020 フリーズドライ
苔を体に貼り付かせた人が、一般市民を襲っている。
突然の通報に、庁舎待機をしていた第六部隊は、即座に通報のあった現場へと向かった。
「何です? この気持ち悪いの」
體斗の質問は、特定の誰か向けられたものでもなかった。
現場は、駅から徒歩数分の位置にあるゲームセンター前の通りで、普段は人通りが多く、休日を謳歌する若者が多くみられる場所だった。しかし今は、一店舗丸ごとと近辺を立ち入り禁止にして、負傷者の搬送と、その場に倒れた加害者の様子を窺っていた。
「脈はなし。瞳孔も開いてる。……間違いなく死んでいますね」
胡桃が見ていたのは、突然他の一般人を襲い始めた通行人の一人だった。
目撃証言によれば、すれ違いざまに人にぶつかって来るはた迷惑な通行人だったらしい。
そんな男が、急に左腕を搔きむしり始めたかと思えば、うめき声を上げながら、近くにいた一般人に襲い掛かったと。
幸いな事に死者は出ていないが、六名の負傷者を出している。
今目の前に倒れている苔の生えた人間は、六名に傷を与えたその後、糸の切れた人形のように倒れたそうだ。
つまりは間に合わなかったという事で、立ち入り禁止のテープが張られた通りの向こうでは、スマートフォン片手にこちらに不満げな顔を見せる人垣が形成されていた。
「バケモノというより、覚醒者の力のようだな。力に体が耐えきれなかったのか?」
「しかし隊長、この型の瞳に魂の色は映っていません。おそらく無覚醒者です」
「つまり、彼も被害者という事だ。覚醒者が能力で苔を貼り付かせ、操ったと言うのが一番筋が通る」
迅の推測に、現場を見て回っていた部下たちの間に沈黙が落とされた。
「いや、いやいやいやいや、そんなのおかしいですって!」
最近恋人ができたとかで、第六内では祝福と妬みの的になっている迅の部下、鮫浪銀二が、彫りの深いその顔の前で分厚い手を横に振っていた。
祓魔師の中では、高齢と言える三十の代に乗ったベテランの祓魔師である銀二の言い分は、人としては何も間違ってはいない。
人が人を襲うなど考えられない。
しかし、それが通じるのは、その歳を三分の一以下に落とした歳の幼子だけが見られる幻想だ。
かつて、祓人に手を掛けた事のある迅は、そんな幻想を久しく見ていないという事に気が付いた。
「そうですよ隊長。祓魔師はまずやらないですし、いくら祓い屋でも、一般市民に手を出したりしないですって」
銀二の右隣に立った青年、群蜘蛛正義も迅の言葉を否定する。
「で、でも……こんなことできるの、覚醒者だけ、です……」
死体を俯きがちな視線で観察していた蟻摘無美は、視線を死体から外すことなく言った。
「だとすれば、どっかの屑祓人の仕業っスね」
詰襟の羽織を風に流しながら、現場周辺とゲームセンターへと視線を移す午場六郎は目を細めて怒りを含ませる。
「別に、祓い屋とは限らないんじゃないですか?」
重い空気が周囲に漂い出した現場をその一言で塗り替えた人物に、迅の部下は一斉に振り返った。
その顔には、一様に驚きの表情が貼り付けられている。
「どうしました? 私の顔に何かついていますか?」
雌魚野暮は、庁舎にいなかっただけでなく、ミミックにも乗っていなかった。
ここまでどうやって来たのかと皆疑問に思ったが、誰も彼女に関わろうとはしなかった。
二人を除いて。
若手の秋原木端が自発的に野暮の傍らに立ち、事件の概要を手早く伝える。
「野暮さんはどう思いますか?」
「どうとは?」
木端の説明を聞き終えた野暮へ、迅は質問する。しかし、野暮は迅の質問の意図を察していながら、飄々と質問を返す。
「この死体についているのが、覚醒者の能力によるものか。そして、もしそうならば、その人物は一体どこにいるのか。この二つについてお訊きしています」
迅の言葉を横に聞き流し、野暮はつまらなそうに死体を見下ろし全体を一瞥。それから現場周周辺へと視線を送った。
