019 避難所へ
蟻の巣六層、研究区画を越えた玲司は、追走する午斑総司と共に、蟻の巣の出入り口がある一層を目指していた。
「苔の発動条件は?」
「時間差。あるいは、標的の特定のアクションだろう」
「特定の……個別指定依頼か?」
「おそらくは」
「随分限定的だな」
白衣を纏った陽に当たっていないのだろう肌の白い研究員たちの隙間を移動する二人は、それぞれに敵を探りつつ、互いの意見をぶつけていた。
元からこの層に居座る祓人はほとんどいない。そのおかげか、研究層に動く苔人間の姿は見えなかった。
時折見かける祓人に苔は見られず、バケモノの死体を運び入れている事から、外から帰ったばかりなのが分かる。
「俺は四層で弟子を探す。創瑚の事だから、闇市にいるはずだからな」
「俺は都市に出る。他の祓い屋と祓魔隊も、各々連携を取って避難所を探しているはずだ」
「都市部はどうする気だ? 蝗守って奴が外に出たなら、その辺苔だらけだろ」
「既に祓魔隊が、保護に動いているはずだ。放っておけ」
五層と四層を繋ぐ階段を飛び越え上層に入った玲司と総司は、そこで進路を変更した。
玲司は創瑚を探しに闇市へ。
総司は道幅の比較的広い路地裏を抜けて、闇市を回避するルートを取った。
入り組み、障害物の多い闇市を避けるのは、時間が限られている現状、賢い選択だと玲司も思った。
「創瑚、何処にいるんだ……」
闇市の誰かの遺品だったはずの商品をひっくり返して暴れる苔人間の頭を蹴り砕きながら、玲司は捜索を続けた。
蟻の巣二層、商店街エリアにて、創瑚は袖が六つに割いた右腕を振って、全身を深緑に茂らせた祓い屋を吹き飛ばしていた。
「水面さん! この人たち、何で手足が折れても平気そうな顔してるんですか!」
強風によって吹き飛ばされた祓人は、受け身も取らずに地面に叩きつけられる。その衝撃で手足は明後日の方へと曲がっているのに、バランスを取れずによろけながらも、平然と刀を振るって来る。その異常性に、創瑚は一つの可能性に行き着きながらも、それを否定した。
「多分、自我は残ってないんだと思う。楽にしてあげるしか、私たちにはできないよ」
「そんなのって…………」
「まだコレらを人と見ているんですか? 貴方が死にますよ」
悲し気にそういう水面とは反対に、補機の起動前までは小声で呟くだけだった枯園煉華は創瑚を睨みながら、背後の苔だらけの祓い屋を炎の渦に閉じ込め、灰塵へと変えていた。
「水面さん、もしかして枯園さんって……」
「見ての通り、鏡人患者だよ」
鏡板が日本の国籍を持つ全国民に配られ、しばらくした頃、一つの病気が発見された。
<鏡人格>
鏡に映る自分が、自分とは異なる人格を宿して話しかけて来ると言う症状から始まったこの病気は、日本全土で確認された。
特に多いのは、元の人格から百八十度、人格を反転させたものであることが多いという事で、二重人格の一種として国民に詳細は知らされていない。
(祓い屋の中にもいるって話だったけど、ここまで変わるんだ)
通常の鏡人格症状を抱える患者は、鏡を見た時にその人格と対面する。しかし補機を起動すると、その症状は鏡の中から飛び出し、元人格を鏡の中へと閉じ込めてしまう。
<焦砂>を起動した今、煉華の体を扱っているのは鏡の向こうの住人だ。故に、鏡合わせのこの世界の生命に頓着はなく、当人格の気の向くままに暴れる傾向がある。
(ここまで意思疎通ができる方が稀な気がするけど、水面さんが近くにいるからって事かな?)
