第五十四話 水の儀式と白蛇の試練
土御門家近くの湖。
永禄十二年(1569年)秋。
湖面は鏡のように静かで、空の青と周囲の山々の緑を映し出していた。
時折、小鳥のさえずりが聞こえ、静寂の中に、生命の息吹を感じさせた。
宗則は、水の儀式に挑むため、静かに湖畔に佇んでいた。
「宗則殿、水の儀式は、他の儀式とは異なる。水の力は、変化と浄化を司る力じゃ。己の過去を受け入れ、新たな自分へと生まれ変わる覚悟がなければ、その力に飲み込まれてしまうでしょう」
有脩は、厳しく言い放った。
宗則は、静かな湖面を見つめながら、静かに息を呑んだ。
彼の背中のあざが、冷たく疼き始め、まるで、湖の冷たさと共鳴するかのように、脈打つ。
その痛みは、宗則の心の奥底にある、過去の傷と、未来への不安を、呼び覚ますようだった。
「覚悟はできております」
宗則は、震える声で答えた。
有春が、静かに宗則に近づき、古びた木箱を取り出した。
箱を開けると、中には、水鏡のように澄み切った、水晶玉が置かれていた。
水晶玉は、青白く輝き、周囲の空気を、冷たく、澄んだものに変える。
宗則は、その水晶玉から、清らかで、しかし、底知れぬ力を感じ、身が引き締まる思いがした。
「これは、代々、土御門家に受け継がれてきた、『水精の宝玉』じゃ」
有春は、水晶玉を宗則に手渡した。
宗則は、恐る恐る水晶玉を受け取ると、その冷たさに、思わず手を引っ込めた。
水晶玉は、彼の迷いや葛藤を洗い流そうとするかのように、冷たく、しかし優しく、彼の掌に収まった。
「この水晶玉を握りしめ、滝壺に身を沈めるのじゃ、宗則」
有春は、静かに、しかし力強く言った。
宗則は、深呼吸をし、心を落ち着かせようとした。
しかし、彼の心は、不安でいっぱいだった。
(私は、水の力を制御できるのだろうか?)
宗則は、自問自答した。
滝壺に身を投じることへの恐怖が、彼を躊躇させた。
その時、彼の耳に、八咫烏の静かな声が聞こえた。
(恐れるな、宗則。水は、命の源。そして、変化を象徴する)
(水の流れに身を委ね、その力を感じ取るのだ)
八咫烏の言葉に勇気づけられ、宗則は水晶玉を握りしめ、滝壺へとゆっくりと足を踏み入れた。
滝壺の水は、想像を絶する冷たさで、宗則の身体を鋭く刺すようだった。
轟轟と響く滝の音は、彼の鼓膜を打ち、心を揺さぶる。
水精の宝玉が、青白い光を放ち、周りの水の流れを、ゆっくりと変えていく。
宗則は、宝玉を胸に抱きしめ、目を閉じた。
自らの心を、水の流れに委ねようとした。
(滝の音が、轟轟と響き、水しぶきが、容赦なく、私の体に降り注ぐ。冷たい水が、私の心を、洗い流していくようだ…)
その時、宗則は、水精の宝玉が、温かくなるのを感じた。
宝玉から、白い光が放たれ、宗則の身体を包み込んだ。
宗則は、水精の宝玉の力、水のエネルギーが、自らの体の中に流れ込んでくるのを感じた。
それは、清らかで、力強い、そして、温かいエネルギーだった。
宗則は、水の流れを感じ、水と一体になるような感覚を覚える。
(…これが…水の力…)
宗則は、心の中で、呟いた。
彼の心は、静かで、穏やかだった。
その時、湖面が、波打ち始めた。
そして、湖の水が、宗則の身体を包み込み、彼を、湖底へと引きずり込んでいった。
(な、なんだ!?)
宗則は、必死に抵抗しようとしたが、水の流れは、強く、彼は、湖底へと沈んでいった。
湖底は、冷たく、暗く、そして、静かだった。
水精の宝玉だけが、青白い光を放ち、宗則の不安を、わずかに和らげていた。
その時、彼の体は、水に溶け込むように、変化していくのを感じた。
(私の体が…!?)
宗則は、驚愕した。
彼の腕は、鰭に変わり、足は、尾びれに変わり、そして、彼の全身は、鱗で覆われていった。
(私は…人魚に…?)
宗則は、自らの姿の変化に、恐怖を覚えた。
その時、彼の耳に、声が聞こえてきた。
「恐れることはない、若き陰陽師よ」
声のする方を見ると、そこには、巨大な白蛇の姿をした水の精霊がいた。
白蛇は、長い体躯をくねらせながら、宗則に近づくと、その巨大な瞳で、彼をじっと見つめた。
その瞳は、かつては、湖の水のように、澄み渡っていたというが、
今は、濁り、光を失っていた。
「わしは、この湖を司る、水の精霊じゃ」
「水は、変化を象徴する元素じゃ。お前は、今、水の力によって、その本質を体感しているのじゃ」
「変化を恐れるな、宗則。変化こそが、成長の証じゃ」
宗則は、白蛇の言葉に、心を落ち着かせようとした。
彼は、深呼吸をし、自らの変化を受け入れようとした。
すると、彼の心は、水のように、静かで、穏やかになった。
「水の精霊様、わたくしは、水の力を制御する術を学びたいと思っております」
宗則は、白蛇の目をまっすぐに見つめ、力強く言った。
白蛇は、宗則の決意を聞いて、大きく口を開けた。
その口からは、鋭い牙が覗き、宗則は、思わず、身震いした。
「良いだろう、宗則。わしは、お前を試してみよう」
白蛇は、宗則に、試練を与えた。
それは、水の力を制御し、変化の術を習得する試練だった。
「わしの姿をよく見よ、宗則。そして、わしの動きを真似るのじゃ」
白蛇は、そう言うと、水の中を、自在に泳ぎ始めた。
その動きは、優雅で、力強く、そして、水の流れと一体になっていた。
宗則は、白蛇の動きを、目に焼き付けようと、必死に、彼を追いかけた。
(続く)
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