014 本部襲撃
個別指名依頼とは、祓い屋協会に所属している祓人の等級に見合った仕事を協会から提示される依頼形式の任務である。
これを無視、及び辞退した場合、祓人は一級分降格となる。
合計二級分降格した場合、即刻鏡板、補機を回収の上、身柄を拘束される。
『九頭玲司四級祓人へ
協会本部蟻の巣の八層にて、昇級試験を受ける事。
昇級の後、担当都市部近辺にある非認可の避難所の危険を祓い除ける事
当依頼は、多数の祓人、祓魔師も動くので、現場にて協力する事
以上』
初代祓人、子御木草壁の妻が展開した結界の広さは、日本と同等と言われている。
そんな結界の中に建造された協会本部<蟻の巣>の八層、古代ローマのコロッセオに似た円形の試験室の真ん中で、玲司は一人立っていた。
血化粧で彩られた試験室の床は、天井から降り注ぐ陽光に照らされ、鉄臭さを放ち、周囲に広がった殺気にも似た刺々しい空気と混ざり合って不快感が湧いて来る。
円形に広がった会場内を見渡し、気配を探る玲司の背後、天井やバルコニー席からの光によって色濃く縫い付けられた背後に伸びる影が、モゾリと動いた。
影からバスケットボールほどのしこりが生まれ、それは地面から突き出て盛り上がる。
玲司の脳が、影操作系だと判断したのと同時に、玲司の左踵がその球体を回し蹴りで壁まで吹き飛ばした。
「動きが遅い。次!」
これで百二十二人目。そう脳内でカウントが一増えたところで、玲司の理性が返って来た。
(俺、こんなところで何やってんだ?)
協会から個別指名依頼を受けた玲司は、その日から三日間、協会の本部<蟻の巣>の中で過ごす事となっていた。その間、飲まず食わずに、寝ずを加えた三拍子の過負荷状態で、ただひたすら祓人を半殺しにし続けている。
「ああ、腹減ったな……」
混乱期には五日間寝ずに走り回っていたこともある玲司には、現状まだまだ体力が有り余っていたが、空腹はやはり思考を鈍らせると、乾パン口に放り込みながらバケモノを祓っていた頃を思い返した。
「さっさと来てくれ。腹減って死にそうなんだ」
生身で百人以上を返したのだから、いい加減合格通告して終わってもいいだろうと毒吐く脳の片隅に、以前の昇格試験時の不祥事があるからと、冷静に分析する自分がいる事に苛立ちを感じた。
「次」
コロッセオを思わせる試験会場の外縁には観戦席が波状型に敷かれ、陽光とは別の光源を最上段とバルコニー席から下ろす。
顔を隠した逆光の人影はそのバルコニー席からまばらに席に着き、こちらを見下ろしていた。
そんな眩しい上座から、四十代の中年男の脂ぎった声が響いた。
目視で分かるだけで八人。会場を囲うようにバラバラに腰掛けるそれらの身元は、簡単に想像がついた。
昇級試験官と協会上層部だ。
有権者のたった一言で、玲司の昇級試験は継続される。しかし、これをする意味の無さに、玲司の怒りはふつふつと内側から血管内の血流を加速させる。
「流石は戦鬼と呼ばれ恐れられる祓人だな」
少し触れれば割れそうな風船のように怒りが膨らんだ玲司に、百人を超える血で赤く染まった床を革靴で叩き、進み近づいてくる者がいた。
身長は百七十後半ぐらいで、ネクタイを綺麗な三角に結び首元まで締め上げたスーツ姿。
右目は白で、左目が茶褐色なことを除けば、完全に特徴を失った前時代の社会人だった。
だが、今は時代が違う。
見た目は二十代後半で、その歳の社会人はまずネクタイなど結べない。
玲司は別方向に驚いていた。
「だが、審査官が見たいのは補機を起動したお前の力だ。生身でいくら三級祓人を転がそうが試験は続くぞ」
鋭い眼光ながら、目元の輪郭は柔らかな印象を受ける丸を描くこの顔を、玲司はどこかで見たことがある気がした。
「なあアンタ、もしかしなくてもお爺ちゃん子か?」
玲司の質問には答えず、切れ長の眉を不機嫌そうに片方を吊り上げただけの男は、片手をズボンのポケットに入れて玲司を見下ろす。
今の時代、成人男性の平均身長は百六十前半だ。それを考えれば、目の前の男は時間遡行でもして来たかのような長身で、ある意味人間離れして見えた。
