小さな魔王
1話から書き直しました(2024/2/27)
ルーシーは王宮勤めをするようになってから日が浅く、王家の事情についてあまり詳しくないのだそう。
「王弟殿下であらせられるシェイド様は、王宮の敷地内の別邸で一人お過ごしのようでございます。けれど、どれだけ探しても、王宮に勤める者の中にシェイド様にお使いしているという者がいないのです。そんなことは普通、ありえません。同僚は、最低限の世話すらされていないのではないか、とそんな噂を聞くと言います」
「まぁ……なぜそんなことが」
別邸まではわかるけれど、世話するものがいないって?
詳しく事情を聞くと、なんと前王妃イザベル様は、シェイド様の母親である側妃カーラ様に闇の魔法で呪い殺されたとの噂があるのだそう。
呪い……その言葉にぞっとする。
魔法でそんなことが可能なのだろうか。
そしてイザベル様を追うように亡くなったカーラ様は実は処刑されていたのではないか、シェイド様はご一緒に亡くなられたのではないか、もしくはどこかに幽閉されているのではないか、そんな噂があるそうだ。この三年は、誰もシェイド様のお姿を見ていない。
……そんなの生きているのか死んでいるのかも分からないじゃない。
「本当のことは何も分かりませんが……」
確かにその通りだ。噂話では何も分からない。
(ラスボスになるだけあるのね……世界の破滅を望むんだもんね)
幼少期のシェイド様は想像以上の困難の中生きているらしい。ゲームの中では、心は歪んで狂って、いつか世界を滅ぼそうとする魔王になる直前に、聖女たちに倒されてしまうのだけど……。
(だけど、お気の毒だよね)
シェイド様を私と同じように感じてしまう。
子供一人の力で出来ることなどたかが知れている。
人の心が環境によって作られる部分だってとても大きい。
今幼い彼が辛い状況にあるならば、それは到底彼の行いのせいだなんてことはないんだ。
しんみりとした気持ちになりながら、背後に控える我が護衛騎士、ダグラスに視線を向ける。
彼はずっと一緒にこの会話を聞いていた。ダグラスは少し不思議そうな表情で私を見返した。
「ダグラス、お散歩に行きたいわ」
「はい。お供いたします」
「体力を付けたいの。遠くまで歩きたいわ。大丈夫、王宮の中からは出ないから。これから、毎日、王宮内を探索しながら過ごしたいの……いいかしら?」
「はぁ?……おそらく大丈夫かと」
一瞬気が抜けたような返事が返って来たけれど、ダグラスは私の意図に気が付いているようだ。探るような視線を受けて、私はにっこりと笑った。
「さぁ行きましょう、ダグラス!」
(どこもかしこも煌びやかなもので……)
庭園の中で私はほっと息を吐く。
王宮は全てが眩しいくらい綺麗で、女神さまの壮大なメロディはどこにいても聴こえてきた。女神の加護が厚い場所だ。
私は怪しげな離れの屋敷、という存在を探し続けた。
半月ほど過ぎたころにはだんだん諦めかけて、ただ散歩を楽しむ人になっていた。
「ダグラスここで休憩しましょう」
庭園の片隅のベンチを指さす。私はバスケットの中に王子たちとの遊びの時間にいただいたおやつを詰めて持ち歩いている。いまだやせ細る私に、好きなだけ食べるようにと渡されているのだ。そのバスケットを「はい」とダグラスに向けると彼は慣れたようにクッキーを一つ掴み口に放り込んだ。まぁ賄賂なのだけど。そして優しいのだ。一緒に食べてくれないと私もなかなか食べないことに、彼は気が付いていた。
「今日はジンジャークッキーなのね」
「今ご令嬢方に人気なのは、王都にあるジンジャーをふんだんに使った菓子店なのだそうです。これはそれを似せて作ったものか、その店のものではないでしょうか」
へぇぇ……。
