006 自警団
バイクに乗って、玲司は真っ直ぐ街の外れを目指す。
目的地は、依頼人の務める銀行――ではなく、昔から世話を焼いてやっている情報屋の拠点だ。
事務所を出て、三十分が経過した。
背の高い襤褸ビルや、隙間もないくらい密集して建てられていた家屋は、十五分前に視界から消えた。
周囲に広がるのは、荒れ果てた田んぼと乾いた畑。
玲司が駆るバイクは、人やその他が踏み込み、空っぽになったコンビニの前を通り、明滅を繰り返すばかりの信号を無視して、一つの半壊した一軒家の前でエンジンを停止した。
「タク、いるか?」
家屋へ声を飛ばす玲司は、左半分を失った門を通り、角石をいくつか無くした石段を上がり、ヒビの入ったステンドガラスがはめ込まれた扉を叩いた。
「タク、いるか?」
再度同じ言葉を発する玲司に、家屋の中から、青年の声が響き返した。
「いない。とっとと帰れ」
「邪魔するぞ」
「邪魔するなら、帰れ」
「お邪魔しま~す」
お互い、一切遠慮の無い自己中心の発言をしながら、玲司はドアノブに手を掛け、タクと呼ばれた青年は、施錠し玲司の侵入を拒んだ。
「おい、何鍵かけてんだ。とっとと開けろ」
「帰れって言ってんのが聞こえないのか?」
「ああ聞こえない。だから、この扉もあっちの門みたいに片側外して風通しを良くしてやるよ」
数週間前、まだ門は両方とも本来の用途を全うしていた。しかし、情報屋が情報を出し渋った為に、一人の祓い屋が、無駄足を踏んだと苛立ちを解消するために蹴り飛ばしてしまったのだ。
「ああ、ちょっと待て!」
未だその記憶が消えない情報屋の青年は、扉越しに構えを見せた祓い屋に制止の声を上げた。
「とっとと開けろ」
「分かったから、これ以上ぼくの家を壊さないでくれ」
開錠音を耳にして、玲司は扉を開いた。
「これだから、野蛮な祓い屋は嫌なんだ」
「だったら、もっと営業活動したらどうだ? お前の腕なら、俺以外の祓い屋が拾ってくれるだろ」
ネットから情報を集め、バケモノの位置特定から発生元まで探ってくれる、対バケモノ万能捜索能力を持っている情報屋――東雲託人は、玄関に子供が駄々をこねるようにしゃがんで、伸び放題の髪が流れる頭を抑えていた。
「止めろ。営業なんて地獄をぼくにやらせようとするな。いいか、人には得手不得手があるんだ。誰もが『これができて当たり前』なんて前時代的な考えを押し付けないでくれ」
「はいはい。とにかく、ちょっと探ってほしい事があって来たんだ」
家主の許可も取らず、玲司は土足で半壊した洋風の家屋に踏み込んだ。
「ちょっと待て!」
「ん?」
玄関からまっすぐ伸びた廊下を進み、部屋の奥へと続く扉に手を掛けた玲司を、玄関で蹲り、視界が狭くなっていた託人が、ようやく呼び止めた。しかし、制止の声は玲司には届かず、リビングへと繋がる扉を開いた。
「……相変わらず、散らかってんな」
天井の一画失ったリビングは、雨風に晒され朽ちていた。そんな場所に、大量のインスタント食品のゴミが、山積みにされ異臭を放つ。
一度、創瑚を紹介しようとここに連れてきた事がある。しかし、この光景を前に、二度とここには来ていない。
元々相性の悪そうな二人だと思っていた玲司は、無理に二人をつなげる必要はないと、それ以降は一人でここを訪れている。
「か、片付けようとは思っていたんだ。ただ、仕事が、忙しくて……」
「仕事? 俺以外に、お前に仕事を振る人間がいたのか?」
「失敬な、これでも本業は、動画編集者なんだが?」
得意げに眼鏡を引き上げる託人を無視して、リビングに積まれたゴミの山を素通りする。
目的の場所は、リビング中央の正方形状に切り取られてできた、地下への出入り口だ。
引き上げられた床材を潜り、下に伸びる階段に足を乗せる。
「ちょ、ちょっと待てって!」
後ろから追ってくる託人を無視して、玲司は、階段を一番下まで下り、情報屋の拠点を目にした。
八畳一間の、全面何らかの機械に埋め尽くされた部屋は、前時代に少年の秘密基地として描かれていた雰囲気をそのままトレースしたかのような内装になっていた。
