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021 役所の人

 何処までも澄み切った昼下がりの快晴の空の下、終末世界を思わせる荒野を、一台の装甲車が土煙を登らせ進む。

 ミミックの幅広な四つのタイヤが、舗装されてから悠に二十年は経過し補修もされていない旧道に沈み込み、細かく砕かれた黒灰色の足場が宙を舞った。

 陽光を吸収する分厚いゴム製タイヤが一回転するたび、重厚なその車体を大きく跳ねさせるミミックが、一つの目的の為真直ぐ進む。

 委員会から仔細を聴いた迅は、ミミックのクッション性の悪い座席に、六郎、體斗、無美、野暮を座らせ、避難所が存在すると言われる荒廃地(ガベージ)へと向かっていた。

 元々は悪路でも問題なく走行できるように設計されているミミックだが、それはあくまで、人の手が入っていないけもの道の話。

 ほんのり人工の香りを残した旧時代の遺物ともいえるアスファルトの道は、けもの道とは異なる地盤と凹凸で、ミミックの足を引っ張っていた。


「隊っ、長! 本当っ、に、この先、ですか!」


 ミミックの車窓から荒れ果てた街並みを確認していた迅へと、部下の救いを求める声が飛び込んで来た。

 自然に侵食された文明の残骸から、縦揺れの激しい車内へと引き戻した迅は病人のように顔を真っ青にした體斗を見て無言で頷いた。


(この資料は、あとで開発部に届けるか)


 口を開けば舌を噛むだろう揺れをクッション性を欠いた平べったい座席越しに感じながら、車内の顔ぶれを流し見る。

 今にも吐きそうになっている青白い顔の體斗に引けを取らない白い死人のような顔をした無美は相変わらず具合が悪いのかそうでないのかの判断が付きにくい。

 一人この星の理から離れた野暮は、自身を茜色の水たまりの上に浮かべて悠々と車窓からの眺めを堪能していた。ただ、その顔には不満がありありと張り付けられていて、時折迅へと向けられる視線には『退屈』と書かれているようだった。

 そして、この場の騒音の元凶となるだろうと見ていた存在である六郎は、迅の予想に反して声一つ上げず、電池切れの招き猫のように右の掌に載せた組紐を見つめたまま固まっていた。


(本家の正統後継者を絶縁して、分家から有力者を募り後継者争いを行う。他の守人十二家も同じなんだな)


 時間の経過とともになりを顰めていた怒りが、電話越しに獣姓を強調して来た協会上層部の言葉を思い返すと同時に再燃した。





 都市部から二十分ほどの距離でありながら、道が悪いがためにそれ以上に時間がかかってようやく到着した頃、祓い屋はすでに幾つかの死体を作り、そして幾つかのバケモノの死骸を転がしていた。


「祓い屋がこんなに……それにバケモノも。でも、バケモノの様子、少しおかしくないですか?」


 ミミックから降りた體斗は、真っ先に降りて体を伸ばしていた野暮へと質問した。

 眼前に広がる終末世界をほうふつとさせる荒廃した街の中で、姿格好、その手に握る得物も様々な祓い屋たちが向かって行くのは、野生動物のように群れを成したバケモノだった。


「祓人の脱走者は、都市部の民間人を暴走させたのではなく操っていたそうです。人を操れるのなら、バケモノだって操れても不思議はありませんね」


 危機感を募らせる體斗とは反対に、野暮は変わらず飄々と現場を眺めて大きく深呼吸する。

 血と脂の入り混じった空気が肺を満たす感覚が嫌いな體斗は、そんな野暮の行動を半眼で盗み見る。

 しかし、それと同時に野暮の言い分は正しいのだろうと理解している手前、何も言わずに視線を血腥い戦場となり果てた荒廃地と呼ばれる人の気配を失った遺跡に戻した。

 本来、放逐者やバケモノが群れることはない。

 ショッピングモールでの一件自体滅多に見ないレアケースだったのだが、今目の前に広がる景色はそんな希少性など頭から吹き飛ばすだけの風を孕んだ地獄を見せて来た。

 バケモノが、常に複数で行動している。

 視界に入るだけでも、放逐者は三匹以上が固まって動き、中には巨躯のバケモノを中心にした群れのようなものができているのも確認できる。

 ここで死ぬかも。

 體斗は、そんな不安感が背筋を登るのを感じた。

 気を紛らわせようと、視線を横に向けて、後から降りてきた後輩を視界に捉える。


「六郎、大丈夫か?」

「……何がです? 俺は十分戦えます」

「いや、そうじゃなくって……」


 何があったのかは分からないが、何かよくないことがあったのだろう事だけは分かってしまい、どうしたものかと頭を掻く。


(ったく、何でこんな時に限って、俺がこっちなんだよ)