ダグラスは下級貴族出身なのだそうだけど、ほとんど平民と変わらない暮らしをしてきたという。面倒見がよく、壁のない性格で誰とでも打ち解け、ご令嬢にも人気のあるらしい彼は、こういった情報にも詳しい。
ダグラスは二枚目のクッキーを口に放り込む。もはや遠慮はない。彼は知っている。私は一人だとほとんど何も口にしないこと。一人の食事は好きじゃない。誰かと一緒に何かを食べて、感想を語り合いたい。たぶんそれは、両親がいたときにしか出来なかったもので、私にとっては幸福の思い出。監禁されていた時の、ひとりぼっちで冷えた食べ物を口にしていたときのことを思い出すと、私は食欲がなくなる。
「ねぇ、ダグラス、あそこの垣根、少し変じゃないかしら?」
「どこですか?」
庭園を囲うように作られている生垣が、ブランブランと動いて見える。
「これは……扉でしょうか?」
「まぁ……」
生垣に見えたところは、生垣に見えた扉で、蝶番が少し歪んでいる。生垣に見えるように、なにか目眩しの魔法がかけられていたのだろう。一度見えるようになると、他の扉も見分けが付くようになった。
「職人が管理のために通る道かもしれませんね」
「そんな可能性がありましたのね……!」
盲点だった。前世でも映画の中で見たことがある。貴族の屋敷には大抵使用人しか通らない道があるのだ。
「行ってみましょう!」
「はぁ……」
歩き進むと、中は生垣で作られた迷路になっていた。それで気が付いたのだけど、あの扉はきっと脱出用の出口だ。出て来られなくなる人も多いだろうし、探しに行く人にも必要だものね。合点がいった。
「出られないわね……」
「はぁ」
一時間ほど苦戦していた。何度も同じ場所に帰ってきてしまい、自分の頭の悪さに絶望した。いざとなったらそこかしこにある脱出用の扉から出ればいいのだけど、それは悔しい。
「ねぇ、ダグラス、夕食までに戻れば大丈夫?」
そう言って振り返ると、後ろに彼の姿が見当たらない。え?と思う私を包むようにさぁ……と音を立てて風が通り過ぎていく。走って道を戻ったけれど、そこにも彼は居なかった。心臓が跳ねるように、どきりと痛む。
「ここから……出ないと……」
もう迷路なんてどうでも良かった。
一人になると、私に影が追ってくる。手を上げて私を殴ろうとする叔父たちの影。私はぎゅっと目を瞑り走り出した。助けて、とあの日出逢った魔法使いを心の中で思いながら。
脱出用の扉を見つけるとやみくもに開けて進んだ。いくつかの扉を潜り抜けると、やっとひらけた場所にたどり着いた。
明るい日差しが降り注いでいた。
真っ白な、小さなお屋敷の前だった。イメージで言うと、別荘地にありそうな建物だ。上品で、窓が多くて、緑豊かな場所に溶け込んでいる。
(あれ、音がしない……)
私は首を傾げた。
ここは女神さまの守る世界。いつも女神さまの音楽に溢れている。けれど、ずっと音楽が鳴り響いているのは、考え事が乱されるように、少しだけ心が荒らされるような気持になる。
なのに……ここは、とても静かだった。
静寂が包み込む。一歩足を進めると、踏みしめた芝生の音がカサリと聞こえた。小さな鳥の鳴き声が遠くに聞こえる。こんなにも純粋な音の響きを、私は聴いたのは久しぶりだった。
(ああ、気持ちいい……)
静けさがもたらす心地よさを生まれて初めて知った。
かりゃり、と小さな音が響いた。
顔を上げると、屋敷の扉を開けて人影が出てくるところだった。
歳のころの近い少年だった。色白の肌、整った容姿、少し長めの艶やかかな黒髪は、彼の美しさを際立たせる。彼は私をまっすぐに見つめた。
(似てる――)
息が吸えなくなる。
少年は、私を助けてくれた命の恩人である彼に瓜二つだ。頭一つ分背が低く、歳を若くしただけの、まるで本人のように。
彫刻のように整った顔立ちに長いまつげが影を作る、美の化身のような少年。
彼は、ふぅん……と言い値踏みするような視線を私にぶつけると高圧的な口調で言った。