部屋に入ってすぐ正面には、一つの棚が、こちらを向いて立っていた。
棚に飾られた子供の玩具が玲司を出迎える。
「また玩具が増えたな」
「中々手に入れられない希少品ばかりなのに、これだからトーシロは」
「それより仕事の依頼だ」
「断る。ぼくは忙しいんだ」
「一人の銀行員女性の素性を洗い出してほしい」
「僕の話、聞いている?」
託人の拒否を無視して、玲司は棚の脇を通り、部屋の奥に置かれたパソコンとキーボードの上に、興梠美空の写真と現在分かっている情報を記載した資料を叩きつけた。
「一時間だ」
「人の話を聞けよ!」
「さっさとやれ」
一向に耳を貸さない玲司はそれだけ言うと、地下室を後にして、バイクの元へと戻った。
東雲託人は、以前玲司が祓滅の依頼を受け、そのバケモノに襲われていた所を助けて以来、こうして情報屋として活用している仲だが、玲司が雑に扱う原因は託人本人にあった。
託人は元々、近くの町の自警団の参謀だった。
各県の都市部を見れば、社会を再構築させたように見える。それが、現代日本の日常風景だ。しかしその実、その風景から一歩でも奥へと踏み込めば、そこにはバケモノによって塗り替えられた、真実の光景が色彩豊かに映されている。
何故、どこの県も県庁所在地である都市部に人が集まるのか。
人の多い所に行きたかった? 仕事がここにしかない?
それらも、もちろん含まれる。しかし、理由の大半は犯罪者グループからの逃亡、自衛の為である。
都市部に行けば、祓魔隊や祓い屋が常駐している。そんなバケモノ予備軍が街中をうろつく場所には、犯罪者グループも気軽に手は出せない。
しかし、それではそれ以外の市町村区はどうなのか。
現実として、警察が機能していない今、身を守れるのは自分たちだけだと、多くの町で自警団が立ち上げられた。
自警団と犯罪者グループの対立。
これならまだ、救いはあっただろう。
バケモノの大量発生により到来した落陽時代。それが明けて三十年近く。日本の都が沈む大厄災が発生した。
これらの災害によって、日本の経済はひっくり返った。
警察は機能せず、政治家は無能ばかり。バケモノの唯一の対抗手段すら、祓魔隊と祓い屋の二組織に別れて活動。そんな状況なら、不安に駆られた市民たちが立ち上がるのも頷ける。
しかし、ここで問題になったのが、先導する市民の我欲が想像以上に大きかった事だ。
各地で見れられるようになった自警団は、国の復興と共にその姿を変えた。
正義のヒーローが、一悪役へと、その身を堕としたのだ。
強盗、脅迫、強姦、殺人……。
自警団の活動方針によって多少内容は異なるが、どこも、警察が動けば犯罪扱いになる事を平然と行う、危険思想の若者集団に成り下がった。
そうしてできたのが、都市部とその他との偏った人口密度の分布と、我欲に掻き立てられた自警団が支配する、過疎化した市町村区の現状である。
玲司が活動拠点を置く、栃木の県庁所在地の隣接したこの場所も、後者に分類された町で、既に人が住めるような場所ではなくなっていた。
その原因を作ったのが、現在、玲司が抱える情報屋、東雲託人だった。
情報収集を託人に任せて、玲司は来た道を戻る。
荒れたアスファルトの道は、バイクの振動を大きくした。
(情報が来るまでは、依頼人の監視でもしてるか)
バイクの速度を上げつつ、玲司はこれからの予定を組み上げる。
明滅を繰り返す信号を無視して通過した玲司の背後に、一台の乗用車が現れた。
マフラーを切断しているらしく、かなりの排気音を発して追いかけてくる。
(これは、面倒事に巻き込まれたか)
交差点を直進した瞬間に、背後に現れた車。それが出て来た方向に目をやれば、廃校の屋上から、こちらを見下ろす誰かが確認できた。
自称自警団による、職質という名のカツアゲの対象にされたらしい。
『前のバイク、止まりなさ~い』
爆音に紛れて、拡声器を通した声が玲司の耳に入った。
こちらを見下す間延びした声と、その背後で囁かれた下卑た笑い声だった。
(さて、どうするかな)