 野暮のストッパーである木端も、無美が懐いている胡桃も、双方都市部に残っている。

 六郎は隊長が見てくれれば、そうそう暴走することもないだろうと考えると、體斗は自分が今ここにいる理由が益々わからなくなっていた。


「大丈夫か體斗。顔色が悪いぞ」

「隊長…………いえ、問題ないです……」


 六郎を心配していた體斗を心配する迅。そんな意味の分からない状況の中で、體斗は痛む胃を抑えた。

 文句の一つでも言おうと口を開きかけたが、理性がその体力ももったいないと肉体を制御し口を閉じさせた。


(こんな状況では、體斗の精神力でもなかなか堪えるか)


 任務を言い渡された時から人を遠ざけ、暗い雰囲気を纏った六郎と、通常運転で人間の言葉が通じない野暮。そんな二人だけでも胃が荒れそうなのに、そこに人見知りの極地に辿り着いているだろう無美が加わっているのだから、體斗の精神は、車酔い以上の負荷によって疲弊していることが、迅には何となく理解できた。

 が、それで今から都市部に帰しては時間が無駄になるため、それは口にしなかった。

 ただ、隊長として、最も負荷のかからない人材を割り当ててやるかと考える。


「現在、荒廃地一帯で名憑きが多数確認されている。掲示板に新しい情報が上がっているので、各自そちらを確認しておいてくれ」


 本来ならばミミック内で済ませておくべき事だったが、それが出来ない道程だったが為に、迅は地に足がついた今話した。

 説明を受けた體斗は、さっそくスマートフォンを開き祓魔隊の掲示板を一瞥する。そして、その不可思議な現象に首を傾げた。


「改めて伝えるが、この荒廃地には避難所が作られている。非正規だとしても、避難民は一般市民だ。彼らの保護を最優先に我々は動く。名憑き、及び脱走者の対応は祓い屋が行う手筈だ」


