004-5 第六祓魔隊其ノ四
午馬六郎は、祓魔隊の全ての機能を内包した<祓魔庁>が管理する第六部隊分駐所にて、待機室の端に置かれた机に突っ伏し、ため息を定期的に吐いていた。
「六郎隊員、ため息ばかり吐いていては、幸福が逃げていきますよ?」
眼鏡にネクタイなしのスーツ、七三分けの完全社会人の見た目の男、第六部隊専属事務員の堂本満は、六郎の前に水の入った紙コップを置いた。
「満さん……」
「はい?」
机に突っ伏したままの六郎の元気のない声に、満は返事をする。
「今回の任務で、俺どれくらい祓いました?」
「えっと、六郎さんは……一体と、報告に上がっていましたね」
甲種祓魔師、貝塚迅『八十三体』。
丙種祓魔師、午場六郎『一体』。
乙種祓魔師、蓑虫體斗『四十二体』。
丙種祓魔師、熊ヶ崎倫理『五体』。
乙種祓魔師、燕坂胡桃『八体』。
丙種祓魔師、蟻摘無美『十六体』。
特種祓魔師、雌魚野暮、祓滅報告なし。
丙種祓魔師、秋原木端『四十八体』。
丙種祓魔師、鮫波銀二『十体』。
丙種祓魔師、群蜘蛛正義『十体』。
丙種祓魔師、凪辻晶『十体』。
満が手元の報告書の内容を声に出す毎、六郎は机に体を預け、最後には完全に伸びていた。
「おれ、一体、だけ……」
バケモノの祓滅数は、祓魔師の技量を図るもっとも簡単な材料だ。
いつも報告のない野暮は無視するとして、祓滅数を平等に割り切る銀二、正義、晶の三人組はいつも通り。
他の隊員達も概ね力を付けてきているのが六郎にも分かる。そんな中で、自分はたったの一体。
原因は、あの長躯のバケモノ――ニクビキだ。
隊長の迅に頼まれたからと言って、周囲のコモノを無視しすぎたと、全てが終わった後になって気づいた。
「ま、まあ、六郎さんの場合、名憑きのバケモノと対峙していたと隊長から報告が上がっていますから」
「そのバケモノも結局、最後に祓ったのは隊長っスよ」
満のフォローに、六郎は事実を突きつける。
「ああ、えっと……」
「しかも、稽古をつけてやるって隊長に言われたのに、一本も取れなかったっス…………」
言葉を失った満は眼鏡を引き上げながら、六郎をどう慰めればよいかと思考を巡らせる。
そんな所に、救いの一手が入り込んできた。
「六郎、満さんを困らせるな。俺たちの為に、いろいろ面倒な事務作業を全部抱えてくれてんだから」
「體斗さん……」
「あっ、お疲れ様です體斗さん」
満は自然な動作で六郎から離れ、自分の事務机に戻り作業をし始めた。
代わって六郎の前に腰掛ける體斗は、机に伸びた六郎の腕を払い、机に白湯の入ったコップを置いた。
「折角満さんが出してくれたんだから飲めよ」
温かみをかんじつつ白湯を啜る體斗は、机の上に突っ伏したままの六郎を見た。
「今回の任務で、お前の評価が下がる事はないから安心しろ」
「えっ、マジっスか!」
飛び起きた六郎に、體斗は頷き返す。
「お前はあのショッピングモール内で一番のオオモノを足止めしてたんだ。それも単独でな。それを評価しない隊長じゃないし、他の隊員だって報告書からその事は知ってる」
「でも俺、結局祓えなかったんスよ? デバイスの使用許可までもらったのに」
「誰も、入隊二か月のお前にそこまで求めてない」
「でも――」
「ただ、期待はしてる」
六郎の言葉を遮り、體斗は言った。
「お前には才能がある。向上心も。性格にはちょっと難があるけど、そこは個性だとみんな前向きに捉えてる。隊長もな」
「……最後のは、いらないっス」
「ははっ。とにかく、お前の力は隊長が必要としてんだ。だから、焦らず確実にあの人を追いかければいい。皆そうしてる」
