宵ノ岐阜城下町 見廻隊士覚書 ~序~
澄んだ青の空に、くっきりとお城のカタチが切り取られている。
秋晴れの少し強すぎる日差しが、紅に彩られた金華山の山肌を鮮やかに映し出す。
(ちょっと眩しすぎるくらい)
そう、特に自分のような夜の住人には。
みなぎはすっと目を細めた。
中間試験も終わり、のんびりした空気が学校を満たすこの時期のHR。担任は連絡事項とお決まりの注意を事務的に読み上げるくらいのものだ。クラスメイトもこっそり部活へ向かう準備をしたり、ひそひそ放課後の予定を話している。
自分も机の上のペンケースでも片付けるか。
教室の中へ向き直ったみなぎの視界に、ふわりと青い影が舞い込んできた。
仄かに光をまとった、一匹の瑠璃色の蝶だ。
ひらりひらりとたゆたうように、みなぎの前を飛んでいく。
蝶を追ってその軌跡に、ちらちらと青白い光を放つ、不思議な文字が浮かぶ。
(見廻隊士、緋薙の主みなぎヨ、依頼シタキ儀アリ。詳細ハ……)
ほんの刹那の幻。
またたくとすでに、瑠璃色の蝶も、不思議な文字も、その姿を消していた。
みなぎは、軽く溜息をついた。
つられてボブの黒髪が、さらりと肩先に落ちた。
ほとんど同時にHR終了のチャイムが鳴る。
教室は一気に騒がしくなった。
手早く荷物をリュックに放り込んで廊下へ走り出す。その背中にクラスメイトから声がかかった。
「あれ? みなぎ、今日は剣道部出ないの?」
軽く振り返って応える。
「家の用事で呼び出された。ごめん、主将に言っといてくれる?」
「そっか、大変だ」
家が古流の剣術道場を構えていて、その用事でたびたび部活動や、授業そのものも欠席する。そんなみなぎの事情をよく知ったクラスメートは、笑って手を振って寄越した。
ただでさえ無口で、何を考えているかよくわからないと言われるみなぎに、今のクラスの子たちはよく辛抱強く付き合ってくれていると思う。
中学生女子なら当たり前の、二十四時間べったり繋がっているような友達はさすがにいないけれど、連絡用ラインはハブられたりはしないし、こうやって気軽に話しかけてもくれる。
朗らかな、昼の住人たち。
(さて、と)
任務ってことは、相棒も連れていかないと。
相棒は二年二組。隣のクラスだ。
(でもどうせサボって、あそこに入り浸ってるんだろうなあ……)
隣のクラスをのぞき込みもせずに、みなぎは校門へと駆け出した。
中学から北東へ、伊奈波神社まで全力疾走し、参道を駆け抜け勢いのまま本殿前まで登りきる。
もちろん鳥居前では一旦停止。一礼するのは忘れなかった。
お参りを済ませ、くるりと向きを変える。眼下には、秋の夕日をいっぱいに浴びた岐阜の町に向かって、真っ直ぐに伸びる参道があった。
すたすたと階段を降りていくと、みなぎは太鼓橋の正面で足を止めた。
千客万来。来る者は拒まず。
信長様の昔から、『町』は、そこに在る。
だから別に見られても構わない決まりなのだけれど、迷子の世話も自分たちの仕事なのだ。望まぬ来訪客を好んで増やすこともない。
他の参拝客の姿が途切れたときを逃さず、すいと両手を挙げた。
二拍手。
そしてもう一拍手。
「宵々の門、開きませい」
そしてみなぎは、左に数歩移動し、太鼓橋の隣にかかる橋に無造作に足を踏み入れた。
橋は、あちらとこちらを繋ぐもの。
日暮れまでまだ遠い時刻であった境内は、いつの間にか、青と紫を溶かした焦茶の薄い膜で覆われたような、ねっとりと濃い空気に満たされていた。
「今晩は、よい宵ですこと」
すれ違う和服姿の女がみなぎに笑いかけた。みなぎも会釈を返す。
参道を上っていく彼女の頬と首筋には、立派な白い鱗が光っていた。
ここはもう、あちら側。宵ノ岐阜城下町だ。
参道両側の灯籠のあかりが照らし出す道を、みなぎは一気に駆け抜けた。
宵ノ岐阜城下町、金華山のふもとに、ひっそりと建つ二階建ての洋館がある。
玻璃の館と呼ばれるそこまで走り切ったみなぎは、少し息を整えると、館の名の由来にもなっているステンドグラスで彩られた扉を開け、中に入った。
ランプのわずかな灯りのみの薄暗い部屋の壁際には、びっしりと棚が並べられ、美しい羽根を持つ鳥の剥製や、蝶の標本、得体の知れない木片の瓶詰めなど、様々なものたちが収集され、展示されている。