 そんな迅の指示に反対意見はなく、體斗は掲示板のバケモノの情報を頭に入れ、迅からの指示で無美と組む。


「避難所の場所の候補となるのは三か所。元町役場、元文化センタ―、そして廃校だ。この三か所を中心に避難民を探す」


「ちょっと待ってください! 隊長まさか、一人で行動するつもりじゃないですよね?」


 今いる第六の祓魔師は五人に対して、避難所候補地は三ヶ所。

 もう一組を三人にするか、二人と一人に分けるかになるわけだが、この状況で三人組を作れば戦力が偏り過ぎになり、捜索効率も落ちる。

 故に三手に別れると見た體斗は、周囲を探りながら進言した。


「ここら一帯、放逐者が群れを作っていますし、名憑きのバケモノだって、確認されてからかなりの時間が経過しています。そんな状況で単独で動くのは危険です」


 名憑きはどれも、命名されてから一ヶ月以上が経過している個体ばかりだった。

 そんな場所を一人で捜索するなど、砂漠地帯を全裸でマラソンするような自殺行為だ。

 祓魔師だけでなく、祓人にとっても常識だ。

 風が運ぶ血脂の匂いが、一段と濃くなった気がする。


「私は六郎と組む。単独行動は野暮さんだ」

「へ? あぁそう…………そう、ですかぁ」


 迅の返答に、體斗は勢いを失った。

 納得してしまったからだ。しかし、そんな體斗に野暮は愉快そうに絡み付く。物理的にも、精神的にも。


「おや、體斗君。私が一人では、心配してくれないのですか?」


 體斗の肩に腕を回した野暮は、体重をかけるように體斗へと寄り掛かる。

 するりと顔を近づけた野暮は、楽し気に緩めた茜の瞳で、體斗の赤みがかった瞳を覗き込んだ。

 体重を掛けるその体からは、女性らしさのある柔らかな感触を體斗の脳へと送り、果物のような甘い香りが鼻腔を擽った。

 眼前に迫った野暮の視線から逃れられず、心臓が早鐘を打う體斗。


「い、いやぁ……野暮さんの場合、野暮さんと対峙した人を心配するというか、何というか……」


 へどもどしながら返答するものの、野暮は肩に絡めて来た腕を解く気はないらしくさらに体重をかけた。


「野暮さん、若手を揶揄わないでください」


 迅でも扱いきれない野暮が、體斗は苦手だった。そして、誰に対しても緊張と挙動不審で体を強張らせている無美も。

 しかし、どちらかと組めと言われれば当然、後者を選ぶ。人間の言葉を理解していて、対話が可能というその一点においてのみの消去法に基づいた決定だ。


「體斗と無美は廃校を、野暮さんは文化センターに向かってください」

「了解」


 ようやく解放された體斗は、安堵の息と共に了承の声を。対して野暮は不満げに目を細めた。


「一番可能性が低い場所に私を向かわせるんですね。ここは、私を役所か廃校に向かわせるべきだと思うのですが?」


 無美は挙動不審に周囲をキョロキョロ確認しながら、六郎は口を開かず一歩引いた場所から迅の話を聞く。


「野暮さんが私の指示に従わないのは知っています。ですから、文化センターを見て避難者の有無を確認した後は、好きに動いて下さい。これはそういう指示です」

「なるほど。では、その指示に従いましょう」

「それでは、任務開始!」


 迅の目が全員の顔を見てから憂いが陰ったが、體斗は指示通り腰の刀に手を添えて崩れた街中へと踏み込んだ。

 




 體斗、無美は廃校、野暮は文化センターを目指すよう指示を出した迅は、町役場を目指して六郎を一歩後ろに付けて進む。

 潰れた家屋跡地に積まれたバケモノの死骸の山を横目に、祓い屋たちの亡骸を避けて移動する。

 時折、放逐者の群れに教われはしたが、即座に斬り祓い目的地へと一直線に目指した。


「六郎」


 荒れ放題の道路を横断して、ナニかに穿たれた壁の穴を通って空っぽになった成果物店を抜けて次の通りに出た迅が、一歩後ろに控えた部下の名を呼んだ、しかし返事はなく、肩越しに背後を確認した迅は、小さくため息を洩らした。


「そんなに気になるか? 午斑総司が」


 午斑家の元長男の名を口にした途端、見開いた六郎の目が肩越しにぶつかった。

 その顔には「何故?」と書かれていたが、迅は特段説明もせず上司として淡々と告げる。


「避難民をバケモノから守り助けるのが、私たちの仕事だ。他の事は後回しにしろ」

「…………ぅス」


 小さく頷きを返す六郎を肩越しに見た迅は一つ頷き、窓ガラスがすべて割れて、豆腐の角が欠けたような建物を見上げて止まった。


「ここは、どうやら違うらしいな」

「っスね。でも、バケモノの気配があるっス」


 割り切れずとも、多少は目の前の事を直視するようになった六郎の同意に、迅は瞬時に思考を巡らせ、時間と危険を天秤にかけると腰の刀に手を添えた。

 二人同時に足を止め、目の前の施設へと視線を投げる。

 特徴が灰色のレンガ調の壁くらいしかない、外観美を極限まで削り取った立方体の建築物である役所が、昼下がりの日光を肩に乗せて二人の祓魔師へと影を伸ばして覆う。

 そんな視界に入っても面白みもない建物の中から、周囲を駆け回る体に苔を纏わせたバケモノとは異なる死の臭いを強く纏った不快で醜悪な気配が、掃き掃除の度に転がり出る埃の塊のように、役所の割れた窓や内側から外側へと力任せに開かれ傾いだ正面入り口から、もうもうと吐き出されていた。


