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000-1 プロローグ(現代)

 その日は、細かな雨が降っていた。針のように細く、鋭い雨だ。それらはぼくの体を突き刺し、体の熱を奪って行った。と、思う。


 記憶は穴だらけで、灰色の空と、ひび割れ、捲れ上がったアスファルトの間で、誰かの頭を膝に乗せているのだけが確認できた。

 目が覚めた病院で聞いた話だったけど、その記憶は三年前の『大厄災』と呼ばれる、東京都を壊滅させた災害の時のものだと言う。

 つまり、大厄災と呼ばれるその大事件が起きてから三年もの間、病院のベットで寝ていた事になるのではないか? そう聞いたところ、そうだと白衣を着た大人の男の人に頷かれた。

 

 何故だかみんな、表情が暗くて、ぼくを見る目が怖い。

 誰が助けてくれたんだろう? 穴だらけの記憶で確認できたあの人は誰?

 頭が痛い。胸も痛い。体全部が痛い。どうしてここにいるの? あの日、何があったの?

 どれだけ訊いても、誰も答えてはくれなかった。

 ただ悲し気に目を伏せ、ぼくを憐れんでばかり。

 中には、怒っているような人もいたけれど、怒らせた記憶もないため、謝れなかった。

 

 みんな、何でそんな顔をするの?

 尽きない疑問と、虫に食い破られた過去の写真ばかりが、胸の中に溜まって行く。

 苦しい、辛い。悲しい…………悲しい? 何が悲しい? わからない。 


 ベットから起き上がり、歩けるようになった頃、ぼくは誰とも口を利かなくなった。

 何を話しても、何も帰ってこない事が分かったから。

 窓の外では雨が降っていた。記憶にある雨はとても細くて長かった。針のようにも思えた。

 今、窓の外で降っている雨とは違う。あんなに大きく丸くはなかった。



 目が覚めてから一か月が経った。体の痛みも頭の痛みのなくなったからか、病院から追い出された。しかし、行く当てなどない。

 記憶がないから、帰り道もわからなかった。


 外で寝て気づいた事だが、どうやら今の季節は春らしい。そこそこ寒く、そこそこ温かい。

 

 さて、今日はどこに行こう。お腹がすいた。何か食べ物を探さなくては。

 街中は人で溢れているが、なんだかみんな暗い顔をしていた。そして、怖いくらいに静かだった。

 みんな何かに怯えていて、足音を立てないように歩いていた。

 見れば、みんなぼくと同じで裸足で歩いてる。とっても不思議だった。

 服はとっても綺麗で、その手には靴を持っている。何故?

 



 野宿を初めて一週間が経った。ずっと病院にいて知らなかったけれど、外には『バケモノ』と呼ばれる怖い存在がいた。

 靴を脱いで静かに歩いていたのは、このバケモノに気づかれないようにするためだったんだ。




 目が覚めて、今日で百日目。お腹はぐーぐー鳴るし、みんな変わらず暗い顔。

 今日は天気も悪くて、出歩く気にはなれなかった。

 ちなみに、最近は公園の屋根付きのベンチの下で寝ている。

 この屋根付きのベンチの名前は『東屋(あずまや)』って言うんだって教わった。誰から聞いたのかは思い出せなかったけど、誰かに教えてもらった事は思い出した。

 

 東屋の下で雨を眺めていると、時々頭が痛くなる。何で?

 



 今日は、バケモノに襲われて食べられそうになった。運よく他の人の所に行ったから助かったけど、もう明日にはバケモノのお腹の中かも……。


 雲一つない晴れ空の下は気持ちがいい。ウキウキする胸で街中を歩き回ったら、黒一色の服を着た不思議な人たちを見かけた。なんだか、あの人たちの事を知っている気がする。

 



