017 弟子同士の緊急デート〜苔人間を添えて〜
蟻の巣二層、飲食店通りから離れてファッション雑貨を取り扱う店の通りに出た創瑚は、一歩後ろを歩く背の高い女性を仰ぎ見た。
一見男性にも見えるらしい顔立ちの麗人、枯園煉華は、生気を感じない灰黄色の瞳を俯きがちに歩いている。
長身の背丈から伏せたその視界に、創瑚の黒曜石の瞳が入っているらしく、ほんの少し右に寄っていた。
(目を合わせたくない。と……どうしよう、この人に訊いたほうが、水面さんの好みとか分かりそうなのに)
一緒に活動していた頃は、猫や犬など抱き上げられる大きさの動物が好きだった。しかし時間が流れた今、どれだけ好みに変化が起きているのかは未知数だった。
「あの、枯園さん……」
視線を前に戻して名前を呼んだが無反応で、こちらの声が聞こえているのかも分からなかった。
(どうしよう……すっごくめんどくさい。もういっそ、食べ物でも買っていけば良いかな。水面さん、よく食べるし)
だとすれば、今いる通りからまた離れなければいけないが、その確認を背後の麗人にするべきかでまた創瑚は悩み出した。
ウンウン唸り、首を左右に傾げながら歩き続ける事三分、ついに創瑚は動いた。
「あの、枯園さん。このままじゃ戻れないので、何かお菓子でも買って行きませんか?」
振り返り、煉華を正面から見上げた創瑚はそこでようやく、煉華がこちらに手を伸ばしかけていたことに気づいた。
「……えっと?」
「さっき、私のこと呼んでた、から」
聞き逃しそうなほどの小声で紡がれた言葉に、創瑚は最初首を捻ったが、すぐにさっき名前を呼んだことを思い返し、その返事をしようとしていた事を理解した。
「えっと、その……なんかすいません」
「私のせい、だから……」
気まずそうに視線を外す煉華の顔を見た創瑚は、事務所で玲司がそうしているように、愛想笑いを貼り付け、つい先ほどまで悩んでいた事を口にした。
そうしなければ、この気まずい空気が続いてしまいそうで、そちらの方が危険だと判断した結果だった。
「水面さんって、何が好きか知ってます? 食べ物でも、アクセサリーとか服とか、何でもいいんです」
頬が痙攣しそうになるのを、何とかこらえながら訊いた創瑚に、煉華は驚いたように瞳を丸くした。
「知り合い、だったんじゃ?」
「まあ、二年くらい前までは一緒に暮らしてましたけど、人の好みって、結構コロコロ変わりません?」
曖昧に首を傾げながらも、コクコクと小さく縦に振る煉華を見上げていた創瑚は、ふとハンバーガーショップで煉華がお金を受け取っていた事を思い出した。
「さっきお金貰ってましたけど、どれくらいか確認しました?」
今度は首を横にフルフルと振る。背中にまで伸びた真直ぐな黒髪が、肩から胸へと流れた。
線の細い体ながら、玲司のように日々のトレーニングで鍛えられたその体躯は、女性らしさはないがバランスが良い。
創瑚は素直に驚き、称賛の念を抱いた。
(綺麗な体。筋肉と脂の分量は健康体そのもの。というより、アスリートって感じかな。肌は白いけど、病気とかの白さじゃなくて日焼けしてないだけの白さ。もし協会所属なら、朱歌さんと並んでファンが付きそう)
そんな視線に、気まずそうに胸の前で両腕を強く抱いた煉華が、顔を青白くして体を横に向ける。
「ん? どうしました?」
「し、視線、が…………ちょっと」
「あっ、すみません。とてもバランスが良くてきれいだったので」
「そ、そうですか……これ、お金です」
ポケットから出されたのは、十枚ほどのお札だった。
(今の時代、これだけの大金を平気で渡せる祓い屋は、多分水面さんぐらいだろうなぁ)
「それと……多分、お菓子で大丈夫です」
店に売っているお菓子を一巡買って帰る事が可能なだけの金額が、煉華の掌に納まっている。
(とりあえず、ここから移動して食べ物エリアに行かなきゃかな)
視線を通りの向こうに変えて道順を頭に浮かばせた創瑚は、そこで蟻の巣内の異変に気が付いた。
「あれ? 他の人たちは?」
この通りは比較的通行量が多く、煉華を見る前までは視界に三十人前後が映っていた。それが今は誰もいなくなり、閑散とした空間が広がっているばかりになっていた。
(なにかあった? だとすれば逆に騒がしくなるはずだけど……まさか他の階層?)
