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010 自警団のリーダー

 深緑のパーカーと黒のスラックス。足には泥が付着した濃紺のスニーカーを履いた長身細身細の男。

 年齢は三十手前だと思うが、髪は全体が白く染まり、痩せこけ落ちくぼんだ眼窩の中では、苔色とでも呼べそうな深い黄緑色の瞳がギラギラと輝いていた。


「…………ケネス、勝手に家に入ってこないでくれよ」

「ああ、すまないね。遊びはすぐに終わって、少々退屈していたんだ。だから、家族の家に遊びに来たんだけど、迷惑だったかな?」


 人の道でも踏み外したのか、ゾンビ然としたケネスが『家族』と口にするたび、託人は悪寒を感じて視線を逸らした。


「情報は揃ってる。そこにあるから、勝手に持って行ってくれ」


 九頭玲司の情報は、既に部屋の出入り口から見て右側の壁近くに置かれたプリンターで、報告書へと形を変えて印刷を終えている。

 この時代、印刷機などかなり高価だが、何時だったかケネスが持って来たのだ。


「テディ、貨物列車にこんな物があったんだ。君なら有効活用してくれるだろう」


 そう言って渡された新品のプリンタ―は、おそらくは他の都市から運び込まれたものだったのだろう。

 当時はこんな物を奪っては目を付けられそうだと思ったが、不思議と国からの手はここまで伸びてきていない。


「いいね。君の打ち込む文章は読んでいて引き込まれるものがあるんだ。小説でも書いているのかい?」

「そんな趣味は…………今、なんて言った?」


 小説なんて娯楽品は、ここが町だった頃から学校以外で見た事がなかった。

 バケモノが大量発生した四十年前から、日本の技術は衰退し、誰かの空想を形にする技術など、娯楽以外には使い道がないと後回しにされていたからだ。そして八年前に起こった東京大厄災。これによって、小説も漫画も紙媒体は絶滅危惧種になり、それ単体が国宝のような扱いを受け、裏社会でのみ、避難所全員を都市部に移せるだけの大金でやり取りされるようになった。

 そんな高級品を、都市部の外で今を生きる人間がスラスラくちにするはずがない。

 自分たちの世界では、それらの嗜好品も娯楽品も既に絶滅しているのだから。


「お前、都市から来たのか」


 都市部から町の枠組みを取り払われた場所に来る者など、国が派遣する解体屋以外に先ずいない。


(若しくは極悪犯だが、そんな奴が情報隠匿なんてできるわけがない)