ライター片手に火をつけた途端、煉華の周囲の空気は乾燥して指先にヒビが入った。
逆に水面は、趣味の読書を始めると読み終える頃には本は黴だらけになっているほど、周囲に湿気を放出している。
空気を乾燥させる副次効果を持った能力の煉華と、周囲を湿気らせ黴を生やす体質の水面は、見ている分にはバランスが取れているように見える。
(紙の本を平気で黴させる水面さんもどうかしてたけど、自壊前提で能力を使う枯園さんも大概だよ)
すぐ右横に迫っていた祓い屋の体を天井に叩きつけて地面へと自由落下させながら、創瑚は裂かれた袖を振って風をすぐに散らせた。
春一番は自衛に向いている。攻撃性はそこまでないが、相手の攻撃の軌道を外して、動きを鈍らせることができる。
戦闘経験の浅い創瑚は貴重な経験故に、苔に操られた祓い屋相手に、制御の範囲内で強弱をつけて試し撃つ。
絶命に至っていないとはいえ、祓人相手に躊躇いなく能力を行使する創瑚の、戦闘狂と研究職肌を感じさせる行動に、水面は玲司に任せた事を少し後悔していた。
「数は減らせたし先を急ごう。創瑚君を一層の門まで届ける。多分、玲司もそっちに向かってるはずだから、下るよりも合流しやすいはずだよ」
「水面さんたちは、一緒に避難所には向かわないんですか?」
「だって私、依頼受けてないし。言っとくけど、今のこれはただの自衛だからね」
「フリーランスにとって、協会なんてただの食堂ですから。無くなるなら、他所に移るだけです」
煉華の鏡人格は、百八十度程ではないにしても、結構反転していると創瑚は思った。
「貴方は貴方の仕事を。私たちは私たちの仕事を。ただそれだけです」
「そゆこと。んじゃあ、楽しい苔庭観光と行きますか!」
楽し気に水の斧を振る水面に続いて、創瑚は上層へと向かった。
蟻の巣四層の闇市内には、二十人前後の苔人間がいるだけで、創瑚の姿は確認できなかった。
店は何処もひっくり返り、店主が時々倒れている通路を進む玲司は一人考える。
(上の層に戻って戦ってる? だとしたら、他の祓人と一緒に動いてる可能性が高いか? なら、創瑚一人くらいなら生き残れる)
路地裏から飛び出して来た苔人間の首をへし折り絶命させた玲司は、目の前に広がる死体漁りの盗品であふれ返った通りを見てため息を吐いた。
(こんな状況でも死体漁りできるんだから、捕食型にだけは喰われそうにないな)
床に這いつくばって、自陣から離れた他所の店に置かれていただろう盗品をせしめる死体漁りたちが、互いに盗品の奪い合いに精を出していた。
創瑚がいない事を確認した玲司は、三層の苔人間の死体だらけの居住区を駆け抜け、二層の商店区へと移動した。
階段を抜けて二層に入ってすぐ、拡張された玲司の五感が、他の層にはなかった湿気を感じ取った。
「水面が来てたのか。建物が残ってるって事は、かなり手を抜いてるな」
全身を水浸しにした焼死体を前に、玲司は鼻を覆った。
「こっちの火元は、弟子の煉華とかって名前の子か」
前回連絡を取った時、水面は上機嫌で煉華の存在を玲司と迅に話していた。
その時に軽く聞いたが、鏡人格ながらまともに戦えるのは貴重だ。
「——っと、生きてる奴もまだいたのか」
視界の端で動くものがいて、そちらを見れば突然ナイフが飛んできた。
刃先は緑の苔に覆われ、切れ味などほとんど残っていなさそうなサバイバルナイフは、玲司の顔から横に数ミリズレた位置を飛びガラスを砕いた。
ここに来るまでに、苔人間には二つのタイプがいる事が分かっている。
一つは武器まで苔に覆われたタイプ。これに攻撃されて傷を受けると、傷から苔の胞子が侵入して自身も苔人間にされる。
もう一つは、そうして作られた被感染者のタイプ。
こちらは武器はそのままに、苔は体全体を覆うに留まっている。そして、傷を受けても苔は広がらないらしい。
両タイプ、生物を無差別に攻撃している節があり、襲撃に関しては知性を感じない。
これらの事から、蝗守が植え付けた個体が感染源となり、被感染者の苔人間は自動で増え、蝗守の手が及んでいない可能性が高いと考えられる。
(つまりは助けられる可能性があるわけだが、水面はその辺考えないからな)
高所から落ちたのか、両足と右腕が明後日の方向へとひしゃげた苔人間を前に、玲司はためらいなく頭を踏み潰す。
厄介なのは、どちらのタイプも痛覚を失っているらしく、足が折れた程度では諦めず肉薄してくる事と、間合いの取り方や攻撃のタイミングのずらし方については、生前の実力のある祓い屋のそれである事だ。
