四つの肉塊と生首とに体を分割し、フロア内に飛び散った。

 後に残されたのは、フローリングタイルが砕けて陥没した床と、喰われた被害者が数人、体の一部だけを残して死んでいた。


「討伐完了。烽師(ほうし)に連絡。それと、創瑚に通話を繋いでくれ」


 片耳に付けていたワイヤレスイヤホンに触れ、玲司は弟子の生存を確認する。

 コール音が三回、イヤホンのスピーカー部を震わせてから、受話器の持ち上げられる音を立てて創瑚は電話に応答した。


「今どこだ?」


 戦鬼を起動してここまで来たことで、地下一階から九階までは把握できている。しかし、その中に聞き覚えのある呼気や足音は捉えられなかった。つまり創瑚は、この建物の外に出ているか、探索範囲外にいるということだ。


『こっちは屋上。そっちこそ今どこ?』


 電話越しの創瑚の声はノイズにかき消されそうなほど小さく、聞き取りにくかった。息を潜め、どこかに隠れているだろうことが窺える。


「どこって、バケモノを祓ってたに決まってんだろ。なんで目を離した。何人か死んだぞ」

『は? 何言ってんの?』


 潜めた声で呆けたような返事をする弟子に玲司は溜息を吐き、さっさとこっちに来いと言おうとした。が、それよりも先に創瑚が続けた。


『バケモノなら、目の前にいるよ』


 息が詰まった。

 吐き出そうとした空気は口の中に留まり、言葉を堰き止める。

 加速した思考が一つの答えに辿り着くと同時に、玲司の体を中空へと飛び出させた。

 四階のフロアを踏み抜かないギリギリの力加減。その衝撃が足元で突風を巻き上げ、玲司の体を吹き抜けを貫通して上階へと運ぶ。


(別個体がいたのか。くそっ、一体だけだって思い込んでた!)


 八年前なら考えられないくらいに緩んでいる。そう自覚した玲司は、己の醜態に怒りを湧き上がらせ、屋上に続く扉を蹴り開けた。


 歴史と名の付いた轍がはるか後方、地平線の先にまで伸び、前方には断崖絶壁によって行き場をなくした時代――現代。

 人の想像から創造された学術が、世界を発展させて景色は一変した。


 表面は傷一つないくらいにまで研磨され、裏面は放置されて錆びだらけ。そんな一枚の硬貨を思わせるこの世界には、裏面の錆の中から産まれたナニかが、表面を浸蝕するべくその薄汚れた手を伸ばしていた。


 ソレは、時代の中で様々な呼び名が付けられた。

 妖怪(ようかい)物怪(もののけ)怪物(かいぶつ)怪異(かいい)異形(いぎょう)……。

 ソレらを現代の人間は総じて『バケモノ』と呼び、根絶すべき敵として暴力でねじ伏せ、抑え込んできた。


 この国、日本で確認された最も古い記録は、奈良時代だとされている。

 夜の闇から伸びた手が、人々を外道(げどう)へと誘う。そんな異端の存在は、時代の流れに合わせ、姿形を変えて生き永らえて来た。


 バケモノは、この世のどの生物よりも、人間の隣に位置して息をする。

 そして、何よりも忘れてはいけない。

 嫉妬、憎悪、後悔、遺恨。人々の負の感情が、もしくは人々の本心が、バケモノを産み育てる事もあると。

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