「危険を排除するぞ」

「了解っス!」


 左手首に組紐を巻き付ける六郎と、先刻まで貯めに溜めていた怒りを殺気に変換する迅へと役所は唸り声を上げた。

 冬眠していた熊が、巣穴に冷水を流し込まれて飛び起きたように、地響きを感じさせる低い唸り声が幾重にも反響して吐き出される。

 次いで飛び出して来たのは、足の代わりに肋骨から飛び出した八本の掌を地べたに這わせて走り寄る、サルのような見た目の放逐者だった。

 全身の毛が抜け落ちたのか、血の気の失せた真っ白なブヨブヨとした皮膚を揺らして二人の祓魔師目掛けて突進を繰り出す。

 両腕を交差させ首を守りながら、両肩から生やした二本の角とも牙ともとれる鋭利な突起物を、迅と六郎へと向けた。

 刀と拳がそれらを全て切り祓い、殴って散らす。

 真っ黒な血がアスファルトを濡らすと同時に、炎天下に一日放置された魚のような生臭さが広がり、鼻腔を塞いだ。


「本命が来るっス!」

「時間の無駄だ。デバイスを使って突破する」

「了解っス。——<操影>出陣!」


 左の拳を前に突き出した六郎は、デバイスを起動する。

 足元から色とりどりなナニカが這い上がると、羽織がマーブル模様に染まり、馬の嘶きがどこからともなく聞こえた。

 六郎の纏っていた気配が、人の枠から弾かれ、半分以上を人外のそれへと変質させた。


「<獅電>来迎」


 刃に付着した血を振り払い鞘へと納めた迅が、刀身を少しだけ見せて雷を周囲に落とす。

 追加で飛び出して来たサル型の放逐者を、降り注ぐ稲妻が全て焼き祓い、勢いそのままに迅の刀へと吸い込まれ、鞘の中で青白く発光して雷鳴を轟かせた。

 快晴の下で唸る雷の轟音に、役所の中で響いた唸り声が一段高く反口した。


「来るぞ」


 倒壊寸前の特徴のない役所の砕いて飛び出して来たのは、翼の生えた十メートルと少しの背丈のオランウータンだった。

 石灰色に染めた巨躯。背中から広がった鮮やかな緑の翼。顔面にはペストマスクにも見える、オウムを思わせる鳥類の頭骨を被り、夜の闇を渦巻かせた真っ黒な眼窩でこちらを見下ろす。


「森の人が、何で町役場から出て来るんだ……」

「なんの話してんスか! どう見ても、掲示板に書かれてた<ケンジン>っスよ!」



『祓魔隊共有掲示板』

<ケンジン>

「サルは空を飛ぶことができる」そんな文言から始まった一つの小さな論争をきっかけに、都市部の一部で翼を生やした人影を見たという者が出始めた。

 後に、翼を生やしているのは一匹のサルであったと写真付きで投稿され、始まりの論争には火が付き、いつしかそのサルには『ケンジン』と名前が付けられた。

 なお、投稿された写真は加工された偽物であると委員会情報部では結論が出され、現在共通認識の上書きを実行している。

 これに早退した際には、速やかに祓滅する事。



 石灰色の拳が捉えたのは、静電気で髪が逆立った迅だった。

 風を生み出し迫るその拳は、信号を無視して交差点に入って来る大型トラックのような威圧を放っていた。

 そんな拳を前面に捉えた迅は、鞘に納めた刀をそのまま腰から引き抜き、柄の頭で打ち返す。

 ゴリッ! と、鈍く重い音が鼓膜を震わせた。

 見れば、中指の根元の骨が砕けたのか、灰色だった指が黒く変色し、歪にねじ曲がっていた。

 衝突の反動で柄が上を向いた刀は、半回転して迅の手元へと戻る。


「子御木抜刀術、未角(みかく)捩輪(れいりん)


