000-2 プロローグ(??)
思えば、変な事は、今朝から起きていた。
朝を告げる鶏の声がなかった。
三つ隣の金爺さんが、いつも連れているはずの牛を連れていなかった。
水車小屋の小僧が、小川で釣った魚を干していたはずの干物竿が、綺麗になっていた。
囲炉裏を腹の真ん前に置いて、俺は正面に座った僧侶もどきの兄ちゃんに茶を出す。
この男は、昼頃のお天道様が首を傾げる直前に、偶然この村を立ち寄ったらしい。
つまりはお客人と言うことだ。そんなお客人をこんなカビ臭ぇ古小屋の中で粗茶しか振る舞えないのは、さっき言った異変のせいだった。
異変と言えば大事のように聞こえるだろうが、これが実際、大事だった。
いや、大事なんてなまっちょろいもんじゃあねぇ。大大大大事だ。
一つ目の異変――前もって言っておくが、この村に起きた異変は二つだ――は、この古小屋の裏っ側に建てられたこの小屋五つ分の牛舎だ。自慢の牛小屋。
赤みのある松の木を、自分の手で一から組んで建てたそのでっけえ舎の中で、牛たちが飼い葉を食もうと柵から首を伸ばしてたんだ。
ああ? それのどこが異変かって? まあ落ち着け。そう焦りなさんな。
うちの牛たちは、飼い葉を食もうとしてたんだ。だが、一頭として食めた奴はいないかった。
何でかって? そりゃオメェ、口がなけりゃ食いもんは食えんだろうが。
そもそも、うちのかわっこい牛どもは、頭を無くしちまってたんだ。
無い頭で飼い葉を食もうとしてたんだが、真っ赤な血をよだれ見てぇに垂らしてやがってたんだ。おっかねぇだろ?
そいで次の異変はな、丸々と肥えた鶏たちよ。
村の広場に建てられた鶏舎の中で、ガキどもに飼い慣らされてた丸鶏どもが今日は寝坊したんだ。そんだから、俺は言ってやった訳よ。
「おいこの寝坊助ども。とっくにお天堂様は顔を出しとるだろうが」ってな。だが、そう怒鳴りつけても羽毛一枚動かしやがらなかった。
見れば、どいつもこいつもすやっすやだ。……寝てやがった。
さっき、羽毛一枚すら動かさなかったと言ったな。だがそりゃあ、正確じゃないんだな。正しくは、鳥肌の一片すら動かさなかった、だ。
あいつら、全身の羽を誰かに全部むしり取られて、凍え死んどった。
そんなこんなで、今日は朝から、村の中はとんでもなく騒がしかった。
永眠した鶏舎に、赤い唾液を垂らす牛舎が、一つや二つじゃなかったからな。
話し終え、俺は茶を一口啜った。目線はもちろん、目の前の僧侶らしき男に固定している。男はイグサを編んで作った笠(浪人笠って言うんだったか? 顔をすっぽり隠すあれだ)を取ろうともせず、正座したその姿勢のまま首を動かす事なく湯呑みを持ち上げた。
「して、拙僧に何を望む?」
とても低い声だった。熊が唸り声を上げたのかと思うほどだ。
「あんた、普通のお坊っさんじゃあないんだろ? だったらさ、あの、あれ。アレで、この村の異変を止めてはくれないかいね」
あれ、と指をくるくる回して空に円を描いてみせると、笠の向こうにあるであろう瞳が、その円の中心を凝視していた、気がする。
なんせ顔が見えないんだ。見えるのは、笠からはみ出した角張った顎先くらい。
まるで、自分の顔は顎先までしか無いとでも言うかのように、その笠の上は確認できないよう宵に隠されていた。
「…………」
沈黙を貫く男に、機嫌を損ねてしまったかと一歩引き(座敷に腰掛けているので身を引いただけだが)茶を一口啜って様子を伺う。
観察していて分かったのだが、この男はとても奇妙だった。いや、見た目自体が奇妙なのだが、そこではなく、この男、異様に背が高いのだ。
男の背にしている障子を計りにしてはっきり分かった。
小屋に入ってくる時には四尺二寸も無いくらいだったはずが、今目の前にすると、四尺八寸はあろうかと思う程大きく長くなっていた。
「承知した」
長い沈黙の後、男はただ一言、そう言った。
一瞬、鳥の囀りかと思う程の小さな声に、俺は聞き漏らしそうになって耳を男の方へと傾けた。