「子ネズミが紛れ込んだのかと思ったら、ウサギだったのか」
静寂の世界に、彼の低い声だけが響き渡る。だけど、綺麗な声。美しい旋律のようなその音に、私は思わず耳を澄ませてしまう。
私は多分、みくびっていた。
ラスボスになる人だったとしても、まだ子供なのだから、天使様のような王子たちと似たような感じの子供なのだろう、と。
ここに、小さな魔王がいた。
すでにもう、魔王様だった。
圧倒的な美しさと、人と支配するかのように、世界を見下ろすその瞳の存在感。
間違いない。いつか魔王になるかもしれない……ラスボスである、闇の魔法使いシェイド様だ。
私はぽかんとあほみたいに口を開けて彼を見つめていた。
そのことに彼の顰めた視線で気が付いた。
「ねぇ、ウサギ?」
「ウサギ……」
はっとして自分の姿を見下ろすと真っ白なワンピースと、もこもこした白いカーディガンを着ていた。なんと。私はウサギだったのか。
「ネズミなら切り刻むところだけど、ウサギなら丸焼きにして食べてしまえばいいね。まぁ大した肉も付いていなくておいしくなさそうだけど。どう思う?お前は食べられたいのかい?」
ひぃぃぃ!!私はウサギではございません。
戦慄しながら、人間であることを示すために臣下の礼を取る。
「王弟殿下にはご機嫌麗しく、謁見恐悦至極でございます」
人でありたい。
彼は一瞬表情を固まらせてから、ふふっと笑う。
「そう……私のことを知っているのか」
彼はますます面白そうに私も見つめ続ける。視線が刺さるようだ。
「お前は誰だ?」
「わたくしは、ロズベリー家の娘、マイラでございます。父母を亡くし領地の問題もあり……現在一時的に王宮にて保護して頂いております」
彼は小さく、ああ……と言った。
少し考えるようにしてから彼は笑みを消した。もう私から興味を失くしたようだ。
「本当にウサギが迷い込んだだけなのか」
ウサギではないよ。食べられちゃうからね。
「詰まらないな……」
そういうと、彼は私に背を向けて屋敷の中に戻ろうとする。
「恐れ入ります、殿下……」
本来なら私から話しかけてもいい人ではないはずなのだけど、それはそれこれはこれ、私には大事なことなのだ。なんて言おう。この人のことを知りたい。あの人のことを聞きたい。またここに来たい。
「こちらに……また伺ってもよろしいでしょうか?」
「なぜだ」
「だってここは……とても美しい静寂に包まれております。私は、こんなに綺麗な場所を他に知りません」
「……静寂?」
彼は立ち止まり、私を振り返る。
射貫くような瞳に見つめられると、体が少し竦んでしまう。
「静けさの中に、リンとした……とても美しい音だけが心に響く場所。その小さな音の一つ一つが、私には愛おしく、涙が出そうになります」
本当だ。こんなに心が落ち着ける場所を他には知らない。まぁ、狩人のような眼差しをした人が目の前にいるのは落ち着かないけれど。
「どんな女神さまの音楽よりも、私にはこの場所が一番心地よいのです」
彼は訝しんでいる。当然だと思う。私の言葉は、まるで子供らしくない。
でも子供の言葉では彼に届かないように思えた。
「お前は……」
彼は何かを言いかけてから考えるように黙り込む。
少ししてから……花開くように笑った。
手の中で花が咲いていく、あの日の魔法を見ているみたいだって思う。彼のまわりに光の粒が輝くような、それは純粋な笑みに思えた。
「面白いな」
ねぇ、ウサギ……と彼は続けた。
「お前に首輪を付けてあげよう」
彼がそういうと、何かキラキラしたものが混ざる、夜空の色のようなものが私の首を包み込んだ。
あっという間にその光は消えてしまった。
「お前が望めば、いつでもこの場所にたどり着く」
またおいで、そういうと彼は、どこか妖艶な笑みを浮かべた。