012 獅電来迎
廃校二棟の三階に上がった迅達は、心臓を締め付ける重圧を感じさせる気配と廊下の床、壁、天井を覆った深緑の苔を前に背筋を凍らせた。
「何スか、このバケモノは」
「苔を自在に操るってところか。おそらく、触れれば本体に情報が行くんだろうな」
部下の冷静な分析を肩耳に、迅は先頭を歩く。
迅、六郎、倫理の順に廊下を進む一行は、床に広げられた苔の絨毯を避けて奥へと進んだ。
二棟三階の最奥に置かれた『理科室』の札がかかった教室の前に到着した祓魔隊は、それぞれに構えて扉に近づいた。
「扉が苔で塞がってますね」
「隊長、こっからどうするんスか?」
「普通に入ればいいだろう」
苔むして固着したスライドドアを前に、迅は刀を肩の高さに構えた。
「へ?」
六郎が目を見開き固まるのを他所に、迅は廊下を踏み砕く勢いで右足を出し、刀を突き出した。
「隊長?!」
鋭い突きで扉を破壊した迅は、勢いそのままに理科室へと入る。その後に続いて、慌てた様子の六郎と倫理が順に突入した。
縦三列、横三列の合計九台の、蛇口の付いた長机が等間隔に並べられた理科室は全面深緑に染まり、そこだけ完全に荒廃後の終末世界の光景を見せていた。
ふかふかと柔らかな弾力が返ってくる足元を見て六郎は目を見開き、倫理は全方位からの攻撃を警戒して、デバイスを持つ手に力が入っていた。
「あれがバケモノの本体か」
刀の切っ先を理科室の中央へと向ける迅の声で、六郎もそちらに視線を向けた。
「毬藻っスか?」
「苔玉だ。苔と藻の違いも分からないのか」
「隊長、ご指示を!」
額を流れる汗をそのままにした倫理が、両手を細かく震わせながら叫んだ。
『誰ダ?』
そんな倫理の声に返事をしたのは迅ではなく、理科室中央で天井と床から盛り上がった苔の柱に支えられて中空に浮いた、成人男性ほどの大きさの苔玉だった。
「声?」
「バケモノが、喋った?」
迅が驚きに目を見開き、一歩下がった一の六郎は口を半開きに固まる。
「そんなわけあるか! 来るぞ!」
「二人は迎撃にだけ集中しろ!」
倫理の六郎に対する叫びに、迅の命令が重なった。
苔玉は、理科室の壁に広がった苔の一部を剥がして、いくつかの苔玉を形成すると、その緑の弾丸を六郎と倫理へと飛ばした。
補機を起動してなければ、二人は今頃体に穴をあけていただろう。それ程の速度で飛来する苔玉を、迅は一人冷静に切り落とす。
『邪魔、スルナ!』
「また喋った!」
「どうなってる。何なんだ、このバケモノは」
背中合わせで迫る苔玉の弾幕を迎撃する六郎と倫理は、耳元に届く男性の声と女性の声を何重にも合わせた混合声に驚いていた。
「惑わされるな。集中しろ!」
飛来する苔玉を切り払い、迅は本体へと肉薄する。しかし、数歩前に進めば緑の絨毯が捲れ上がって迅の行く手を阻み、その距離は一向に縮まらない。
『モウ少シ、ナンダ。邪魔、シナイデ、クレ!』
「悪いが無理だ。私の仕事は、お前たちバケモノを祓う事なのだから」
バケモノから発せられる混合音声に、迅は平坦な声を返して捲れ上がった苔の壁を貫通して飛んできた苔玉に弾かれ、教室の壁際まで退いた
標的の祓魔師が離れた事で、持ち上げた絨毯を敷き直した苔玉は、六郎と倫理の方へと攻撃の手を増やした。
「なっ!」
「しまった!」
深緑の塊が、球体を解き螺旋を描くと、一本の槍となって二人の祓魔師に迫る。
狙いは二人の心臓の位置で、同じ深緑が部屋の全体を覆っていたが為に、六郎も倫理も気付くのに一瞬遅れていた。
防御は間に合わない。回避は不可。そんな二人の方へと迅は体を倒した。
右手に握る刀を鞘へと納め、大きく吐き出した息と共に、その名を呼んだ。
「<獅電>来迎」
迅の声に呼応し、錆の浮いたその身を鞘の中から見せた刀身が、幾筋もの雷を放出した。
獣の咆哮のような音を発しながら、迅を中心に稲妻が渦を巻く。
迅の雰囲気が、殺気を放ち毛を逆立てた猛獣へと変わった事を、苔玉のバケモノは感知した。
六郎と倫理を狙っていた槍の先端を、肉薄する迅へと向け直し、他の苔玉や絨毯を捲り作った防壁を、迅の進路に殺到させた。
迫るバケモノの攻防の全てを迅の周囲に走る雷が焼き落とし、迅の足が床に触れた瞬間、元の教室の床が姿を見せて深緑の苔が焼き払われた。
「これが、『雷銘』の二つ名を持つ隊長の能力っスか……」
驚き固まる六郎を他所に、迅は刀を横薙ぎに振る。それだけで雷が理科室中の苔を焼き払い、苔玉は重力に従い落下し、理科室の長机の間に挟まった。
『モウ少シ、ナノニ……邪魔、シナイデクレ』
男女の混声も震えていた。だが、そんなことはお構いなしに苔玉へと近づく迅は、振り抜いた刀を返して両手で握る。
「子御木抜刀術、蹴刃卯月」
腰を落とし、肩と平行に刃を構えた迅が、踏み込みから一瞬のうちに理科室を縦断。机に挟まれ動けなくなった苔の球体を、その刃で二分割に両断した。
苔の内側から、バケモノ特有の真っ黒な血が溢れ出す。ぼたぼた零れる黒血の中には、細やかな肉片が混じっていて、理科室の床の上に広がった血の中でぷかぷかと浮いていた。
「速い!」
「すっげぇ」
倫理がその速度に驚き、六郎は呆けて迅の剣筋を見つめていた。そんな二人の部下の前で、迅は教壇上に立ち、大きなため息を吐いて天井を見上げた。
「くそっ…………逃げられた」
口の中で弾けた悔しさの叫びは、この場の部下には聞こえなかった。