「お前、こんなとこで、一人で何してんの?」


 公園の東屋の下で寝ていると、日の出前なのに誰かに声をかけられた。


「……だれ?」


 久々に声を発した事で、喉が聞こえない悲鳴を上げた。


「先ずは、そっちが名乗れよ」


 白いジャージを上下に揃えた年上のお兄さんを前に、ぼくは固まった。

 お兄さんの体の周りに、黒い霧みたいな雲みたいなものが浮いていたから。


「お兄さん、なんで、体のまわりに雲を浮かばせらられるの?」


 疑問は自然と口から出ていた。しかし、ぼくの疑問には答えてくれなかった。


「お前の名前は?」

「ぼくの、名前?」


 言われて気づいた。分からない。思い出せない。


「……分からない」

「ワカラナイ、それが名前か?」


 お兄さんはとても不思議な人だった。

 他の人と違う臭いがするし、話す言葉も二重に聞こえた。

 時々、二つの瞳がそれぞれ逆回転しているのも、なんだか見ていると面白い。


「ちがうよ。思い出せないんだ」

「そうか。じゃあ、思い出したら教えてくれ」


 そう言って、お兄さんはどこかに消えた。

 それから、数日に一回、お兄さんは公園に来てくれるようになった。


「名前、思い出したか?」


 公園に来てはそう聞いてくるので、そのたびに首を横に振るとさっさと公園から出て行ってしまう。

 もう少し話したいのに、忙しいらしく、すぐにどこかに行ってしまう。

 お兄さんが公園に来るようになって丁度三十日。つまりは一か月が経った。


「いい加減思いだせ!」


 今日は機嫌が悪いみたいで、公園に来てそう怒鳴った。


「ごめんなさい。まだ思い出せないの」


 そう答えると、お兄さんは急にうずくまって呻きだした。

 心配になってお兄さんに近づくと、他の人とは違う臭いが強くなって、ジャージを掴んだ瞬間、お兄さんの体が真っ黒な雲になった。


「……お兄さん?」


 不安になって声をかけると、お兄さんの形をした雲の中から、黄色く濁った眼が二つ、ぼくを見た。


「おマエ、もういらナイよ!」


 そう言って、お兄さんは僕の首を絞めた。

 とても力が強く、ぼくの体は持ち上げられた。


 苦しい、息ができない。このまま死んじゃうの?


 足をジタバタさせてもお兄さんは離してくれなかった。ああ、このまま死んじゃうんだ、って思った瞬間、地面に落ちた。


「ゲホッ、ゲホッ…………な、何?」


 涙で滲む視界の先で、お兄さんが来ていた白色のジャージが誰かに破かれた。そして、お兄さんの形をしていた真っ黒い雲がどこかに消える。


「ったく、最近静かだと思ったら、まさか特異型が潜んでたとはな」

「だから言ったでしょ。この辺は最近、変に気になるって」

「だからって、特異型がいるなんて誰も思わないだろ」


 男の人の声が二つ。それに、女の人の声が聞こえる。その人たちの足音が、こっちに近づいてきた。


「あ~おい、ガキ。大丈夫だったか?」

「おい玲司、相手は子供だぞ。もっと優しく声をかけろ」


 二人の男の人の声が何か言い争っているのが聞こえる。そんな二人を無視して、女の人が、ぼくに声をかけて来た。


「君、大丈夫だった? ケガはない?」


 答えようとしたけど、ぼくはそのまま気を失ってしまった。



「……で、目が覚めたら、ここにいました」


 目が覚めると、天井が真っ先に飛び込んできて驚いた。

 今まで木製のベンチの下で寝ていたから、隙間の空いた木以外が、寝起きで映るとは思っていなかった。


「何か、とんでもなく大変な冒険だったな」


 綺麗な顔に翡翠の瞳。黒い髪を短く切ったお兄さんは、九頭玲司(くとうれいじ)と名乗った。

 玲司お兄さんが、お茶を出してくれた。

 お茶は常温で、とってもぬるかった。


「名前も思い出せないのかい?」


 とっても優しそうな声で訊いてくる金髪のお兄さんは、貝塚迅(かいづかいじん)