 瞬間、刀を逆手に抜き放った迅は、腰を低く抜刀の構えから一歩大きく踏み込み、膝を伸ばして体全体で円を描き、バケモノの右腕を切り飛ばした。

 血が噴出して空を黒く染めるバケモノへと、タイミングを示し合わせたように拳を握った六郎が肉薄する。


「子御木闘拳術、申嚇連々(しんかくれんれん)!」


 十指の爪を立て深々と突き刺した六郎は、バケモノの巨躯を、壁を失い崩落を始めた役所へと押し返す。

 デバイスによって人外の膂力を得た六郎の怪力により、ケンジンの背は、役所内の壁を打ち砕いて反対の内壁にぶつかり、そこでようやく止まった。

 ケンジンはペストマスクの奥の瞳を怒りで濡らし、書類の散乱する手狭な役所内で残った一方の腕を振り上げた。


「子御木闘拳術、廻々跳卯(かいかいちょうう)!」


 本来防御の型を攻撃に応用する六郎は、バケモノの腹へと突き立てた両手を腕ごと時計回りに捩じり、傷を広げる。

 役所内にケンジンの悲鳴が木霊した。

 キーキーと甲高い類人猿の鳴き声に、バキゴキと、骨がぶつかり削れ合う音が混じっていた。


「離れろ六郎、崩れるぞ!」


 外から聞こえた迅の声に、六郎ははっと上を見た。

 建物全体に入った亀裂の隙間は大きく、踏ん反り返った空が六郎の驚きに見開いた瞳を見返した。

 あちこちで、重量物の倒れる鈍くて重い音が響く。

 割れた窓ガラスから止めどなく土埃は吐き出され、天井の内側に隠されていた青赤黄色の色彩豊かなケーブルが横揺れする。


「やべっ!」


 バケモノの腹から両手を引き抜き、六郎は体を反転。

 天井が落ちてくる役所内から飛び出した。


「ヤツはどうなった?」


 迅の隣へと戻った六郎は、真っ黒に染まり鋭利な牙を覗かせる獣のような見た目に変形した両手を見下ろし、手早く振り払った。

 伸びた爪も、鋭角に変形していた指先も、人間のそれではなくバケモノの凶器と化していた。


「傷は深いっスから、多分下敷きに」


 人間の両手に戻しながら報告する六郎の言葉を遮ったのは、崩落して瓦礫の山へと姿を変えた街役場だった。

 内から外へと爆発した瓦礫の山が、大小様々な石礫を飛ばして六郎と迅を襲う。

 爆発の中心地、そこには鉄骨が側頭部を貫いた、手負いのオランウータンが立っていた。

 ペストマスクのように被っていたオウムの頭骨は罅割れ、怒りに染まった左目が露出している。

 こめかみを左から右へと貫いた捩れた鉄骨が黒に染まった血を垂らし、石灰色の毛を逆立たせながら緑の翼を広げるその姿は、かつて悪魔と呼ばれれ恐れられていた存在を彷彿とさせた。


 緑の羽が宙を舞う。吹き荒れた風は竜巻となって瓦礫を吸って大きくなる。

 その渦の中心で高く飛び上がったケンジンは、ホッホと息を吐き出し、左手で瓦礫を握りつぶした。

 それら一連の行動を見ていた迅は、ケンジンの狙いを悟り、一歩前に出た。


「下がれ!」


 迅の叫びと同時に、ケンジンはオランウータンの左手で握りつぶした瓦礫を、眼下目掛けて投げ付ける。

 掌で包めるサイズにまで砕けた瓦礫が、狙撃銃の弾丸もよりも速く飛来する。

 迅は咄嗟に、防御姿勢をとった六郎とケンジンの間に体を飛び込ませた。

 中空へと身を踊らせた迅は羽織りを膨らませながら刀を抜き放ち、腰下に向けた刃先を腕を回転させて大上段に構え、纏っていた雷を前面に放出しながら体の前で円を描くように振るった。


封雷某(ふうらいぼう)(おうぎ)!」


 刀身に纏わせていた稲妻が、迅の体の前で放出されて蜘蛛の巣のように広がった。

 飛来する石礫は雷に焼き溶かされて、刀が巻き起こす暴風に煽られ軌道を変える。


「隊長!」

「っ!」

 

 それでも瓦礫は細かく、雷の防壁を通過したものがいくつかあった。

 迅の右頬と右肩を抉り、脇腹とふくらはぎを貫いた。

 黒一色の隊服が赤に染める。

 脇腹からの出血が酷い。太い血管を傷つけ貫通したのだろうと自身の状態を冷静に見た迅は、抉られた右頬から滴り落ちる血をそのままに、地上に足がつくよりも前に次の行動へと移った。