傾けると同時に、ん? と下顎を上に持ち上げ、口の中の空気を外に漏らしたような、声になり損なった音を吹き出した。
「この村の異変、拙僧が解決するとしよう」
そう言われて、ようやく俺は両手をあげて喜んだ。牛も鶏もいなくなってはこの村はやっていかれない。
有頂天と言ってもいいほど飛び跳ねていたこちらに、男は熊の唸り声で「その代わり」と言い足してきた。
「へい?」
両腕をまっすぐ上に、片膝を腹の辺りにまで持ち上げ喜んでいた俺は、男の追言に固まった。
「この村に住まう全員、この村から立ち退くことを約束してくだされ」
陽が沈み、夜の闇が静寂を連れて現れる頃、ソレは動き出す。
梟がホゥホゥと遠く離れた森の中で歌を口ずさむ。その声に合わせて、足元の蟋蟀も、りーりーりーと羽を擦り合わせて伴奏していた。
彼らの合唱を拝聴していると、頬を撫で去る秋の夜風も何やら、心を洗い流すような清らさを含んでいるように感じる。
「おい、何してんだ。さっさと奴を追っ払ってくれよ」
下草の揺れが体に伝播しているかのように震える小男が、腰を抜かしてひっくり返ったまま、こちらを仰ぎ見る。
虫の死骸のような体勢だ。
小男が指す奴とは、宵から未明の間だけ動く、神にも仏にも見放された異形の者たちの事だ。
全身の毛が抜けた猿のような容姿に、両腕を頭の上にまで伸ばしたソレは、弥次郎兵衛のように体を左右に振って村へと続く農道を進んでいる。
「案ずるな。アレらの扱いは、我らが心得ている。其方らは、己が身の身を案じていれば良い」
村の中に広がる蜘蛛の巣のような土道を、あの異形は長い足で歩き回る。もうここに自分の獲物がいないと分かるその時まで、そうしている気なのだろう。
村から一歩外れた茂みの中、青に茶が混じる草が足元でわさわさと風に煽られ揺れている。それらの音に足音を忍ばせ、多くの牛馬が通ってできた農道に出る。すると、頬を撫でる風に生物が焼けた生臭いものが乗せられていた。
鼻腔に絡まる嫌な臭いが脳を刺激し、昨日の夕方頃の出来事が、明々と瞼の裏に張り出された。
異変を振りまくソレが徘徊する小村擬きから、西に六里ほど離れた場所。そこには、良質な粘土が採れる小さな焼き物町がある。
商人が外から多く入って来ては、焼き物を仕入れて他所へ行く。私もそんな商人の馬車を護衛するという名目で、この町まで送ってもらった。
陽光が、真上から降り注がれる頃だった。
「そいじゃあ兄ちゃん、ここからは一人だってな」
商人のおじさんは、春先の河原の反射を思わせる瞳の輝きと、新芽を愛でるような透き通った笑みをこちらに向け、春風を感じさせる柔らかな声と共に手を振ってきた。
私は、無言で手を振ることでそれに応え別れた。
焼き物町の中心には、人の出入りが多い大きな商館がある。見事な海鼠壁がぐるりを囲っている大きな屋敷だ。
修行の身である私への用向きは、その建物の中に待っているらしい。
門扉の前には、左右に分かれて二人、番の者がこちらを見下ろし立っていた。
最初見た時は、族避けの案山子だと思った。
案山子だと思ったから、門を潜るべく身を晒した。すると、どうだろう。案山子はそれぞれの利き手に握りしめた一位の長杖をこちらに傾げて、道を塞いできたではないか。
驚き、左右の案山子を見上げれば、それぞれ目だけを動かし、こちらを見下ろしていた。
妖術の類かと思った。しかし、そんな突飛な考えよりも、より現実的でより確実な答が、柿の木から果実が地面に落ちるように、頭の頂点へ落ちてきた。
彼らは案山子ではない。全く同じ顔をした人間なのだ。そう気づき、私は一歩後退してから、複製された案山子にしか見えなかった二人の男を見た。
同じ衣に身を包み、その上には同じ形の頭が。そして顔には、これまた同じ目や鼻といった部品が埋め込まれていた。
よく見なければ、誰かの作品だと勘違いしても仕方のないほどに、彼らは似ていた。
要件は何か?