気づけば、迅と野暮以外の第六部隊の隊員たちは分駐所に戻ってきていて、部屋のあちこちで思い思いに體斗の話に耳を傾けていた。
事務作業をしている満も頷き肯定する。位置的に、それが見えていたのは六郎だけだった。
「了解っス!」
元気を取り戻した六郎を連れ、體斗は分駐所と隣接された訓練室に向かう。その二人の背中を眺めていた胡桃は、ふと気になった事を口にした。
「あれ? 隊長はともかく、野暮さんは?」
だれも、彼女の疑問に答えられなかった。
雌魚野暮は、予測が付けられない特別な存在。特種祓魔師なのである。
「それで野暮さん、何か弁明はありますか?」
「いえ、何も」
迅と野暮は、烏帽子田朱歌に呼び出され、烽師連盟管轄の解剖室を訪れていた。
「これは、私の部下が調べてくれた事なんだけどね」
朱歌は、解剖台を間に迅と野暮の対面に立ち、台の上に置かれた三つの箱を指差した。
箱の中には、それぞれペースト状の何かが詰められている。
「どうやらこれらはバケモノではなく、三人の人間だと判明した。迅君、一体どういう事だと思う?」
質問しながらも、視線は野暮に向いていた。
迅も、隣に立ちどこか遠くを見つめる野暮を見る。
そうして、先のやり取りが二入の間で交わされた。
「弁明はともかく、せめてこうなった原因を私たちは知りたいんだけどね」
臭いを抑える為か、密封された箱は、四方を金属板で囲われ、天板だけが透明度の高いアクリルで作られていた。そんな箱を、朱歌は表情を変えずに叩く。
「水練を使用した。そう、報告書には書いてあるはずですが?」
「それは、確かに私も読みました。しかし、この場で知りたいのは、何故、民間人をミンチにしたのかという一点のみです」
朱歌からの質問に澄まし顔で流す野暮へ、迅はため息交じりに訊き直す。
もし、目の前のペースト肉が密封されていなければ、この解剖室は死臭の漂う地獄となっていただろう。
迅は心の中で、朱歌の英断に感謝した。
「ミンチ? いいえ、これはすり身です」
「それ、自白だよ?」
最初は真面目に質問していた朱歌だったが、迅のミンチ発言と、それに返す野暮のすり身発言で、もうここにいるのは人格破綻者だけなのだと気づいた。
そうなれば、自分もその流れに乗るだけと、一気に口調が軽くなる。
目の前に置かれた三つの箱。それらはどれも丁寧に潰され、何者かの手によって練られているようにも見える。
こんな芸当ができるのは、祓魔隊や祓い屋の中でも数少ない。
何故、こんなにも犯人の特定に難儀しない方法で殺人をこなしたのか。それが朱歌には理解できなかった。
「それらは確かに、元は人間の形をして、人間の言葉を発していました。しかし、それだけで人間と断定するのは早計ではないでしょうか?」
「面白い、続けてくれ」
突如始まった、野暮の人間の定義に関する話に、朱歌の興味はそちらに向いた。
「朱歌さん……」
呆れ果て、それ以上何も言えなくなった迅は、隣に立つ人格破が綻している部下の、言い分という名の屁理屈に耳を傾けた。
「バケモノの中には、人間に擬態するのが得意なモノ、それしかできないモノも確認されています」
ふむ、と一つ頷く朱歌は何も言わず、野暮に続けるよう促す。そんな二人を見て、迅はため息を一つ零した。
「言動が人間のそれでも、人間だと断定しては危険だと、私は前々から考えていました」
「そして今回、君はバケモノだと踏んで民間人を手にかけた訳だが、それに対して何かあるかい?」
朱歌の鋭い視線が、野暮の自然体へと突き刺さる。
これが體斗や胡桃に向けられていれば、きっと反撃の構えをとっていた事だろう。そう思わせるだけの敵意、あるいは殺意を朱歌は放っていた。