 円を描き体の外へと向いていた刀の背を自身の右肩へと乗せ、周囲に広げた稲妻を傷を負った体の表面ではなく内側に取り込む。

 皮下にシダ植物を思わせる細かく枝分かれした電紋を浮かばせた迅は、腰を捻って上半身を傾け構えを取った。


「封雷某・天冠(てんかん)


 赤く広がった電紋が一瞬だけ青白く光る。

 紋の枝分かれした先端から根本へと雷は逆流を始め、顔中に現れたリヒテンベルク図形から、無数の糸となって体外に飛び出すと、頭上に一つの光球を生み出した。

 金の髪を一つに結い流した頭の上で、蒼白玉の雷塊が浮かび、その中から十二本の槍が飛び出した。

 槍は吐き出された勢いそのままに放射状に広がり、槍身の一部を削り取って針金ほどの線を隣の槍へとつなげた。

 槍から槍へとつながる線は三周円を描き、十二本全ての槍を繋いだところで、その中央に小さくなった蒼白玉を添えて円軌道を開始した。

 頭上に王冠を思わせる光輪を浮かばせた迅の体からは絶えず稲妻が迸り、この世から肉体を切り離したかと思わせる微光が電紋から放たれ輪郭を覆う。

 刀を一振りして構え直すと、瞬時に雷は刀身にも巡り、バチバチと火花が散った。


「これが、雷装……」


 貝塚迅に与えられた二つ名を呟く六郎は、中空に身を置く迅を見上げ、尊敬と畏怖の念を同時に抱いた。


 迅が左手を刀から離して、一振り。

 左腕のシダの葉が揺れた。

 青白い光が下地の赤を晒し、指先から稲妻を五条の帯として放出し、ケンジンへと向ける。

 生物としての脳を持つケンジンは驚き、回避行動を選んだ。

 緑の翼を一度畳み、それから大きく広げて上昇し、さらに体の向きを変えて旋回する。

 しかし、迅の操る雷の帯の方が速く、石灰色の胴体を貫き、緑の翼を掠めると、そのまま天高くどこまでも昇り、青く澄んだはるか上空でその帯を解いた。


「子御木抜刀術」


 ケンジンの耳元で、今しがた雷帯を振り抜いた男の声が発せられた。

 驚きに目を丸くさせたケンジンが見たのは、己の翼を掠めた一本の雷条から、姿を見せた一人の剣士だった。

 肉体を雷へと溶かし込んで高速移動した迅は、納刀した刀を腰から引き抜き両手に握り、火花を散らし微光に包まれた刀身の数ミリ引き抜きケンジンへと見せつけた。

 前傾で構える迅の瞳は、琥珀の中に青白い雷光が幾筋も走っていた。


「………………」


 デバイスを使用し人外の感覚を得ていた六郎でも、迅の高速移動は知覚できなかった。

 目の前にいたはずの隊長の姿が、一瞬のうちに上空にいるケンジンの真横へと移動したように見えていた。

 驚きに口を半開きにした六郎は動かなかった。そして、同じく不意を突かれたケンジンも動けなずにいた。

 懐に飛び込んだ迅は、罅と錆び、そして刃こぼれの目立つ刀身を抜き放ちながら唱える。


為虎(いこ)

「迅さん!」


 途中まで引き抜き、今にも振り抜こうとしていた迅の耳に、突如として聞き覚えのある少年の声が飛び込んできた。

 幻聴? 妄想? それとも、走馬灯?

 たった一つの声に、あらゆる可能性が加速した脳を思考で占領し、今しがた振り抜こうとしていた迅の肉体は動きを止めてしまった。

 ケンジンは、その隙を見逃さなかった。

 残った左腕を振り上げ、咆哮と共に振り下ろす。

 眼前に迫った電信柱のような石灰色の腕を前に、迅は目を見開き固まった。


(刀で防御……間に合わない。なら雷動で…………肉体が持たない)


 攻撃を受け流して被害を最小限にするしかないと体を動かし始めた迅の背中に、不可視の手が触れた。


「避けて!」


 再度届いた少年の声に、迅はまたも驚いた。


(幻聴じゃない! なら、何でここに?)