「お前の担当都市の隣の荒廃地帯に非公認の避難所があり、そこに元準二級祓人の蝗守源氏が潜伏している事が判明した。お前にも、蝗守の捕獲と避難所の縛解体作戦に参加してもらう。その為の個別指名依頼で、その為の昇格試験だ。分かったか? なら、本気で来い」
勝手に話を進める男を前に、玲司は苛立ちを感じた。が、耳にしたその名前には覚えがあった。
「蝗守? 弟子がバケモノを産んだとかいう男か?」
依頼人の個人情報を読もうと思った時に記憶から掘り起こされた、半覚者の弟子から捕食型のバケモノが産まれた事で、ここ蟻の巣を危険に晒した男の名前だった。
子御木の妻が作り出した結界は、外からの攻撃に対しては完全防御、内側からの攻撃に関しては反射させる結界だった為、この時の事件は大きな問題となって、祓い屋だけでなく祓魔隊にまで報告が行くほどだった。
「そうだ。その元二級祓人が、元準一級祓人鴻上翔を連れて脱獄した」
「鴻上? 準一級なら、そっちの方が等級は上だろ。なんでそいつが蝗守に命令されてるって分かるんだ?」
祓い屋には、まともな人間は少ない。
等級がどうと言う祓人は少なく、自身の力が相手を上回っていればそれが全てだという者ばかりだ。だとして、自身の方が上の等級を持っている鴻上という男が、おとなしく蝗守の話を聞くはずがないと玲司は考えた。
「蝗守の鏡文字が書き換わり、洗脳や隷属に特化した異能へと変質したからだ」
「…………投獄されてる奴は、鏡板を持てないはずだろ。なんで文字の変質なんて分かったんだよ」
「脱走時、奴が異能を行使しているのを目撃した職員がいたからだ」
依然表情を変えずに説明するスーツの男は、丁寧ながらも言葉の端々に冷徹さを滲ませていた。
対して、淡々と告げられた蟻の巣での不祥事を聞き、玲司は一つの結論へと結びつける。
「看守の不祥事ってより、協会上層部の手引きってのが妥当か」
その視線は、今も上から悠々と見下ろす逆光の数人に向けられた。
黒い人影のいくつかの肩が揺れたのを、玲司は見逃さなかった。
「どうせ、政治家との違法賭博の負けやら、横流しした未調整補機の責任から逃れようって魂胆で、その蝗守とかいう男に、鏡板と補機を与えたんだろ。馬鹿じゃねえの」
上層部が使えない連中であるなど、百も承知している。それでもこの組織に居座り続けているのは、単純に情報の仕入れやすさがフリーランスと比べて段違いだからだ。
ただ一つのアドを活用して情報収集だけを命じて、自分たちはおとなしく豪奢な椅子にその肥え太った駄肉の塊を乗せていろと言うのが、玲司の個人的見解だった。
そして、それすらできない無能以下の上層部によって、現状最も無意味な昇格試験を受験させられている。
必要のないはずの昇級試験をこうして急遽敢行しているのは、単純に見栄えの問題なのだ。
自分たちの不祥事を隠し、脱走した実力者の元祓人を自分の配下の祓人たちが被害が出る前に抑えた。そう話せば、世間体が良いとでも考えているのだろう。
でなければ、依頼が入った時点で断れない個別指名の依頼内容に、三級への昇格などと追記したりしない。
玲司の中で、怒りが最高潮に達しようとしていた。
「お前らの尻拭いをするために、各都市部から数少ない本物の祓人かき集めて、一人の祓人と逃げ場のない避難民をこの世から葬ろうって話だろ。っざけんな! そういう面倒事はてめぇらが勝手にやってろよ!」
「確かに、俺もあの無能連中にはため息しか出ない同感だ。しかし、それ以外は全くの間違いだ」
スーツの男はそう言って、左手首に巻かれていた腕時計を外した。
社会人が好んで付ける<ブルー・マンデ―>の創業二十五周年記念の限定時計だった。
よく磨かれ金属特有の光沢を見せる銀のフレームに、藍色の文字盤が綺麗に光を反射する時計は、ポケットから取り出した衝撃吸収の小物入れへと大切そうに入れられる。
(若いくせに、随分渋い趣味してんな。……こいつ絶対、お爺ちゃん子だ。間違いない)
