016 雨の魔女
蟻の巣の一層は祓い屋の依頼窓口等、書類手続きをする事務作業層で、二層は商店街がどこまでも広がっている。
日本に出店しているブランドの飲食店から服飾など、多種多様な店が所狭しと並んぶこの階層は、蟻の巣で一番広い階層だと言われていたりする。
因みに、三層は宿舎となっていて、祓人だけでなく、祓魔師が寝泊まりしている。
「まだ玲司からの連絡もないし、どこかでコーヒーでも飲んじゃおうかな」
二層の商店階層にて、ウエストバックに三振りの短刀と一枚の補機を入れた創瑚は、その手に犬を模した仮面を持って二層を歩き回っていた。
トッ、トッ、トッ、とリズムよく足を前に出す創瑚は機嫌が良く、普段なら無視する飲食店を、一つ一つ眺めていた。
鹿毛の家紋を見てからすっかりコーヒーの口になった創瑚は、立ち並ぶ飲食店の中から、有名なハンバーガーショップを選択した。
時間的に、昼食にしてもいいくらいだったからだ。
「……玲司に言わずに買ったら、怒るかな」
ハンバーガーとコーヒーをトレイに乗せ、テーブルへと着いた創瑚は一人、心にもない事を呟いた。
鹿毛の家紋を見たくらいで、高級品の一つであるコーヒーを飲みたいと思うのは、少々軽率だったかと思いつつ、創瑚は苦みと酸味のバランスが丁度良い嗜好品を口にしながら、一時の休息を楽しんだ。
「あれ、ポチ君?」
コーヒーを堪能し、ハンバーガーに噛み付いていた創瑚の背中に、幼さの残る少女の声が飛んできた。
ハンバーガーを口にしたまま、創瑚は振り返る。
「ひなほふぁん?」
「ポチ君だ~。久しぶり~!」
そこには、湿気で飛び跳ね、捻れた髪を撫でつけながらトレイを片手に持つ命の恩人の一人、丑海水面が立っていた。
「——っん、お久しぶりです。確か、今は九州に行ってるはずじゃ?」
「そうそう、そうなのよ。祓い屋が極端に少なくて、辺り一面バケモノ畑だからって行ってやったのに。実際は、全っ然そんな事なかったのよ!」
自然と隣に腰かけ、ハンバーガーに嚙り付く彼女を見ていると、数年前の混乱期に戻ったかのようだった。
しかし、確かに数年の時間が経過している事を、今この場で物語っていた。
「そっちの女性は?」
「おお、流っ石ポチ君。煉華が女の子だって一発で見抜けるなんてね」
水面は、一人じゃなかった。
シャープな輪郭に、彫りの深い顔立ちに通った鼻筋。
上品さを感じる目鼻立ちと、普段からトレーニングを欠かさず行っているのだろう、スラリと伸びた体躯は確かに、一時世間を賑わせた男性アスリートを思わせた。
そんな、一見性別の分かりずらいらしい彼女は、水面の隣に腰掛けハンバーガーの乗ったトレイを見下ろし身じろぎ一つしない。
横から観察する創瑚の目には、自分と同い年ぐらいの女性にか見えなかった。
(見抜けるって、どこからどう見ても女性でしょ?)
湿気で跳ね返った水面とは正反対の、真直ぐ綺麗な黒髪が背中まで伸びている彼女は、間違いなく女性だ。
ただ、生気の無い灰黄色の瞳が特徴的で、不思議と創瑚の視線はそちらに向けられた。
「私の弟子だよ。ポチ君は、玲司に捕られちゃったから」
「別に気にしてないくせに」
確かにあの時はひと悶着あったが、それ以降、水面も迅も、創瑚が玲司の元で祓い屋を学んでいる事に強く言う事はなかった。
「あら、お姉さんに教えてほしかったのかな?」
にこにこと微笑み、テーブルに肘を突く水面だったが、背が低くて見た目も創瑚とほとんど変わらない年に見られる童顔で、全くお姉さんには見えない。
百五十五の創瑚と百四十の水面だが、その歳の差には七年の月日が詰め込まれている。バケモノが色濃く絡んだ、深くて重い月日だ。
そんな水面より、百六十前半ぐらいの背丈の弟子の方がよっぽどお姉さんに見えるのだから、水面の見た目には驚かされる。
再開に喜び、互いに現状を語り合う創瑚と水面。その二人の会話に一切興味を持たなかった水面の弟子——枯園煉華は、一人静かにハンバーガーを口にした。
「そう。それで創瑚君は蟻の巣に……」
「はい。依頼の内容は伏せられてはいましたけど、三級以上ってなると、大変なのかなって」
「そうだねぇ。今動かせる祓人の殆どは三級以上で、ぶっちゃけ四級って、明日には墓石の下で寝てるような奴らばっかりだからね」
水面の軽い口調に、確かにと頷く創瑚だったが、それでは何故と、疑問が浮かび上がった。
「じゃあ、何で玲司を呼んだのでしょう?」
「それは多分、脱走した元祓人が、玲司の担当してる都市部の側に潜伏してるからじゃないかな?」
さらっととんでもないことを言った水面に、創瑚は食いついた。