部屋の中央部には、淡い光を放つ鉱石たちの納められた、ガラス張りの平面展示台が据えられていた。
石達のざわめきを横に、そのまま奥へと向かう。行くほどに部屋は闇に沈み、怪しげな棚が増えていく。
はじめて訪れるものは、とても足を踏み入れようとは思わない、不気味な冷気すら漂う四つ目の展示室を抜けたところに、階下に降りる階段があった。
急な階段を軽やかに駆け下りた。
足下すらおぼつかない闇の底。
だが、学校をサボってここに入り浸る相棒を、もう何度捕まえ……じゃなく、迎えにきたことか。
慣れたみなぎは、ほぼ暗闇の廊下を構わず進む。
するとみなぎの歩みを誘うかのように、足下が、かすかに青白く光った。
ここの地下階にだけ生息する発光生物の一種なのだという。
彼らは来訪者の案内役でもあった。
青白い光は、するすると通路の奥へと伸びていき、はるか先で左側の扉にするりと伸び上がった。
光に導かれるまま歩いて行くと、それは楽しそうな独り言が聞こえてきた。
「……ふふふふふ。
……キタコレすっご! やば!」
みなぎは軽くこめかみを押さえた。
ノックなんか無用だ。黒光りする真鍮のノブに手をやり扉を開ける。
そこはレトロな薬瓶のびっしり並んだ研究室。
その一角に、アルコールランプに怪しげな薬品の入ったフラスコをかけて、ふつふつと沸き立つ赤紫の液体をそれはそれは楽しそうに観察する、制服に白衣をひっかけた少女の姿があった。
みなぎの相棒、あゆきだ。
「……不気味な笑い声」
「失礼だなみなちゃん。
薬師たるもの、新たな素材に新たな薬効を見いだしたら、知らずと頬が緩んでしまうものなのだよ?
まして誰も居ない館内。ちょっぴり声高に笑ったところで、ヨイノルリホコリさんご一行様に聞こえてしまう程度さ、気にしない気にしない」
「ヨイノルリホコリ……?」
あゆきのかわりに、足下で淡く床を光らせ道先案内をしてくれていたものたちがちいさく鳴いて(?)応えた。そうか、これの名前、ヨイノルリホコリって言うんだ。
などと感心している場合じゃない。
またフラスコに対峙し、自分の研究の世界に帰ってしまいそうになっていたあゆきの左腕を、みなぎは無言で引っ張る。火の不始末は危険だから、アルコールランプに蓋をかぶせるのを忘れずに。
「ああうみなちゃん! ご無体な!
あと一息!
……いやせめてあとこの経過だけノートに書き留める時間のお情けをおう……!」
そう言って一息で終わったためしなんか、この十四年の付き合いで一度だってなかったものを。
近くに放ってあったあゆきの通学リュックとサブバッグをひょいひょいと片腕に引っかける。
そしてもう片腕で、まだ名残惜しそうに何やら叫び続ける相棒をずるずると引きずって、みなぎは地下階の出口の階段へと急いだ。
「辻斬りとは! それは穏やかじゃないね。
お侍の幽霊? それともそのものズバリ! 刀の怪かな?」
お団子をぱくつきながら、あゆきが目を輝かせる。二つにわけて結わえたさらさらの淡い茶の髪が、ひょこんと楽しげに揺れた。
玻璃の館からほど近い和菓子のお店で、二人は打ち合わせに入っていた。
店頭でお茶と一緒に自慢のお団子を食べさせてくれる人気店だ。店の外に並べられた、緋毛氈の敷かれた縁台は、今宵も客でいっぱいになっている。
手際よく客をさばいていた三毛猫の怪が、みなぎたちのいる縁台にやってきた。この店の主だ。
「見廻隊さん、これから仕事かい? ご苦労さん、これおまけだよ」
にっこり笑って皿に追加の団子を置くと、もふもふの尻尾でみなぎの頬を撫でて去って行った。
「ありがと~!」
元気よく礼を言って手を振るあゆきの対面で、みなぎは縁台に崩れ落ちそうになるのを必死に耐えていた。
顔面も、崩壊寸前だ。
が、なんとか踏ん張って心を立て直す。
剣客たるもの、冷静さを欠いてはならぬのだ。
幸い相棒には気付かれていない。お茶で口を湿らせて、努めて静かに続ける。
「……誰も姿を見ていない。正体は分からないって番屋の遣いが言ってた。
でももう、何人も着物を切り裂かれたり、怪我をさせられたりしてるらしい」
「それは大変だ。
宵ノ岐阜城下町の安全は、信長様に仰せつかった、わたしたち見廻隊の責務だもんね!