「あの男は、もう人間ではない。そして、国の庇護に胡坐を描き、強奪を繰り返す屑どもを気に掛ける必要もない」
怒りに満ちた男の顔を見て、玲司もウエストバックから<戦鬼>を取り出した。
「お前のその顔……そうか、思い出した。午斑の人間だな」
人好みしそうな人相に、不釣り合いな仄暗い感情を貼り付かせて崩したその顔は、銀月道で見た若い祓魔師の顔とそっくりだった。
それと同時に理解する。あの若い祓魔師が、何故あそこまで祓い屋を嫌っていたのかを。
(直系の正当後継者が、祓い屋に身を堕としたからか)
バケモノが人々を道から外そうと、闇の中から手招いていた時代。
日陰にその身を落とし、陽光を浴びる事を諦めた者が十二家あった。
人からの称賛も、勝利の褒賞も求めず、ただひたすらにバケモノを狩り続ける彼らに、世界は獣の名を授けた。古墳時代前後からこの島国に入って来たと考えられる逸話から取った、十二の獣の名だ。
バケモノを狩る獣と化した彼らは、後に『守人』と呼ばれる祓人の祖となる。
(そりゃあ、恨みもするよな。こいつのせいで、よく知りもしない本家の奴らと、家族ごっこさせられてんだから)
守人の十二家は半世紀より少し短いくらい昔、『落陽時代』と呼ばれることとなった時代の初めに、その姿を陽の下に晒した。それ以来、ずっと祓魔隊の大隊長を担って来た。
しかし時代が進み、一般家庭から育った、たった一人の異質な存在によって、静かに流れていたこの清流はいとも簡単に氾濫を起こした。
結果、人手不足に陥ってい祓魔隊は部隊数を半分の六部隊に縮小、大隊長を務めていた守人は、さらに半分の三人に減少した。
残りの九家のうち、四家は祓い屋に鞍を替え、五家は絶滅したと考えられている。
そんな鞍替え家の正統後継者が、玲司の前に立つスーツの男、午斑総司だった。
「だとしてどうした? 俺はここにいる。ここで祓人を祓滅する祓い屋になった。必要事項はそれだけだ」
ビリビリと殺気立った男は、レッグバックから一枚の仮面を取り出した。
鼻面の長い、白地に色褪せた金の斑が目立つ馬の仮面——午斑家に伝わる鏡板装填補機<騏驎>だった。
怒りからか、それとも別の感情からか、男が補機を握るその手は震えていた。
これ以上の雑談する気はないだろう総司と、怒りが最高潮に達した玲司が、仮面を額に当てて同時に宣言する。
「<騏驎>蹄離」
「<戦鬼>起動!」
昇級試験は、互いの仮面に魂の色を浮かばせたことで再開された。
緑の流線と、白と茶褐色の混色がぶつかり合う。
「子御木蹴術、三前趾足!」
蹴術最速の三連撃の初撃を、総司は片手で受け止めた。
「なっ——!」
「遅い。軽い。何故、手を抜く?」
総司の言葉に玲司は息を飲み、一歩離れた。その空間を身じろぎにも等しい少ない挙動で埋めた男が、右手を握り玲司の腹部へと押し込んだ。
「斑一閃<破>」
当てられた拳から広がった衝撃が、玲司の体内を駆け巡り拳へと収束する。
この間、僅かコンマ一秒以下。
一度放出された衝撃を再収束させた拳に、総司は力を重ねて玲司を殴り飛ばす。
その衝撃が二倍以上に膨れ上がり、玲司の肉体は試験会場の外縁へと吹き飛ばされた。
(衝撃の重ね掛け。それも全力じゃない一発でここまで……)
壁を支えに立ち上がった玲司の右足は、衝撃を逃しきれず震えていた。
「俺が死ぬとでも思っているのか? 前の昇級試験官のように」
動きを止める玲司に、総司は仮面の下に嘲笑を浮かばせた。
「舐めるな。これでも獣の血を引く一族の後継だ」
「だっ、たら……こんなとこで、歳下虐めてないで、家に帰ったら、どうだ? ……分家の長男の、名前を変えてまで下に敷いて、家族ごっこなんて、バカやってないで、さ」
「俺は協会直属の祓い屋になってからは、家に帰っていない。悪いが、分家の引き取りについては無関係だ」
無関係だと言いつつも、その声が、息使いが、視線や握った拳が、玲司の話がもし本当だとしたらと仮定した先の景色に、怒りを覚えているのが伝わった。
「の割には、随分動揺してんな」