一瞬の思考の後、創瑚は即座に決断を下し、煉華の手を掴んだ。
「ヒッ!」
短く悲鳴を上げた煉華を無視して、創瑚は端的、かつ的確な言葉で煉華に目的地を告げる。
「水面さんの所へ」
「は、はい……」
二人が離れたその通りには数分後、全身を深緑に染めた祓人たちで溢れ返った。
「水面さん!」
ハンバーガーショップでのんびりドリンクのお代わりをしていたらしい低身長のお姉さんは、悠々と手を振り返した。
「おお、まさか手を繋ぐほどの仲になるとは。昨今の若人たちの手の速さには、お姉さん感心しないなぁ」
客どころか店員すらいなくなった店の中で、水面は唇を尖らせ、創瑚を見た。
「何言ってるんですか。巣の中の空気がおかしくなってたから引き返してきただけですよ」
「ま、そんなことだろうとは思っていたよ。しかし……」
面白くないなぁ、とストローを咥えて口の端で振る水面の態度に、創瑚は半眼になってため息を洩らした。
「とりあえず、ポチ君はその手を放してあげてほしいかな。じゃなきゃ、私の弟子が過呼吸で倒れちゃいそうだし」
「へ? 枯園さんが……わっ! す、すみません、気が付かなくて」
握られた自身の手を凝視していた煉華が、顔を真っ青にして肩で息をしていた。
対して、走っている時には気づかなかったが、産まれて初めて同い年の異性の手を握ったと、不思議な感触と熱が広がった自分の右手を見つめる創瑚が、完全に思考停止になって動かなくなった。
二人の祓い屋の弟子が行動不能になった傍らにいた水面は、ストローを吐き捨て、面白くなさそうに舌打ちする。
「青春を謳歌するのは勝手なんだけどね、お二人さん。どうも、招かれざる客がお越しになったみたいなんだわ。ホラ、戻ってこ~い」
席から立ち上がり正面の通りへと出た水面が、羽織っていた雨具のフードを、湿気で丸まり捩じれた髪の上に乗せた。
周囲の店は既に退避が住んでいるのか、通りに面したガラス張りの向こうに人影は感じられず、気配もなかった。
「あの人たち、なんだか様子が……」
ようやく思考が回復した創瑚が見たのは、水面が対峙する十七人ほどの全身を深緑に染めた人間だった。
「巣の中にいた祓い屋連中だ。これは、玲司が依頼を受けた元祓人の仕業だね」
先手を取られたんだ。そう言いながら、水面は無言で雨具型の鏡板装填補機を起動する。
白地の雨具に水滴が付着し、幾何学模様へと広がる。次いで、中空で水の玉が五つ、水面を中心に生成される。
水面は楽しげに口端を吊り上げ、浮かばせた水玉のその二つを肩の高さに持ち上げた両手に一つずつ乗せる。
「水面さん!」
本来、補機を起動するときに必要なのは、自身の鏡文字に結びついた異能と、作られた補機の特徴をすり合わせて自身の内側に落とし込む事だけだ。
そのイメージを固めるための起動宣言でもあるが、その他にももう一つ重要な理由があった。
「大丈夫だよ。知らないだろうけど、起動のタイムロスって案外馬鹿にできないくらい危険なんだ。フリーやってると分かる事だよ」
「だからって、そっちも危険ですよ。人間捨てる気ですか!」
フードの下で爛々と輝いた深海の眼を見返した創瑚は眉根を寄せるが、水面は正面の苔まみれの祓い屋へと視線を移した。