しかし、そんな朱歌を前に野暮はとんでもない事を言い放った。
「私は、人間は殺していません」
「ほう!」
あくまで、目の前の箱肉はバケモノだと言い張った。
野暮の奇行は今に始まった事ではない。他の隊にいた時から、命令無視、無断休暇を繰り返していた。そうして異動を下された野暮は第六部隊にやって来た。
嫌がらせ十割の、爆弾の押し付けである。
「この三つの肉は、元々強盗団を自称する犯罪者でした」
「犯罪者は人間に在らず。君はそんな思想を持っているのかな?」
朱歌の興味は、完全に民間人の殺人から、野暮本人に移っていた。
そう、最初から野暮を断罪するつもりのものなど、この場にいないのだ。
戦力として役に立つ事を知っている迅は言うに及ばず、人格破綻者であり、自身に害が無ければ受け入れる懐の広さを、或いは珍種好きの朱歌も、既に野暮を気に入っている。
これから行われるのは、朱歌の完全趣味の珍獣観察でしかない。
しかし、迅は朱歌のその趣味に、自分と玲司、幼馴染の水面。更には創瑚が含まれている事には異を唱えたかった。
「そこまでの危険思想は持ち合わせていません。ただ、コレらは食料や金品だけでなく、女性を攫っては辱めていました」
「ふむふむ、なるほど」
「人間が人間と評されるには、人間たちがそれぞれの利益のために決めた枠組みの内側に入っている必要があると思います」
「それには同意だ」
朱歌と野暮は、まるでお茶を片手に談笑するかの様な微笑を浮かべていた。
「コレらはその枠組みを飛び越え外に出た。つまり人間ではありません。かと言って、獣と評するにはあまりに頭が悪い。そうなると、コレらを何と呼ぶのが的確か、私には分かりませんでした」
祓人を人殺しと評する者がこの世には多くいる。その理由の一端として、捕食型のバケモノを率先して祓っているからなのだが、これは祓魔隊の上位組織、滅魔委員会の仕業である。
祓魔師は、人類の希望でなければならない。そう考えた滅魔委員会は、祓い屋協会との話し合いの末、蔓延型、原典型を軸に祓滅する事を決めた。
割を喰った祓い屋は、捕食型、特異型ばかりを相手にする現在の形に落ち着いた。
駅前の複合商業施設での一件が、個人からの依頼で珍しいだけで、玲司も基本は、捕食型のバケモノを祓っている。
祓い屋を続けると、人を殺す事への抵抗がなくなり、民間人を手を上げる者が現れる事が多々ある。曰く、皆一様にバケモノになるのだからと。
しかし、この考えを持つのは、祓い屋だけとは限らない。
祓魔師の中にも、人を殺す事に抵抗を感じない者がいるからだ。
「人智の及ばない存在を、人間はこれまで、崇拝するか排斥して生き永らえて来ました。私も、その流れに準じたにすぎません」
一握りの祓魔師の中に、野暮や迅は含まれている。
面と向かって話した事で、その考えは朱歌の中で強くなった。
「それで平然と殺せる、と。ふふっ、イカれているね」
「人間ですから」
野暮が、何らかの罰則を受ける事はなかった。
朱歌に気に入られ、野暮の言い分が彼女の中で納得できるだけのものだったからだ。
趣味全開の朱歌でも、本当に危険な人材ならばすぐに切る。そうなっていない事実が、野暮の評価に直結していた。
『人間が人間として評されるには、人間が決めた枠の内側に入っている必要がある』
野暮の意見には、迅自身、賛成寄りだった。だからこそ考える。
人が人として評されるその枠組みは、本当に正しいのか。その枠組みが壊れた時、人は人のままでいられるのだろうか。
『人間は皆、仮面を着けた獣である。その仮面が割れた時、人間は初めて人を見る』
迅の師匠、鵜飼景がよく唱えていた呪文だ。