さて、見廻隊あゆきとみなぎ、怪討伐にいざ現場へ!」
軽くお気楽に腕を振り上げるあゆきに、みなぎはじっとりとした視線を投げた。
「いざって……作戦とかは?
まずは情報収集したほうがいいんじゃない?」
「え~?
だって現場に行かないと情報収集出来ないじゃん?
で、どうせ現場に行くんだったらもう、ちゃっちゃと討伐しちゃえば早いじゃん?」
「……脳筋薬師……」
「脳筋って言うなっ!」
相棒は、この町一の呪師と薬師の血を引き、呪と薬を組み合わせて用いる風変わりな術士だ。
若くして知識は豊富、頭脳は明晰な頼れる参謀役……のはずなのだが、物理で殴る解決法を好むのが玉にきずなのだ。
でもまあ、あゆきの言うことも確かだ。正体不明の襲撃者による被害は、宵ノ河原町通り付近に集中しているようだ。
ならばまずは現場へ。
みなぎはお茶を飲み干すと、縁台から立ち上がった。
よい宵だ。
店先の灯りに、人々怪々が手にした灯り。橙色の柔らかな灯りが、通りをあたたかく満たしている。
すこし肌寒い季節となっていたけれど、宵ノ河原町通りは夜の街歩きを楽しむもので賑わっていた。
みなぎとあゆきも、見廻隊が拠点としている番屋に立ち寄り、支度を済ませてから通りに繰り出した。
あゆきは中学の制服に千早を羽織り、さまざまな薬や御札を納めた鞄をいくつも引っかけている。
そしてみなぎも同じく制服に千早、そして腰には愛刀・緋薙を履いた出で立ちだ。
まずは活気のある通りを一通り流し、それから脇の細い路地を順に確かめる。
一刻ほど巡回してみたものの、情報にあるような危険な怪は、その気配すら感じさせなかった。
「……平和だねえ」
「まだ、判らないよ」
すでに緊張の切れたあゆきは、あくびをひとつして通りの店をのぞきはじめた。
「小腹も空いたし、ちょっとおはぎでも食べない?」
「……さっきお団子食べたばかりでしょうが」
「腹が減っては仕事は出来ん、て言うじゃん?
任務のためだよ、さ、補給補給!」
「……」
喜々として和菓子店に入っていこうとするあゆきの背を、渋い顔で追った。
その時、通りの向こうで、甲高い悲鳴が上がった。
「きゃあーーーっっっ!」
みなぎとあゆきは、瞬時に見廻隊士の顔に戻る。
悲鳴の方向へと向かって、勢いよく駆け出した。
道の向こうでは、人も怪もパニックになって逃げ惑っていた。
血を流した腕を押さえ、道の脇に倒れ込んでいるものもいる。
「危ない! 下がってください!
……見廻隊見参! 神妙にしなさい!」
あゆきが高らかに宣言する。その隣で、みなぎは柄に手を掛けて敵の気配を探った。
刹那、ひらりと身体を翻らせて刀で受ける。
カキイン!
と、澄んだ音がして火花が散った。
「なに……?」
あゆきが目を見開いた。
なにが二人の間をすり抜け、なにかの攻撃を仕掛け、みなぎの刃がそれを受け止めたのか、あゆきには全く捉えることが出来なかった。
みなぎも、目で追うことは出来ていない。
だが、気配は覚えた。
そして敵は一体じゃない。複数いる。
刀を構え直し、気を整える。
呼吸ひとつ。
「あゆ……来る!」
襲ってきた怒濤の攻撃を受け流した。激しい剣戟の音が通りに響く。
いくつかの攻撃は流しきれず、みなぎの千早が切り裂かれ、切れ端がはらりと宙を舞った。
「ひやあ~! 大変大変!」
相棒はこんな状況でもどこかのんびりとした調子だ。
みなぎに守られているその間に、あゆきは数個の薬瓶を鞄から取り出すと、呪文とともに空に滴を放った。
「その手伸ばせや束縛の蔓」
とたんに周囲に、長い蔓を伸ばしたツタが現れた。
足を取られた敵が、甲高く鳴いて、そして倒れ込む。
目を遣ると、道の上には、足や身体に引っかかったツタをはずそうともがく、猫くらいの大きさのもふもふの怪の姿があった。
十匹はいるだろう。
この姿は、本で見たことがある。
かまいたちだ。
目にもとまらぬ疾さで襲いかかり、鋭い爪で行き会ったモノを切り裂く。
厄介な相手だった。
そんな敵の動きが一時、止まったのだ。
一気にたたみかければよいものを、みなぎは肩をふるわせて道の真ん中に立ちすくんでしまった。
「待って……待って、無理」
たとえ切りつけられたら肉まで裂かれる凶悪な怪でも、一度姿を認めてしまったらもう、みなぎには一刀のもとに斬り捨てることなど出来はしない。
(だって……!