ぐるりと、茜に染まったその瞳が回ると、一点に止められた。
こちらにスマートフォンを向ける人垣。野暮が視線を止めた先には、彼らがいた。しかし、そこに犯人がいれば一目見れば分かると、迅も六郎もそこはすでに確認済みだ。
結果、見つけられなかった。つまりは、ここら近辺には、苔を付着させるか発生させるかの能力を持つ覚醒者はいないと迅は見ていた。
しかし、野暮の見ている世界では別のものが見えていたらしい。
普段の緩慢な動きに変わりはないが、人垣を見るその夕暮れを思わせる二つの瞳からは、高温に熱され流動する金属のような粘り気を帯びた激情が流れ出ていた。
(これは、怒り? 憎悪? 怨嗟? どれも違うけど、多分、どれも含まれてる)
野暮の人となりは褒められたものでなくとも、隊長の迅は祓魔師としての力は素直に評価していた。故に六郎は、野暮の事を少し知ってみようと横目に観察していた。
「木端君、あの人だかりの二列目の右から三番目と、一列目中央の三人、それから最後列の左半分を連れて来て下さい。ぁあそれから、野次馬の声がうるさいので、彼らには静かに帰宅するよう伝えて下さい」
「二列目右から三番、一列目中央三人、最後列左半分……了解しました。野次馬は騒ぐのが仕事ですから、帰宅はここの封鎖を解除しないと無理だと思います。では行って来ます」
隣に控えていた木端は野暮の指示を復唱しつつ、最後の一つに対しては辛辣に答えた。
——木端が、また一段とグレた。
当人と、その原因だろう一人を除いた第六部隊全員がそう思った。
木端は手早く言われた通りの場所に移動して、そこにいたスマートフォンをかざした野次馬たちを引き連れ戻って来た。
背後の人垣は、依然として散る様子を見せなかった。
「ちゃんと伝えたんですよね?」
腕を組み、人垣を眺めた野暮の顔には、いつもの生気を感じさせない無表情が貼り付けられている。
「はい。でもやっぱり、迷惑そうに眉根を寄せるだけで無視されました」
「そうですか。では、ここからは私たちの責任ではありませんね」
「はい? それってどういう——」
木端の疑問は、人垣から上がった悲鳴によって遮られた。
そして始まる人垣内での混乱は、見る間に形を変えて行く。
逃げる野次馬と、そんな彼らを襲う野次馬とに分かれた人垣がばらけ始める。
「隊長。デバイスの許可を」
そんな騒ぎを前に、體斗、胡桃、六郎は動き始めていたが、木端が連れて来た野次馬たちの体に苔が急速に広がったのを見て、一瞬の思考が挟まった。
この場には祓魔師がいる。向こうが最優先。そう結論を出したのは、次の一歩を踏み出すまでの極僅かな時間だった。しかし、それでも視界の向こうで血しぶきが上がる度、三人の表情は重く暗いものへと変わっていた。
そんな状況を自然体で動こうとしない野暮が一人、コートの内ポケットからT字の頭をした目打ち釘を抜き出しつつ平坦な声で言った。
それを見た迅は、最初からすべて見抜いていたのだと理解して、大きなため息を吐いた。
「許可します。ただし、隊員及び一般人には被害を出さないようにして下さい」
「了解しました。<水練>」
野暮の足元に、人一人が納まる程度の茜色の水面が広がり、その身を揺蕩わせる。
波紋が広がる水面の上に立つ野暮は、左手はコートのポケットに、もう一方を肩の高さに上げると、T字の釘を拳銃のように構え、鋭利な先端を騒ぎの中心へと向けた。
すると、足元で波立たせていた茜の水たまりは、釘の軌道を追うように、フヨフヨチャポチャポと移動する。
「範囲指定——フリーズドライ」
釘で中空に円を描き先端を下に向けると、何もないその空間に突き刺すように、手首のスナップだけで振り下ろす。
そんな野暮の呟きに呼応して、波紋を広げて白泡を弾かせていた水面が、アスファルトの表面で肥大化し、幾つもの泡を吐き出した。