無言でいても、彼らのその目がこちらに詰問してくる。一歩たりとも動いていないのに、彼らの威圧が秋風に乗せられ、こちらの体を後ろへ後ろへと押して行く。
大きな館だ。邪な考えを働かせるものは後を絶たないのだろう。そんな族に時間を取られたくないとでも、この屋敷の主人は考えたに違いない。
複製の案山子番たちは、族対策に特化した訓練しているのがその雰囲気から分かった。
「私は、黒点の軽脚が一人。そちらの頭目の命に従い馳せ参じた。通していただきたい」
両手を胸の前で重ねて置き上体を傾ける。すると案山子番たちは、赤褐色の長杖を手元に寄せ道を開けてくれた。
秋風が、風向きを変えた。さっきまでは追い返そうとするように体の前面を押していた風が、今は背後から吹き抜ける。それはまるで、案山子の番たちにせき立てられているようで、私は自然と足早に門を潜った。
館の玄関はとても大きく、三十人は同時に靴を脱いで座敷に入り込むことができそうなほどだった。
「主は書斎にてお待ちです。こちらへ」
使用人らしき初老の女の言葉に従い、私は彼女の背について行く。
中庭に面した廊下を歩いていると、中庭の真ん中を陣取った池が、身内の水で陽光を反射させ、見事な色彩をその体躯に浮かばせた錦鯉をこちらに見せてきた。
思ったより長い廊下を、私は使用人の背を追いかけながら、面した襖越しに、内装やら中庭の景色を見ては、感嘆のため息や珍妙なものを見たと息を止めたりと、忙しくした。
「こちらでございます」
そういって扉を開いた使用人は、部屋の中にまでは入らずに、私が書斎に入ったのを確認すると、扉を閉じてどこかへ行ってしまった。
「よく来た、祓のお方。私がこの商館の主人を任されております」
館の主人から聞いた依頼とは、この焼き物町の近辺で盗賊が村おこしをしたので、その調査を頼みたいといった旨だった。
最初話を聞いた時、私は何故と首を傾げた。
見事に、斜角四十五度で傾げていたことだろう。
盗賊が村おこしをしたなど、規模は想像に難くない。そこでの生活も、手に取るように分かる。
盗人の村が、数日と持たない事も。だからこそ、聞かずにはいられなかった。
「その村には、何がいるのですか?」
館の最奥に置かれた書斎。そこに居座る主人は片眉を上げた。
齢を八十は超えているだろう老主人は、読書机に両肘をつき両手を組むと、その上に額を乗せた。だから、顔は見えなくなった。
尤も、顔など見る必要がないので、その姿勢に対して物申すようなことはしない。
「いるかもしらん。いないかもしらん。問題なのは、この町から何が持ち去られたかなのだ」
言葉が机に落ちて、それが跳ねてこちらの耳に飛び込んでくる。
「”持ち去られた”とは?」
「御鏡です。私が賜っていた御鏡が、持ち出されてしまった」
口を閉じることができなかった。
驚きの衝撃で、体が凍りついてしまった。
外はまだ秋に入ったばかりの風が、こちらの体の熱を冷ます程度で、霜が張るのは当分先といった季節頃だ。だのに、今この書斎の温度は、体感真冬の早朝よりも冷え切っていた。
「御影が、現れると?」
「…………そうならんことを祈っておる」
つまりは、まだ確認されていないだけで、既に現れている可能性は十分にあるということだ。
「早急に、回収して参ります」
「彼誰から黄昏の狭間を宴とす、御鏡の主神へ乞い願う」
猿のような異形の背後に迫った私は、懐から一枚の鏡板を取り出し、背骨が浮き出た土色の背中へと伸ばし、祝詞を紡ぐ。
「我、陽光を守り、光輪の結び目と賭す、石玉の声を聞き入れ給へ」
猿型の御影がこちらの存在に気づき、体の向きはそのままに、持ち上げていた両腕の両肩と肘を生物本来の稼働とは真逆に折り曲げ、振り下ろしてきた。
「現世にて、黒夜に身を晒す愚かな従者の道を歌い流し、情光にて、ささやかなる祝福を。漂光の盃から、慈悲深き生命の泉の一滴を」
掲げた御鏡に、御影の両腕が迫る。それよりも先に、こちらの祝詞は完成し、御鏡はその内側に宿した聖なる力を、迫る狂気へと解き放った。
朝日が登った。家畜が一匹もいなくなった寂れた建物達が――盗賊が作った村が、陽光を浴びる。しかしそこに住民の姿はなく、たった一人、笠を被り法衣を纏った修行僧のような男だけがぽつりと佇んでいた。
この村の十人の男からの依頼は達成した。しかし、元々の依頼は未だ完遂されていない。盗み出された御鏡を回収し、洗浄しなければ。また御影が現れてしまう。
「全く、なぜあの男は御鏡を渡すようなことをしたのか」
依頼を受けた時、商館の主が嘘を吐いている事には気づいていた。しかし、そんな事よりも、御鏡の回収が先だった。
館の主人はきっと今頃、他の仲間による制裁が入っている事だろう。
人のいなくなった村の建物の中を一つ一つ見て周り、一枚の鏡を探す。
<御鏡>それはかつて、この地の夜を支配していた異形から、人々を守るために神から授けられた神聖な物だと言われていた。
昔の人々は、これら神託の鏡を使用し、夜の闇を祓って来た。
しかし今は、神から賜った神聖遺物からも、宵を広げる異形が現れるようになった。これは、長年御鏡を使用し異形を祓って蓄積された異形の残滓だと言われている。
現在、御鏡を持つ祓は、御鏡から現れる異形——御影を祓う事を生業としている。
「それで、鏡は見つかったのか?」
焼き物街まで戻り商館を尋ねると、予想通り、同衆が案山子の門番と使用人、そして館の主人を捕らえていた。
「はい。私に村を助けるよう依頼して来た男の家にありました」
村を見つけた時に話しかけて来たあの子男。
茶を出されもてなされたあの家の箪笥に隠されていた。
「そうか。それはこちらで預かろう」
「はい。では、私は修行の旅を続けます」
これが、祓の仕事なのである。