こんなにもっふもふの子たちを切れる訳ないじゃん……!)
冷静沈着な剣士みなぎの唯一ともいえる弱点、それは、
『もふもふに、それはそれは弱い』
というところだった。
どんなに冷徹に任務を成し遂げようと思っていても、相手がもふもふの怪だったりしたらもう無理だ。心が剣を手放して、その毛玉に頬をすり寄せたくなってしまう。
みなぎが立ちすくんでいる間に、一匹、また一匹と、かまいたちたちが蔓の縛めからから抜けだしている。
それでも動き出せず、なんとも複雑に顔をしかめて凍り付いた相棒に、あゆきは高笑いをしてみせた。
「ふははははっ!
実はかれらの正体も想定済みさ。
みなちゃんがそう言うと思って、秘密兵器もちゃあんと用意してきたよ」
あゆきは勝ち誇ったように宣言すると、腰の鞄から一包みの薬包を取り出した。
さあっと薬の粉を宙に巻き、すかさず呪を唱える。
「旋風来たりませ
疾く良く吹かせ辻に嵐
宵に酔い
酔えや酔わせよ」
とたんにごう、と大きな音を立てて、突風が辻を駆け抜けていく。
薬の粉が、辻の砂埃と一緒に、舞い上がりきりきりと吹き荒れる。
すると、かまいたち達に異変が起こった。
ふらふらと、まるで酔っ払ったような足取りで、あらぬ方向へと力ない体当たりをかけては、ごろりと地面に転がってしまう始末だ。
「……あゆ? これは……?」
「あゆき特製、マタタビ入りしびれ薬。
しばらくまともな攻撃はできないよ」
マタタビとか……イタチってネコ科だったっけ?
みなぎが首をかしげていると、あゆきがみなぎの背を叩いてきた。
「さ、荒ぶるモノたちの『性』を断ち切るのは、みなちゃんのその緋薙に任せたよ」
そうだった。
みなぎは緩んだ頬を引き締めると、構えを取る。
その昔、信長様に拝領したという退魔の剣、緋薙。
みなぎの気に応えて、刀身がゆらりと炎をまとったように輝く。
練り上げられた力はさらに眩しく、宵の闇を薙ぎ払う光となる。
「はっ!」
気合い一閃、みなぎは真横一文字に、刀を振り払った。
直視できない光の洪水が収まると、辻のそこここには、うるうると大きな瞳でこちらをみつめてくる、もふもふのいたちたちが残されていた。
「……やっぱ無理。かわいい……」
腰が砕けて辻に座り込むみなぎに、もふもふたちが一斉に懐いてすり寄ってくる。
こんな時にしか見られないみなぎのふにゃふにゃの笑顔に、あゆきもまたつられて、二人して夜の道の上、毛玉にまみれながら笑ったのだった。
一夜明け、みなぎは母にぶつくさと文句を言われながら、新たにお迎えしてしまったペットの世話に追われていた。
宵ノ城下町からこちらに戻ってくるときに、どうしてもみなぎの側を離れない数匹がそのまま昼の住まいの方に付いてきてしまったのだ。
なんだかんだでそうやってついてきたもふもふのいきものたちで、みなぎの住む家と道場はいっぱいだった。
さすがにそろそろ、自制しなきゃ。
そうは思うのだけれども、ダメだ、無理。
こんな可愛い毛玉、拾ったら捨てられる訳ない。
足下にまとわりつき、首筋をくすぐるもふもふたちに、みなぎはまた、この上なくれでれでの笑みを向けるのだった。(~序~了)