泡の大きさはちょうど人一人がすっぽり入れる大きさで、地面から上がった泡が、騒ぎを大きくしているモノ達を捕らえた。
「捕縛完了。……肉団子にでもしますか?」
「絶対にしないでください。このまま烽師に引き渡します」
茜色の水たまりにバシャバシャと入る迅に続いて、木端も続く。その後を追って他の隊員も続き、泡に包み込まれたソレらを引っ張り出した。
野暮が水練の能力を解除すれば水たまりは消える。だがそうなれば、捕縛している泡自体も消えてしまうため、こうしてずぶ濡れになりながらも回収する必要があった。
がしかし、水練の力は野暮を中心に発動している。つまりは、野暮はこの水たまりには沈まず、野暮の足元に茜の水面が戻れば、泡に包まれたソレらの周囲は平気で歩ける場所に戻るのだ。
野暮が回収するか、自分の足元に水練を戻してから動けば、迅たちが苦労する必要はない話だったが、野暮はそれを「面倒くさい」の一言で断った。
結果、野暮が生け捕りにした時には、皆足を濡らす事になる。
「これは……一体どういう事ですか?」
泡に包まれたソレは、人垣の中にいた一般市民だった。
今は広がった苔に半身を埋め尽くされ、爪の間には、誰かの皮膚片が挟まっている。
「誰かに苔を生やされたと言うよりも、元から植え付けられていたのが今になって出て来たと言った様子だな」
「だとすれば、もう犯人は近くにはいないでしょうね。おそらく、苔を蒔いたのは自分が捕まらないようにするための時間稼ぎでしょうし」
「體斗、アンタ……そこまで考える頭があったのね」
「おい!」
體斗の推理を揶揄う胡桃と、二人のやり取りを笑って眺める六郎を背後に、迅はこれからの動きを考える。
(既に都市に広がっていると考えると、人手が圧倒的に足りない。他の部隊に連絡を……いや、それなら協会に虚力を仰いだ方が……だが、この原因の覚醒者がどこにいるか分からなければ、どれだけ長引くか分からない……)
苔を生やした一般市民の一人一人の戦闘能力は、殆どないと言える。しかし、数が多くどんな経緯で苔を植え付けられているのかが分からない状況に、迅は数秒を思考に費やした。
「他の部隊に協力を要請する。各員、複数人で行動し、都市中に広がったコレらを無力化、捕縛してくれ。命を奪うのは最後の手段だ」
『了解!』
各方面に散って行った隊員を見送った迅は手早くスマートフォンを起動し、他の部隊へと連絡を繋いだ。
『はい、こちら第五部隊連絡係です』
電話に出たのは、六十を超えているだろう老人だった。
「お久しぶりです、雅さん。第六の貝塚迅です」
第五部隊の連絡窓口兼、事務員の老人、目黒雅だった。
『お久しぶりです、迅殿。隊長の草原にお繋ぎしますか?』
「お願いします」
『少々お待ちください』
スマートフォンのスピーカーからノイズが流れ、瞬時に別空間の音が流れ出した。
雅がいたのは、十中八九庁舎だったのだろうが、その静けさから打って変わって、騒音が鳴り出したスピーカーから耳を離した。
「草原さん、今どこにいるんです?」
『ん~? ごめん、ちょっと声聞こえないわ~』
電話越しに大きな声を発しているだろう男の声に、迅は内心ため息を吐く。
(またサボってる……。第五の隊員たちがいつも死にかけた顔してるのは、絶対この人がサボってるからなのだろうな)
第五の隊長、鹿籠草原はサボり魔である。
それは全祓魔隊員の共通認識で、第六では野暮が大隊長になっていたらこうなっていたのだろうという恐怖から、自身を推している節があるのを迅は知っていた。
「草原さん……またパチンコですか?」
『ん~まぁ、他にすることもないしね』
「仕事してください。隊長ですよね?」
『面倒だから、もうお前が統合して管理してくれよ』
心底大きなため息がスピーカーを通して迅の耳に入る。
そんなに大変なことがあったのかと迅は首を傾げたが、それらしいニュースもなく、現状急ぎの用件があると、草原の話はそこで切り、本題を口にした。