 目の前の男の不気味さが、地下室内の空気を一変させた。

 冷や汗が全身を冷やす託人は、プリンターの前で報告書を黙々と読み耽る謎の男から目が離せなかった。


 しばらく、地下室には紙を捲る音だけが広がった。

 最後の一頁を読み終えたケネスは肩を震わせ蹲ると、声を洩らした。


「四級祓人だと? あれだけの力量を持っていながら? ——いい」


 勢いよく頭を起こしたケネスは、皮が乾燥して引っ付いた屍のような顔面に満面の笑みを貼り付かせて、上擦って裏返った声を上げた。


「いい。いいよ! とってもいい! これだよ、これ! これこそ、私が待ち望んだ逸材だ!」


 一人の世界に浸る、自分よりも背の高い男を見る託人は、これまでの発言と自身の推察を混ぜ、一つの解へと至った。


「お前…………祓い屋か」

「うん。じゃなきゃ、あんな少人数で貨物列車からの強奪なんて、できないだろう?」


 飄々と回答が返ってきた事に託人は驚きつつ、その顔には疲労を滲ませた笑みが浮かび上がっていた。

 祓い屋は、大きく二つに分けられる。

 人を殺せる祓人か、殺せない祓人かの二つだ。

 玲司もケネスも前者だ。そう感じた託人は、諦めから力の抜けた笑みが浮かんでいた。


 八畳一間の空間に浮かぶ二つの笑み。それぞれに含む意味が異なり、互いの思いは交わる事はない。


「私の正体を知った君に、ぜひ頼みたい事があるんだ」

「頼み事?」


 この場で殺されると思っていただけに、託人は呆けた声で返した。


「君くらいなら、殺すのはいつでもできる。だからその前に、久頭四級祓人を呼び出して欲しい」

「無理だ。あいつはぼくの言うことなんてこれっぽっちも聞かない。お前と一緒で、屑の祓い屋だからな」


 不思議と、死への恐怖はなかった。

 ただそこにあるのは、この世界の理不尽と不平等に対する怒りで、目の前の正体不明の暴力など、託人にとってはそれすら世界に飲まれた矮小な一つの歯車にしか映らなかった。


「強がりはよせ。私がその気になれば、君が認識するよりも速く殺せるんだよ」


 ケネスが口元を歪めて笑ったのを、託人は鼻で笑い返した。


「ずいぶん優しいんだな。ぼくの知ってる祓い屋は、意識を失わせずに全身の骨を砕いてから、三日ぐらい外に放置してから仕留めるぐらいはするよ」

「そんな野蛮な事を私は好まないのさ。だからこうして頼んでいるんだ。家族だしね」


 ニコリと笑みを浮かべるケネスの前で、託人の脳は逃げの算段をしていた。心では死にたがっていても、肉体がそれを拒み、醜く生への執着を見せる。

 