 金の長い髪に琥珀色の瞳から、少し不良っぽく見えたけど、ぼくが誰かに似ているのか、お兄ちゃんのような優しくて暖かい眼差しを向けてくる。

 まあ、ぼくには兄弟がいたかどうかの記憶もないからわからないのだけれど。


「でも、まさか字が読めるなんてね。結構いい所のお坊ちゃんだったのかな?」


 丑海水面(うしうみみなも)、水面お姉さんは、栗色の髪を人差し指で梳かしながら、深海を彷彿とさせる藍色の瞳で僕を見る。

 ぼくに新聞を見せて来て、読めるかどうか聞いてきたのもこのお姉さんだ。

 渡された新聞の記事の一つを音読すると、三人とも驚いたように目を見開いていた。なんだかちょっと面白かった。


「今時、この歳で字を読めるなんてな」

「教育機関なんて動いてないし、親御さんに教えてもらったとしか思えないんだけど」

「しかし、あの辺にこの子の親らしき人物は確認できなかったぞ?」


 三人のお兄さんお姉さんは、互いに意見を言っては首を捻る。それを黙って見ていたぼくは、ふと今日が何月何日なのかを忘れていたと、手元の新聞に視線を落とした。


「……七月……十三日…………大厄災から、四年が過ぎた………………?」


 ぼくが新聞の記事の一つを読んでいると、三人の声が聞こえなくなった。

 どうしたのかと視線を持ち上げてみてみると、お姉さんは目尻に涙を溜めて、今にも泣きそうな顔していた。

 そして、お兄さん二人は何かを我慢しているように、きつく口を閉じてぼくを見る。


「どう、したの?」

「お前、記憶がないんだろ?」

「うん……」

「多分、お前も被害者だ。大厄災の」


 玲司と名乗ったお兄さんが、小さくそう言った。


「そうなの?」

「多分な」


 驚き聞き返しても、玲司お兄さんはそうだと首を縦に振る。


「じゃあ、記憶がないのは……」

「大厄災で忘れたいくらいの何かを見たんだろ。例えば、目の前で親が死んだ。とかな」

「おい玲司! こんな小さい子にそんな事を教えるな!」


 突然、迅お兄さんが怒り出した。驚いて見ていると、今にも泣きそうだった水面お姉さんが困ったように笑って目を伏せる。逆に、玲司お兄さんは迅お兄さんに掴みかかった。


「あのな、この際だからはっきり言っておく。お前のその弟依存にはうんざりしてんだよ! このガキはお前の弟じゃねえんだ。いい加減、現実を受け入れろ!」

「何、当たり前のことを言ってんだ。俺は現実を見てる。弟は死んだ。分かってんだよ!」


 言い争いをする二人のお兄さんを前に、ぼくは状況が分からずオロオロと手を動かしては、手元の新聞に戻るを繰り返した。


「とにかく! 今はこの子の今後をどうするか決めるのが最優先でしょ!」


 水面お姉さんが大声を出して、今にも殴り合いになりそうになった二人のお兄さんを止めた。


「……そうだな。すまない、少し取り乱したみたいだ」

「フンッ、少しか?」

「ぁあ?」

「やめい」


 水面お姉さんの平手が、玲司お兄さんの後頭部を直撃。

 首ががくりと前に倒れた。


「とりあえず名前が必要だな」


 迅お兄さんの言葉に、玲司お兄さんが首を持ち上げ、ぼくを見て言った。


「じゃあ、『ポチ』か『タマ』、好きな方選べ」

「犬猫じゃないだろが」

「少し黙ってろ」


 水面お姉さんの平手打ちが後頭部に、迅お兄さんの裏拳が、鳩尾に入った玲司お兄さんはその場で蹲った。


「えっと、だいじょうぶですか?」

「いいのいいの、こいつは無視しといて」


 水面お姉さんの笑顔が、少し怖いです。


「それより名前だ。特に思い浮かばないのなら、こちらで決めるという手もあるが?」


 迅お兄さんの優しさはありがたいですが、話を聞く限り、弟を失って精神が不安定になっているようで、そんな人にこれ以上の負担をかけるのはどうかと考えたぼくは、さっき玲司お兄さんが提示した名前の候補から選ぶことにした。


「じゃあ、ポチで」

「いや、ダメでしょ!」

「もっといい名前は他にある。少し、時間をおいて考えよう」


 水面お姉さんと迅お兄さんの焦った顔とは対照的に、玲司お兄さんは、「ほらな」という得意げな顔をして、二人からさらに拳を振るわれた。

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