壁から会場の中心までは、悠に五十メートルは離れている。その距離を瞬き一回にも満たない時間で詰めた玲司の右足が、総司の脇腹を捉えた。
筋肉の内側で肉体を支えている骨の硬さを感じる右足を振り抜き、勢いを体に移した玲司は体を捻り、左足で追撃を加えた。
「多少はやる気になったか?」
しかし、総司は防御を取らずに玲司の攻撃を受て、数歩後ろに下がった程度で、即座に反撃に転じた。
地面に着地した玲司の胴体を掴み、引き寄せる総司は腰を落とし、空いたもう一方の拳を地面スレスレから振り上げ、鳩尾へと突き刺す。
衝撃は二重に玲司の体を襲う。
殴り飛ばされた玲司は会場の床を二、三度弾んで壁に激突して停止した。
「あぁあ、クッソ! 痛ぇだろうが。本気で潰してやるから、後悔しても知らねえぞ!」
「三流の子悪党みたいな台詞だな」
腰の痛みを片手で抑えて立ち上がった玲司は、守人の厄介さに心の中でため息を洩らした。
(クソめんどくさいな。どうしてこんな事までして、面倒な仕事を回されなきゃいけないんだ)
足に力が入るかを確認し、体に絡まる土煙を吹き飛ばして、人間の認識機能を越える速度で特攻を仕掛けた。
「子御木蹴術、辰道快晴!」
玲司の飛び蹴りを片手で受け止めた総司に、玲司は中空で回転してもう一方の足で追撃を加え、数歩後ろに下がらせる。
地上に戻った玲司は、後ろによろけた総司の空いた胴へと、体を半回転させて左足で回し蹴りを放つ。
総司はギリギリのところで両腕を交差させて、初めて防御の構えを取りそれを防いだ。が、玲司は左足を抜き切る前に爪先の向きを変えて、交差した両腕を足場に体を中空へと持ち上げる。
「悪いが、本気で相手したら死にそうなんでな。これで試験は終わりだ」
振り上げた右足に、重力を上乗せして、総司の馬面目掛けて振り下ろした。
もしこの時、外部から邪魔が入らなければ、総司は倒れ、昇級試験は幕を下ろしていた。玲司は何度思い返しても、その結果を見ていた。
会場中に響いた三回の破裂音。次いで、何か重量物が倒れる音。
それらを耳に入れた玲司は、咄嗟に振り下ろしていた右足の力を抜いて体を捻った。
拡張された感覚から警告が発せられた。
自身に迫る脅威を感じ取った玲司の目が仮面越しに捉えたのは、細かい棘がびっしり毛羽立った深緑の円錐台形の物体は、火山口を思わせる、中央が沈み、円形の周囲が盛り上がった先端をこちらに向けて飛来した。
荒廃した終末世界から針を失ったダーツでも拾ってくれば、きっとあんな風になっているのだろうと玲司は思った。
「何だ、これ……」
地上に戻った玲司と、自然体で上から見下ろす総司が視界にとらえたのは、それぞれに飛来し、玲司が躱して総司が叩き落とした、一発の銃弾だった。
当たれば貫通せずに、体内でさらなる傷を与えるだろう弾丸は、深緑の植物が貼り付き全体を覆っていて、命中すれば他にも厄介そうな被害を被るだろう覚醒者の能力を感じさせた。
真っ先に思い浮かぶのは、覚醒者の襲撃。その目的は……
(脱走した元祓人の奇襲。話で訊く限り、当たれば自我を失うってとこか)
そう思わない者など、きっとこの場にはいなかっただろう。会場中にざわめきが反響した。
八ミリの円錐台形の胴体にそれだけの情報を詰め込んだ一発の弾丸は、試験場外縁の観戦席の方から放たれた。視線を足元から外した二人の祓人は、飛んできた方を見て目を細めた。
観客席の上。逆光で見えづらいが、試験官の一人が腰掛けていたはずの場所にソレがいた。
「……そういえば訊き忘れてたけど、蝗守ってやつの能力って何? 洗脳系って、楽しくお話しする系か?」
「いいや。見ての通り『苔』による侵食だ」
互いに視線を合わせた瞬間、二人は試験会場の観客席へと飛び込み、縦横無尽に駆け回った。
二人の走った一歩後を、か細い炎に包まれた深緑の流線が襲う。壁も椅子も照明も破壊して襲い来る弾丸の嵐に、玲司の思考はさらに加速した。
(結界の効果は、外からの脅威を防ぎ、内からの攻撃を跳ね返す。つまり外からの侵入は不可能。ずっと中にいたってのか? だとすれば、アイツの避難所にいるっていう蝗守は一体誰だ?