補機の起動時にその名を宣言するのは、己が人間であることを再確認し、一時的にその道を踏み外すと自分に言い聞かせるのが目的だ。
『私は、から人間を一時的に捨てる。だから、ここに戻れるように目印を立てる』
そう言った意味が込められている。これは子御木草壁が編み出した祓滅術にも言える事だ。
通常時に人に祓滅術を使うことがないよう、術名を口にすることで、自分は今、バケモノを祓っていると自覚させている。
祓い屋も祓魔隊も、人智を超えた力を扱うが為に、常に自分が人間であると意識しなければならない。それができなければ、自分が怪物へと成り果てるだけだ。
そして、無言で起動した今の水面は、その目印を取っ払って道なき道を直進する、一匹の獣に近い状態になる可能性が極めて高い。
「能登創瑚五級祓人、元一級祓人の丑海水面が補機の使用を許可する。自衛しろ」
「……っ、了解!」
無言起動を行った直後とは思えない自我の保持を見せた水面に驚いた創瑚だったが、許可を得た今、一人の祓人として動かなければいけないと、思考を切り替えた。
ウエストバックから取り出した機械仕掛けの龍を思わせる仮面を取り出し、額に押し当てる。
五級祓人は、師とする祓人が傍にいるか、四級以上の祓人の判断で許可を貰えない限りは補機を使用してはならない。
協会の掟である。
元一級祓人である水面が出した許可と、行動の制限は自衛のみ。率先して戦線に入る事は、今の創瑚にはできない。
「<機龍>起動!」
真っ暗闇の眼窩はそのままに、仮面から龍の唸り声を思わせる稼働音が鳴り響く。
体の内側を、無数の蛇が這いずる感覚が創瑚を襲った。
補機を起動するときの、身体強化の感覚だ。不快感は拭えないが、バケモノに骨を砕かれながら、右腕の半分を噛み千切られるよりはましだと言える。
「衣替え、春一番」
全身を巡った蛇は渦を巻き、創瑚の背骨を伝って緋山印のパーカーを内側から膨らませた。
蛇の奔流は右腕に集まり、隠されていたファスナーをこじ開け外へと飛び出した。
肘の少し上から差し色の青のラインに沿って開かれた右腕の袖は、創瑚の右腕に六枚に羽となって絡んで垂れる。
玲司が使用する機龍と、創瑚が使用する機流では異能が異なる。
「煉華、いつも通りバックアップは任せたよ」
創瑚に戦闘準備を確認した水面は、続けて自分の弟子へと視線を向けた。
「…………了解」
これまで囁き声程度にしか聞こえなかった煉華の声に、乾燥地帯の突風のような熱が含まれた。それに伴い、声の音程が二、三段低く威圧感が増す。
伏せがちだった視線は、真直ぐ前の祓い屋へと向けられ、その右手にはライターが握られていた。
「<焦砂>引火」
右手で火打石を擦り火花を散らせた煉華をの周囲に、火の手が上がった。
中空へと舞い上がる火の手は、煉華を囲うように火の渦へと姿を変えて火の蛇を形作る。
「さあ、祓滅作業に入りましょう」
口調にも変化が現れた煉華を横目に、創瑚は襲いかかってきた全身に苔を生やした祓い屋を突風で吹き飛ばす。
祓い屋がガラスを背中で砕く音を合図に、祓い屋同士の殺し合いは始まった。
迫る大勢の祓い屋を前に、両手の水球を合わせて体躯の二倍ほどの大きさの斧へと形を変えた水面が、フードの下で獰猛な笑みを浮かべた。