 地下室の空気は、人の熱を感じさせない冷たさと、諦念が漂う死けった二つの空気ががぶつかり合う。

 その空気を切り裂く着信音が、机の上で震えた。


「どうやら、こちらが望まずとも、向こうからやって来たらしいよ」


 楽しげに笑うケネスの前で、託人はスマートフォンの画面を見て、着信相手を確認した。

 画面には、無機質な筆記体で『祓い屋』と書かれていた。

 託人が連絡先を知っている祓い屋は、玲司以外にいない。すぐに応答のボタンを押して、通話に応じた。


「……何だよ」

『何時間経ったと思ってんだ?』


 一方的に要件を突きつけ、無茶な要求をしておいてよく言う。そう言いたかったが、その言葉を飲み込み、目の前の祓い屋の動きに注意を向けた


「お前、昨日町中で何やらかした?」


 ケネスは報告書の束を小脇に、出入り口の棚の前へと移動し、玩具を持ち上げてはさまざまな角度から観察していた。

 金持ちでも、ああ言った物を集めるかは人それぞれで、ケネスは集めないタイプらしい。


『ん? ん〜、何もやってないな。何かあったのか?』


 見え透いた嘘に思わず叫びそうになった。しかし、

面白そうにこちらの会話に耳を傾けるケネスがいる前で、感情的にはなれない。

 心の中で自分に言い聞かせながら、冷静に話を続ける。


「ネットに、ここらでバケモノと祓い屋が暴れたって投稿があった。しかも、自警団の奴らも殺したって」

『仕掛けてきたのはあいつらだし、俺はちゃんと避難勧告をしたぞ?』

「それが伝わる相手じゃないって、分かってただろ!」


 ケネスは面白そうにニタニタと笑う。しかし、託人は気づいていた。

 昨日、玲司を強請りに向かわせたのは、目の前の祓い屋の仕業であり、それを何処かから観察していたと。

 確証はない。しかし、勘がそう言っている。


『なあ、タク』

「何だよ」

『お前、まだ自警団と繋がってるだろ』


 玲司からの質問に、しかしケネスがスマートフォンを奪い、消音設定(ミュート)にした。


「丁度いい。呼び出してくれ」

「無理だ」


 短いやり取りで、ケネスは託人が絶対にこちらの意見を通さないと理解した。


「では、仕方ない。こちらは人質を取らせてもらうよ。君の大切な人の弟さんは、私の手元にいるんだ」

『お前、自警団に情報売って、貨物列車襲わせただろ?』


 二人の祓い屋に挟まれたこの状況で、託人の思考は正常に働いてはくれなかった。

 ならばと、最も可能性の低い方へと舵を切った。


「……もし、仮にそうだとして…………それを知ってどうする気だ?」


 スマートフォンを奪い返した託人は、玲司を揺する。

 もし協会に話が行けば、避難所の実態も明らかとなり、目の前の祓い屋は消える。

 こんな場所にいる祓い屋など、真っ当なであるはずがない。であれば、協会に突き出すのが一番手っ取り早い。そんな透明度の高いガラス程度の期待を込めて、玲司に訊いた。

 しかし、帰って来た言葉は予想通りで、落胆すらしなかった。


『何も。俺には関係ない話だからな。ぁあでも、俺の仕事を放置すれば、家を破壊しには行くのは変わらない』

「……何も、する気はないのか?」


 念を押しして訊くが、これ以上の問答は無意味だと託人には分かっていた。


『それは俺の仕事じゃないんでな。それで? 頼んでた仕事は?』

「もう終わってる。今、送った」


 片手間にキーボードを叩いた託人は、頼まれていた一人の女性の調査結果を送り、息を吐いた。


『そうか。じゃあな』

「ちょっと待ってくれ!」


 気付けば、無意識に口が動いて玲司を止めていた。


(どうする? ここにあいつは呼び出せない。もし呼べば、避難所のみんなも巻き込まれる)


 玲司は、自身が価値を見出した人間しか助けない。それを三年前に知っている託人は、玲司にだけは絶対に助けを求めないと決めていた。

 しかし、目の前にいるのはまず間違いなく、存在を抹消された祓い屋だ。ここで直接教会に通報しろと言えば、話が協会に前に、避難所の人たちは全員殺されることだろう。

 言っても地獄、言わずとも地獄。そんな分水嶺に立たされた託人は、疼く胸を抑えて思考を巡らせる。


『……んだよ。俺も忙しいんだ』

「分かってる。ただ……」


 言えば、避難所のみんなが危険に晒される。言わなければ、角人一人が危険になる。二つの無意味な天秤が、託人の前で揺れていた。

 悩みの迷路に飛び込んだ託人は、言葉を紡げなかった。

 ケネスはそんな迷子の託人を、冷めた眼差しと猛獣を思わせる笑みとで見下ろしていた。


「今日の昼、ぼくの家の近くの廃校に来てくれ」

『んじゃな』


 意を決して助けを求めたが、遅すぎた

 玲司の言葉に重なり、途中で通話を切られた。


「どうやら、彼は来ないようだね」

「……あいつは人間じゃない」


 スマートフォンを机の上に叩きつけ、託人はケネスを睨め上げた。


「人間じゃない? それはますます面白い」


 手を叩き笑うケネスだが、やはりその目は冷え切り、言動と切り離されていた。


「人間じゃない奴に、ぼくの言葉は届かない」


 お前もそうだろう? 言外にそう告げる託人は、今にも泣きそうになり顔を顰めた。

 悲しいわけでも、怖いわけでもない。ただ、悔しかった。

 人が人として生きていける社会など、人類の長い歴史に、一体何回あったのだろう。

 バケモノに近づいた者ばかりが人間として生き、英雄と崇められるこの時代が、託人には受け入れられなかった。


 首を傾げて両手を広げるだけのケネスと、拳を震わせ、怒りに染まった目で睨む託人の間には、ねっとり絡まる空気と、刺々しい殺気が満ちた。


「もし人間だって言うなら、これだけは守れ。角人に手を出すな」

「言わずもがな、私は人間だ。家族に手を出すなんて、そんな事をするわけがないだろう」

「どの口がっ!」

「しかしね」


 今にも飛びかかろうとした託人に、ケネスは冷ややかな眼差しと、愉快そうに吊り上がった口元で遮った。


「もう一人の私がどうかは知らないよ」


 瞬間、視界は天井を捉え、体は宙を浮いていた。

 ゆっくり流れる視界の中で、ケネスはその場から動かず、机が徐々に近づいてくる。


「——っ!」


 机に頭からぶつかった託人は、身動き一つ取れずにその場に伏せる。床がすぐ側に近づいた視界に入って来たのは、ケネスが愛用している濃紺のスニーカだった。


「もう時期、楽しい祭りが始まるんだ。それまでゆっくり休むといい」


 輪郭を溶かした視界の中で、濃紺の塊だけがいやにはっきり記憶に残った。


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