「それって、何処からの情報ですか?」
「それは秘密だよ。私はフリーランスだから、情報だって協会所属の奴らと違って重要な武器になるんだ」
「そう、ですね……」
協会に所属していれば、まずあぶれる事はない。協会から仕事を斡旋してもらえるからだ。その場合は報酬が七割に下がるが、個人で一般人から依頼を受ければ、褒賞で依頼人が支払った金額の半分を上乗せしてくれる。
個人で依頼人を受け入れる祓い屋が多いのにはそんな理由がある。
しかしフリーランスになれば、仕事が入ってくるのは不定期だし、協会からのフォローも求められない。更に、緋山家の装備だって、協会を挟めば三割で購入できるが、十割自分持ちになる。
土台の形成ができていないうちにフリーランスになれば、すぐに躓いてしまう。その辺りは、水面は上手かった。
身長がそんなに伸びず、装備の新調もそこまで必要ない遠距離攻撃が主軸の水面は、協会所属時代の旧式の装備で身を守り、町一つを水没させた武勇伝を一人歩きさせる事で、依頼がひっきりなしに飛び込んでくるようにしている。
恐ろしいのは、水面が広域殲滅が得意なだけという点だ。
専門であれば仕事の幅も狭まるが、水面の場合はただ得意というだけで、市街地戦の肉弾戦だって、バリバリこなす。
玲司も迅も、それぞれに居場所を見つけてそこから動かないのには、彼女の存在もあるのだろうと創瑚は見ていた。
「まあ、今回玲司に出された依頼ってのは、簡単に言えば協会に溜まってた膿がちょびっとだけ飛び出しただけの話なんだけどね」
「膿、ですか?」
「うん。この程度で周辺の都市部にいる祓人を集めるんだから、今も昔も変わらないバカさ加減にはいっそ称賛を送りたくなるね」
カラカラと笑う水面だが、その目には確かな嫌悪の色が浮かんでいた。
「私ちょっと席離れるね~」
突然表情を変えた水面は、短い足を地面につけると、トテトテと創瑚と煉華を残して離れた。
そんな水面の背中に、創瑚は問う。
「トイレですか?」
「ポチ君、大人のレディにそんな事を訊くんじゃあないよ」
「すみません」
「うむ。まあお姉さんは大人だし、気にしないであげよう。じゃあ、煉華と仲良くね」
話が終わったタイミングで、水面はどこかに姿を消した。
残されたのは、無口で生気の無い男性にも見えるらしい麗人の煉華との、沈黙の空間。
(こういう時って、何か話すのかな。仲良くって言ってたし……。でも、話が好きなわけじゃなさそうだし)
創瑚も煉華も何も言わず、目の前のハンバーガーを平らげ、無言で店前の通りを眺めていた。
蟻の巣にいるのは、一部の店舗を除いて、全員が覚醒者だ。もっと正確に言えば、目の前の通りを歩いている人たちは全員、祓人か祓魔師を生業に生活している。
(大厄災で人がかなり減ったって聞くし、これだけ多く見えても、通行量は少ない方なんだろうな)
ぼんやりテーブルに頬杖を突き、創瑚は昔見た観光地を歩く、たくさんのお客さんが写った写真が重なる目の前の通りを眺めながらそんな事を考えた。
「もう少しさぁ、話をしてもいいと思うんですよ。同い年通しの若い祓い屋なんだし。お姉さん的に恋バナぐらいしてくれないかな~なんて思っていたんですよ」
トイレから戻って来た水面が、驚愕に目を見開いたのは言うまでもない。
同い年同士な上、祓い屋の弟子同士。共通項が多い二人だからこそ、コミュニケーションの場を設け仲良くさせようと考えていたらしいが、二人揃って無言でガラス張りの向こうに視線を向け、それぞれの空間を作っていればそれも当然だろう。
「すみません」
申し訳なくなり、創瑚は謝るが、水面の弟子は何も言わず、ただじっと向こうの通りを眺めていた。
「煉華も、少しは人と話しなさい」
名前を呼ばれた水面の弟子は、ゆったりと首だけ曲げて水面を視界に捉えた。そして、無言でこくこくと頷く。
「ホントに、分かっているんですかねぇ」
頬に指を押し当てる水面は、仕方がないとため息を吐く。
「じゃあこうしよう。今から、創瑚君と煉華で私へのプレゼントを買って来て」
「は?」
「……」
水面の突拍子もない提案に、創瑚は驚き、煉華は無言を貫いた。しかし、猛禽類のような鋭い瞳が更に細められ、拒絶を表していた。
「ホラホラ行った行った。私はここでのんびり待ってるから」
水面が煉華に数枚の札を握らせ席を立たせるのを横目に、創瑚はどうしたものかと外へ視線を逃した。
(玲司、まだ試験終わらないのかな……)
この時、久頭玲司と午斑総司の戦闘が始まり、丁度銃口が二人に向けられた頃だった。