苔の侵食。当たればこっちの体を奪ってどうこうの傀儡洗脳系。……って事はまさかアイツはっ!)
仮面のすぐ目の前を通り過ぎて行った苔弾に驚き、何かに躓いた玲司の元に銃弾の嵐が殺到した。
「死んだか?」
銃撃が止まり、周囲に静寂が訪れて数秒後、総司の冷酷な独り言が反響した。
銃撃を逃れた試験官と上層部は皆避難したようで、自身の命に危険が及んだ時の行動力の速さに、玲司も総司もため息が洩れた。
「……生きてたのか」
「当たり前だ。こんだけ分厚い防壁あれば、苔の塊なんか止められるっての」
破壊された椅子の間に体を押し込み、その上から元上層部の一人だった分厚い肉壁を支える玲司が、人間離れした膂力で、その横に大きく、厚みが人間の一・五倍の死体を持ち上げ襲撃者へと投擲した。
反撃の銃弾も、貫通力を落とした拡張弾頭に能力で苔を纏わせた、空気抵抗を完全無視した無理やりの急造品。
贅肉に恵まれた肉壁を貫通する事は不可能だと判断した玲司は、投擲した元上層部の一人の死体を盾に肉薄する。
試験会場を支配する銃声の中に、玲司の踏み込んだ足音が隠され、銃を乱射する襲撃者は近づく肉壁に視界を阻まれ、玲司の跳躍に気付かなかった。
上層部の遺体を巻き込んだ飛び蹴りによる奇襲は、玲司が想定していた以上に綺麗に決まった。
「こいつ、ホントに準一級か? 随分簡単に祓えたけど」
「お前、何処まで屑に身を堕とす気だ?」
観戦席の反対側から一足飛びで会場を飛び越えて背後に着地した総司は、仮面の下で半眼になって玲司を睨んだ。
「こうしなきゃ、お互い近づけなかっただろ。それに、俺が盾にする前にはもう死んでたし」
「だからって、人を何だと思ってる?」
「死ねばただの肉塊だ。人間もバケモノも、その辺の動物だってな」
大厄災後の混乱期をただひたすらバケモノの祓滅に費やしていた玲司は、いつの間にか人間として大切な何かを失っていた。
「んな事より、こいつだ。準一級の祓人、鴻上翔って奴だろ?」
肉壁にして体の前面を苔まみれにした遺体を蹴りどかした玲司は、その下敷きになって動きを止めた襲撃者の両腕を踏み砕いて言った。
その行動の躊躇いの無さに、形容しがたい恐怖を感じた総司だったが、気を失った祓人らしき全身苔人間の男を見ずに、首を横に振った。
「そいつは鴻上じゃない。鴻上の異能は飛翔だ。銃は使わない」
「じゃあ、こいつは?」
「蟻の巣にいた他の祓人だろう」
「って事は、本部の中は……」
「今頃、苔人間の襲撃で地獄と化しているだろうな」
翡翠の眼光と、白と茶褐色の混色を交わした二人の祓人は、同時に駆けだした。