助けられる者がいたとしても、それを判別して手を抜くなど、この状況では自殺行為だった。
「ったく、祓い屋は万年人手不足なんだ。こんなところで浪費させてくれるなっての」
結果、水面のように、来るモノは敵として屠るのが正しいのかもしれないとも玲司は考える。
しかし、これでは面倒な依頼が増えるだろと愚痴る玲司は、緑の眼光で尾を引き、新たに通りの角から深緑に染まったその体を晒した祓い屋の頭を通りがけに引き抜いた。
片目が完全に苔に変わり、顔の半分が緑に染まったその頭を通りに投げ捨てながら、勢いを殺さずに駆け抜ける。
一層は常に静かで、事務作業をこなす協会職員が数人いるだけだが、今は窓口の全てにシャッターが落とされ、人の気配を向こう側から感じることはできなかった。だが、誰もいないわけではない。
大きな駅構内のような、円形に開けたメインエントランスにいたのは、水で幾何学模様を作った雨具を被った背の低い少女のような祓い屋と、中性的で背が高く、乾燥で頬にひびが入った祓い屋の弟子が、創瑚の傍に立って待っていた。
「七分も待たされるとはね。随分鈍ったんじゃない?」
「馬鹿言うな。こちとら、こびり付いた苔を綺麗に掃除しながら来てんだよ」
水面の挑発を軽くいなしながら、玲司は、右腕の袖を六枚に割き、機械仕掛けの龍を模した仮面を被る弟子へと視線を向けた。
「怪我はないか?」
「大丈夫。だから行こう。情報屋の人が危ない」
他に祓い屋の姿は見えない。もう向かっているのだろうと結論付けた玲司は一つ頷くと、再度水面へと視線を移す。
「私は行かないよ」
「分かってる。創瑚を守ってくれたこと、一応礼言っとくべきだろ?」
「フンッ! ポチ君、コイツの弟子が嫌になったらいつでも言うんだよ。お姉さんが、フリーランスのいい稼ぎ方、教えてあげるから」
玲司の言葉を聞き流した水面は、創瑚を見てにっこり笑った。
「迅さんにも、同じようなことを言われました」
「そんだけコイツが、信用できないってことだよ」
「おい」
玲司の言葉など聞こえないとでも言う態度の水面に、玲司は突っかかる。しかし、そんな暇はないと創瑚は玲司の裾を引き別れを告げた。
「では水面さん、また今度。その、枯園さんも……」
煉華の顔をそろそろと見上げる創瑚に、鏡人格の煉華は、冷ややかな眼差しで見下ろし返す。
「煉華で結構です」
「…………はい?」
言われた意味が理解できなかった創瑚は、玲司を引くのも忘れてその場で固まった。
「少なくとも、私の核はそう思っています。では、さようなら」
一方的に会話を切られた創瑚は、蟻の巣の下層へと戻る二人の高低差の激しい背中を見送りつつ、その場から動けなくなっていた。
「創瑚どうした? さっさと行くんじゃなかったのか?」
完全に停止した弟子を半眼で見下ろす玲司は一つため息を吐き、逆にパーカーのフードを掴んで引きずり始めた。
各都市部には、祓い屋協会の本部<蟻の巣>への出入り口が幾つか設けられている。
玲司の事務所がある銀河原通り商店街から徒歩五分圏内に、その一つがあった。
富士荒山神社は、街中に建てられたこの辺りでは一番大きな神社で、祓い屋協会の本部<蟻の巣>に続く『門』を保管している祓い屋の施設でもある。
大通りに面した正面広場は石畳が敷かれ、日曜日にはフリーマーケットなどが開催されていたりする。
「神社から避難所までは徒歩だと一時間ぐらいかかる。バイクでも半分ぐらいだ。だから飛ぶ。いいな?」
ようやく現実に意識を戻した創瑚へと、玲司は門へと続く一本道を歩きながら指示を下す。
「まさか、僕の風に乗ろうってそう言う事?」
「できるだろ」
「まあ、一応……」
能力の制御も応用も、実戦経験の少ない創瑚には粗がある。だからこそ、使える時には使って覚えさせる。
玲司の教育方針は、基本、現場実践だ。
「重ね着、越冬渡り鳥」
左腕の袖が六枚、フード下から背中にかけて、二枚の羽が開かれた創瑚は、風を自身と玲司に二層巻き付け、空へと両足を離した。
一層は、外気温による体温低下を防ぐ保護層。
二層は、保護層の上から体を持ち上げ、空を自由に移動するための風の渦を形成する。
「ここから真っ直ぐ門目掛けて前進。神社は人の目が付かないよう加速と上昇を並行してやれ」
「りょ、了解!」
左右の袖羽根でバランスをとりつつ、背中に開いた羽を大きく振って、創瑚と玲司の体は中空へと溶けた。