『それ、俺も行かなきゃダメ?』
「蟻の道を通れば、すぐに来れますよね?」
『いや行けるけどさ。その間のこっちはどうすんの? 関東地方には二つ部隊が置かれてんだから、そいつに頼めよ。……誰だっけ?』
「第三部隊、申渡統理です」
『あぁ〜嫌、かぁ〜』
「仕事に思私情は持ち込みません。しかし、彼には頼めないと思います」
第三部隊大隊長、申渡統理。実力は確かだが、その手法は世間体通りの祓い屋のそれと同じで、迅にとっては許し難い同僚だった。
そして、草原ほどではないにしても、部隊全体がサボり気味で、その仕事がこちらに回ってくることもしばしば。
早々に見切りをつけた迅は、申渡や第三部隊はないものとして扱って来た。
『んじゃあ、小隊をいくつか貸してやる。俺はこっちに残る。それでいいか?』
「……申し訳ありません。今度、お礼はします」
『当たり前だ。負けた分はお前から回収してやるからな』
「ああ、負けたんですね」
さっきのため息は、仕事から出たものではなかっだと理解した。
『ぅるっせ!』
通話の終了ボタンを押下した迅は、続けて別の部隊へと通話を始める。
第一部隊大隊長、倉敷優。獣の名を持たない元警察官。そして、非覚醒者でありながら異能を行使できる特異点。
バケモノを人類の進化先だと謳う新興宗教が生まれたのは彼女が原因だと迅は思っているが、本人のできた人格と性格から、誰も彼女を突き離す事はしなかった。勿論、迅も。
連絡を終えた迅は、隣で変わらず空を見上げていた野暮を見る。
「野暮さんはここで何をしているんです? 被害者は烽師が回収したのでしょう?」
「ええ。ただ、木端君を六郎君につけたので、私が余りました。その為、こうして隊長を護衛していました」
嘘だと言うのは簡単だ。しかし、それを言ったところで意味はないと言葉を飲み込んだ迅は、ため息も我慢して羽織りのポケットにスマートフォンを突っ込んだ。
「では野暮さんは、私と共に行動してもらいます」
「ええ勿論。複数人での行動が原則ですから」
言いつつ動こうとしない野暮を前に、迅はため息を吐く。しかし、動き出そうとしたその時、羽織りのポケットが振動した。
「やはり、今回の件は協会の手に余ったようですね」
野暮の呟きに首を傾げたが迅だったが、その意味を理解した瞬間、スマートフォンを取り出し通話に出た。
その顔には、焦燥と怒りが半々に入り混じっていた。
「第六、貝塚です」
『これはこれは、第六の大隊長、『貝塚』迅様』
キーキーと甲高い声がスピーカーから聞こえた瞬間、迅は爪が食い込み、血が滲む程に拳を握りしめた。
獣姓をわざわざ強調した通話相手に、殺意が湧いた。
「この一件、協会側の不手際ですか?」
『ええ、はい。日頃、関東地方の一部を守って下さる迅様にこのような事をお願いするのはとても心苦しいのですが——』
「用件だけ聞かせて下さい」
殺意が声に乗らないように、相手を攻撃しないようにと心を縛る迅は、平坦な声で通話相手の話を断ち切った。
『協会運営の監獄から、極悪な元祓人が逃げ出しまして、そいつが異能を使用して、都市部の住民を操っているのです』
「『脱走』なんですよね?」
『ええ、ええ勿論。今回の一件は協会も重く受けておりまして、今後はこのよう——』
通話終了のボタンを押下した迅の目には、確かな殺意が宿り、その一連を見ていた野暮は、楽しげに片方の口角を持ち上げていた。
「祓い屋が動いている。これ以上の増援は不要だ」
「では隊長、私たちは都市部の警護ですか? 祓人は野放しで?」
「いいや。祓人を拘束、能力を止める。一部隊員を集めてくれ」
「了解しました」
釘をクルクルと右手で回す野暮の顔にははっきりと楽しみが刻まれていた。
この人は、どこまで見透かしていたのやら。そんなことを考えながらも、迅の内には激しい怒りの雷が迸っていた。