 人間の感覚を置き去りにしていた迅が捉えた少年の声。

 それに結びつける答えが浮かばず、迅は触れて来た不可視の手にその身を引かれた。

 背中から引っ張られて体がくの字に折れた。次いで耳に飛び込んで来たのは、空間を切り裂く風の音。その中に、別の音が紛れ込んでいることに気がついた。

 何か細長いものが高速で移動する、螺旋を描いて風が逃げるそんな音。


 ケンジンの伸ばされた指先が、鼻先数センチの位置を通過した。しかし、そこから発生したはずの風は感じられず、背中を引っ張る感覚は、背後に現れた見知った気配へと吸い込まれた。


「創瑚、何故ここに!」


 振り返り、視界に映った少年は、確かに迅の良く知る人物だった。そして、その顔に機械仕掛けの龍を模した仮面が張り付けられているのを見て理解する。

 突然中空に現れたその方法。

 今の今まで引っ張っていた不可視の手の正体。

 そして、切羽詰まったあの声の意味。

 空を飛んでいるのも、今体を引っ張っているのもデバイス<機龍>の能力。

 そんな行動に移したその理由はただ一つ。

 奇襲されている。

 そう結論付けた迅は視野を広く持ち、気配を探った。


(何処だ。創瑚が危険を感じ、俺を助けたその原因……あれは!)


 迅の左斜め下。廃校のある方角から、一本の影がこちらに伸びて来ていた。

 場所は迅がさっきまでいた場所。今はオランウータンの左腕が振り下ろされた位置目掛けて飛んできていた。

 速度は、かつて人類が誇ったという高速の移動手段、新幹線を軽く超えた亜音速で通過した。


「あれは、苔の鎖?」


 一本の深緑色の紐のようにも見えた。しかし、人外の視力で見たそれは、小さな苔が幾重にも連なり楕円に形作られていた。すなわち鎖。そして、それが先ほど聞こえた螺旋状に風が逃げる音を発しているのだと気付いた。


「蝗守源氏の能力です!」


 背後から聞こえた少年のくぐもった声でその正体を知った迅は、目の前でケンジンの左腕を貫いた苔の鎖を見ている事しかできなかった。

 背中に、人の熱を持った小さなものが触れた。

 振り返れば、風を二層纏った創瑚が、正面のバケモノを見据えて静かに言った。


「苔に侵された生物は、自我を失い操り人形になるそうです」

「ああ。都市部で暴れていた民間人に付着していたものだ。つまり、あれに当たっていれば私が……」


 ケンジンが動きを止めた。

 左腕を貫いた苔の鎖は、見る間にオランウータンの巨躯に広がり、その本体の鎖は引き抜かれるとそのまま地上へと落ちて行った。

 石灰色に深緑が混ざり、古代遺跡の雰囲気を見せ始めたケンジンの肉体に変化が起きる。

 傷ついた翼は苔に覆われ傷を塞ぎ、失った右腕の先端では仮根を伸ばして広がった苔が、一つの苔玉を形成する。

 流れていた血が止まった所で、自由落下に身を任せていたケンジンは再び動き出した。

 緑の翼を大きく広げ、一目散に廃校方面へと。


「迅さんが操られていたら、僕も玲司も、下に居た六郎さんも死んでたでしょうね」


 場を和ませようと柔和な笑みを思わせる創瑚の笑い声を片耳に、迅は反対に苛立ちを募らせた。


(こんな簡単な奇襲を、俺は見逃したのか? これが平和ボケと言うやつか。……随分、なまくらになったじゃないか)


 自身のふがいなさを自嘲の笑みで見下す迅を、創瑚は風を操り浮かばせる。

 視線は廃校へと向かい、そのまま迅へと語った。


「避難所は廃校にあります。そこに蝗守もいるそうです」

「分かった。このまま行けるか?」

「はい。玲司は六郎さんと合流して既に向かっています」


 眼下の地上を見れば、部下の姿は何処にもなくなっていた。

 二人の豪脚ならば、すぐにあのバケモノに追いつけるだろう。そう考えた迅は、脇腹にできた空洞で、創瑚の柔らかな風を感じた。

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