このまま無視して走り続ければ、最悪車体をぶつけられかねない。
バイクを傷つければ、創瑚に怒られる。
かといって、素直に止まれば、殴り合いに発展するのは目に見えていた。
しかし、周囲に響く爆音。玲司はこれから起きるだろう幾つかの先を見て、そのどれもが面倒であるとため息を吐いた。
(頭を一度潰されたくらいじゃ、組織なんて何も変わらないよな)
玲司が受けた祓滅依頼は、自警団の頭目が捕食型のバケモノに喰われた事から始まった。
祓い屋協会本部からの指名依頼だった。
自警団のリーダーがバケモノに代わられるなど、通常はありあり得ない。だが、参謀として暗躍していた託人の技量によって、街の中から百人以上が行方不明になるまで、誰も気付かなかった。
協会本部お抱えの諜報部隊すら欺く彼の頭脳はかなりのものだったが、所詮は協力者はバケモノ。自制などできるはずもないし、自重など知るはずもなかった。
多少知能があったようだが、常に空腹を強要される託人の指示に従えなくなり、ある日その異形と化した頭目の姿を、自警団連中に晒した。
そこからは、玲司に依頼が入り即討滅のスピード解決だった。
「何か用か?」
いつまでも追ってこられては面倒だと、玲司はバイクを止めて、隣に自警団が来るのを待って話を訊いた。
「何スカして言ってんだ。こっちが止まれって言ったら、すぐに止まれや!」
話を訊こうと止まってやっただけありがたいと思え。そう言おうとした玲司はすぐに考え直し、目の前で何かと喚く自警団を黙って見ていた。
「おいこいつ、ビビってんぞ」
「ハハっ、どっかのお坊ちゃんかよ。中々いいバイクじゃねえか」
乗用車の後部座席から、そんな声が聞こえてきた。
(コイツら、この後どうする気だ?)
都市部ならいざ知らず、こんな廃れた町中をマフラーを切断して静音性を欠いた車で移動するなど自殺行為だ。
(逆にそれを利用してバケモノを一掃する祓屋がいるらしいけど、コイツらの中には……いないよな)
スキンヘッドの強面の運転手。
腰巾着という言葉が似あう猫背の男。
下卑た笑みを浮かべる無精ひげの男。
つり目にナイフを舐める典型的な男。
車の中に入った四つの頭を見て、玲司は首を振った。
「おいどうした、俺の声が聞こえなかったのか? とっととバイクから降りろって言ってんだ!」
話半分に思考に入っていた玲司は、何故そうなったのかを知らない。それでも、ここで相手の指示に従っては、最も面倒な事になると玲司の勘が囁いた。
右手首を捻り、玲司はエンジンを吹かし、爆音を周囲に響かせた。
「おいおい何やってんだお前」
「ひゅ〜、中々いいバイクじゃん」
「こいつ、ビビってこっち威嚇してんぞ」
「おい、もういいからさっさと降りろ」
四人それぞれに言葉を発するが、その中に玲司の意図を察した者はいなかった。
繰り返し周囲にバイクの排気音を響かせた玲司は、意識を周囲に向けた。
経験則から、もう直ぐ来ると思ったからだ。
「おい、いい加減にしろよお前!」
運転席に乗ったスキンヘッドの男が、唾を飛ばしながら叫んだ。それと同時に、玲司はバイクを路肩に移動させてエンジンを止めた。
突然の行動に、自警団連中は目を点にして固まる。
「アンタら、命が惜しければ、その車捨てて今直ぐ走って逃げろ」
玲司はヘルメットを外してハンドルにかけつつ、自警団へと声をかけた。
どれだけの屑でも、見捨ててはこちらの寝覚が悪い。
しかし、この手の人間がこちらの言い分をまともに聞かないのも知っている。
「テメェ、いい度胸してんじゃねえか」
他人に指図はしても、されたくはない。そんな我欲の塊の自警団は、全員車から降りて玲司を囲んだ。
「どうなるかは分かってんだろうな」
スキンヘッドの運転手はずいぶん体格に恵まれていたらしい。玲司より、頭三つ分上から圧をかけて来る。
(人間相手なら、これで十分なんだろうな)
バケモノとの殺し合いが日常となっている玲司には、眼前の男の圧など、そよ風以下でしか感じなかった。
「お前らのトップって、今誰だ?」
「はあ?」
助手席に乗っていたいかにも腰巾着といった、腰の低い男が下から睨め上げてきた。
「鼬狩円の後釜は誰かって訊いてんだ」
「なっ——」
「何で、頭の名前を知ってんだ?」
「そういやお前のその顔どこかで……あっ!」
「こいつ、まさか」
それぞれに声を上げた自警団だったが、時間切れだ。
「さっさと逃げろ」
玲司の言葉の意味を理解するよりも前に、背後でエンジンをかけたままだった乗用車が踏み潰され、事態は一転した。
半球の頭に、人間の玲司の前腕と同じ長さの鋭利な一本角。逆三角を思わせる筋肉質な胴体からは、腕と足がそれぞれ二対生えていた。
「お、俺の車が!」
「ば、バケモノだ、バケモノだ!」
ナイフを舐めていた男は腰を抜かし、スキンヘッドは走って逃げた。残りの二人は気を失い、その場に崩れていた。
「タクに電話」
ワイヤレスイヤホンに触れてコール音を確認した玲司は、乗用車を潰し、さらに足踏みを続ける一角のバケモノへと声をかけた。
「おいバケモノ、お前名前はあるのか?」
バケモノの中には、人語を介する個体もいる。だが、見るからに口のない半球状の頭を見ては、意思の疎通は無理そうだと玲司は首を振った。
『もしもし何? まだ一時間経ってないけど?』
不満十割の声で、託人は電話に出た。
「この近くで話題になってるバケモノはいるか?」
『何で?』
「自警団が呼び寄せた」
『ったくあいつら、また勝手な事を——』
「また? お前、もう自警団には関わってないって言ってなかったか」
『あっいや、それは……』
面倒ごとが増えた事を悟った玲司は、目の前に迫った四本の腕を全て避け、怒りのままにバケモノの脇腹を殴りつけた。
「その話は後だ」
『あっ、ハイ……』
玲司の怒りが乗った声に、託人は震えた。
「情報は?」
『今この近辺で噂になってるのは七件。そのうち、名前が付けられてるのは二件。特徴は?』
「中華鍋を頭に被った、手足が四本ずつの体長三メートルのゴリラ」
『何それキモ』
「とっとと探せ」
四本の足を器用にバタつかせて方向転換するバケモノ相手に、玲司は重心を預けた瞬間に、その足の一本を払ってバランスを崩させた。
「体幹は生まれたての子鹿並だな」
『それなら見つけた。名前は付いてないけど、ここ最近話題になりつつあるバケモノだ』
「どうやって産まれた?」
『近所の婆ちゃんの腹の中』
託人の住んでいる半壊した家屋の周囲にあるのは、荒れた畑ばかりで、周囲に住民は一人としていない。
「どこ情報だそれ?」
『この近所で生活する個人のSNS投稿文』
四本の腕で地面から体を引き剥がした手足の多いゴリラのようなバケモノは、頭の角を玲司へと向け、射出した。
「ぅおっと!」
『どうした?』
「角飛ばしてきやがった」
『刺さった?』
「避けた」
『なんだ……』
イヤホンの向こうでガッカリした託人の姿に、玲司は抱えていた怒りを向けた。
「お前、これ終わったら引っ越す準備しとけ」
『ちょっと! ここにどれだけの宝があると思ってるの。そんな簡単に動けるわけないじゃん!』
「安心しろ。荷造りなんか必要ないように、俺が手伝ってやるよ」
託人の悲鳴を片耳に入れながら、玲司はウエストバックから仮面を取り出した。
「…………忘れてた。今は『鬼』じゃなかったんだったな」
『何? 声が小さくて聞こえないよ!」
「別に何でもない。後でかけ直す」
『ちょ——』
一方的に通話を終了させた玲司は、一度大きく息を吸い、肺が極限にまで萎むくらい吐き出した。
(大丈夫、あの時とは鏡板だって違う。俺も強くなったんだ)
ウエストバックから、爬虫類を思わせる仮面を取り出し、それを額に当てた玲司は、震える唇を一度噛み、鉄の味と匂いが広がった口で叫んだ。
「<機龍>起動!」
爬虫類を思わせる仮面の小さな金属板が次々に外側にズレ、駆動音を巻き込み甲高い音を反響させた。
真っ黒に染まった眼窩に光は灯らず、しかしそこに命の鼓動は感じる。
漏れ出る息吹は空を切り裂き、反響すら駆動音と混じると、一柱の龍が空高くで上げる咆哮へと変換された。




